第八話 価値のない努力
第八話 価値のない努力
足の裏に、じわりとした痛みが広がる。
ネロは足を引きずるように歩いていた。
――潰れたか。
訓練の最中、何度も踏み込み、走り、転び、また立ち上がった結果だ。
靴の中で擦れた皮膚は破れ、水ぶくれは潰れていた。
血と滲んだ体液が、じっとりと張り付いている。
ネロ「……はぁ……」
痛みはある。
だが、それ以上に――
悔しさの方が強かった。
剣も、魔法も、何もできない。
それでも何かを変えたくて、無意味だとわかっていても体を動かした。
結果がこれだ。
ネロ(……それでも、やらないよりはマシだ)
そう思い込むことでしか、前に進めない。
ネロは小さく息を吐き、街の一角へと足を向けた。
⸻
古びた看板が、軋む音を立てて揺れている。
そこに書かれているのは——
「静命堂」
木製の扉を押すと、乾いた鈴の音が鳴った。
店内には薬草の匂いが満ちている。
棚には瓶や包帯、軟膏が整然と並んでいた。
店主「いらっしゃい」
低く、抑えた声。
年齢の読めない男が、ゆっくりと顔を上げる。
ネロ「あの……傷薬と、包帯を」
言いながら、少しだけ躊躇する。
自分の足元を見る。
血が滲んでいるのが分かる。
店主「……随分ひどいな」
それだけ言って、男は薬の用意を始めた。
無駄なことは何も言わない。
ただ、手際だけが妙に正確だった。
——その時だった。
???「――はは、見てられないな」
乾いた、しかし粘つくような声。
空気が変わる。
ネロはゆっくり振り返る。
そこにいたのは、一人の男だった。
整った服装。無駄のない立ち姿。
だが、その目だけが――底冷えするように冷たい。
???「そんな足で歩くとか……滑稽すぎて笑える」
男は、ネロの足元を見て、露骨に口角を歪めた。
ネロ「……誰だ」
???「ああ、名乗る価値がある相手か判断してなかったな」
一歩、近づく。
レイン「レインだ。覚える必要はないけどな」
その声には、最初から最後まで“見下し”しかなかった。
レイン「で?それ、努力の結果?」
ネロは答えない。
レイン「血を流して、足潰して……で、何が変わった?」
一歩、また一歩と距離を詰める。
レイン「強くなったのか?」
レイン「なってないよな?」
即答だった。
レイン「じゃあ、それ無駄だ」
言葉が、刃のように突き刺さる。
ネロ「……」
レイン「努力ってのはな、“結果が出る奴”がやるから意味があるんだよ」
レイン「お前みたいに、最初から下の奴がやると――」
一瞬、間を置く。
レイン「ただの時間の浪費だ」
店の空気が凍る。
店主「……」
カタ、と瓶を置く音だけが響く。
店主は何も言わない。
ただ——
その視線だけが、レインとネロを静かに見ていた。
レイン「ゴミに優しくするのは勝手だが、価値は生まれない」
ネロを見下ろす視線。
そこに“人”を見る気配は一切ない。
レイン「なあ、お前さ」
レイン「自分が“何者かになれる”って思ってるのか?」
ネロ「……」
レイン「無理だよ」
即答。
レイン「才能もない、力もない、結果も出てない」
レイン「そんな奴が努力したところで、意味があると思うか?」
一歩、顔を近づける。
レイン「ないんだよ」
静かに、しかし確定事項として告げる。
レイン「価値のない努力は、ただのゴミだ」
――ゴミ。
その言葉が、胸の奥に沈む。
ネロ「……っ」
拳が震える。
その瞬間。
棚の上の瓶が——わずかに揺れた。
誰も触れていないのに。
ネロ「……?」
一瞬、視線が逸れる。
だが。
レイン「ほら、何も言えない」
レイン「自分でも分かってるんだろ?」
思考は、すぐに押し潰される。
レイン「お前は“やってるつもり”なだけで、何も変えられてない」
ネロの視界が、わずかに歪む。
レイン「現実見ろよ」
レイン「お前は下だ」
レイン「そして――一生そのままだ」
静かに言い切る。
レイン「だから、その努力は“やる価値がない”」
沈黙。
店内には、何も音がない。
ネロ「……それでも」
ようやく、声が出た。
ネロ「それでも……やるしかないだろ」
震えている。弱い声だ。
それでも、言った。
レイン「……は?」
一瞬、レインの眉が動く。
ネロ「何もやらなかったら……本当に終わる」
ネロ「だから……」
言葉を絞り出す。
ネロ「無駄でも……やる」
その瞬間。
ネロの足元の血が——ほんの僅かに止まった。
だが。
誰も気づかない。
ただ一人を除いて。
店主だけが、ほんのわずかに視線を落とした。
レインは、数秒だけネロを見た。
そして——
レイン「……はは」
笑った。
レイン「やっぱりゴミだな」
完全に、見切った笑いだった。
レイン「理解してないやつは、一生そのまま沈む」
踵を返す。
レイン「せいぜい足潰しながら頑張れよ」
レイン「その“無意味な努力”でな」
そのまま、店を出ていった。
鈴の音が、やけに響く。
静寂。
店主「……大丈夫か」
ネロ「……はい」
大丈夫なわけがなかった。
胸の奥に、言葉が残っている。
――無駄
――価値がない
――ゴミ
ネロ「……」
薬を受け取る。
金を払い、店を出ようとしたとき。
ふと、棚の奥に目がいく。
小さな札が、静かに掛けられていた。
「静命堂 セント」
ネロ「……」
一瞬だけ、その名前が引っかかった。
だが——
ネロ「……気のせいか」
それ以上、考えなかった。
⸻
外の空気が、やけに冷たい。
足は痛い。
心も痛い。
ネロ(……それでも)
一歩、踏み出す。
ネロ(やるしかない)
血が滲んでも、進むしかない。
それが——
今の自分に残された、唯一の選択だった。




