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追放された英雄――戦神の加護を得た底辺騎士は王国と決別する。「お前のおぞましい愛などいらない!」  作者: 猫野 にくきゅう


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第7話 一撃の聖剣

 馬車の扉が歪み、鋭い爪が木材を引き裂く音が、フィリアの鼓動を激しく打ち鳴らしていた。


 ラトニア王国の第三王女である彼女は、狭い車内の中で、震える手を胸の前で組んでいた。外からは、幼い頃から自分を守ってくれた騎士たちの、苦悶の叫びと金属の砕ける音が絶え間なく響いてくる。


「……神様、どうか……」


 彼女は祈った。

 自分の命のためではない。


 自分を逃がすために盾となっている、忠義の兵士たちのために。


 だが、現実は非情だった。

 霧の向こうから現れたのは、通常の種を遥かに凌ぐ巨体を持つ『ミスト・エンペラー』。その鎌のような前足は、ラトニアが誇る魔法銀の鎧を、まるで枯れ葉のように易々と切り裂いていた。


 視界の端、馬車の小さな窓から、一人の男の姿が見えた。


 煤けた革鎧に、手入れもされていない鈍色の鉄剣。

 どこからどう見ても、食い詰めた浪人騎士か、流れの傭兵にしか見えない後ろ姿。


「ダメ……逃げて……!」


 フィリアの声は、魔物の咆哮にかき消された。

 魔物は、新たな獲物を見定めたように、レオンハルトへと襲いかかる。


 しかし、レオンハルトは動かなかった。


(……静かだ)


 迫り来る死の爪を前に、彼は不思議なほどの静寂の中にいた。


 大国グラン・メリアにいた頃、彼の聖剣はどこか重かった。

 それは周囲からの嫉妬、心ない罵倒、そして「英雄でなければならない」という重圧が、彼の加護の力を無意識のうちに濁らせていたからだ。


 だが、今は違う。

 身分も、名誉も、過去もすべて捨てた。


 今の自分は、ただの「レオンハルト」という一人の人間だ。


(誰かのために振るうのではない。俺が、俺自身の意志で、この人たちを救うと決めたんだ)


 その瞬間、彼の魂の奥底で、抑えていた力が目を覚ました。


「……『万物を穿つ聖なる息吹ホーリー・エンチャント』」


 それは、世界への宣言。


 ドォォォォォッ!!


 レオンハルトを中心に、黄金の光柱が天を衝いた。


 彼が手にしていた安物の鉄剣は、もはや鉄の塊ではなかった。

 眩いばかりの光が刀身を再構築し、透き通るような白銀の刃に、神々の言語にも似た紋様が刻まれていく。


 それは「聖剣」。

 純粋無垢な光の結晶。


「な……なんだ、あの光は……!?」


 負傷し地面に伏せていたラトニアの騎士隊長が、目も眩まんばかりの輝きに息を呑んだ。


 ミスト・エンペラーが、本能的な恐怖からか、全力を込めた一撃を振り下ろす。


 レオンハルトは、ただ一歩、踏み込んだ。


 抜刀。

 それは、振るったことさえ認識できないほどの、神速の一閃。

 

 シュン……。

 

 音が、世界から消えた。

 次の瞬間、ミスト・エンペラーの巨体が、頭頂部から股下まで垂直に分断された。断面からは血の一滴も流れない。


 聖なる光に焼かれ、細胞の一個一個が純粋な魔力へと還元されていく。


 それだけではない。

 レオンハルトが放った斬撃の余波は、森全体を覆っていた呪わしい霧をも一瞬で「浄化」し、吹き飛ばした。

 

 数秒前まで死の気配に満ちていた森に、澄み切った陽光が差し込む。

 バラバラと、光の粉末となって消えていく魔物の残骸。


 静寂。

 鳥の囀りさえ聞こえないほど深い静寂の中で、レオンハルトはゆっくりと聖剣を振った。光の刃が収束し、元の鈍色の鉄剣へと戻っていく。


「……大丈夫ですか」


 レオンハルトが振り返り、馬車へ向かって声をかけた。


 フィリアは、震える手で馬車の扉を開けた。

 目の前に広がる光景は、奇跡そのものだった。


 壊滅的だったはずの周囲は、不自然なほど清らかな空気に満ちている。


 そして、その中心に立っているのは、先ほどまで「みすぼらしい旅人」に見えていた青年――だが、今の彼女の目には、彼はどんな宝石よりも、どんな伝説の騎士よりも眩しく映っていた。


 逆光の中で立つ彼のシルエット。

 煤けた鎧の下から溢れ出る、隠しきれない高潔な気品。そして何より、自分たちを見つめるその瞳が、あまりにも優しく、誠実さに満ちていた。


「ああ……」


 フィリアは、吸い寄せられるように馬車から降りた。

 足元がふらつくのも構わず、泥だらけの地面に降り立ち、彼に歩み寄る。


 騎士隊長たちが慌てて駆け寄ろうとしたが、彼女が掲げた片手がそれを制した。


 彼女は、レオンハルトの前で立ち止まった。

 

 グラン・メリアの令嬢たちが彼に向けていたのは、所有欲に塗れた「熱狂」だった。しかし、フィリアの瞳にあるのは、ただ純粋な、魂からの「敬愛」と「震え」だった。


「あなたは……あなたが、私たちを救ってくださったのですか?」


「……通りすがりの旅人です。怪我はありませんか?」


 レオンハルトは、いつものように控えめな笑みを浮かべた。

 その無欲な態度が、かえってフィリアの心を激しく揺さぶった。


 これほどの力を持ちながら、誇ることも、見返りを求めることもない。

 フィリアは確信した。目の前の人物こそが、自分の国が、そして自分自身がずっと探し求めていた「本物の騎士」であることを。


「お名前を……どうか、お名前を教えてくださいませ」


 フィリアの声は、わずかに震えていた。


「……レオン。ただのレオンです」


 家名は名乗らない。

 それは、過去との決別。


 だが、その名は今、一人の姫君の心に、消えない刻印として刻み込まれた。

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