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追放された英雄――戦神の加護を得た底辺騎士は王国と決別する。「お前のおぞましい愛などいらない!」  作者: 猫野 にくきゅう


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第3話 広がる悪評

 石造りの廊下を歩く足音が、妙に高く響く。


 レオンハルトが騎士団の宿舎から訓練場へ向かう道すがら、すれ違う者たちは皆、一様に顔を背けるか、あるいはこれ見よがしに鼻を鳴らして通り過ぎていった。


 ほんの一週間前まで、彼がここを通れば、誰もが憧れの眼差しを向け、先を争って挨拶をしてきたものだ。それが今では、まるで道端の汚物でも避けるかのような扱いである。


「……おはよう」


 訓練場の入り口で、かつて一緒に酒を酌み交わしたこともある同僚の騎士に声をかけた。だが、男はレオンハルトの手が肩に触れるのを露骨に嫌がり、弾かれたように距離を取った。


「触るな。……汚れが移る」


「汚れ……? どういう意味だ。俺が何か君に不快な思いをさせたのか?」


 レオンハルトが困惑して問い返すと、男は吐き捨てるように言った。


「白々しい。お前がヴァロア公爵令嬢に無理やり迫った話は、もう騎士団全員が知っている。それだけじゃない。お前、金欲しさに戦場で見捨てた仲間の遺品をくすねているそうだな? 貧乏貴族の根性は、英雄になっても治らないらしい」


「……そんなことはしていない。誰がそんな出鱈目を」


「被害者が声を上げているんだよ! お前に脅されて泣き寝入りしていた連中がな!」


 男は最後まで話を聞こうとせず、逃げるように去っていった。


 レオンハルトは、差し出した右手を空中で握りしめ、ゆっくりと下ろした。

 否定したところで、誰が信じてくれるのだろうか。今のこの国では、真実よりも「面白い悪評」の方が、遥かに速く、深く浸透している。


 訓練場の中央では、数人の若手騎士たちが円陣を組んで話し込んでいた。

 レオンハルトが姿を現した瞬間、その輪が解け、冷笑が混じった視線が突き刺さる。


「おい、見ろよ。『聖剣様』のお出ましだぜ」

「聖剣使いなんて格好いいこと言ってるけど、中身はただの暴君なんだろ? こないだの魔獣討伐も、本当は近衛隊が弱らせたところを横取りしただけだって噂だ」

「ああ、あの時も手柄を独り占めするために、他の騎士をわざと危険に晒したらしいじゃないか。最低だな」


 あからさまな罵声。


 彼らが口にしているのは、どれもこれもレオンハルトには身に覚えのないことばかりだった。だが、イザベラたちがばら撒いた「毒」は、嫉妬という名の肥沃な土壌で急速に芽吹いていた。


 無名の貧乏貴族がいきなり英雄になったことを、面白く思わない者は多かったのだ。そこに「実はあいつは性格が破綻している」という大義名分が与えられれば、人々は喜んで石を投げる。


「レオンハルト殿。……少し、いいかな」


 声をかけてきたのは、近衛騎士団の副団長、カシウスだった。


 名門貴族の出身で、実力も高い彼だが――

 今はその眉間に深い不快の皺を刻んでいる。


「カシウス副団長。訓練の指示でしょうか」


「いや。君にはしばらく、王都外縁のゴミ捨て場の警備に回ってもらう。……無期限でな」


 それは、英雄に対する処遇としてはこれ以上ないほどの屈辱だった。


「……理由を伺っても?」


「君に対する苦情が、王宮の至る所から届いている。特に女性関係だ。令嬢たちがあまりに怯えているため、君を王宮内に留めておくことはできないと、上層部が判断した」


「俺は、誰一人として令嬢を傷つけてなどいません」


「黙れ!」


 カシウスの怒鳴り声が訓練場に響き渡った。


「見苦しいぞ! 加害者の弁明など聞いていない。君がそこにいるだけで、我が騎士団の品位が汚れるのだ。身分の低い者がたまたま強力な加護を得たからといって、調子に乗るのも大概にしろ」


 カシウスの瞳にあったのは、正義感ではなく、明確な『選民意識』と『嫉妬』だった。自分たちが何年もかけて積み上げてきた地位を、たった一日の戦いで追い越していったレオンハルト。


 彼を失脚させるチャンスを、カシウスが逃すはずもなかった。


 レオンハルトは、黙って頭を下げた。

 ここで言い返せば、また「暴力を振るった」「上官に反抗した」という尾ヒレがついて広がるだけだ。


 彼は幼い頃から、理不尽な身分差の中で耐えることを覚えていた。

 だが、今回の重圧はそれまでのものとは比較にならなかった。


 拳を握りしめ、爪が手のひらに食い込む。

 その様子を、訓練場を望む高い回廊から、楽しげに見下ろす影があった。


「ふふっ……いい顔。絶望に染まっていく瞳が、一番美しいわ」


 イザベラ・ド・ヴァロアは、扇子で口元を隠し、歓喜に肩を震わせていた。


 周りには、協力した令嬢たちが集まっている。

 彼女たちは「被害者」を演じることで、レオンハルトを社会的に抹殺し、その後に自分たちが「唯一の理解者」として彼を救い出すシナリオを描いていた。


「イザベラ様、そろそろ『仕上げ』に入りますか?」

「ええ。彼が誰からも見捨てられ、自分の無力さに打ちひしがれた時……私が優しく抱きしめてあげるの。そうすれば、彼は一生、私の足元から離れられなくなるわ」


 イザベラの瞳は、恋する少女のそれではなく、獲物を巣に追い詰めた蜘蛛のそれだった。


 夕暮れ時。


 ゴミ捨て場の警備という、不当な任務を終えたレオンハルトが街を歩いていると、広場で一人の母親が子供の手を引いて急ぎ足で去っていくのが見えた。


「ほら、見てはいけません。あの人は、英雄のふりをした獣なんですから」


 子供が不思議そうにレオンハルトを見上げるが、母親は強くその手を引いた。


 命懸けで守ったはずの民衆から、向けられるのは蔑みの視線。

 レオンハルトの心の中で、何かが音を立てて冷えていった。


「……俺は、一体何のために剣を振るったんだろうか」


 空に浮かぶ月は、あの日、ベヒーモスを斬った聖剣の輝きに似ていた。


 だが、今のレオンハルトの手にあるのは――

 ただの重い鉄の塊にしか感じられなかった。

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