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追放された英雄――戦神の加護を得た底辺騎士は王国と決別する。「お前のおぞましい愛などいらない!」  作者: 猫野 にくきゅう


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第2話 歪んだ愛の包囲網

 巨大魔獣ベヒーモスの脅威から王都が救われて、一週間が経過した。


 王都グラン・メリアは、かつてない祝祭ムードに包まれていた。

 街のいたる所には「救国の英雄」を称える旗が掲げられ、子供たちは木剣を振り回して、あの白銀の閃光を真似て遊んでいる。


 だが、その熱狂の中心にいるはずのレオンハルトは、王宮の一角に用意された豪華な客室で、深く溜息をついていた。


「……肩が凝るな」


 鏡の中に映る自分は、普段の泥臭い革鎧ではなく、金糸の刺繍が施された豪奢な礼服に身を包んでいる。

 国を救った功績により、彼は「名誉騎士」の称号を与えられ、連日のように続く祝賀会への出席を義務付けられていた。


 辺境の貧乏貴族として育った彼にとって、この煌びやかな世界は、戦場よりも居心地が悪かった。


 コンコン、と控えめなノックの音が響く。


「レオンハルト様、お迎えに上がりました。今夜の舞踏会も、皆様がお待ちかねです」


 王宮の従者が、恭しく頭を下げる。


 レオンハルトは苦笑いを浮かべ、「今行くよ」と答えた。

 彼はまだ気づいていなかった。その従者の目が、憧れではなく、底の知れない好奇の視線に変わっていることに。


 豪華絢爛な大広間には、王国中の貴族が集まっていた。

 レオンハルトが姿を現すと、会場の視線が一斉に彼へと突き刺さる。


「見て、あの方が……」

「なんて逞しいのかしら。あの腕で、あの巨大な魔獣を……」


 扇子で口元を隠しながら、令嬢たちがひそひそと囁き合う。

 その視線は熱を帯び、捕食者が獲物を品定めするかのような、ねっとりとした質感を孕んでいた。


 レオンハルトは丁寧に会釈をしながら会場の隅へ向かおうとしたが、すぐに幾人もの高位貴族に囲まれてしまった。


「いやあ、レオンハルト殿! 我が領地の警備をぜひ君に任せたいと思っていてね!」

「我が娘も君の勇姿に心酔しておりましてな。ぜひ一度、ゆっくりと……」


 飛び交うのは、露骨な勧誘と下卑た野心だ。

 彼らはレオンハルトという「個人」を見ているのではなく、彼が振るった「聖剣の力」を欲しているに過ぎなかった。


 その光景を、会場の二階にあるテラスから見下ろす影があった。


 公爵令嬢イザベラ・ド・ヴァロア。

 この国の社交界の頂点に君臨する、美しくも冷酷な「女王」である。


 彼女の周りには、有力貴族の令嬢たちが数人、付き従うように立っていた。


「……むさ苦しい男たちね。あの方を自分たちの利益のために使い潰そうなんて」


 イザベラが、手にしたワイングラスを弄びながら冷たく吐き捨てた。

 その瞳は、一階で困惑の表情を浮かべるレオンハルトを、獲物を狙う鷹のように射抜いている。


「イザベラ様、お気持ちは分かりますわ。あの方は、あんな卑しい連中に触れられていい存在ではありませんもの」


 側近の一人が、媚びるような笑みを浮かべて同意する。


「ええ、そうよ。あの方はもっと『特別』に扱われるべきだわ。……例えば、何不自由ない檻の中で、私だけを見て過ごすようにね」


 イザベラの言葉に、他の令嬢たちが一瞬、息を呑んだ。

 だが、その瞳には同質の、狂った独占欲が宿っていた。


 彼女たちにとって、レオンハルトはもはや一人の人間ではなかった。

 誰が最初にあの大魚を釣り上げ、自分の色に染めるか。これは社交界という名の戦場における、最高難易度の「遊戯」だった。


「でも、イザベラ様。今のままではライバルが多すぎますわ。あの方の誠実な性格に漬け込んで、媚を売る小娘たちが後を絶ちません」


「分かっているわ。だから、少し『庭掃除』が必要ね」


 イザベラは妖艶な笑みを浮かべ、仲間の令嬢たちを近くに寄せた。


「あの方を、この国で孤立させましょう。英雄なんて名前は、彼には重すぎるわ。……少しずつ、彼の周りから人を遠ざけるのよ。彼は優しすぎるから、自分への非難には反論できない。そこを突くの」


 その夜から、王宮の空気は密やかに、そして確実に変質していった。

 翌朝、騎士団の詰め所でレオンハルトが耳にしたのは、今までとは質の違う囁き声だった。


「……本当か? 彼が夜な夜な、メイドの部屋に無理やり押し入っているっていうのは――」

「ああ、間違いない。ヴァロア家の令嬢が、怯えたメイドを保護したそうだ。あんなに真面目そうな顔をして、英雄っていうのは案外、欲望に忠実なんだな」


 レオンハルトが通りかかると、話し合っていた騎士たちは、あからさまに軽蔑の視線を向けて沈黙した。


「おはよう。……何かあったのか?」


 レオンハルトが声をかけるが、彼らは返事もせずに背を向けて立ち去っていく。


「……?」


 困惑するレオンハルト。

 だが、それはまだ序の口に過ぎなかった。


 午後の訓練、彼はある伯爵令嬢から「個人的な相談がある」と中庭に呼び出された。

 そこへ向かうと、令嬢は涙を浮かべて震えていた。


「ど、どうしたんだ? そんなに震えて……」

「レオンハルト様……お願いです、もう私に付きまとわないでください……! あんな、無理やり身体を要求されるような手紙を何度も送られて……私、怖くて……っ!」


「……え? 手紙? 何のことだ、俺はそんなもの……」


 否定しようとしたレオンハルトの言葉を遮るように、周囲の茂みから、申し合わせたように複数の男貴族たちが現れた。


「貴様、レオンハルト! 英雄の地位を笠に着て、淑女を弄ぶとは何事だ!」

「やはりな。辺境の貧乏貴族が急に力を得れば、こうなることは予想していた!」


 口々に罵倒を浴びせる男たち。

 彼らは、あらかじめイザベラたちから「レオンハルトの醜聞」を吹き込まれ、正義感(あるいは彼への嫉妬)を煽られていた。


「待ってくれ、誤解だ! 俺は彼女に手紙なんて一度も……」

「黙れ! 被害者の令嬢がこうして証言しているんだぞ! 卑劣漢め!」


 呆然と立ち尽くすレオンハルトの視線の先で、泣き真似をしていた令嬢が、一瞬だけ口角を吊り上げた。


 その瞳にあったのは、彼への憐憫でも憎悪でもない。


 ――これで、あなたは私の「保護」なしでは生きていけなくなる。

 そんな、歪んだ悦びに満ちた輝きだった。


 広がり始めた毒は、瞬く間に王都を汚染していく。

 「救国の英雄」という称号が、今、「卑劣な狼藉者」という泥に塗り替えられようとしていた。


 たった一人の男を、自分たちの手元に閉じ込めるために。

 レオンハルトは、差し伸べられた「愛」という名の罠に、無防備にも足を踏み入れてしまったことに、まだ気づいていなかった。

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