表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された英雄――戦神の加護を得た底辺騎士は王国と決別する。「お前のおぞましい愛などいらない!」  作者: 猫野 にくきゅう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/8

第1話 無名の英雄

 空が、血の色に染まっていた。


 それは夕焼けなどではない。

 暴力的な魔力が大気と摩擦を起こし、空そのものを赤黒く焦がしているのだ。


 難攻不落を誇り、建国以来ただの一度も外敵の侵入を許したことのない大国、グラン・メリア。その絶対の安全の象徴であった白亜の城壁が今、まるで脆い飴細工のように無惨に砕け散っていた。


「ひ、ひぃぃっ! 逃げろ! 城壁が突破されたぞ!」

「騎士団は何をしているの!? 早くあの化け物を討伐しなさいよ!」


 逃げ惑う民衆の悲鳴と、家屋が崩落する轟音が王都に木霊する。

 彼らの恐怖に満ちた視線の先――もうもうと立ち込める土砂の粉塵を突き破るようにして姿を現したのは、山のように巨大な四つ足の魔獣だった。


 全身を鋼よりも硬い漆黒の鱗でびっしりと覆い、背中には天を衝くような禍々しい真紅の棘が生え揃っている。口からは硫黄のような熱を帯びた息が吐き出され、一歩足を踏み出すたびに王都の石畳が爆発したように吹き飛んだ。


 災害級魔獣『ベヒーモス』。


 本来であれば、人里離れた魔境の奥深くにしか生息していないはずの歩く天災。

 それが、貴族たちの溜め込んだ強欲や、王都に渦巻く悪意に引き寄せられるようにして、突如としてこの国のど真ん中に現れたのだ。


「隊列を立て直せ! 弓兵部隊、一斉掃射!」


 混乱する前線で、王家直属の近衛騎士団が声を張り上げる。


 彼らは皆、高位貴族の出身であり、国費を湯水のように注ぎ込まれた最高級の魔法銀ミスリルの武具を身に纏っていた。数十人の弓兵が放った矢の雨がベヒーモスを覆うが、漆黒の鱗に弾かれ、乾いた音を立てて無力に散っていく。


「弓など役に立たん! 突撃部隊、続け!」


 騎乗した精鋭たちが、長大な槍を構えて突撃を敢行する。


 先頭を駆けるのは、豪奢な金髪をなびかせたカシウス副団長だ。

 彼らの持つ槍の穂先には、複雑な魔術式が赤く発光していた。王国の秘密兵器であり、一本で家が一軒建つほどに極めて高価な特殊武器である。


 その必殺の槍が、ベヒーモスの巨体と接触した瞬間――

 激しい閃光と共に爆炎が上がった。


 ドォォォォンッ!!


 凄まじい衝突音が轟き、猛煙と熱波が周囲の建物を吹き飛ばす。


「やったか!?」


 カシウスをはじめとする騎士たちが、確かな手応えに安堵の表情を浮かべたのも束の間だった。


「……グゴォオオオオオオオッ……!!」


 もうもうたる煙を切り裂き、現れたのは全くの無傷のベヒーモスだった。


 怒り狂った災厄が咆哮を上げ、強靭な丸太のような前足を無造作に振り抜く。

 ただそれだけで、最前線で馬に乗っていた騎士たちは、虫けらのように文字通り蹴散らされた。


 激しい風圧だけで、後方に控えていた重装備の者たちも木の葉のように宙を舞い、地面に叩きつけられる。

 王国の誇る最高戦力の攻撃は、あの漆黒の鱗に傷一つ、焦げ目一つ付けることができていなかったのだ。


「ば、馬鹿な……我々の全力の攻撃が、全く通じないだと?」

「あんな化け物、勝てるわけがない! 退け、退けぇっ! 私は公爵家の長男だぞ、こんな所で死ぬわけにはいかないんだ!」


 先ほどまで勇ましく指揮を執っていた高位貴族の騎士たちが、血の気を失った顔で次々と武器を投げ捨てていく。

 民衆を守るべき盾となるはずの彼らが我先にと背を向け、馬に鞭を入れて逃げ出したことで、防衛の最前線は完全に崩壊した。


 舞い散る瓦礫と、無惨に流れた血に塗れた絶望の最前線。

 誰もが背を向け、我先に逃げ出していくその場所で――ただ一人、剣を握りしめ、魔獣を真っ直ぐに見据えて立ち尽くす青年がいた。


 レオンハルト。

 辺境の貧乏男爵家の三男として生まれ、頼るべきコネも財力もないまま、ただ実直に剣を振るうことだけで末端の騎士として採用された男だ。


 彼の装備は、煌びやかな近衛騎士たちとはひどく対照的だった。装飾の一切ない無骨な古びた革鎧に、王国の支給品である量産型の安物の鉄剣。

 貴族社会の絶対的なヒエラルキーの中では底辺に位置し、日頃から「泥臭い」「身の程知らず」と上官や同僚たちから嘲笑されていた青年である。


「おい、レオンハルト! 何をしている、バカ野郎! お前も早く逃げろ!」


 逃げ遅れた同僚の一人が、引きつった声で彼に声をかける。

 しかし、レオンハルトは振り返ることなく、ゆっくりと首を横に振った。


「俺たちがここで退けば、背後にいる避難しきれていない民衆が、あの足に踏み潰される。……誰かが、ここで止めなければならないんだ」


「正気か!? お前のそのなまくら剣で、あのバケモノに傷がつけられるわけないだろう! 死にたいのか!」


 同僚の悲痛な制止の声を背に受けながら、レオンハルトは確かな足取りで魔獣へと歩みを進めた。


 恐怖がないわけではない。

 それでも、彼の魂の根底にある『騎士としての矜持』が、背を向けて逃げることを決して許さなかった。


 ――俺には、立派な武具も誇れる身分もない。

 ――でも、誰かがここで命を懸けて時間を稼がなければ、罪のない人々が死ぬ。


 彼が死の恐怖を呑み込み、絶望的な一歩を強く踏み出したその時だった。


『……勇敢なる者よ。その高潔な魂に免じ、お前に力を与えてやろう』


 不意に、時間が止まったかのような錯覚の中、彼の脳内に超常の存在の声が響き渡った。


 それは、神話に語り継がれる「戦神アレース」の声。

 声が響いた瞬間、レオンハルトの体の奥底から、信じられないほどの熱く澄んだ力が爆発的に満ちていくのを感じた。


 ベヒーモスが、足元をうろつく目障りな小虫レオンハルトに気づき、巨大な前足を高く振り上げた。家屋を一撃で粉砕するほどの圧倒的な質量が、悪臭を放つ風圧と共に彼に向かって真っ直ぐに振り下ろされる。


 死が迫るその瞬間、レオンハルトは深く、静かに息を吸い込み、両手で構えた鉄剣に全ての意識を集中させた。


「……『万物を穿つ聖なる息吹ホーリー・エンチャント』」


 それは、静かな祈りのような呟きだった。

 次の瞬間、彼の握る安物の鉄剣から、世界を塗り替えるような爆発的な光が溢れ出した。


 サビが浮きかけていた鈍色の刀身が、透き通るような美しい白銀へと変質していく。

 剣の周囲には黄金色の光の粒子が舞い踊り、まるで太陽そのものを地上に引きずり下ろしたかのような神々しいオーラが、レオンハルトの全身を包み込んだ。


 ガァァァァァンッ!!


 ベヒーモスの巨大な前足が、光の剣と真っ向から激突する。

 誰もが、その細っこい青年が紙切れのようにひしゃげ、肉塊に変わる光景を想像した。だが――


「ギャアアアアアアアアッ!?」


 王都を震わせたのは、ベヒーモスの苦悶に満ちた悲鳴だった。

 近衛騎士団の魔法槍すら通じなかった絶対防御の鱗が、白銀の刃に触れた瞬間、熱せられたバターのようにあっさりと溶け、骨の髄まで深く斬り裂かれていたのだ。


「……いくぞ」


 レオンハルトは一歩深く踏み込み、石畳を蹴った。


 畏れることなくベヒーモスの懐へと潜り込むと、大地を削りながら、下段から上段へと一気に剣を振り抜く。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 凄まじい閃光。

 王都の空を不吉に覆っていた赤黒い暗雲さえも真っ二つに切り裂くほどの、巨大な光の斬撃が、地上から空高くへと立ち昇った。


 光の刃は、ベヒーモスの山のような巨体を、顎の真下から脳天にかけて綺麗に両断した。分厚い肉の壁も、鋼より硬い骨も、抵抗することなく切断されたのだ。


 ズズズズズ……ドォォォォォォォォォンッ!!


 左右に真っ二つに分かれた災厄の巨体が、巨大な地響きを立てて左右に崩れ落ちる。

 その致命の傷口からは、おぞましい血や臓物ではなく、浄化された純白の魔力の光の粒子が美しく立ち上り、晴れ渡っていく空へと溶けていった。


 それは、あまりにも圧倒的な力だった。

 数秒前まで王都を絶望と恐怖のどん底に陥れていた災厄が、名もなき青年が振るったたった一振りの剣によって、完全に消滅したのだ。


 戦場に、嘘のような静寂が落ちた。


 遠くへ逃げ出していた高位貴族の騎士たちも、腰を抜かして震えていた民衆も、戦場の中心に立つ一人の青年を見つめている。


 光を失い、元の質素な鈍色に戻った鉄剣を、レオンハルトは静かに鞘に収めた。

 その無骨で泥臭い背中へ向けて、やがて群衆の中の誰かが、絞り出すように叫んだ。


「た、倒したぞ……! あの魔獣を、たった一撃で!」

「誰だ、あの騎士は!? 見ろ、まるで神の使いじゃないか!」


 一人の声が引き金となり、地鳴りのような歓声が沸き起こり、波のように王都中へと広がっていく。

 誰からも期待されていなかった無名の底辺騎士が、国を救った『英雄』へと変わった瞬間だった。


 だが、レオンハルトはこの時、全く気づいていなかった。


 遠巻きに彼を見つめる、安全圏に避難していた高位貴族の令嬢たちの瞳に、英雄への純粋な畏敬の念だけではない、異常なほどの「熱狂」と「ドロドロとした独占欲」の炎が灯り始めていたことに。


 これが、彼が自ら救ったはずのこの国から、やがて理不尽に追放されることとなる――全ての悲劇の始まりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ