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追放された英雄――戦神の加護を得た底辺騎士は王国と決別する。「お前のおぞましい愛などいらない!」  作者: 猫野 にくきゅう
おまけエピソード

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第27話 凍える村に灯る希望

 聖王国の深部へと歩みを進めるほどに、景色の白さは濃度を増していった。


 視界を遮る吹雪の向こう、この広大な大地を護っていた聖女ローゼメアリーの結界。それが失われた傷跡は、想像以上に深く、そして残酷だった。


 街道沿いに点在する宿場町はどこも人影がなく、ただ冷たい風が吹き抜けるだけの死の街と化している。


 二人が凍てつく峠を越え、ようやく辿り着いたのは、炭鉱によって生計を立てている山あいの小さな村だった。


 以前であれば、黒い煤に汚れた顔の男たちの活気ある声が響いていたであろうその場所は、今や静まり返り、漂うのは濃厚な「血と獣の匂い」だった。


「――っ、レオン様!」


 フィリアが鋭く声を上げ、前方を指差す。

 村の広場、凍りついた雪の上に、数体もの魔獣『フロスト・ウルフ』が牙を剥いていた。


 しなやかで強靭な四肢、青白く発光する眼。

 彼らは家畜の囲いを食い破り、今まさに、納屋の隅へ逃げ遅れた老人の喉元へ飛びかかろうとしていた。


 * * *


「下がっていろ、フィリア」


 言い終えるよりも早く、レオンハルトは迷わず地を蹴った。

 

 その身体には、かつて世界を震わせた戦神の加護による黄金の輝きはない。

 天を衝くような圧倒的なオーラも存在しない。


 しかし、彼の踏み込みは凍土を爆発したように砕き、凄まじい質量となって前方へと炸裂した。


 破壊神との数時間に及ぶ死闘を経て、極限の圧力を受け続けた彼の肉体は、すでに人知を超えた領域へと変質を遂げていた。


 加護という名のシステム的な補助スキルを必要としないほどに、彼の「剣士としての骨格と技術」は、世界の理の頂点へと高まっていたのだ。


 先頭の狼が、レオンハルトの接近に気づき、空中で身を翻して牙を突き出す。

 レオンハルトの瞳は、その動きを完全に『静止画』として捉えていた。


 * * *


 無駄な力みは一切ない。


 レオンハルトは骨盤の回転から生じる運動エネルギーを、一切のロスなく右腕へと伝達させる。

 腰の鉄剣が鞘を離れた瞬間、空間に一本の完璧な銀の線が走った。


 刃筋のブレは、髪の毛一本分すらない。


 ザシュッ、と肉を断つ滑らかな音が響き、先頭の狼は咆哮を上げる暇さえなく、首を真横に切断されて雪原へと転がった。


「グルルルアッ!」


 残る三体が、左右と背後から同時に飛びかかる。完璧な死角からの波状攻撃。


 だが、レオンハルトは呼吸一つ乱さない。

 正中線を微動だにさせず、最小限のステップだけで最初の二体の爪を紙一重でかわす。

 すれ違いざま、剣先をわずかに傾け、すくい上げるようにして狼の膝の腱を正確に弾いた。


 さらに、背後から迫る最後の個体に対し、振り返る動作そのものを加速力に変え、大上段から鉄剣を振り下ろす。


 ドゴォン、と硬質な頭蓋を叩き割る重低音が響き、最後の魔獣が痙攣しながら物言わぬ肉塊へと変わった。


 呼吸を整える時間さえ惜しみ、レオンハルトが剣の血を払うと同時に、フィリアが怪我人たちの元へと鮮やかに駆け寄る。


「痛いのを、我慢しなくても大丈夫ですよ。もう、安心です」


 彼女が優しく微笑み、凍えた老人の傷口にそっと両手をかざした。

 フィリアの細い指先から、凛とした賛美歌の旋律のような癒やしの魔力が奏でられる。


 紡がれるのは、白銀の柔らかな光。


 その光が傷口に触れた瞬間、引き裂かれた肉が生き物のように結合し、みるみるうちに塞がっていった。それだけではない。光の温かさが老人の血管を巡り、凍傷寸前だった手足にみるみるうちに血の気が戻っていく。

 

 聖女という絶対的な指標を失い、神の救いを諦めかけていた村人たちは、目の前で起きている奇跡と、少女の慈愛に満ちた瞳に釘付けになっていた。


 彼らの凍てついた心に、失われたはずの「明日を信じる希望」が、再び静かに灯った。


 * * *


 その夜、村の小さな宿屋の一角を借り、レオンハルトは夕食の準備に取り掛かっていた。


 村人たちが涙を流して感謝し、彼らに譲り渡してくれたのは、この極寒の地では至高とも言える食材の数々だった。


 じっくりと時間をかけて熟成された猪肉の燻製、雪の下で眠ることで極限まで甘みを蓄えたカブとジャガイモ、そして、貴重な山羊の乳から作られた濃厚なハードチーズ。


「よし、今夜は少し手をかけよう」


 今夜の料理は、「猪肉と雪下根菜の赤ワイン煮込み、とろけるチーズ添え」だ。


 まず、使い込まれた黒い鉄鍋を暖炉の火にかけ、自家製のバターを落とす。

 ジュワッ、と心地よい音を立ててバターが泡立ち、ナッツのような香ばしい匂いが立ち上った。


 そこへ、贅沢に厚く切り分けた猪肉の燻製を投入する。


 パチパチと心地よく脂が弾ける音と共に、燻製特有の木煙の芳しい香りと、肉本来の濃厚な脂の匂いが部屋中に充満していく。


 肉の表面に綺麗な焼き色がついたところで、大きく乱切りにしたカブとジャガイモを加える。

 野菜の水分と肉の脂が馴染んだ瞬間を狙い、地元の深い琥珀色をした赤ワインを惜しみなく注ぎ込んだ。


 コトコトと、静かに鍋が鳴る。


 数時間後、赤ワインの酸味が飛び、肉の旨味と根菜の甘みが完全に溶け合った、濃厚な漆黒のスープが完成した。


 仕上げに、宿の石窯で焼かれたばかりの、外皮がパリッと香ばしい大ぶりのカンパーニュを皿に添える。

 そして、熱々の煮込みの上から、山羊のチーズをナイフで贅沢にたっぷりと削り落とした。


 ふわっと舞い降りたチーズは、煮込みの余熱によってトロリと滑らかに溶け出し、赤ワインのソースと絡み合って美しいマーブル模様を描いていく。


「レオン様、良い匂いが部屋の外まで漂っていました……! いただきます!」


 待ちきれないといった様子でスプーンを手にしたフィリアが、ふうふうと息を吹きかけ、熱々の煮込みを口へと運んだ。

 

 咀嚼した瞬間、彼女の動きが止まり、その大きな瞳がさらに丸くなった。


「――ん、おいしい……! 幸せです、レオン様」


 噛み締めるたびに、猪肉の中に閉じ込められていた凝縮された旨味がジュワリと溢れ出す。


 赤ワインの奥深いコクと、酸味、そして何より山羊のチーズのまろやかで独特な塩気が、舌の上で完璧な調和ハーモニーを生み出していた。


 スープを吸ったカブは、口の中で抵抗なくとろけていく。


「冷え切っていた体の芯が、じんわりと解けていくみたいです……」


 フィリアは白い頬を林檎のように赤らめ、何度も何度も小さく頷きながら、夢中でスプーンを進めていく。

 香ばしいカンパーニュを濃厚なソースに浸してパクリと食べる姿は、見ていてこちらまで笑みが溢れるほどだった。


「おかわりはまだ鍋にたくさんあるから、遠慮せずに食べてくれ。明日は、さらに険しい北の山脈へ向かうからね」


 レオンハルトは、彼女の満足げな横顔を見つめながら、自身の木皿を手に取って満足げに微笑んだ。


 宿屋の外は、依然として全てを拒絶するかのような厳しい吹雪が荒れ狂っている。


 しかし、この小さな部屋を包む温かな湯気と、フィリアの飾らない笑顔だけは、この絶望した世界において、彼にとって唯一無二の、確かな救いのように輝いていた。

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