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追放された英雄――戦神の加護を得た底辺騎士は王国と決別する。「お前のおぞましい愛などいらない!」  作者: 猫野 にくきゅう
第三章

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第22話 亡国の荒野を征く、二人の騎行

 ラトニアの国境を越えた瞬間、世界から「色」が消えた。


 数日前まで、そこには初夏の風に揺れる黄金色の麦畑と、人々の生活の息吹があったはずだった。

 しかし、目の前に広がるグラン・メリアの領土は、まるで数百年もの間、死の呪いに晒され続けたかのような、荒廃した灰色の世界へと変貌していた。


 空はどんよりとした紫黒色の雲に覆われ、太陽の光は一切届かない。

 その代わりに、天高く浮かぶ巨大な「漆黒の球体」から、粘り気のある黒い雫が絶え間なく降り注いでいた。


「……これは、雨じゃない。神の、あるいはイザベラの悪意が形になったものだ」


 レオンハルトは愛馬の足並みを緩めることなく、低く呟いた。


 彼らが纏っているのは、ラトニア王家に伝わる聖なる守護の加護を付与された旅装だが、それでもなお、肌を刺すような冷気が防具の隙間から侵入してくる。


「レオン様、大丈夫です。私の光が、あなたを守りますから」


 レオンの背後で、彼の腰に細い腕を回しているフィリアが、静かに祈りを捧げた。


 彼女の全身から溢れ出す柔らかな白銀の光が、二人と一頭を包み込む「繭」となり、周囲のどす黒い瘴気を弾き飛ばしていく。

 もしフィリアのこの力がなければ、屈強なレオンとて、数時間と持たずに精神を汚染され、発狂していただろう。


 二人は、王都へと続く街道をひた走った。

 道中、いくつもの村を通り過ぎたが、そこに「生きた人間」の姿はなかった。


 ある村では、家々が内側から爆発したように破壊され、食卓には冷え切った食事がそのまま残されていた。

 別の村では、住人たちが互いに殺し合ったかのような凄惨な跡があり、遺体はすべて黒い霧に溶けて、影のような不気味な「シミ」となって地面にこびりついている。


「ひどい……。あんなに熱心に神に祈り、明日を信じていた人たちが、どうしてこんな……」


 フィリアが悲しみに声を震わせ、レオンの背中に顔を埋めた。

 レオンは何も答えられなかった。


 彼がこの国にいた頃――

 命を懸けて守ってきたのは、まさにこの人々だったのだ。


 自分を裏切り、石を投げた者たちであっても、彼らには彼らの生活があり、守るべき家族がいた。


 自分が追放されることで、全ては丸く収まったと思っていた。

 それが、一人の女の身勝手な執着のために、魂ごと食い潰された。


「……あそこにいるのは」


 レオンが不意に馬を止めた。

 街道の先、黒い霧の中から、よろよろと立ち上がる影があった。


 それはグラン・メリアの国境守備隊に所属していた騎士の成れの果てだった。

 甲冑は腐食し、肉体は黒い液体へと置換されているが、その手には今も錆びついた剣が握られている。


「……レオ……ン……。タス、ケ……テ……」


 異形の口から漏れたのは、助けを求める掠れた声だった。

 だが、その瞳には知性はなく、ただ破壊神の命令に従うだけの人形と化している。


「レオン様、いけません! あれはもう、救える魂ではないのです!」


 フィリアの叫びと同時に、影の騎士が獣のような咆哮を上げて飛びかかってきた。

 レオンは腰の鉄剣を抜くと、一閃のもとにその影を両断した。


 手応えはない。


 影は悲鳴さえ上げず、ただ真っ黒な水となって地面に吸い込まれていった。


「分かっている、フィリア。救う方法は、元凶を絶つことだけだ」


 レオンの瞳に、黄金の神気が微かに宿る。

 悲しみは、今や冷徹な殺意へと昇華されていた。


 彼らは再び馬を走らせた。

 一刻も早く、あの空に浮かぶ絶望の核へと辿り着かなければならない。


 進むにつれ、周囲の風景はさらに異様さを増していった。


 大地には巨大な亀裂が走り、そこから破壊神の「血管」のような太い蔦が這い出し、空へと伸びている。

 そこにあったはずの美しい森は、葉の一枚一枚が鋭利な刃物へと変質し、風が吹くたびに不気味な金属音を立てていた。


 もはやここは、人が住むための世界ではない。

 破壊神が、この大陸を自分の「肉体」へと作り変えようとしているのだ。


 数時間の強行軍の末、ついに二人の視界に、かつての王都グラン・メリアの城壁が見えてきた。


 だが、そこにあるのは白亜の城壁ではなかった。


 城壁はドロドロに溶け、巨大な黒いドーム状の「肉の檻」に覆われている。

 そして、その頭上には、月を隠すほどに膨れ上がった暗黒の球体が、まるで巨大な「目」のように地上を見下ろしていた。


「……着いたぞ。ここが、世界の終わりと始まりの場所だ」


 レオンは馬を降り、フィリアを優しく地面に下ろした。


 彼らの目の前、大広場があった場所には、凄まじい光景が広がっていた。

 何万、何十万という人々の遺体こそ消えていたが、そこには主を失った無数の「剣」が、地面に突き刺さっていたのだ。


 騎士たちの長剣、兵士たちの槍、民兵たちが手にした粗末な短剣。


 それらが、見渡す限りの広場を埋め尽くす墓標のように、整然と、しかし不気味に並んでいる。


 虐殺の瞬間に、持ち主たちが最期に握りしめていた「生への執着」と「無念」が、その剣の一本一本に宿っているかのように、錆びついた刀身がかすかに震えている。


 上空の黒球――

 破壊神・イザベラが、侵入者の気配を察したように大きく脈動した。


 ドクン、という鼓動が、大地を揺らし、レオンの鼓膜を叩く。

 同時に、黒い球体の表面から、数千本もの「黒い触手」が、鞭のようにしなりながら二人に向かって一斉に振り下ろされた。


「レオン様ッ!」


 フィリアが杖を掲げ、全力を込めて光の障壁を展開する。


 凄まじい衝撃が二人を襲い、障壁に無数の亀裂が入る。

 このままでは持たない。


 神の暴力は、あまりにも一方的で強大だった。


 だが、レオンハルトは逃げなかった。

 彼は手にしていた予備の鉄剣を地面へと突き立てる。


「……聞こえるか、グラン・メリアの同胞たちよ」


 レオンの声に、戦神アレースの神気が混ざり――


「お前たちの命を奪い、魂を弄んだあの『邪神』は、俺が必ず討つ。……だから、その無念を俺に託せ。お前たちの『生きた証』を、今一度、世界を救うための力に変えさせてくれ!」


 周囲の空間を黄金色に染め上げていく。

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