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追放された英雄――戦神の加護を得た底辺騎士は王国と決別する。「お前のおぞましい愛などいらない!」  作者: 猫野 にくきゅう
第三章

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第21話 神話の継承、リーズラグドの伝承

 爆風が止んだ後の王城バルコニーには、耳が痛くなるような沈黙が降りていた。


 レオンハルトの手に残されたのは、半ばから無残に折れ、無数のひびが入った鈍色の鉄剣の柄だけだった。戦神の神気を無理やり流し込んだ代償として、鉄剣はその本質を失い、ただの脆い屑鉄へと成り果てている。


「はぁ、はぁ……っ……」


 レオンの膝が笑っていた。


 全身の毛細血管が弾けたような熱痛が走り、口内には鉄の味が広がる。

 たった一撃、遠距離から放たれた「飛礫」を防いだだけで、大陸最強と謳われた彼の肉体が悲鳴を上げているのだ。


 夜空を見上げれば、そこには依然として、月よりも巨大で不吉な「黒い穴」が浮かんでいる。


 グラン・メリアの殺害された民――数十万を呑み込み、イザベラの嫉妬と悪魔の魔力を核にして肥大化した「暗黒の海」。

 それが重力を無視して空に留まっている光景は、もはや既存の魔法体系では説明がつかない、理の外側の事象であった。


「レオン様、無理に立たないでください……!」


 フィリアが駆け寄り、倒れそうになるレオンの体を必死に支える。

 彼女の手は震えていたが、その瞳には逃れられぬ運命を直視する、王族としての強固な意志が宿っていた。


 そして、フィリアの身体から光があふれ、レオンの負傷した体を癒した。


「フィリア……これは。いや、それよりすまない――情けない姿を見せた」


「いいえ、あなたがいてくれなければ、今頃この国は……。ですが、レオン様。あの一撃は、始まりに過ぎません。あの黒球の核にいる者は、あなたを――正確には、あなたと関わる全ての『光』を消し去るまで、その歩みを止めないでしょう」


 フィリアは、レオンをバルコニーの影にある石造りのベンチへと座らせると、暗い空を見つめて静かに語り始めた。


「レオン様。あなたが受けている『戦神アレースの加護』。それがなぜ、この時代に、あなたという清き魂の持ち主に授けられたのか……その理由を考えたことはありますか?」


「……考えたこともなかった。ただ、この力で誰かを守れるなら、それでいいと思っていた」


「ラトニアの王家には、建国以前の古の時代から伝わる秘匿された伝承があります。それは、この世界がかつて一度、終わりを迎えた時の物語です」


 フィリアの語る言葉は、夜風に乗って重く響いた。


 この世界には「破壊神」と呼ばれる存在が降臨したという。

 それは生命の進化を否定し、世界を虚無に帰す「終わりの神」だった。


 当時の神々と英雄たちは、その神を殺し切ることができず、その肉体を七つに引き裂き、大陸の各地に厳重に封印した。


「あのイザベラという女性は、悪魔レヴィアタンに唆され、自らを『人柱』として捧げることで、聖都の地下に眠っていた一片の封印を解いてしまったのです。数十万の民を虐殺し、その絶望を触媒にすることで、破壊神を現世に受肉させた……。あれはもう、人間ではありません。破壊の神の器となった絶望そのものです」


 レオンは拳を握りしめた。

 自分の祖国が、そこで暮らしていた民たちが、一人の女の狂気によって神への生贄にされたという事実に、吐き気を催すような憤りを感じた。


「……そんな化け物を、どうやって倒せばいい? 剣は砕け、近づくことすら叶わない相手を」


「希望はあります。――実は私、つい先ほど『地母神ガイア』さまより、聖女に任命されました」


「君が、聖女に……」


「はい。聖王国の地下から破壊神が復活し地上へ現れたことで、土地の縛りが解け――封印された国以外からも聖女が選ばれるようになったみたいです」


 フィリアは立ち上がり、レオンの手をそっと引いた。


「リーズラグドの伝承では、英雄は独りで戦ったわけではありません。彼を導く聖女ソフィと共に、敵の懐へと飛び込んだのです」


 フィリアはレオンの泥に汚れた手を、両手で包み込んだ。


「リーズラグドでも破壊神の一片が復活したことがありました。国は滅びかけ、人々は絶望に沈みました。しかしその時、神に見出された一人の英雄が立ち上がったのです。その男こそが、『戦神アレースの加護』を受けた者「王子アレス」。彼は聖女と共に、自らの命を聖火として燃やし、破壊神の肉体を削り切り、その核を貫いて討ち果たしたとされています」


 レオンは沈黙した。


 自分が受けている力が、そんなに大層なものだとは思ってもみなかった。

 グラン・メリアではただの便利な「剣」として使われ、不要になれば捨てられた力。

 だが、その力の真意は、世界を滅びから救うための最後の切り札だったという。


 自分にその重責が耐えられるのか。

 自分のような、一度は居場所を失った男に、神を殺すなどという大業が成せるのか。


 迷うレオンの心を見透かしたように、フィリアが彼の胸にそっと頭を預けた。


「……怖くないと言えば、嘘になります。あなたをこれ以上、戦いに駆り立てたくはない。ですが、あの黒い海は、あなたがどこへ逃げても追いかけてくるでしょう。そして、私やラトニアの人々を飲み込んでいく。……私は、あなたと共に歩みたい。一緒に、明日を笑って過ごせる世界を取り戻したいのです」


 フィリアの温もりが、レオンの震える心に芯を通した。


 そうだ。

 迷っている暇などないのだ。


 イザベラは、自分の愛したこの穏やかな国を、フィリアの笑顔を、ただの「邪魔なもの」として消そうとした。


 そのために数十万の命を弄んだ。


 その身勝手な狂気を許すことは、騎士としての誇りが、そして何より一人の男としての情愛が許さなかった。


「……分かったよ、フィリア」


 レオンは深く息を吐き、砕けた剣の柄を固く握った。


「俺は、破壊神に立ち向かう。王子アレスが成し遂げたように、あの神を……イザベラを、俺の手で終わらせる。これ以上、誰も泣かせないために」


 レオンの瞳に、黄金の炎が宿る。


 それは以前のような、ただ外敵を追い払うための鋭さではなかった。

 宿命を受け入れ、未来を切り拓こうとする者の、静かで深い覚悟の光だった。


「私も行きます、レオン様。あの黒球の内部には、強大な負の魔力が渦巻いています。私の祈りと聖なる加護がなければ、あなたは神の威圧に魂を削り取られてしまう。どうか、私をあなたの盾に、あなたの光にさせてください」


「危険すぎる、フィリア。……あそこは地獄だ」


「あなたが地獄へ行くのなら、私もそこへ参ります。一人で背負わせることは、もう二度といたしません」


 フィリアの決意は揺るぎなかった。

 レオンはしばらく彼女を見つめていたが、やがて諦めたように、しかしどこか嬉しそうに微笑んだ。


「……頑固だね。分かった。俺の背中は、君に預ける。……必ず、二人で帰ってこよう」


 翌朝、ラトニアの王都に朝日が昇る頃、二人の姿は城の厩舎にあった。


 もはや大軍を率いる時間はない。

 それに、神を相手にする戦いに兵士を連れて行くのは無益な殺生に等しい。


 レオンは予備の頑丈な鉄剣を数本帯に差し、フィリアを愛馬の背に乗せた。


 目指すは南東。

 かつて彼を拒絶し、今は死の沈黙に支配された旧祖国、グラン・メリア。


 空に浮かぶ暗黒の巨星が、嘲笑うように二人を見下ろしている。


 英雄伝説の再来。

 一人の「英雄」と、彼を支える「聖女」の、世界の滅亡に抗うための旅路が、今ここから始まった。

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