第10話 奈落へ落ちる功労者たち
首筋に触れる風が、これほどまでに冷たく――
恐ろしいものだとは知らなかった。
鉄格子の隙間から差し込む朝日は、かつて俺が戦場で浴びた勝利の光とは似ても似つかない、どす黒い絶望の色をしている。
俺の名はブラッド。
グラン・メリア騎士団において、期待の若手と目されていた男だ。
……いや、過去形だな。
今の俺は、ただの「国家反逆の疑いがある嘘つきのゴミ」だ。
「おい、立て。時間だ」
看守が乱暴に独房の扉を蹴る。
かつての同僚だ。
数ヶ月前まで、俺が酒を奢れば揉み手で寄ってきた奴が、今は汚物を見るような目で俺を見下ろしている。
引きずり出され、重い鎖を鳴らしながら廊下を歩く。
……おかしい。
こんなはずじゃなかった。
半年前、あの忌々しいレオンハルトを追い出した時、俺は確信していたんだ。
俺こそが、次の英雄になるはずだった。
あの田舎者の、愛想もなけりゃ名門の血筋でもない男が、『戦神の加護』なんていう出来すぎた力でちやほやされているのが我慢ならなかった。
あいつがいなくなれば、騎士団の序列は繰り上がり、俺が第一線で華々しく活躍し、令嬢たちの溜息を独占できるはずだった。
「ブラッド様、あの方に……レオンハルトに酷いことを言われましたの。私、怖くて……」
震える肩を抱き寄せた時の――
あの伯爵令嬢の甘い香りを今でも覚えている。
彼女たちの涙が真っ赤な嘘だと、どこかで気づいていたのかもしれない。
だが、俺は喜んでその片棒を担いだ。あいつが女性を乱暴に扱う現場を見た。あいつが部下の手柄を奪う瞬間を見た。
王の前で堂々と嘘を並べ立てた時の、あの全能感。
正義の味方を演じながら、目障りなライバルを社会的に抹殺する。あんなに気分のいい娯楽はなかった。
レオンハルトが騎士の証を捨てて去った夜、俺たちは祝杯を挙げた。
「ようやくこの国から『汚れ』が消えた」と。
だが、その『汚れ』こそが、この国を支えていた柱だったことに、俺たちは気づかなかったんだ。
あいつがいなくなってから、すべてが狂い始めた。
北の森から現れたオークの群れ。
レオンがいれば、あいつの『聖剣』が一振りされれば、肉片にすらならず蒸発していたはずの雑魚どもだ。
だが、俺たちの放つ弓矢は弾かれ、突き出した槍は容易く折られた。
戦神の加護なき物理攻撃がいかに無力か、俺たちは自分の腕を食いちぎられながら思い知らされた。
防衛線は次々と突破され、王都のすぐ側まで魔物の咆哮が聞こえるようになった。
民衆は怯え、怒り、そして叫び始めた。
「英雄を戻せ」と。
その矛先がどこに向かうか、考えれば分かることだったのに。
「嘘つき!」「人殺し!」「英雄を返せ!」
広場に引き出された俺を待っていたのは、割れんばかりの罵声と、腐った野菜の嵐だった。
かつてレオンハルトに石を投げたのと、全く同じ顔をした群衆だ。
そして、処刑台を囲む貴賓席。
そこには、俺に嘘の証言を強いたあの令嬢たちが座っていた。
彼女たちは、今や「卑劣な騎士ブラッドに脅され、偽証を強要された哀れな被害者」という新しい役を演じていた。
俺と目が合った瞬間、あの伯爵令嬢はこれ見よがしに顔を背け、扇子で口元を隠して隣の男に囁いた。
「……まあ、あんな野蛮な男、早く処刑してしまえばいいのに」
笑いが込み上げてきた。
ああ、そうか。
俺も、あいつと同じだったんだ。
彼女たちにとって、騎士なんてものは自分の虚栄心を満たすための飾り、あるいは自分の不手際をなすりつけるための使い捨ての盾に過ぎない。
レオンハルトは、賢かった。
あいつは、この薄汚い連中の本性に気づいたからこそ、あんなに潔くすべてを捨てて消えたんだ。
それに引き換え、俺はどうだ。
最後まで英雄の座に執着し、甘い毒に踊らされ、挙句の果てにこのザマだ。
断頭台に膝をつかされる。
首を固定する木の感触が、異常に冷たい。
見上げれば、青い空が広がっている。あの日、レオンハルトが去っていった時も、こんな空だっただろうか。
執行人が、レバーに手をかける。
「……レオン、お前の勝ちだ」
俺の最後の言葉は、群衆の「殺せ!」という怒号にかき消された。
ズン、という重い音と共に、俺の世界は暗転した。
次に落ちるのは、俺を笑っている奴らだ。
聖なる剣という壁を失ったこの国が、魔物の牙に食い破られるまで、あとどれくらいだろうか。
派閥間の小競り合いも始まっている。
内乱が先か、日々強さを増していく魔物に蹂躙されるのが先か……。
それを地獄で見届けるのだけが――
今の俺に残された唯一の楽しみだった。




