07話 太閤の懸念
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天下人、豊臣秀吉との対面を果たした秀頼は、今後もこの世界を生き抜くために、聞けることは何でも聞いておこうと考えた。
「お茶々よ、此度は頼みがあって呼んだんじゃ」
先に話を切り出したのは秀吉であった。どうやら彼が淀殿と秀頼を呼んだらしい。
「……殿下、なんなりとお申し付けください」
「うむ、然らば申しておく。わし亡き後、天下が割れぬように出来うる限りのことは全てやっておいたつもりじゃ。然れど、万一の事態無きにしも非ず」
秀吉は淀殿を見つめ、先ほどとは打って変わって真剣な様子で話し始めた。
「じゃによって、お茶々には秀頼に降りかかりし万難を退けるため、尽力してもらいたいのじゃ」
「無論わらわは身命を賭して我が子を守る所存にございます」
「頼む……」
秀吉は頭を下げ、淀殿に懇願した。動揺した淀殿は、『頭を上げてください』と言わんばかりに秀吉の肩を持ち上げ、手を堅く握った。
「おね、其方も秀頼とお茶々を支えてやってくれ……」
「おね?」
秀頼が呟いた。『おね』とは『北政所』のことで、表記には様々な諸説があるが、どれも『ねね』や『ねい』と読み、『北政所』という名称は元々、摂政・関白の正室に対して用いられた尊称であり、豊臣秀吉が関白宣下を受けて以来、彼女は『北政所』という通称で呼ばれるようになった。
「ほっほっほ、秀頼殿、わらわのことですよ。……殿下、わらわも豊臣家の安泰を願うて、殿下の思し召しに叶うよう尽力いたします」
「皆、よろしゅう頼む……」
秀吉の、我が子の成長を最後まで見届けられない事に対する悔しさと失意が、憮然としたその表情から伺えた。
「父上!元気を出してください!!絶対に豊臣家を守ってみせます!!」
なんの考えもないが、秀頼は落胆している秀吉を元気にさせようと言葉を発した。
「カッカッ!!……頼もしい限りじゃ」
秀吉は、無邪気にも昂然と胸を張り自分を安心させようとする我が子を誇らしく思いながらも、その反面、そんな子どもを見守ってやれない自分の不甲斐なさに瞑目して口惜しんだ。
「さてと、このことだけではありますまい?」
「うむ、そうじゃった」
しばらくの沈黙の後、北政所がこの暗い雰囲気を払拭するかのように話を持ち出した。
「以後のことじゃが、秀頼成長の暁までは、これまでと同じく五大老五奉行が政務を分掌し、表向きの指図は秀頼の生母であるお茶々が、奥向きの指図はおねが務むることとするが、異存はないかの?」
「ござりません」
「ござりません」
秀吉の死後、嫡男秀頼の生母である淀殿が実権を握ったとはいえ、秀吉の正室であった北政所の威光もしばらくは衰えなかった。奥向き、つまり豊臣家内部のことは北政所が執り仕切ったのである。
「それから、明日より五大老五奉行、そして諸大名らの誓紙・血判を取り付け、それぞれにわしの遺言を伝える。そのことについてお主達にも承知しておいてほしいのじゃ」
「確と承ります」
秀吉は遺言の内容をつらつらと話し始めた。
「一つ、大納言殿を傅役となし、秀頼の養育に当たらしむこと」
秀吉と大納言前田利家は織田信長に仕えていた頃からの戦友であり、彼は大いに信頼を寄せていた。
「父上!だいなごん殿とはどんな人なのですか?」
「カッカッ!気になるか?わしと利家殿はもう40年ほどの付き合いじゃ。今でこそ、わしらも老いてしまったが、信長公に仕えし時から利家殿は『槍の又左』と恐れられておったのよ、今はわしに仕え、五大老として皆をまとめ上げてくれとるんじゃ」
「……こ、怖いのですか?」
「カッカッカッ!!『槍の又左』と言われておったのはもう昔のことよ。今はただの老いぼれ爺じゃて、安心せい」
秀頼は自分の傅役、つまりお世話をしてくれる人が怖いなど堪ったものではないと思い、秀吉の話を聞いて少し安心したが、一つ提案してみることにした。
「父上!且元じゃダメですか?」
「む?助作じゃと?」
秀頼は且元のことを信頼していた。何故なら、この世界に転生してきて2番目に長い時間一緒に過ごしたからである。
どのくらい長い時間か?……4時間である。
「なんじゃ秀頼、助作を気に入ったのか?」
ちなみに『助作』とは片桐且元の幼名である。
「はい!仲良くなりました!!」
「カッカッ!そうであったか!傅役は一人限りとは決まっておらん。助作を傅役とするかどうか、予てよりわしも思案しておったが、秀頼の推挙あらば最早迷うことは無い!助作!!これへ参れ!」
「ははっ!」
手前の部屋で待機していた且元が、御簾を開いてこちらの部屋に入ってきた。
「片桐且元に申し付ける!秀頼の覚え目出度きことを鑑み、大納言殿と共に秀頼の養育に当たらしむべし!よって、お主を傅役に任ずる!」
「な、なんと……!有難き幸せ!この任、太閤殿下の大恩に報いるべく、恐懼して承りまする!」
「うむ、然れば助作も聞いとってくれ。今は、わしが五大老五奉行に伝える遺言の確認をしておったのじゃ。大雑把じゃがな」
「拝聴仕りまする」
秀頼の傅役となった片桐且元を加えて、秀吉の遺言の続きをを聞くことになった。
「一つ、もしも五大老五奉行の内に、孰れかこの遺命に背く者あらば、他の者、共に力を合わせこれを諭すべし。それに従わず、なお事が穏便に済まざる時は、これを討ち果たすも致し方なきこと、どうじゃ且元?」
「ご英断と存じまする。これならば、誰かが反旗を翻したとて、他の九人の同心無くば、事を為すには至らぬでしょう」
秀吉は、『五大老五奉行の中の誰か1人が裏切ったら、他の9人で説得して、それでも駄目であれば協力して倒すように』ということを言っている。
「そうじゃと良いが……」
秀吉は不安なようである。
なにせ、世は戦国時代。一角の武将であれば天下を目指したいと思うのは当然のこと。
秀吉の死を虎視眈々と待ち、混乱に乗じて天下を奪い取ろうと企む者がいないなど、到底思えない。
これが、太閤秀吉の懸念であった。
次回、「太閤の光明」