06話 太閤豊臣秀吉
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淀殿に着いて行き、秀頼たちが4人で歩いていると廊下の先で待っている爽やかな男の人がいた。
「お待ち申し上げておりました」
「では治長、お願いしますね」
淀殿がその男の人に声をかけると、4人を先導するように歩いていく。
「重成、あの人はだれ?」
「はっ、あの方は大野治長殿です。いつも淀様のお側についておられます」
大野治長、諸説あるが彼は秀吉が刀狩令を出した頃より馬廻り衆を務めており、秀頼が生まれる少し前から淀殿に仕えていたとされる。
「母上!これからどこに行くのですか?」
重成に続いて、今度は淀殿に質問した。
「これから太閤殿下、つまり其方の父のところに行くのですよ」
且元の予想は的中していた。秀頼は歩きながら、後ろに随行している且元のほうを見て、弾けるような笑顔を見せた。
且元は目を少し見開いて、一瞬何事かというような表情を見せたが、秀頼が父である秀吉に会いたがっていた事を思い出して、淀殿の用事の件を伝えたことに対してのお礼をしているのだとすぐに理解し、歩みの途中で秀頼に微笑み返して軽く頷いた。
「ねー重成?まだ着かないの??」
「今少しの辛抱です!頑張りましょう!」
朝食に向かうときのごとく、重成に励まされながらながら広い廊下を歩いていると、前から家臣の男たちが5人ほど、談笑しながら歩いてきた。
「そのような事があったのか、はっはっは!」
「お、おい!若君と淀様じゃ!」
「なんと!ははぁー!!」
その中の1人がそう告げると、全員が廊下の端に寄って、仰々しく平伏して敬意を示した。
そして少し進むと別の家臣が3人ほどやって来た。
「…………」
「…………」
今度は誰も話していなかったが、同じように平伏して秀頼の一行が通り過ぎるのを待った。
「こ、これって全員こんな感じ?」
「無論にございます」
後ろの且元が答えた。
「恥ずかしいから別にやめてもらっても……」
「なりません」
「でも急いでる人だっているかも……」
「それでもなりません」
このような儀礼的な振る舞いは、この時代の主従関係を象徴する重要な行動であり、それを蔑ろにすることなどあってはならないのである。
「また10人くらい来たけど……」
「何人来ようが同じこと」
こうして、平伏する家臣たちを瞥見しつつ昼時の往来の激しい廊下を通り抜けて奥御殿に入り、秀頼たちの一行はある部屋の前まで来た。
「到着にございます」
ここまで先導してくれた治長が襖の前に跪坐して淀殿に伝えた。
「では秀頼、参りましょう」
「は、はい……」
秀頼は、天下人、豊臣秀吉との対面に大いに緊張していた。なにせ歴史の教科書では肖像画でしか見たことのない、誰もが知っている偉人がこの奥にいるのだ。
治長がスッと襖を開けると、その部屋は昼間にも関わらず真っ暗で、その漆黒の中には微かに光る橙色の斑点が見えた。
先に淀殿が入り、それに続いて秀頼、そして残りの3人もその暗闇に足を踏み入れた。
徐々に暗順応によって見えるようになったその視界には、2つの部屋とそれから数本の蝋燭の灯が映った。
部屋は御簾によって仕切られ、奥の部屋と、秀頼たちが入ってきた手前の部屋がある。
手前の部屋の左右には秀吉の側室や侍女たちが神妙な面持ちで着座しており、御簾の前には若草色の几帳が置かれ、奥の部屋を隠していた。
「若君……」
「淀様……」
側室と思われる人たちが口々に言った。治長が御簾を開き、淀殿が几帳の横を通って中に入ったので、秀頼も着いて行った。
奥の部屋には1人の女性と、白髭を蓄えた医者、そして、白妙の蒲団に入り、汗をかいた小柄な老人が臥せっていた。
老人のその頭には深紫の病鉢巻が締められ、髪は白髪が混じり、薄い口髭と顎鬚を生やしたその様は小柄ながらも貫禄があり、まさに天下人にふさわしい姿であった。
この人が豊臣秀吉……そう心の中で呟くと、着座した淀殿が部屋の中の女性に声をかけた。
「まんかか様、太閤殿下のお加減は如何にござりましょうか?」
「淀殿……よう参られた、殿下の御具合はどうにも芳しくないようじゃ」
淀殿に『まんかか様』と呼ばれたこの女性は、秀吉の正室『北政所』である。永禄4年(1561年)に、当時としては珍しく恋愛婚で秀吉と結ばれる。その後、ふたりの間に子供はできず、史実において秀吉亡き後の実権は正室の北政所ではなく、側室である秀頼の生母、淀殿が握った。我が子こそ授からなかったが、その代わりに親族の子供や人質として送られてきた子供を養育し、その中には豊臣家の重臣となった『加藤清正』、『福島正則』、『黒田長政』、そして『石田三成』などがいた。
「そうですか……秀頼未だ幼く、朝鮮も難儀しているというに……」
「そうじゃのう……かかる砌にお倒れになるは殿下も口惜しかろうて……」
この時秀吉は数え63歳、北政所51歳、そして淀殿31歳。肝心の秀頼は7歳であり、秀吉からすれば、天下泰平とは言えども、いまだ戦国の世の面影が残るこの時期に幼い我が子を乱世に送り出すことになってしまうことは、非常に無念であっただろう。
「秀頼殿はお元気そうで何よりじゃ」
「ま、まんかか様?も、お元気そうで……」
「ほっほっほ、まあご立派になられて」
北政所はそう言うと、秀吉に近づいて声をかけた。
「殿下、淀殿と秀頼殿が参られましたよ」
「……うーむ」
「ほっほ、秀頼殿のお顔を見なくてもよろしいのですか?」
「……なに!秀頼じゃと?」
辛そうに眠っていた秀吉は、勢いよく背中を持ち上げて飛び起きた。
「いててて……おお!|わしの可愛い秀頼よ!!息災であったか!」
「誰か!襖を開けい!!暗くて秀頼の顔がよう見えん!」
秀頼は側室や侍女たちの重々しい空気から、秀吉は相当な危篤状態にあると思っていた。
「目ん玉丸めて、何をそんなに驚いとるんじゃ?」
「て、手前の部屋の人たちが、あまりにも重苦しい雰囲気だったから、もう死んじゃうのかなって思ったけど、すごい元気でびっくり……」
「これっ!」
淀殿に頭をぺしっと叩かれた。秀頼は『確かに失礼なことを言ったな……』と反省したが、秀吉は気にせずに笑い飛ばした。
「カッカッカッ!よいよい、直情径行な物言いじゃが、ゴホッゴホッ……それでこそ天下を継ぐに相応しいというものじゃ!」
「ほっほっほ、ほんにその通りじゃ」
秀吉と北政所の二人から笑われて、少し気恥ずかしくなった秀頼が遮るように割って入った。
「きょ、今日は!!父上のお見舞いに来ました!!」
「カッカッ!秀頼の顔を見れば病も吹き飛ぶというものじゃ!」
秀吉は、我が子に弱みは見せまいと気丈に振る舞った。
「殿下におかれましては、何卒ご養生なされますよう……」
「お茶々にも気苦労をかける」
「滅相もござりません、ご回復を心よりお祈り申し上げております……」
『淀殿』という名称は、秀吉によって、今は亡き秀頼の兄にあたる鶴松の懐妊を祝われ『山城国淀城』を賜ってから『淀殿』と呼ばれるようになり、本名は『浅井茶々』という。
「ささ、秀頼よ!近う近う!!」
秀吉に手招きされて近くに行くと、そのまま腕を掴まれて膝の上に座らされた。
「ほっほっほ、殿下は殊に秀頼殿を可愛がりますのう」
「無論じゃ!如何に歳を重ねようとも、我が子を持つことは喜ばしいものよ!!」
秀吉との対面に緊張していた秀頼だが、膝の上に座らされた恥ずかしさで緊張などは吹き飛んだ。それもそのはず、中身は17歳の高校生である。いい歳した彼には羞恥心というものがある。
しかし7歳児に転生したからなのか、不思議と悪い気はしなかった。
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転生前は平凡な高校生であった木下英頼、今は豊臣秀頼であるが、彼はこのようにして天下人である太閤豊臣秀吉との対面を果たしたのである。
次回、「太閤の懸念」




