表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生、豊臣秀頼  作者: 森部 かい
第1章 豊臣家を背負う者
PR
6/9

06話 太閤豊臣秀吉

 ――――――


 淀殿(よどどの)に着いて行き、秀頼(ひでより)たちが4人で歩いていると廊下(ろうか)の先で待っている(さわ)やかな男の人がいた。


 「お待ち申し上げておりました」


 「では治長(はるなが)、お願いしますね」


 淀殿(よどどの)がその男の人に声をかけると、4人を先導(せんどう)するように歩いていく。


 「重成(しげなり)、あの人はだれ?」


 「はっ、あの方は大野治長(おおのはるなが)殿です。いつも淀様(よどさま)のお(そば)についておられます」


 大野治長(おおのはるなが)、諸説あるが彼は秀吉(ひでよし)刀狩令(かたながりれい)を出した頃より馬廻(うままわ)(しゅう)を務めており、秀頼(ひでより)が生まれる少し前から淀殿(よどどの)に仕えていたとされる。


 「母上!これからどこに行くのですか?」


 重成(しげなり)に続いて、今度は淀殿(よどどの)に質問した。


 「これから太閤殿下(たいこうでんか)、つまり其方(そなた)の父のところに行くのですよ」


 且元(かつもと)の予想は的中(てきちゅう)していた。秀頼(ひでより)は歩きながら、後ろに随行(ずいこう)している且元(かつもと)のほうを見て、(はじ)けるような笑顔を見せた。


 且元(かつもと)は目を少し見開(みひら)いて、一瞬(いっしゅん)何事かというような表情を見せたが、秀頼(ひでより)が父である秀吉(ひでよし)に会いたがっていた事を思い出して、淀殿(よどどの)の用事の(けん)を伝えたことに対してのお礼をしているのだとすぐに理解し、(あゆ)みの途中で秀頼(ひでより)微笑(ほほえ)み返して軽く(うなず)いた。


 「ねー重成(しげなり)?まだ着かないの??」

  

 「今少しの辛抱(しんぼう)です!頑張りましょう!」


 朝食に向かうときのごとく、重成(しげなり)(はげ)まされながらながら広い廊下(ろうか)を歩いていると、前から家臣の男たちが5人ほど、談笑(だんしょう)しながら歩いてきた。

 

 「そのような事があったのか、はっはっは!」


 「お、おい!若君(わかぎみ)淀様(よどさま)じゃ!」


 「なんと!ははぁー!!」 

 

 その中の1人がそう()げると、全員が廊下(ろうか)(はし)に寄って、仰々(ぎょうぎょう)しく平伏(へいふく)して敬意(けいい)を示した。


 そして少し進むと別の家臣が3人ほどやって来た。

 

 「…………」


 「…………」


 今度は誰も話していなかったが、同じように平伏(へいふく)して秀頼(ひでより)一行(いっこう)が通り過ぎるのを待った。


 「こ、これって全員こんな感じ?」


 「無論(むろん)にございます」


 後ろの且元(かつもと)が答えた。


 「恥ずかしいから別にやめてもらっても……」


 「なりません」


 「でも急いでる人だっているかも……」


 「それでもなりません」


 このような儀礼的(ぎれいてき)()()いは、この時代の主従(しゅじゅう)関係を象徴(しょうちょう)する重要な行動であり、それを(ないがし)ろにすることなどあってはならないのである。


 「また10人くらい来たけど……」


 「何人来ようが同じこと」


 こうして、平伏(へいふく)する家臣たちを瞥見(べっけん)しつつ昼時(ひるどき)往来(おうらい)の激しい廊下(ろうか)を通り抜けて奥御殿(おくごてん)に入り、秀頼(ひでより)たちの一行(いっこう)はある部屋の前まで来た。


 「到着にございます」


 ここまで先導(せんどう)してくれた治長(はるなが)(ふすま)の前に跪坐(きざ)して淀殿(よどどの)に伝えた。


 「では秀頼(ひでより)(まい)りましょう」


 「は、はい……」


 秀頼(ひでより)は、天下人(てんかびと)豊臣秀吉(とよとみひでよし)との対面に(おお)いに緊張していた。なにせ歴史の教科書では肖像画(しょうぞうが)でしか見たことのない、誰もが知っている偉人(いじん)がこの奥にいるのだ。


 治長(はるなが)がスッと(ふすま)を開けると、その部屋は昼間(ひるま)にも関わらず真っ暗で、その漆黒(しっこく)の中には(かす)かに光る橙色(だいだいいろ)斑点(はんてん)が見えた。


 先に淀殿(よどどの)が入り、それに続いて秀頼(ひでより)、そして残りの3人もその暗闇(くらやみ)に足を()み入れた。


 徐々に暗順応(あんじゅんのう)によって見えるようになったその視界(しかい)には、2つの部屋とそれから数本の蝋燭(ろうそく)(ともしび)が映った。


 部屋は御簾(みす)によって仕切られ、奥の部屋と、秀頼(ひでより)たちが入ってきた手前の部屋がある。


 手前の部屋の左右(さゆう)には秀吉(ひでよし)側室(そくしつ)侍女(じじょ)たちが神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで着座(ちゃくざ)しており、御簾(みす)の前には若草色(わかくさいろ)几帳(きちょう)が置かれ、奥の部屋を(かく)していた。


 「若君(わかぎみ)……」


 「淀様(よどさま)……」


 側室(そくしつ)と思われる人たちが口々(くちぐち)に言った。治長(はるなが)御簾(みす)を開き、淀殿(よどどの)几帳(きちょう)の横を通って中に入ったので、秀頼(ひでより)も着いて行った。


 奥の部屋には1人の女性と、白髭(しろひげ)(たくわ)えた医者、そして、白妙(しろたえ)蒲団(ふとん)に入り、汗をかいた小柄(こがら)な老人が()せっていた。


 老人のその頭には深紫(こきむらさき)病鉢巻(やまいはちまき)()められ、(かみ)白髪(しらが)()じり、(うす)口髭(くちひげ)顎鬚(あごひげ)()やしたその(さま)小柄(こがら)ながらも貫禄(かんろく)があり、まさに天下人(てんかびと)にふさわしい姿であった。


 この人が豊臣秀吉(とよとみひでよし)……そう心の中で(つぶや)くと、着座(ちゃくざ)した淀殿(よどどの)が部屋の中の女性に声をかけた。


 「まんかか様、太閤殿下(たいこうでんか)のお加減(かげん)如何(いかが)にござりましょうか?」


 「淀殿(よどどの)……よう(まい)られた、殿下(でんか)御具合(おぐあい)はどうにも(かんば)しくないようじゃ」


 淀殿(よどどの)に『まんかか様』と呼ばれたこの女性は、秀吉(ひでよし)正室(せいしつ)北政所(きたのまんどころ)』である。永禄(えいろく)4年(1561年)に、当時としては珍しく恋愛婚(れんあいこん)秀吉(ひでよし)と結ばれる。その後、ふたりの間に子供はできず、史実(しじつ)において秀吉(ひでよし)()(あと)実権(じっけん)正室(せいしつ)北政所(きたのまんどころ)ではなく、側室(そくしつ)である秀頼(ひでより)生母(せいぼ)淀殿(よどどの)(にぎ)った。()が子こそ(さず)からなかったが、その()わりに親族(しんぞく)の子供や人質(ひとじち)として送られてきた子供を養育(よういく)し、その中には豊臣(とよとみ)家の重臣(じゅうしん)となった『加藤清正(かとうきよまさ)』、『福島正則(ふくしままさのり)』、『黒田長政(くろだながまさ)』、そして『石田三成(いしだみつなり)』などがいた。


 「そうですか……秀頼(ひでより)(いま)(おさな)く、朝鮮(ちょうせん)難儀(なんぎ)しているというに……」


 「そうじゃのう……かかる(みぎり)にお倒れになるは殿下(でんか)口惜(くちお)しかろうて……」


 この時秀吉(ひでよし)(かぞ)え63歳、北政所(きたのまんどころ)51歳、そして淀殿(よどどの)31歳。肝心(かんじん)秀頼(ひでより)は7歳であり、秀吉(ひでよし)からすれば、天下泰平(てんかたいへい)とは言えども、いまだ戦国(せんごく)()面影(おもかげ)が残るこの時期(じき)(おさな)()が子を乱世(らんせい)に送り出すことになってしまうことは、非常に無念(むねん)であっただろう。


 「秀頼(ひでより)殿はお元気そうで何よりじゃ」


 「ま、まんかか様?も、お元気そうで……」


 「ほっほっほ、まあご立派になられて」


 北政所(きたのまんどころ)はそう言うと、秀吉(ひでよし)に近づいて声をかけた。


 「殿下(でんか)淀殿(よどどの)秀頼(ひでより)殿が(まい)られましたよ」


 「……うーむ」


 「ほっほ、秀頼(ひでより)殿のお顔を見なくてもよろしいのですか?」


 「……なに!秀頼(ひでより)じゃと?」


 (つら)そうに眠っていた秀吉(ひでよし)は、(いきお)いよく背中(せなか)を持ち上げて飛び起きた。


 「いててて……おお!|わしの可愛い秀頼(ひでより)よ!!息災(そくさい)であったか!」


 「(たれ)か!(ふすま)を開けい!!暗くて秀頼(ひでより)の顔がよう見えん!」


 秀頼(ひでより)側室(そくしつ)侍女(じじょ)たちの重々(おもおも)しい空気から、秀吉(ひでよし)相当(そうとう)危篤(きとく)状態にあると思っていた。


 「()(たま)丸めて、何をそんなに(おどろ)いとるんじゃ?」


 「て、手前の部屋の人たちが、あまりにも重苦(おもくる)しい雰囲気(ふんいき)だったから、もう死んじゃうのかなって思ったけど、すごい元気でびっくり……」


 「これっ!」


 淀殿(よどどの)に頭をぺしっと叩かれた。秀頼(ひでより)は『確かに失礼なことを言ったな……』と反省したが、秀吉(ひでよし)は気にせずに笑い飛ばした。


 「カッカッカッ!よいよい、直情径行(ちょくじょうけいこう)物言(ものい)いじゃが、ゴホッゴホッ……それでこそ天下(てんか)()ぐに相応(ふさわ)しいというものじゃ!」


 「ほっほっほ、ほんにその通りじゃ」


 秀吉(ひでより)北政所(きたのまんどころ)の二人から笑われて、少し気恥(きは)ずかしくなった秀頼(ひでより)(さえぎ)るように()って入った。


 「きょ、今日(きょう)は!!父上のお見舞(みま)いに来ました!!」


 「カッカッ!秀頼(ひでより)の顔を見れば(やまい)()き飛ぶというものじゃ!」


 秀吉(ひでよし)は、()が子に(よわ)みは見せまいと気丈(きじょう)()()った。


 「殿下(でんか)におかれましては、何卒(なにとぞ)養生(ようじょう)なされますよう……」


 「お茶々(ちゃちゃ)にも気苦労(きぐろう)をかける」


 「滅相(めっそう)もござりません、ご回復(かいふく)を心よりお(いの)り申し上げております……」


 『淀殿(よどどの)』という名称は、秀吉(ひでよし)によって、今は()秀頼(ひでより)(あに)にあたる鶴松(つるまつ)懐妊(かいにん)(いわ)われ『山城国淀城やましろのくによどじょう』を(たまわ)ってから『淀殿(よどどの)』と呼ばれるようになり、本名は『浅井茶々(あざいちゃちゃ)』という。


 「ささ、秀頼(ひでより)よ!(ちこ)(ちこ)う!!」

 

 秀吉(ひでよし)手招(てまね)きされて近くに行くと、そのまま(うで)(つか)まれて(ひざ)の上に座らされた。


 「ほっほっほ、殿下(でんか)(こと)秀頼(ひでより)殿を可愛(かわい)がりますのう」


 「無論(むろん)じゃ!如何(いか)(とし)を重ねようとも、()が子を持つことは(よろこ)ばしいものよ!!」


 秀吉(ひでよし)との対面に緊張していた秀頼(ひでより)だが、(ひざ)の上に座らされた恥ずかしさで緊張などは()き飛んだ。それもそのはず、中身は17歳の高校生である。いい(とし)した彼には羞恥心(しゅうちしん)というものがある。


 しかし7歳児に転生したからなのか、不思議(ふしぎ)と悪い気はしなかった。


 ――――――

 

 転生前は平凡(へいぼん)な高校生であった木下英頼(きのしたひでより)、今は豊臣秀頼(とよとみひでより)であるが、彼はこのようにして天下人(てんかびと)である太閤(たいこう)豊臣秀吉(とよとみひでよし)との対面を果たしたのである。

次回、「太閤の懸念」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ