第99話 最後尾も帰す
神代さんたち後方班が第二層まで戻った。
二十九人の探索者も、全員が大型の魔物より前にいる。
ここから先は第一層を抜ければ地上だ。
それでも現地救難班長は急がせなかった。
「第一班から順番に上げます。ここまで来たからって走らないでください。転んだらまた止まります」
何人かが三浦さんを見る。
担架の上から三浦さんが言った。
「俺を見るのやめてもらえます?」
少し笑いが起きた。
本人が言えるくらいの余裕は戻っている。
救難員が右足の固定を確認する。
「痛みは?」
「動かさなければ大丈夫です」
「気分悪くない?」
「大丈夫」
「分かりました。このまま運びます」
俺は第一班の前へ立った。
《帰り道》は第一層へ上がる通路へ続いている。
「行けます」
班長が無線へ伝える。
「第一班、移動開始」
歩き始める。
第二層の通路は第五層ほど狭くない。
管理灯も生きている。
地上との通信もほとんど雑音がなくなっていた。
『入口側より。第一層、現在魔物反応なし』
「了解」
班長が返す。
『先行退避した八名は全員確認済みです』
俺はその言葉を聞いて、改めて数を思い出す。
三十七人。
最初に地下にいた探索者の数。
そのうち八人はすでに地上へ出ている。
残り二十九人が、今ここにいる。
一人も増えていない。
一人も減っていない。
途中で三浦さんが怪我をしたが、置いてきてはいない。
「久世さん」
前を歩く探索者に呼ばれる。
「はい?」
「もう地上近いですよね?」
「近いです」
「今度は断言していい?」
「第一層まで上がれば」
「じゃああとちょっとか」
男は少しだけ笑う。
俺も頷く。
本当にあと少しだ。
でも、その少しで何か起こることもある。
今日は十分分かった。
だから最後まで確認する。
第一層への階段。
光は上。
先行する現地救難員が状態を見る。
「問題なし!」
第一班を上げる。
階段の途中で、後ろから通信が入った。
『第二管理扉、破損音確認』
班長の声が変わる。
「大型が抜けた?」
『可能性あります。監視反応はまだ取れてません』
俺は足を止めそうになった。
班長がすぐに言う。
「第一班、そのまま進んでください」
「はい」
止まらない。
魔物がどこまで来ているのかは分からない。
ただ、第二管理扉からここまでは距離がある。
俺たちの方が先にいる。
その差を使う。
第一層へ出る。
入口側から来た救難員が待っていた。
ただし、こちらへ合流して地下へ戻るのではなく、第一層の出口付近で誘導するだけだ。
「地上まで経路確保済みです!」
「第一班、外へ!」
班長が指示する。
俺は少し迷った。
光は地上へ続いている。
ここから一本道なら、俺が先に外へ出ても案内自体はできる。
でも、足は動かなかった。
「久世さん?」
班長が見る。
「俺、ここにいます」
「先頭じゃなくて?」
「もう迷うところないですよね」
班長が周囲を見る。
第一層から入口までは直線に近い。
地上側の救難員も配置されている。
「ないです」
「じゃあ、最後まで人数見たいです」
班長は少し考えた。
「分かりました。邪魔にならない位置で」
「はい」
俺は通路脇へ寄る。
第一班が外へ向かう。
地上の光が見える。
一人。
二人。
三人。
全員が出口を抜けていく。
無線から報告。
『第一班、地上。五名確認』
次に第二班。
俺は足元を見る。
《帰り道》はまだ消えない。
当然だ。
一緒に帰っている人たちが、まだ地下にいる。
第二班が通る。
疲れた顔をしている人もいる。
装備が汚れている人もいる。
それでも全員、自分の足で歩いている。
『第二班、地上。五名確認』
第三班。
第四班。
一班ずつ外へ。
外から歓声が聞こえるわけではない。
救難現場だから当然だ。
代わりに、
「五名確認」
「次、入ります」
「救急確認こちら」
という声が続く。
その普通の声がありがたかった。
第五班が近づいてくる。
先頭に担架。
三浦さんだ。
「久世さん」
担架の上から呼ばれる。
「はい」
「先に外で待ってなくていいんですか?」
「ここまで来たので」
「心配性ですね」
「今日だけで二回くらい予定変わってるので」
「もっとじゃないですか?」
「数えないようにしてます」
三浦さんが笑う。
担架が俺の前を通る。
「地上出たら病院ですよ」
「分かってます」
「勝手に歩かないでくださいね」
「班長と同じこと言いますね」
「大事なので」
担架が出口へ向かう。
その後ろに同じパーティの仲間たち。
一人が三浦さんに言う。
「地上出ても置いてくからな」
「意味逆だろ」
「病院に」
「ああ、それなら頼む」
少しだけ笑い声が続いた。
やがて報告。
『第五班、地上。負傷者含め全員確認』
俺は息を吐く。
次は第六班。
最後の探索者班だ。
そのさらに後ろには、神代さんとA級探索者三人、それに第二管理扉を閉めた現地救難員がいる。
班長ともう一人の現地救難員は、すでに第一層側で各班の誘導と人数確認に回っていた。
俺は通路の奥を見る。
まだ見えない。
通信から報告。
『第六班、第一層入りました』
足音が聞こえてくる。
四人か五人ずつに分けていた集団が、ここまで来るとずいぶん小さく感じる。
第六班が俺の前を通る。
一人の女性探索者が俺を見る。
「ありがとうございました」
「まだ外じゃないですよ」
「もう見えてます」
「じゃあ、あとちょっとです」
「はい」
全員が出口へ。
『第六班、地上!』
続いて人数確認が入り、『全員います!』と返ってきた。
これで通常の退避班に入った二十六人が地上へ出た。
残る退避対象は、後方支援に回ったA級探索者三人だ。
俺は思わず力を抜きそうになる。
でも、《帰り道》はまだ消えない。
足元から出口へ伸びたままだ。
探索者だけではない。
俺と一緒に帰る人たちがまだ残っている。
奥から神代さんたちが見えた。
先にA級探索者三人、その後ろに現地救難員と神代さんが続いている。
全員、自分の足で歩いていた。
「最後尾来ました!」
入口側の救難員が声を上げる。
人数確認を続けていた班長が、俺に気づいた。
「久世さん、まだいたんですか」
「言ったじゃないですか」
「地上出ててもよかったのに」
「光消えるところ見たいので」
半分本当だった。
神代さんが近づく。
「それだけですか?」
「それ以外に何があります?」
「ならいいです」
何なんだろう。
A級探索者の一人が笑う。
「この二人、ずっとこんな感じなんですか?」
班長が答える。
「うちの人間じゃないので知りません」
「逃げましたね」
俺が言う。
「面倒なので」
神代さんが小さく息を吐く。
戦闘の疲労はあるようだが、大きな怪我はない。
「本当に怪我ないです?」
「ありません」
「手は?」
「少し擦ったくらいです」
見ると、左手の手袋に小さな破れがある。
血が流れているほどではない。
「それ怪我じゃないですか」
「救急で見るほどではありません」
「地上で一応見てもらってください」
「久世さんもです」
「俺は戦ってません」
「疲れてるでしょう」
「それは否定しません」
班長が俺たちの横を通る。
「話は外でしてください」
「はい」
後方支援に回っていたA級探索者三人が先に出口を抜け、これで第五層、第六層側にいた退避対象二十九人が全員地上へ出た。
続いて現地救難員二人と班長、神代さんが地上へ出る。
俺はそれを確認してから、最後に残った。
足元にはまだ光がある。
第一層から入口へ、真っすぐ伸びている。
振り返る。
静かなダンジョンの通路。
数時間前までは、ここから下に三十七人の探索者がいた。
第五層の下では魔物が上がってきて、第三層では上側にも大型が現れた。
途中で一人が足を痛め、退避路も変わった。
閉まった扉を手で開けて、後ろでは神代さんたちが時間を作った。
それでも、誰も残っていない。
「久世さん!」
外から呼ばれた。
神代さんだ。
「今行きます」
俺も入口をくぐる。
地上へ足をつけた瞬間、《帰り道》の光が消えた。
一度だけ足元を見る。
何もない。
いつもと同じだった。
「消えました?」
神代さんが聞く。
「はい」
「全員?」
「俺と一緒に帰ってきた人は、ちゃんと外です」
班長が入口側の職員に確認する。
「人数」
職員が端末を見る。
「先行退避八名。今回退避二十九名」
別の職員も読み上げる。
「合計三十七名」
少し間が空く。
「全員地上、確認しました」
その言葉が聞こえた瞬間、周囲の救難員たちの空気が変わった。
大きな歓声ではない。
誰かが「よし」と言い、別の人が肩の力を抜いた。
入口側で待っていた職員も、それぞれ次の仕事へ動き始める。
まだダンジョン内には魔物がいる。
施設としての問題も残っている。
だから全部終わったわけではない。
でも、少なくとも探索者は全員外に出た。
俺たちの仕事は終わった。
三浦さんは救急車両の横で診察を受けていた。
俺たちに気づくと、担架の上から手を上げる。
「久世さん!」
「どうです?」
近づく。
「たぶん骨は大丈夫だろうって。でも念のため病院」
「よかった」
「歩いていいって?」
救難員が横から答える。
「言ってません」
「だそうです」
三浦さんが残念そうにする。
仲間の一人が言う。
「お前、地上出た瞬間立とうとしたからな」
「いけるかなって」
「いけないから運ばれたんだろ」
やり取りを聞きながら、俺は少し笑った。
少し離れた場所では、先に地上へ出ていた八人と、あとから戻った仲間たちが話している。
同じパーティ同士で集まる人。
装備を確認する人。
座り込んで水を飲む人。
誰かが泣いているわけでもない。
抱き合って喜んでいるわけでもない。
ただ、いつもの地上へ戻った人たちがいる。
それで十分だった。
現地救難班長が俺たちのところへ来た。
「二人とも、ありがとうございました」
「俺、ほとんど前歩いてただけですけど」
「それが必要だったんです」
「神代さんの方が大変だったと思います」
神代さんが言う。
「比べるものじゃないでしょう」
班長も頷く。
「後ろが止めて、前が動かす。どっちかだけじゃ退避できません」
俺は高峰ダンジョンの入口を見る。
今日は、今までと違った。
誰か一人を助けに行ったわけではない。
遭難したパーティを探したわけでもない。
最初から最後まで、自分の足で動ける人がほとんどだった。
それでも救難になった。
「三十七人か」
俺が言う。
神代さんが聞く。
「多かったですね」
「途中から人数じゃなくて班で考えてました」
「その方がいいと思います」
「一人ずつ名前覚えるの無理ですし」
「そういう意味ですか?」
「半分は」
神代さんが少し笑う。
そこへ班長の通信機が鳴った。
地上本部からだった。
『地下探索者全員退避完了を確認。これより高峰ダンジョンを全面閉鎖。内部の魔物対応は討伐部門へ引き継ぎます』
班長が返す。
「了解」
討伐部門。
その言葉を聞いて、俺は少し安心した。
ここから先は俺たちの仕事じゃない。
俺たちは魔物を全部倒す必要はない。
人を帰したら終わりだ。
神代さんも剣を見てから、鞘へ収め直す。
「もう戦わなくていいんですね」
「物足りないですか?」
「まさか」
即答だった。
「十分です」
「ですよね」
少しして、救難所の相馬さんから通信が入った。
班長が俺へ渡す。
「久世にだそうです」
嫌な予感がした。
「はい、久世です」
『生きてるか』
「第一声それですか」
『生きてるんだな』
「はい」
『神代さんは』
「います。怪我もほぼないです」
神代さんが横から言う。
「ほぼ、じゃなくてありません」
相馬さんにも聞こえたらしい。
『本人がそう言ってるなら帰ってから確認する』
「ほら」
俺が言う。
神代さんが少し不満そうにこちらを見る。
相馬さんが続ける。
『人数は』
「三十七人、全員地上です」
少しだけ間が空いた。
『そうか』
それだけだった。
でも、その言い方で十分だった。
『戻れるか』
「戻れます」
『なら戻れ。報告は明日でいい』
「今日じゃなくて?」
『お前、書けるのか』
俺は自分の身体を確認する。
脚が重い。
肩も少し痛い。
何より眠い。
「明日でお願いします」
『最初からそう言ってる』
通信が切れた。
俺は端末を班長へ返す。
「帰っていいみたいです」
「こちらも後処理がありますけど、お二人は大丈夫です。現地報告はこちらでまとめます」
「分かりました」
神代さんと車へ向かう。
途中、高峰ダンジョンの入口をもう一度振り返った。
今までなら、救難依頼は誰かが帰れなくなってから入るものだと思っていた。
遭難者がいる。
怪我人がいる。
連絡が取れない。
だから迎えに行く。
今日は違った。
最初に相馬さんが言っていた通り、遭難者はいなかった。
三十七人全員の位置が分かっていて、全員がまだ動けた。
その段階で帰した。
結果だけを見れば、遭難者は最後まで一人も出なかったことになる。
「神代さん」
「はい?」
「これ、救難だったんですかね」
神代さんは少し考えた。
「相馬さんなら何て言うと思います?」
「必要なら救難だ、くらい?」
「たぶん」
「じゃあ救難か」
「久世さん、相馬さん基準になってません?」
「最近ちょっと」
車へ乗る。
エンジンがかかる。
窓の外では、高峰ダンジョンの入口が閉鎖されていた。
これから内部では、別の人たちが魔物を処理する。
俺たちは帰る。
今日帰したのは、三十七人。
でも、一番よかったのは人数の多さじゃない。
遭難してから助けた人が、一人もいなかったことだ。
帰れなくなる前に、全員を帰せた。
それが今回の救難だった。




