第98話 追いつかれる
第二管理扉の前で、救難員が手動開放の作業を続けている。
その後ろには二十九人の探索者が続き、管理迂回路の入口では、さらに後方から迫ってきた魔物が扉を叩いていた。
鈍い音が一定の間隔で響くたび、資材置き場にいる何人かがそちらを見る。
「見なくていいです」
現地救難班長が声を上げた。
「動けるようになったらすぐ出ます。荷物をまとめて、班ごとに待機してください」
探索者たちが位置を整える。
三浦さんの担架は第五班ごと前寄りへ移した。
第四班が抜けたらすぐ続けるようにし、搬送で列が滞らないよう準備するためだ。
俺は扉の横に立って、《帰り道》を確認する。
光は変わらない。
閉じた扉の下を抜け、その向こうへ続いている。
「久世さん」
神代さんから通信が入る。
「はい」
『そっちは?』
「まだ開いてません」
『あとどれくらいですか?』
俺は作業中の救難員を見る。
「あとどれくらいです?」
「二、三分!」
通信へ伝える。
「二、三分です」
少し間が空いた。
『分かりました』
神代さんの声はいつも通りだった。
それが逆に嫌だった。
「そっちは?」
『扉がまだ持ってます』
直後、大きな衝撃音がした。
通信越しではなく、こちらまで届いた。
『今のは少し嫌ですね』
「大丈夫ですか?」
『まだ』
まだ。
今日何度聞いただろう。
まだ怪我人はいない。
まだ第六層には来ていない。
まだ扉は持っている。
今のうちに動く。
救難は、その「まだ」の間にどれだけできるかで変わるのかもしれない。
班長が資材置き場を見渡す。
「第一班から第四班、扉が開いたら順番に出します。第五班は負傷者を優先して前へ。第六班は後方班の前から動かす」
A級探索者三人のうち一人が聞いた。
「俺たちは?」
「残ってください」
「了解」
「神代さんたちと合流して、入口側を見てもらいます」
男は仲間二人を見る。
三人とも頷いた。
戦える人間は他にもいる。
でも、全員を後ろへ置く必要はない。
必要なだけ。
残りは退避させる。
班長が俺を見る。
「久世さんは扉が開いたら先頭」
「分かりました」
「戻らないでください」
先に言われた。
「まだ何も言ってません」
「顔に出てます」
「そんなに?」
「出てます」
隣にいた探索者が笑う。
「俺にも分かります」
「今日はよく読まれるな」
笑いは一瞬だった。
後ろで、金属がきしむ音がした。
全員の視線が入口側へ向く。
通信から神代さんの声。
『扉、上側が少し曲がりました』
班長が答える。
「下がれる?」
『十メートル下がれます。その先に曲がり角があります』
「破られたらそこで一度止めてください。時間だけ作る。追わない」
『了解』
A級探索者三人が後方へ走る。
一人が俺の横を通る時に言った。
「ちゃんと前連れてってくださいね」
「そっちも帰ってきてください」
「そのつもりです」
三人が通路の奥へ消える。
俺はその背中を見る。
神代さんもあそこにいる。
自分だけここで待っているのは落ち着かない。
でも、俺が後ろへ行ってもできることはない。
せいぜい邪魔にならないよう壁際に立つくらいだ。
だったら、前を見ていた方がいい。
救難員が工具を回す。
「ロック外れます!」
班長が近づく。
「開く?」
「手で引きます。二人ください!」
探索者二人が手を貸す。
取っ手を掴み、重い扉を横へ引く。
最初は動かない。
救難員がもう一度解除レバーを操作する。
「もう一回!」
三人で引く。
今度は扉が数センチ動いた。
「動いた!」
「そのまま!」
少しずつ隙間が広がる。
人一人。
二人。
担架を通すにはまだ狭い。
「もっと!」
扉が半分ほど開いた。
救難員が確認する。
「ここまでなら担架いけます!」
班長がすぐに声を上げる。
「第一班、移動開始! 久世さん、先頭!」
「はい!」
俺は扉を抜けた。
その先は再び管理通路だった。
《帰り道》は真っすぐ伸び、百メートルほど先で左へ曲がっている。
「道、問題なし!」
班長へ伝える。
「第一班出す!」
探索者が続く。
第一班が通過。
第二班。
一度に詰めすぎない。
でも今までより間隔は短くする。
前の班が角を曲がったら次を出す。
俺は最初の角まで走らない程度に急ぐ。
床は平ら。
障害物なし。
角の先には緩い上り。
「左、そのあと上りです!」
無線へ流す。
『了解!』
後ろから班長の声が来る。
『第二班通過。第三班出します』
順調だ。
その時、入口側から大きな破壊音が響いた。
今度は明らかに扉が壊れた音だった。
通信が重なる。
『破られました!』
『三体入る!』
A級探索者の声。
続いて神代さん。
『後ろにもいます。入口側、全部で七以上』
班長が答える。
『下がりながら止めてください!』
俺は前を進む。
後ろから戦闘音が聞こえ始めた。
剣。
何かが床へぶつかる音。
獣の鳴き声。
俺の足は一瞬遅くなった。
『久世さん』
通信から神代さん。
「はい」
『前をお願いします』
「神代さんは?」
『こっちは大丈夫です』
後ろで鋭い音がした。
とても「大丈夫」とは思えない。
「本当に?」
『今、確認する必要あります?』
「ないです」
『なら進んでください』
「はい」
歩く。
俺の前には光がある。
第一班を第二待避地点へ入れる。
後ろから報告。
『第三班通過』
『第四班準備』
まだ半分。
三浦さんは第五班だ。
負傷者がいる以上、扉のところで時間がかかる可能性がある。
班長がそれを分かっていて第五班を前へ寄せた。
『第五班、担架前へ! 第四班の後ろにつけ!』
順番を少し変える。
固定された運用ではない。
状況に合わせて変える。
俺は第二層側の出口を目指す。
緩い上りを抜けると、前方に階段が見えた。
「階段です!」
現地救難員が地図を確認する。
「ここを上がれば第二層資材搬入口!」
「光も上です」
「先確認します!」
救難員が先行する。
俺は第一班を階段手前で止めた。
数十秒。
『上、問題なし!』
「行きます!」
第一班を上げる。
階段は広い。
手すりもある。
上り切ると、大きな資材搬入口に出た。
シャッターのような扉があり、その先が第二層だ。
現地救難員が開閉盤を確認する。
「こっちは正常!」
扉が開く。
第二層。
あと一つ上がれば第一層。
地上が近い。
「第一班、第二層到着!」
無線へ報告する。
班長の返事。
『了解。第二班も向かってます』
その後ろでは戦闘音が続いている。
俺は第二班を待つ。
探索者たちの表情には疲れが出ているが、まだ全員動ける。
「ここから地上まで?」
一人に聞かれる。
「光は続いてます」
「近いですか?」
「近いと思います」
「思います?」
「距離までは出ないので」
「便利なのか不便なのか分からないですね」
「よく言われます」
少し笑う。
その時、通信から叫び声が聞こえた。
『大型!』
俺の身体が固まる。
A級探索者の声だった。
『後ろの小型じゃない! 横の管理室から出てきた!』
班長が聞く。
『位置!』
『資材置き場手前! でかいの一体!』
大型。
第二層中央にいると報告されていた個体とは別なのか、それともそこから回ったのか。
分からない。
神代さんの声が入る。
『私が止めます』
班長が即座に返す。
『一人でやらないでください』
『A級の三人がいます』
『倒す必要はないです』
『分かってます』
短い。
でも、声は落ち着いている。
次の瞬間、通信機から今までより大きな衝撃音が響いた。
俺の横にいた探索者も顔を上げた。
「今の何です?」
答えられない。
聞こえてくるのは戦闘の音だけだ。
『右から回れ!』
『足止める!』
『神代さん、前!』
神代さんの声。
『下がって!』
金属音。
低い唸り。
何かが壁へ叩きつけられたような音。
俺は通信機を握る。
「神代さん」
返事がない。
「神代さん?」
数秒。
長い。
その間に第二班が階段を上がってきた。
俺はそちらを見るべきなのに、耳は通信へ向いたままだった。
ようやく声が入る。
『聞こえてます』
息は少し乱れている。
「怪我は?」
『ありません』
「本当に?」
『久世さん』
「はい」
『前』
一文字みたいな短さだった。
でも意味は分かった。
「……はい」
俺は通信機を下ろす。
第二班の人数を確認する。
全員いる。
第三班が来る。
第四班。
そして三浦さんの担架。
後ろの戦闘がどうなっていても、まずこの人たちを第二層へ上げる。
俺がやるべきなのはそれだ。
「担架、階段入ります!」
救難員が声を上げる。
三浦さんがこちらを見る。
「久世さん」
「はい?」
「後ろ、大丈夫ですか?」
「大丈夫にしてくれてます」
「神代さんが?」
「神代さんたちが」
一人ではない。
A級三人もいる。
班長もいる。
現地救難員もいる。
今まで作ってきた救難は、誰か一人だけで成り立っているわけではない。
三浦さんの担架を階段へ。
一段ずつ上げる。
急がせない。
後ろから大型の咆哮が響いた。
地面まで少し震えた気がした。
「うわ……」
三浦さんが顔をしかめる。
「足?」
「いや、今の声です」
「俺も嫌です」
「ですよね」
担架を上げる。
あと半分。
通信が入る。
『第五班、階段へ入りました!』
『第六班、第二管理扉通過!』
最後の班も扉を越えた。
あとは後方班。
班長が叫ぶ。
『第六班まで第二管理扉通過! 後方班も下がる!』
神代さんの声。
『了解!』
ここからは戦う必要がない。
離れればいい。
そう思った。
ところが次の通信が入る。
『大型が通路を塞いでます!』
A級探索者。
『こっちが下がると第六班の方へ行く!』
班長が状況を聞く。
『位置は?』
『第二管理扉と資材置き場の間!』
嫌な位置だった。
後方班がそのまま逃げれば、大型が第六班を追う。
止めなければならない。
でも倒す必要はない。
第六班が十分な距離を取るまで。
班長が言う。
『何分必要?』
第二層側の救難員が現在位置を見る。
「第六班が階段まで五分!」
俺が通信へ入る。
「五分です!」
少し間があり、神代さんが答えた。
『分かりました』
「神代さん」
『はい』
「五分経ったら帰ってきてください」
『そのつもりです』
「絶対ですよ」
『久世さん』
「はい」
『私たちも帰ります』
胸の奥が少しだけ軽くなった。
俺は頷く。
見えていないのに。
「お願いします」
通信を切る。
三浦さんの担架が第二層へ上がった。
第五班全員確認。
次は第六班。
俺は階段の下へ戻らない。
第二層側で受け入れ、前へ流す。
全員がここへ溜まれば、また詰まる。
「第一班、先へ!」
光は資材搬入口から北側通路へ続いている。
現地救難員の確認も取れている。
第一班を動かす。
第二班。
第三班。
先へ、先へ。
後ろの五分を無駄にしない。
通信には戦闘音が続く。
神代さんたちは、大型を倒そうとしていなかった。
一人が正面で注意を引き、別の一人が横から牽制する。
大型が下がれば追わず、第六班へ向かおうとした時だけ進路へ入る。
神代さんも同じだ。
『右へ行かせないで!』
『了解!』
『押し返すだけでいい!』
戦うための戦闘じゃない。
五分を作るための戦闘だった。
第六班の先頭が階段に現れる。
「来ました!」
人数を確認しながら上げる。
四人。
五人。
最後の一人。
「第六班、全員第二層!」
救難員が時計を見る。
「四分二十秒!」
班長へ伝える。
「第六班抜けました! 後方下がれます!」
『了解! 全員退避!』
通信の向こうでA級探索者が叫ぶ。
『神代さん、先!』
『一緒に下がります!』
『いいから行け!』
『一人残す気ですか?』
こんな時まで神代さんらしい。
班長が怒鳴る。
『全員で下がってください!』
何かが激しくぶつかる。
その直後、大型の鳴き声が遠ざかった。
A級探索者の声。
『今!』
走る足音。
『第二管理扉、閉めます!』第六班についていた現地救難員が扉脇に残り、神代さんたち後方班を通した直後に閉鎖へ入った。
手動で開けた扉を、今度は通過側から引き戻す。
重い音。
『閉鎖!』
『大型、扉向こう!』
時間は稼げる。
完全には止められない。
それでも十分だった。
俺は第一班をさらに前へ進める。
第二層から第一層へ。
光はもう迷っていない。
後ろから班長の声。
『後方班、階段到達!』
俺は振り返りたいのを我慢した。
第一班が第一層への階段へ入る。
地上側の通信がはっきり聞こえる。
『入口側、受け入れ準備完了。救急班待機』
もうすぐだ。
それでも、俺はまだ地上へ出ない。
全員を流す。
第一班。
第二班。
第三班。
三浦さんの担架。
残る班も続く。
そして、ようやく後方から見慣れた黒髪が見えた。
神代さんだった。
その後ろにはA級探索者三人と、第二管理扉を閉めた現地救難員が続いていた。
全員、自分の足で歩いている。
神代さんの服には土と魔物の体液がついていた。
それでも大きな怪我は見えない。
俺は思わず言った。
「遅いです」
神代さんがこちらを見る。
「五分って言われたので」
「ちょっと過ぎてません?」
「二十秒くらいです」
A級探索者が後ろから笑う。
「細かいな」
俺も息を吐いた。
「帰れます?」
神代さんが聞く。
足元の光を見る。
地上方向へ、変わらず続いている。
「はい」
俺は答えた。
「今度こそ、そのまま帰れます」
後ろでは、閉じた扉の向こうから遠い衝撃音が聞こえていた。
でも、もう立ち止まる必要はなかった。
神代さんたちが作った五分で、二十九人全員が大型より前へ出た。
あとは地上まで、この差を守ればいい。




