第97話 上へ行かない道
三分の休憩が終わると、現地救難班長が立ち上がった。
「移動再開します。第三層から上は地上側で安全確認済みです。ただし、途中で状況が変われば止めます。各班、今までと同じ間隔を維持してください」
二十九人の探索者が順番に立ち上がる。
右足を痛めた三浦さんは担架の上だ。ここから先は通路に幅があるため、救難員二人と同じパーティの二人が搬送を担当することになった。
俺は先頭側へ戻り、《帰り道》を確認する。
淡い光は第三層の通路を先へ伸びていた。
「変わってません」
班長が頷く。
「第一班から出します」
通信機へ指示が流れる。
第一班、第二班、第三班。
少しずつ間隔を空けながら進み始めた。
第五層で魔物と接触した神代さんたちは、今度も最後尾につく。A級探索者三人もそのままだ。
後ろからまだ魔物が追ってきている可能性はあるが、第四層と第五層の間にある扉は閉めてきた。
耐魔物用の隔壁ではない。
それでも、何もないよりは時間を稼げる。
第三層は、第五層までと比べればずっと歩きやすかった。
通路は広く、床も平らだ。一定間隔で管理灯があり、壁には現在位置を示す番号もある。
俺は少しだけ肩の力を抜いた。
「久世さん」
すぐ後ろから班長に呼ばれる。
「はい?」
「油断しました?」
「してません」
「今、明らかに歩き方変わりましたよ」
「ちょっとだけ安心しただけです」
「地上に出てからにしてください」
「はい」
何で分かるんだろう。
前を歩いている探索者が小さく笑った。
このくらいの余裕が出てきたのは悪いことではない。
通信にも、さっきまでの緊迫した声は減っている。
『第二班、第一待機点通過』
『第三班、移動中』
『第五班、負傷者搬送問題なし』
『第六班、後方異常なし』
神代さんからも報告が入った。
『第四層側の扉、今のところ破られた音はありません』
班長が返す。
「了解。そのまま距離を取ってください」
『はい』
俺たちは第三層の中央管理区画を目指す。
そこまで出れば、あとは第二層、第一層と上がるだけだ。
少なくとも地図ではそうなっている。
《帰り道》も、その方向を示していた。
第一班が次の角を曲がった時だった。
足元の光が動いた。
「あれ?」
俺は立ち止まる。
後ろの探索者も止まった。
班長がすぐに聞く。
「どうしました?」
「光が」
さっきまで正面へ伸びていた《帰り道》が、右側へ曲がっている。
そこには細い管理用通路があった。
地図を見る限り、地上へ向かう通常の退避経路ではない。
班長が俺の視線を追う。
「右?」
「はい」
「さっきまでは?」
「まっすぐでした」
俺はもう一度確認した。
見間違いではない。
淡い光は右側の管理用通路へ入り、その先へ続いている。
「止めます」
班長が即座に通信機を取る。
「全班停止。現在位置を維持してください」
次々に返事が入る。
俺たちの第一班は第三層中央区画の少し手前。
第二班は一つ前の待機地点。
その後ろも順番に止まった。
班長が地図を拡大する。
「この通路、どこへ出る?」
近くにいた現地救難員が端末を確認した。
「管理用の迂回路です。第三層東側を回って、第二層の資材搬入口付近へ出ます」
「上につながる?」
「最終的には。ただ……」
救難員が画面を指した。
「最初、少し下ります」
俺も覗き込む。
確かにそうだった。
右側の通路へ入ると、いったん緩い下りになっている。そのあと第三層の外周を回り、別の階段から第二層へ出る。
「地上と逆じゃないですか」
前にいた探索者が言った。
「最初だけです」
救難員が答える。
「でも、普段の退避にはほとんど使いません」
班長が俺を見る。
「光はそこ?」
「はい」
「今も?」
「変わってません」
俺は少し嫌な感じがした。
《帰り道》が変わった。
なら、何かが変わった可能性がある。
ただ、それが何なのかは光からは分からない。
班長も同じことを考えたらしい。
すぐ地上へ通信を入れる。
「第三層から地上。中央退避経路の最新状況を確認してください」
返事はすぐには来なかった。
雑音。
何人かの声。
そのあと、地上側の救難員が応答した。
『確認します。現在、第二層までは異常報告なし』
「第三層中央から第二層へ上がる主階段は?」
『さきほど確認済みです』
班長が聞く。
「何分前?」
少し間が空く。
『十二分前です』
十二分。
この状況では、十分長い。
「再確認を」
『了解。上側から班を向かわせます』
班長が通信を切る。
第一班の探索者が聞いた。
「《帰り道》が変わったなら、何かいるってことですか?」
俺はすぐに首を横に振る。
「分かりません」
「でも危ないから避けたんじゃ?」
「《帰り道》は魔物を教えてくれません。何で変わったのかも、俺には分からないです」
必要以上に期待させない。
これは何度でも言っておいた方がいい。
班長も続ける。
「確認が取れるまでここで待ちます。光だけを理由に進路変更はしません」
探索者が頷いた。
俺たちは通路の端へ寄る。
後ろの各班にも、前方確認中と伝えられた。
三浦さんを運んでいる第五班からも報告が入る。
『負傷者、状態変化なし』
「了解。その位置で待機」
班長は地図を見たまま考えている。
俺ももう一度、《帰り道》を見る。
光は右。
いったん下る管理用通路。
そこから第二層。
もしこれが本当に今の帰り道なら、地上へ近づくために一度地上から遠ざかることになる。
少し前までの俺なら、不思議なことが起きたと思ったかもしれない。
今は、それほどでもなかった。
最短の道とは限らない。
楽な道とも限らない。
一緒にいる人たちが帰れる可能性の高い道。
それなら途中で下ることがあっても、おかしくはない。
問題は、なぜ今になって変わったのかだ。
神代さんから通信が入った。
『前で何かありました?』
俺が答える。
「《帰り道》が変わりました」
少し間が空く。
『どちらへ?』
「右の管理用通路です。一回下るみたいです」
『地上と逆ですね』
「そうなんですよ」
班長が通信へ入る。
「今、上側から主経路の再確認を入れてます。後方はそのまま」
『了解です』
また待つ。
数分しか経っていないはずなのに、長く感じる。
二十九人が動きを止めている。
第五層側の魔物との距離がどうなっているかも気になる。
班長が後方へ確認した。
「神代さん。閉めた扉側、音あります?」
『今のところありません。ただ、遠くで何かぶつかる音はします』
「近づいたらすぐ言ってください」
『はい』
まだ猶予はある。
前も後ろも確認しながら進む。
大人数になると、それだけで時間がかかる。
一人なら数秒で決められることでも、二十九人を動かすなら確認が必要になる。
やがて通信機が鳴った。
『第三層中央経路、確認班です』
班長がすぐに取る。
「状況は?」
『主階段手前まで来ました。こちら側は異常なし。ただ――』
声が止まった。
班長の顔が変わる。
「ただ?」
『第二層側から、大型の魔物が下りてきています』
周囲の空気が一気に変わった。
「種類」
『大型獣型。四足。現在一体確認。中央階段付近をうろついています』
神代さんにも聞こえている。
『上から来たんですか?』
確認班が答えた。
『分かりません。別の通路から第二層へ上がった可能性があります』
班長が地図を見る。
第五層から魔物が上がってきている。
その一方で、一体はすでに第二層まで回り込んでいた。
「主階段は使える?」
『今は無理です。こちらに気づけば第三層へ下りてくる可能性があります』
「戦える人数は?」
『こちら二名。片方B級です。ただ、ここで仕掛ける理由はないと思います』
「同意します。下がってください。中央区画へ入れないよう扉を閉鎖」
『了解』
確認班の二人は大型へ近づかず、中央区画へ続く扉を閉めてから、来た経路を上層側へ戻ることになった。
これで、使わない主階段側に人を残す必要もない。
班長が通信を切った。
さっき質問した探索者が俺を見る。
「だから光が変わった?」
俺は答えない。
分からないことを分かったようには言えない。
班長が代わりに言った。
「結果として、主階段は今使えません。それだけです」
「じゃあ右?」
「地図を確認します」
管理用迂回路は第三層東側にあり、いったん下ってから外周を回る。
第二層へ出る場所も、中央階段とはかなり離れていた。
現地救難員が言う。
「この道なら、大型とはぶつからない可能性が高いです」
「途中の状態は?」
「定期点検はしています。最後の確認が三日前。人は通れます」
「二十九人通せる?」
「通路幅は問題ありません。ただ、途中に管理扉が二か所あります」
「開く?」
「電源が生きていれば」
嫌な言葉が増えた。
班長が地上へ確認する。
「第三層東側管理迂回路を使う。管理扉の状態を遠隔で確認できますか?」
『確認します』
少しして返事。
『第一扉、開閉信号正常。第二扉も正常です』
「第二層側出口は?」
『資材搬入口側。現在魔物反応なし』
班長が俺を見る。
「久世さん」
「はい」
「光は?」
「右のままです」
「なら、そっちを使います」
決まった。
光だけではない。
地図。
設備。
現地確認。
それらと合わせて、今使える道を選んだ。
班長が全班へ通信する。
「進路変更。第三層中央経路は大型魔物確認のため使用しません。東側管理迂回路を使います。第一班から順番に移動します」
返事が続く。
俺は右側の扉へ向かった。
管理用通路の入口は、探索者向けの通路より少し狭い。
現地救難員がカードをかざす。
電子音が鳴り、重い扉が横へ開いた。
その先は緩やかな下り坂だ。
第一班の探索者が覗き込む。
「本当に下るんですね」
「光はこっちです」
俺が答える。
「帰るのに?」
「俺も同じこと思ってます」
「大丈夫なんですか?」
「だから確認しながら行きます」
班長が後ろから言う。
「久世さん、不安にさせる言い方しないでください」
「嘘つくよりいいかなって」
「それはそうですけど」
探索者が苦笑する。
「逆に信用できます」
「ありがとうございます」
褒められたのかは分からない。
俺たちは管理用通路へ入る。
地上へ帰るために、少しだけ下へ向かう。
光は迷わずその先へ続いていた。
最初の下りを抜けると、通路はほぼ平坦になった。
ここからは第三層の外周に沿って進むらしい。
左手は厚い岩壁。
右手には一定間隔で管理設備の扉がある。
人の気配はない。
第一待避地点まで着き、第二班を動かす。
今までと同じやり方だ。
ただ、今度は通路そのものが長い。
現地救難員が地図を見る。
「第一管理扉まで約三百メートルです」
「その先は?」
「一度広い資材置き場を通って、第二管理扉。そのあと第二層へ上がります」
班長が後方の位置を確認する。
第一班は迂回路。
第二班が入口へ。
第三班以降は第三層中央側で待機。
神代さんたちは最後尾。
まだ全部が新しい道へ入ったわけではない。
「急ぎたいですね」
俺が言う。
「急ぎます。でも走らせません」
班長が答える。
「はい」
分かっている。
走れば転ぶ。
さっき実際に一人が転んだばかりだ。
第一管理扉まで進む。
扉の横に端末がある。
救難員がカードを当てると、正常音が鳴った。
重い扉が開く。
「第一扉通過します」
通信へ流す。
班長が全班へ繰り返す。
俺たちは先へ進んだ。
広い資材置き場へ出る。
棚や折り畳まれた足場材が壁際に置かれている。人を待機させるには十分な広さがある。
「ここ、使えますね」
班長が言う。
「第一班待機。第二班をここまで入れます」
第三層側から順番に人を流す。
第一班。
第二班。
第三班。
少しずつ資材置き場へ集まる。
第五班の三浦さんも、担架のまま問題なく通れている。
俺は人数報告を聞きながら、《帰り道》を確認する。
光は資材置き場の奥。
第二管理扉へ向かっている。
その時、後方から低い音が聞こえた。
遠い。
何かが扉へぶつかったような音だった。
通信より先に神代さんの声が入る。
『第四層側の扉、破られた可能性があります』
班長が顔を上げる。
「確認できる?」
『姿はまだ見えません。ただ、音が近づいてます』
「第六班は?」
『迂回路入口へ入りました』
最後の班も動いている。
「後方班は?」
『その後ろです』
「そのまま入ってください。全員入ったら入口扉を閉める」
『了解』
俺は資材置き場の奥を見る。
前には第二管理扉。
後ろには追ってくる魔物。
中央階段側には大型の一体。
今までと違って、危険が一方向から来ているわけではない。
班長が第二管理扉の端末へカードを当てた。
電子音。
一瞬間が空く。
扉は動かなかった。
「……あれ?」
救難員がもう一度カードを当てる。
電子音は鳴る。
それでも開かない。
「遠隔では正常って言ってましたよね?」
俺が聞く。
「信号上はです」
救難員が端末を見る。
「開閉機構が動いてない」
班長が通信を入れる。
「地上。第二管理扉が開かない。遠隔操作できますか?」
すぐに返事が来る。
『操作します』
待つ。
扉は動かない。
『こちらでは開信号が出ています』
救難員が扉の横を見る。
「機械側ですね。手動開放できます」
「どれくらい?」
「工具出します。数分ください」
数分。
今まではたいした時間ではなかった。
今は違う。
後ろから、また何かがぶつかる音がした。
さっきより近い。
通信機から神代さんの声が入る。
『最後尾、迂回路へ入りました。入口扉を閉めます』
「了解」
班長が答える。
数秒後、金属の重い音が響いた。
『閉鎖しました』
これで全員が迂回路の中に入った。
あとは前へ抜けるだけ。
そう思った直後だった。
『……来ました』
神代さんの声が変わった。
班長が通信機を握る。
「何体?」
『先頭に三体。後ろにもいます』
「入口扉は?」
『今、叩かれてます』
班長が第二管理扉を見る。
救難員が工具を取り出し、手動開放の作業を始めている。
前は閉じている。
後ろには魔物。
俺たちが帰さなければならない探索者は二十九人。
そのうち一人、三浦さんは担架での搬送が必要だ。
淡い光は、開かない扉の向こうへ続いていた。
班長が俺を見る。
「久世さん」
「はい」
「ここから先、道は変わってません?」
俺は光を見る。
「変わってません」
「分かりました」
それだけ聞くと、班長は振り返った。
「全班、資材置き場へ集結。ただし入口側を空ける。戦える人間は指示があるまで前へ出ないでください」
A級探索者の一人がすでに剣へ手をかけている。
「そろそろ出番ですか?」
班長が答える。
「たぶん」
通路の奥から、鈍い衝撃音がもう一度響いた。
金属の扉が、わずかに震えた。
地上へ帰る道は、目の前の閉じた扉の向こうにある。
そこへたどり着くまでの時間を、今度は自分たちで作らなければならなかった。




