第92話 三十七人の帰り道
高峰ダンジョンへ入ると、入口の慌ただしさが嘘のように音が減った。
第一層には探索者の姿がない。
新規入場はすでに止められているし、上層にいた人たちも退避を始めている。すれ違うのは、装備を抱えた救難員か施設職員くらいだった。
俺たちを案内する現地救難班長が、歩きながら通信を確認する。
「人数、もう一回整理します。第六層に十四名。第五層に十五名。第三層側に八名です」
俺は隣を歩きながら聞く。
「第五層、九人じゃなかったですか?」
「第四層から戻った六人が合流しました。第五層の九人もちょうど移動を始めたところだったので、いったん管理区画まで戻しています」
「第三層側の八人は?」
「第四層にいた残り二人が、魔物を確認する前に上へ抜けています。第三層にいた六人と合流済みです」
十四、十五、八。
合わせて三十七人。
全員の位置は分かっている。
まだ誰も行方不明になっていないし、怪我人が出たという連絡もない。
それでも、さっきから通信には何度も「退避」という言葉が飛び交っていた。
第四層までは通常の階段を使い、そこから先は救難員用の通路へ入る。普段の探索者が使う主経路とは別で、幅は狭いが第六層まで下りられるらしい。
神代さんが班長に聞いた。
「魔物の位置は更新されていますか?」
「第七層で複数確認したのが最後です。監視用の魔石が一部壊れていて、正確な数までは追えてません」
「種類は?」
「中型の四足型が多いです。大型の反応も一つ出ていますが、誤検知の可能性があります」
「第六層には?」
「まだ確認されてません」
まだ、という言葉がまた出た。
俺が思っていることを、神代さんも気にしているらしい。
「第六層の十四人を動かすのが先ですね」
「はい。一番下にいますから」
班長が答える。
「第五層との間の主経路は封鎖してます。別の退避路を使う予定ですが、普段ほとんど使わない道なので、久世さんの《帰り道》も確認したいんです」
「分かりました」
「ただ、現場の安全確認を優先します。光が別方向を示しても、そのまま全員突っ込ませることはしません」
その言葉に、俺は少し安心した。
「お願いします」
班長がこちらを見る。
「そこは久世さんが言うところじゃないでしょう」
「そうなんですけど」
第二森下ダンジョンで光が出なかったこともあり、《帰り道》を必要以上に特別扱いされない方がありがたい。
使えるなら使う。
使えなければ、別の方法を考える。
相馬さんがいつも言っているのと同じだ。
第五層へ下りる前に、通信が入った。
『第六層集結地点、十四名全員確認。体調不良なし』
班長が応答する。
「了解。そのまま待機。こちらが到着するまで動かさないでください」
『了解』
続いて別の声が入る。
『第五層、十五名確認。管理区画内で待機中』
「了解。第六層から先に上げます」
今のところ、人数は崩れていない。
それが何より大事だった。
救難用通路を使って第六層へ降りる。
扉を抜けた先は、俺が想像していたより広い空間だった。普段は休憩や装備確認に使われる場所らしく、壁際にベンチや簡単な収納棚が並んでいる。
そこに十四人の探索者が集まっていた。
若い人もいれば、俺より年上に見える人もいる。
装備もばらばらだ。
剣を持った人、槍を背負った人、大きな盾を置いている人。軽装の探索者もいる。
そして、その十四人を現地の救難員二人がまとめていた。
俺たちが入ると、何人かがこちらを見る。
その中の一人が神代さんに気づいた。
「あれ、神代美波じゃない?」
声が広がりそうになったところで、現地救難員が手を上げる。
「説明します。全員そのままでお願いします」
ざわつきが収まる。
班長が前へ出た。
「現在、第七層以下から複数の魔物が上がってきています。皆さんに退避命令が出ているのは、すでに伝わっていると思います」
十四人の何人かが頷く。
「通常の退避経路は安全確認が取れていないため使いません。これから別の経路を使って第五層へ上がります」
一人の男性が手を上げた。
「魔物、ここまで来てるんですか?」
「第六層ではまだ確認されていません。ただし、来てから動くつもりはありません」
「だったら早く行った方がいいんじゃないですか?」
「そのために来ました」
班長は落ち着いて答えた。
別の探索者が俺を見る。
「その人が、《帰り道》の?」
一瞬、全員の視線が集まった。
こういう時は、何度経験しても慣れない。
「久世です」
軽く頭を下げる。
「一応、《帰り道》も確認します。ただ、俺にしか見えないので、移動の指示は救難班から出します」
「帰れる道が分かるんですよね?」
「方向は分かります。でも、途中に魔物がいるかどうかまでは分かりません」
先に言っておく。
《帰り道》があるから安全だと思われるのは困る。
班長も続けた。
「久世さんの能力は退避経路を決める材料の一つです。全員、救難班の指示に従ってください」
それで説明は終わった。
俺は十四人を見る。
ここに俺と神代さん、班長、それから先に待機していた救難員二人を加えた全員が、今から一緒に上へ戻る人たちだ。
《帰り道》は十四人だけのものではなく、俺たちも含めて一緒に帰る道になる。
そう意識して、《帰り道》を確認する。
足元に淡い光が現れた。
一瞬だけ、肩の力が抜けた。
第二森下ダンジョンで何度見ても出なかった光が、今日は当たり前のようにそこにある。
神代さんが横から聞く。
「見えますか?」
「はい」
班長もすぐに続ける。
「どっちです?」
俺は光の先を見る。
広場の出口は二つある。
一つは正面の主経路。
もう一つは左側の細い通路だ。
光は左へ伸びている。
「左です」
班長が地図を開く。
「予備退避路と一致してます」
現地救難員が確認する。
「第五層の西側管理区画へ出る道です」
「途中の安全確認は?」
「さっき一班通してます。第六層側から第五層手前までは異常なし。ただ、もう一度先行確認します」
班長はすぐに救難員へ指示を出した。
一人が先へ入り、通路の状態を確認する。
俺はその間、足元の光を見る。
普通に出ている。
昨日まで何度も考えていたことが嘘みたいだった。
「久世さん」
神代さんに呼ばれる。
「はい?」
「また考えてます?」
「ちょっとだけ」
「相馬さんに言われてましたよね」
「引きずるな、でしたね」
「今日は出てます。それでいいんじゃないですか」
「そうですね」
考えても答えは出ない。
今は十四人を帰す方が先だ。
やがて先行した救難員が戻ってきた。
「第五層手前まで問題なし。魔物も確認できません」
「了解」
班長が全員を見る。
「これから移動します」
探索者たちが立ち上がり、装備を持つ。
そこで初めて、俺は少し困った。
十四人が一斉に動くと、思っていた以上に人が多い。
広場の中では固まっていられるが、退避路は横に二人並べるかどうかの幅しかない。
俺が先頭に立つとして、その後ろへ十四人が続き、さらに救難側が前後につく。
最後尾からは、俺の姿なんてほとんど見えないだろう。
班長が言う。
「久世さん、先頭お願いします」
「はい」
返事をしてから、退避路の入口へ立つ。
淡い光は俺の足元から先へ続いている。
俺には見える。
どこで曲がるのかも分かる。
でも、後ろを見ると、人の列が広場の奥まで伸びていた。
全員へ声を届けるだけでも難しそうだ。
「出ます」
俺が言う。
前の数人は返事をした。
後ろの方からも何か声が聞こえたが、内容までは分からない。
歩き始める。
通路へ入ってすぐ、光は緩く右へ曲がった。
「右です」
俺は声を出した。
後ろの探索者が繰り返す。
「右だって!」
その後ろからも声が続いた。
「右!」
さらに奥から、
「何?」
という声が返る。
まだ十メートルも進んでいない。
俺は止まった。
後ろも順番に止まる。
「どうしました?」
班長が追いついてくる。
俺は列の後ろを見る。
「これ、無理じゃないですか?」
「何がです?」
「俺が道を見ても、後ろまで届かないです」
十四人。
今はこれでも地下にいる三十七人の一部にすぎない。
このあと第五層の十五人まで合流すれば、もっと増える。
《帰り道》は見えている。
でも、その道を見ることができるのは俺一人だけだ。
今まで困らなかったことが、人数が増えただけで問題になっていた。




