第91話 全員退避
第二森下ダンジョンから戻って二日後、救難所はいつもの忙しさに戻っていた。
俺は机に座り、小日向から渡された報告書の確認をしている。
「ここ、久世さんの確認お願いします」
「どこ?」
「《帰り道》を最初に確認した位置です。第五層の退避地点で合ってますよね」
「合ってる。そのあと東側を見て、西側、南側の順番」
「了解です」
小日向が端末へ入力する。
第二森下ダンジョンで何が起きたのかは、まだ事実だけを記録することになっていた。《帰り道》が現れなかった理由も、通れる道を作ったあとに光が出た理由も、今のところは仮説のままだ。
俺としても、その方がありがたい。
一度起きただけのことを聞かれても、説明できるほど分かっていない。
向かいの机では、神代さんが現地から送られてきた写真を見ていた。
「神代さん、それまだ確認してるんですか?」
「旧側道の岩です。削った場所に問題が出ていないか、経過写真が届いたので」
「大丈夫そう?」
「はい。今のところ変化はないそうです」
「それならよかった」
神代さんが端末を置く。
「藤崎さんも退院したそうですよ」
「もう?」
「まだ仕事復帰は先みたいですけど」
「さすがにそこは休んでもらわないと」
右脚を痛めたまま担架で運ばれていた人が、数日後に普通にダンジョンへ戻っていたら、その方が怖い。
小日向がこちらを見る。
「でも藤崎さん、病院から現地に連絡入れてるらしいですよ」
「何の?」
「旧側道の記録整理」
「休んでないじゃん」
「仕事好きなんでしょうね」
二人でそんな話をしていると、奥から相馬さんが出てきた。
「暇そうだな」
「報告書やってます」
俺が答える。
「口動かしながらな」
「効率よく」
「手が止まってるぞ」
見ると、確かにペンを持ったままだった。
小日向が笑いをこらえている。
「小日向もだ」
「はい」
すぐに端末へ視線を戻した。
ようやく普通の日に戻った気がした。
救難依頼が入れば動くし、入らなければ記録や訓練をする。少し前なら、何も起きない日は暇だと思っていたかもしれない。
今は、何も起きない方がいいと分かっている。
俺が報告書の続きを読もうとした時、救難所の電話が鳴った。
小日向が取る。
「はい、救難所です」
いつもの声だった。
ただ、数秒後には表情が変わった。
「はい。場所をお願いします」
俺は手を止める。
相馬さんも振り返った。
小日向がメモを取りながら確認する。
「高峰ダンジョン……はい。現在の人数は?」
少し間が空いた。
「三十七名?」
俺と神代さんが顔を見合わせた。
聞き間違いかと思ったが、小日向はもう一度確認する。
「地下に三十七名ですね。負傷者は?」
返事を聞いた小日向の眉が少し寄る。
「分かりました。責任者に代わります」
受話器を押さえ、相馬さんを見る。
「高峰ダンジョンです。第九層付近で大きな崩落があったそうです」
「人的被害は?」
「今のところ確認されてません。ただ、下層にいた魔物が上へ動き始めてるらしくて、全館退避をかけてます」
相馬さんが受話器を受け取った。
「相馬です」
俺たちはそのまま話を聞く。
高峰ダンジョンの名前は知っていた。
この地域では比較的大きなダンジョンで、探索者の出入りも多い。深さもあり、浅い階層は初心者でも利用する一方、下へ行けば高ランク向けの区域もある。
今日は平日だったはずだが、それでも地下に三十七人いるらしい。
相馬さんの声が低くなる。
「崩落範囲は?」
受話器の向こうから長めの返答がある。
「第九層だけじゃない可能性がある?」
また返事。
「通路封鎖は」
相馬さんは聞きながら、机の上のメモ用紙へ短く書いていく。
第九層、大規模崩落。
第八層の一部で通信不安定。
第七層より上は通信可能。
複数の魔物が上層方向へ移動。
通常退避経路の一部を封鎖。
俺はそこまで読んで、状況が少し分かってきた。
崩落現場そのものに人が巻き込まれたわけではない。
問題は、その影響がこれから上へ来ることだ。
相馬さんが聞く。
「現在位置が分からない人間は?」
返事を待つ。
「全員把握できてるんだな」
今度は少し短い返答だった。
「負傷者なし。通信可能。移動もできる」
そこまで条件がそろっているなら、いつもの救難とは違う。
相馬さんも同じことを考えたらしい。
「それで、うちに何を頼みたい?」
受話器の向こうから声が続いた。
相馬さんは途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
「分かった。少し待て」
受話器を押さえ、俺を見る。
「久世」
「はい」
「出られるか」
質問の意味は分かる。
「出られます」
「神代さん」
「私も大丈夫です」
相馬さんは頷き、再び電話へ戻った。
「久世と神代さんを出す。ただし、そっちの指揮系統に入れる。久世に全部任せるな」
向こうが何か答える。
「あと、人数をまとめろ。散らばったままじゃ使いようがない」
俺はその言葉で気づいた。
三十七人全員が地下にいるとしても、同じ場所にいるわけではない。
《帰り道》は、遠くにいる人を探して連れてくる能力ではない。
今、一緒に帰る人たちの道を見るだけだ。
相馬さんが電話を切る。
小日向がすぐに聞いた。
「どういう依頼です?」
「退避支援だ」
「救難じゃないんですか?」
相馬さんはメモを小日向へ渡した。
「今のところ、遭難者はいない」
俺も聞き返す。
「いない?」
「全員位置確認済み。怪我人も確認されてない。地上との通信も取れてる」
だったら、なおさら俺が呼ばれた理由が分からない。
相馬さんは高峰ダンジョンの簡易図を端末に出した。
「崩落の影響で、第八層から下にいた魔物が上へ動いてる。現地はすでに新規入場を止めた。中にいる探索者にも退避命令を出してる」
画面には階層ごとの人数が表示されていた。
第三層に六人。
第四層に八人。
第五層に九人。
第六層に七人。
第七層に七人。
合計三十七人。
「全員歩けるなら、それぞれ帰ってもらえばいいんじゃないですか?」
俺が聞くと、相馬さんが第六層と第五層の間を指した。
「通常の主経路が一部封鎖された」
「崩落で?」
「直接じゃない。魔物がまとまって上がってきたから、安全確認が取れるまで閉じた」
神代さんが画面を見る。
「別の退避経路は?」
「ある。ただ、普段ほとんど使わない経路も混じる。現地救難班だけでも退避はできるかもしれんが、人数が多い」
相馬さんは俺を見る。
「だから、お前の道も使えるなら使いたいそうだ」
「三十七人を?」
「最初から三十七人まとめて見るわけじゃない。現地が順番に集合させる」
小日向が別の端末を開く。
「集合場所は?」
「第六層の広場を第一集結地点にする。下にいる十四人をまずそこへ集める。第五層の九人は第五層の管理区画。第四層と第三層は、そのまま上へ退避を始める」
全員を一度に動かすわけではない。
危険が近い下側から順番に上げていく。
俺は画面を見る。
「じゃあ俺たちは第六層?」
「そこからだ」
神代さんが聞く。
「魔物の数は分かっていますか?」
相馬さんが首を横に振る。
「正確には分からん。群れになってる可能性もある。現地の上位探索者にも撤退支援へ回ってもらう」
「討伐ではなく?」
「退避だ。邪魔なら倒す。それ以上はやらない」
神代さんが頷いた。
その判断に迷いはなかった。
俺も立ち上がる。
「準備します」
「久世」
相馬さんに呼び止められた。
「はい?」
「昨日までのことは忘れなくていい。ただ、引きずるな」
一瞬、意味が分からなかった。
相馬さんが続ける。
「《帰り道》が出るかどうかは、現場で見ればいい。出なかった時の理由探しをしに行くんじゃない」
「……はい」
その通りだった。
第二森下ダンジョンで初めて光が出なかったからといって、次の現場でも同じことが起きるとは限らない。
今日は今日の救難だ。
小日向が必要な資料をまとめ始める。
「高峰ダンジョン、最新地図入れます。閉鎖箇所も現地から送ってもらいますね」
「ありがとう」
「通信帯も合わせます。人数変わったらすぐ共有します」
神代さんはすでに装備を確認していた。
俺も救難用のバッグを取り、必要なものを詰める。
ロープ、ライト、予備電池、簡易救急用品。
第二森下ダンジョンで石を運んだ時に使った手袋も入っている。
それを見て、小日向が言った。
「今回は石運びじゃないといいですね」
「荷物係にされないように頑張るよ」
「相馬さん、昨日言ってましたもんね」
「覚えてなくていいところ覚えてるな」
相馬さんが奥から言う。
「しゃべってないで行け」
「はい」
車へ向かう途中、神代さんが隣を歩く。
「久世さん」
「何です?」
「三十七人って、今までで一番多いですよね」
「多いですね」
数人なら、全員の顔を見ながら動けた。
十人を超えても、同じ集団として一緒に帰ればよかった。
でも三十七人となると、そもそも全員の声が届くのかも分からない。
「俺にしか見えないんですよね」
「何がです?」
「《帰り道》」
神代さんがこちらを見る。
「今さらですね」
「いや、今まではそれで困らなかったので」
俺が先頭を歩いて、「こっちです」と言えば済んだ。
でも三十七人が一列になったら、最後尾から俺なんて見えないだろう。
神代さんも少し考えてから言う。
「なら、見える人を増やすんじゃなくて、伝える人を増やせばいいんじゃないですか」
「伝える人?」
「久世さんの近くにいる人が次へ伝えて、その人がまた次へ伝える」
「伝言ゲームみたいですね」
「大事なところは無線を使います」
「ですよね」
少しだけ気が楽になった。
全部俺が見なければならないわけじゃない。
俺にしか光が見えないなら、見えない人たちにも使える形にすればいい。
救難所で何度もやってきたことと同じだった。
高峰ダンジョンへ着いたのは、それから四十分ほど後だった。
入口前は、普段とはまるで違っていた。
新規入場口は閉鎖され、警備員が一般の探索者を離れた場所へ誘導している。救急車両と救難車両が並び、装備を持った人たちが出入りしていた。
俺たちが車を降りると、現地の救難員が走ってくる。
「久世さんと神代さんですね?」
「はい」
「お待ちしてました。状況が少し変わってます」
嫌な言葉だった。
神代さんがすぐに聞く。
「負傷者が?」
「いえ。まだ負傷者はいません」
まだ。
その一言に、今の状況が詰まっている。
現地救難員は端末を見せた。
「第七層の七名は第六層まで上げました。第六層にいた七名と合流して、今は十四名です」
「残りは?」
「第五層に九名。第四層と第三層の十四名は地上へ向けて退避を開始しています」
俺が聞く。
「魔物は?」
「第七層で複数確認。こちらへ向かっています。今のところ第六層までは来てません」
神代さんが装備を確認する。
「あとどれくらいですか?」
「分かりません。止まる可能性もありますし、そのまま上がってくる可能性もあります」
現地救難員が俺を見る。
「第六層の十四人から先に動かしたいです。通常の退避経路は現在使えません。別ルートを使います」
「俺の《帰り道》も確認します」
「お願いします」
そのまま入口へ向かおうとした時、建物の中から別の職員が出てきた。
「班長!」
現地救難員が振り返る。
「どうした?」
「第五層の九名、移動開始しました。それと第四層から連絡です。上へ向かっていた六名が、第五層側へ戻ったそうです」
「何で戻った?」
「退避経路上で魔物を確認したと」
人数が動き始めている。
十四人。
九人。
戻ってきた六人。
同じダンジョンの中で、それぞれが地上を目指している。
まだ誰も遭難していない。
でも、このままならそうなるかもしれない。
現地救難員が通信機を握った。
「全班へ。退避計画を変更する。第五層以上の班は現在位置を維持。勝手に上下階へ移動しないでください」
次々に返事が入る。
俺は高峰ダンジョンの入口を見た。
いつもの救難なら、この先にいる誰かを迎えに行く。
今日は違う。
中にいる三十七人は、まだ自分の足で動ける。
だからこそ、動けるうちに帰さなければならない。
現地救難員が俺たちを見る。
「行きましょう」
「はい」
俺と神代さんは並んで入口をくぐった。
今回、迎えに行く遭難者はいない。
救うのは、これから遭難するかもしれない三十七人全員だった。




