第90話 見えなかった理由
翌朝、救難所へ行くと、小日向が机いっぱいに紙を広げていた。
「おはようございます、久世さん」
「おはよう。何してるの?」
「昨日の件、整理してます」
聞くまでもなかったらしい。
机の上には、第二森下ダンジョンの地図、現地救難班から届いた報告書、俺たちの位置記録、それから旧側道の写真が並んでいる。
神代さんもすでに来ていた。
「おはようございます」
「おはようございます。早いですね」
「久世さんよりは」
「比較対象そこですか?」
俺が椅子を引くと、小日向が一枚の紙をこちらへ向けた。
「これ、昨日の流れです。間違ってないか見てもらえます?」
時刻ごとにかなり細かく整理されている。
第五層で最初の小さな揺れがあり、その後の強い揺れで東側通常経路が崩落。藤崎さんが右脚を負傷し、その後《帰り道》を確認したが、光は現れなかった。
そのあと、西側の亀裂や南側旧縦穴を確認し、旧側道を発見。入口を広げて担架が通れる幅を確保し、急な下りをロープで通過できる状態にしたところで《帰り道》を確認し、七人全員が地上へ帰還。
「すごいですね」
「何がです?」
「俺、昨日こんなに色々やってたんだなって」
小日向が少し笑う。
「だいぶやってますよ」
「ほとんど人に言われたことやってただけだけど」
「それも現場では必要です」
そう言いながら、小日向は別の紙を取った。
「で、問題がここなんです」
そこには大きく、《帰り道》確認不能、と書かれていた。
「不能って書くと、壊れたみたいですね」
俺が言う。
「僕もそう思って、まだ仮です」
小日向はペンを持ったまま考える。
「『発現せず』?」
「それも何か大げさじゃない?」
「『見えず』?」
「俺の日記っぽい」
「久世さん、注文多いですね」
「すみません」
神代さんが横から紙を見る。
「事実だけなら、『確認できず』でいいんじゃないですか?」
小日向がすぐに書き直した。
「それですね」
《帰り道》を確認できず。
それなら、起きたこと以上の意味は入らない。
小日向はさらに書き進める。
「その後は、『旧側道の通行可能化後、《帰り道》を確認』で」
「通行可能化って硬くない?」
俺が言う。
「記録なので」
「じゃあいいか」
「久世さんが読みやすさ気にするの珍しいですね」
「最近、報告書増えてるから」
「成長しましたね」
たぶん褒められていない。
そこへ相馬さんが入ってきた。
「朝からうるさいな」
「おはようございます」
小日向が言う。
「昨日の件、まとめてます」
「見れば分かる」
相馬さんは机の上を一度見てから、俺を見る。
「身体は?」
「筋肉痛です」
「怪我は」
「ないです」
「ならいい」
いつもの確認だった。
神代さんが聞く。
「藤崎さんは?」
「骨折はしてない。強い捻挫と靱帯損傷の疑いで、数日は入院して経過を見るそうだ」
「よかった」
俺も少し安心した。
昨日は最後まで受け答えもしっかりしていたが、地上へ戻るまでは詳しい検査ができなかった。
相馬さんは小日向の紙を取る。
「で?」
「《帰り道》が出なかった理由についてなんですけど」
小日向が待ってましたとばかりに話し始める。
「事故直後は七人全員で帰れる経路がなくて、旧側道を通れる状態にしたあと《帰り道》が出た。なので――」
「そこまで」
相馬さんが止めた。
小日向の口が閉じる。
「まだ結論にするな」
「でも、かなり分かりやすくないですか?」
「一回だ」
相馬さんは紙を机へ戻す。
「たまたま久世の調子が悪かった可能性もある。揺れの影響かもしれん。藤崎の負傷が関係した可能性も、俺たちが知らない別の条件があった可能性もある」
俺が聞く。
「俺の予想、書かない方がいいですか?」
「予想としてなら書いていい。事実と混ぜるな」
「なるほど」
小日向が新しい欄を作る。
「観察事実と仮説、分けます」
「そうしろ」
小日向が読み上げる。
「観察事実。事故直後、《帰り道》を確認できず。東側通常経路は崩落、西側は亀裂拡大、南側旧縦穴は負傷者の搬送困難」
「うん」
俺も内容を確認する。
「旧側道を確認し、担架搬送可能な状態を確保。負傷者を急斜面下まで搬送した後、《帰り道》を確認。表示された経路は、確保した旧側道から西側本ルートへ接続」
神代さんが言った。
「『搬送した後』だけだと、そこが原因みたいに見えませんか?」
小日向が止まる。
「確かに」
相馬さんが頷いた。
「時系列だけにしろ」
少し考えて、小日向が書き直す。
「『旧側道の入口拡幅、担架通過幅の確保、急斜面のロープ搬送を実施。その後、《帰り道》を確認』」
「それでいい」
原因は書かない。
起きた順番だけを残す。
俺はその紙を見ながら、昨日の足元を思い出していた。
何度確認しても光がなかったのに、七人で帰れる状態を作ったあとには現れた。
自分の中では、かなり答えに近い気がしている。
それでも、相馬さんの言う通り、一度しか起きていない。
「相馬さん」
「何だ」
「じゃあ、《帰り道》が出なかった理由は、今のところ分からないまま?」
「そうだ」
即答だった。
「でも、次に同じことがあったら?」
相馬さんは俺を見る。
「道が出るまで待つな」
「え?」
「昨日もそうしただろ」
確かにそうだった。
光がないから何もできない、と座っていたわけではない。地図を見て、使える道を探し、人が通れる状態を作った。
相馬さんが続ける。
「《帰り道》が出れば使う。出ないなら、出ない前提で帰る方法を探す。それだけだ」
「帰れる状態にする、ですね」
「それが救難だろ」
その言葉で、昨日のことが少し整理できた。
俺のスキルが何を見ているのかは、まだ分からない。
でも、救難側がやることは変わらない。怪我人がいるなら運べる方法を考え、道が塞がっているなら別の道を探す。危ない方法しかないなら、もっと安全な形に変える。
《帰り道》が教えてくれるのは、あくまで帰る方向だ。
帰れる状態そのものを作るのは、人間だった。
小日向が俺を見る。
「久世さん、その言い方記録に入れます?」
「どれ?」
「『帰れる状態にする』」
「相馬さんに聞いて」
「いらん」
即答された。
「ですよね」
小日向が笑いながらペンを置く。
神代さんが昨日の地図を見ていた。
「でも、少し安心しました」
俺が聞く。
「何がです?」
「《帰り道》が見えない時でも、久世さんが何もできなくなるわけじゃなかったことです」
「昨日の俺、ほとんど石運んでましたけど」
「大事な仕事です」
「三歩で人に手伝ってもらいましたけど」
「それも含めて」
何を含めているんだろう。
小日向が笑う。
「久世さん、ちゃんと役に立ってたじゃないですか」
「ロープも持ったしね」
「そこ強調します?」
「昨日はそれくらいしか自信持って言えない」
相馬さんが書類を一枚持ち上げた。
「なら次から荷物係でいいな」
「《帰り道》使わせてください」
「出ればな」
今までは、それが当たり前だった。
必要な時に意識すれば光が見える。昨日は初めて、それがない状況を経験した。
怖くなかったと言えば嘘になるし、自分にできることが突然なくなったようにも感じた。
でも、実際には違った。
見えなければ見えないまま動けばいいし、自分にできないことは、できる人に任せればいい。
藤崎さんが地形を知っていた。大橋さんたちが判断し、救難員が搬送方法を考え、神代さんが必要な場所だけ力を使った。
俺も、その中にいただけだ。
それで七人とも帰れた。
小日向が完成した記録を机の中央へ置いた。
一番下には、今回の《帰り道》について短く記されている。
『事故直後、《帰り道》を確認できず。』
『通行可能な退避経路を確保後、《帰り道》を確認。』
それ以上は書かれていない。
今は、それで十分だった。
《帰り道》が見えないことを、もう怖くないとは言えない。次に同じことが起きても、たぶん最初は焦ると思う。
それでも、見えなければ何もできないわけじゃない。
《帰り道》が見えないなら、まず帰れる状態を作る。
昨日、俺たちはそれを覚えた。




