第87話 通せる幅
旧側道の入口は、空の担架なら通せるところまで広がった。
問題は、その二メートルほど先にある大きな岩だった。
人なら横を抜けられるが、藤崎さんを乗せた担架は通せない。
大橋さんが入口の奥を見る。
「藤崎さん、ここから見えます?」
「少しだけ。もう少し身体を起こしてもらえますか」
救難員が担架の角度を調整する。
藤崎さんは痛めた右脚を動かさないようにしながら上体を起こし、ライトを奥へ向けた。
「神代さん、もう一度中に入ってもらっていいですか?」
「はい」
神代さんが旧側道へ入る。
入口を広げたおかげで、さっきよりは身体を動かしやすそうだった。
大きな岩の手前まで進むと、藤崎さんが声をかける。
「その岩の左側を照らしてください」
「ここですか?」
「もう少し下です」
神代さんのライトが動く。
藤崎さんは端末に残っている七年前の写真と見比べた。
「やっぱり、この岩自体は昔からあります」
大橋さんが聞く。
「動かせない?」
「動かさない方がいいです。右側が壁に噛んでますし、奥まで続いてる可能性があります」
俺も入口から覗く。
人が一人通れる隙間の横に、大きな岩が居座っている。
普通に考えれば、邪魔なら壊したくなる。でも、入口でも同じだった。
邪魔に見える岩が、上を支えていることもある。
神代さんが聞く。
「左側は削れますか?」
藤崎さんが写真を拡大した。
「左の壁は比較的新しい崩れです。昔はもう少し幅がありました」
「どのくらい?」
大橋さんが聞く。
「少なくとも、人が荷物を持って通れるくらいは。ただ、担架までは考えてませんでした」
救難員が入口から幅を確認する。
「あと三十センチくらい取れれば、担架を傾けて通せる可能性があります」
「三十センチ」
俺が言う。
「数字だけ聞くと簡単そうですね」
「岩でなければね」
大橋さんが返した。
その通りだ。
藤崎さんが神代さんへ指示する。
「左の下側、色が少し違うところ分かります?」
「灰色が薄い部分ですか?」
「そこです。今回か、比較的新しい時期に崩れた岩だと思います。その上の濃い部分は触らないでください」
「分かりました」
神代さんが剣を見る。
「斬っていいですか?」
大橋さんがすぐに藤崎さんを見る。
藤崎さんは少し考えた。
「一気に割るのはやめてください。振動を入れすぎたくないです」
「なら、少しずつ削ります」
神代さんが答える。
俺はその会話を聞きながら、改めて神代さんを見る。
S級探索者の剣を、道を広げるために使う。
本人は何とも思っていないようだった。
「神代さん」
「何ですか?」
「最近、剣の使い方変わりましたよね」
「そうですか?」
「魔物以外に使うこと増えたなって」
神代さんは少し考えた。
「救難ですから」
それだけ言って、作業へ戻る。
大橋さんが俺を見る。
「久世さん、雑談は外で」
「すみません」
神代さんの口元だけが少し緩んでいた。
作業を始める前に、藤崎さんが触っていい範囲をもう一度確認した。
左下の崩れた岩だけ。上側には手を出さず、大きな岩そのものにも触れない。
大橋さんが全員へ伝える。
「神代さんが削る間、他は入口から離れる。何か落ちたら作業中止です」
俺たちは少し後ろへ下がった。
神代さんが剣先を岩へ当てる。
いつもの戦闘とは違い、振り抜かない。表面を薄く切り取るように刃を入れ、小さな塊だけを落としていく。
一つ削るたびに手を止め、救難員が壁と天井を確認する。藤崎さんも入口から状態を見て、問題がなければ次に削る場所を指示した。
「そこは大丈夫です。次、もう少し左」
「はい」
神代さんがまた少しだけ岩を削る。
落ちた破片は、安全を確認してから俺と管理会社の職員で外へ運んだ。
「久世さん、それ持てます?」
神代さんが聞く。
足元には、さっき削った少し大きめの岩がある。
「それくらいなら」
持ち上げる。
思ったより重い。
「……たぶん」
「無理なら二人で」
「まだ大丈夫です」
数歩進んだところで、すぐに後悔した。
管理会社の職員が反対側を持ってくれる。
「二人で行きましょう」
「お願いします」
後ろから神代さんの声がした。
「無理しないでって言いましたよね」
「まだ怪我してないのでセーフです」
「怪我する前にやめてください」
正論だった。
作業はゆっくり進んだ。
二十分ほどかけて左側を広げると、最初より明らかに隙間が大きくなっていた。
救難員が幅を測る。
「あと少しですね」
大橋さんが聞く。
「どれくらい?」
「十センチあるかないか」
藤崎さんが岩を見る。
「そこから先は気をつけてください。上の岩に近くなります」
神代さんが剣を収めた。
「もう斬らない方がいいですか?」
「大きくは」
藤崎さんが答える。
「下側に浮いてる石が二つあります。それなら手で外せるかもしれません」
救難員が中へ入り、神代さんと一緒に状態を見る。
しばらくして声が返ってきた。
「一つは動きます。もう一つは噛んでます」
「動く方だけ」
大橋さんが言う。
「了解」
一つだけ慎重に外す。
その瞬間、上から細かな砂が落ちた。
「止めて」
神代さんがすぐに言った。
全員が動きを止める。
俺も入口を見る。
砂は数秒で止まり、大きな石が動いた様子はない。
救難員が天井を確認する。
「今外した石の裏に溜まってた分だと思います」
藤崎さんもライトを向ける。
「上の大岩は動いてないです」
大橋さんはすぐには再開させなかった。
「五分待つ」
誰も反対しない。
壁と天井の状態を見ながら待ったが、異音もなく、追加の砂も落ちなかった。
五分後、救難員が幅を測り直す。
「これなら空担架を試せます」
俺たちは一度外へ出た。
空の担架を持ってきて入口から旧側道へ入れ、最初の狭い場所を少し傾けて抜ける。そのまま大きな岩の横へ進めた。
救難員二人が前後を持つ。
「右、少し下げて」
「了解」
「左、壁当たります」
担架の角度を変えながら、数センチずつ進めていく。
やがて大きな岩の横を抜けた。
「通った」
俺が思わず言う。
救難員はその先へ数メートル進み、さらに幅を確認する。神代さんも後ろからついていった。
しばらくして、通信機から声が返ってくる。
『この先は広がってます』
大橋さんが聞く。
「担架は?」
『今のところ問題ありません。ただ、もう少し先に下りがあります』
藤崎さんが顔を上げた。
「下り?」
『短いですけど、結構急です』
藤崎さんが端末を操作する。
「ああ……そこ残ってたか」
「知ってる場所です?」
俺が聞く。
「側道の途中に高低差があります。昔は階段みたいに岩を削ってたんですが、今も残ってるかは分かりません」
大橋さんが通信へ聞く。
「どのくらい?」
『高さで二メートル弱。距離は五メートルくらいです。歩くなら問題ないですけど、担架を手で持ったまま下ろすのは危ないです』
大橋さんが藤崎さんを見る。
「まだ一個あったな」
「すみません」
「藤崎さんが謝ることじゃないです」
大橋さんはすぐに地図を見る。
「ロープを使えば下ろせる?」
戻ってきた救難員が答える。
「固定点が取れれば。亀裂で使おうとしたロープもあります」
神代さんが言う。
「さっきのが使えますね」
「ロープ自体は問題ないです」
救難員が頷いた。
「固定する場所と、下側で受ける人員を作れれば、担架を制御しながら下ろせます」
無駄になったと思っていたものが、別の場所で使えるかもしれない。
大橋さんが次の役割を考え始める。
俺はその横で《帰り道》を意識した。
入口は通せるようになった。
大きな岩の横も担架が抜けたし、その先にも道は続いている。
それでも、光は現れなかった。
「まだですか?」
大橋さんが聞く。
「はい。たぶん、あの下りがまだ通れないから」
言ってから付け加える。
「……俺の予想が合ってれば、ですけど」
大橋さんが頷いた。
「なら、次はそこを通れる状態にする」
もう、《帰り道》が出ないこと自体を問題にする人はいなかった。
俺たちがやることも変わらない。
藤崎さんを乗せた担架で、七人全員が進める状態にする。そのために、一つずつ通れない場所を減らしていく。
俺は旧側道の奥を見る。
光はまだない。
それでも、さっきより地上へ近づいていることだけは、《帰り道》に教えてもらわなくても分かった。




