第84話 ない道を探す
「今は、七人で帰れる道そのものがないんじゃないですか」
俺がそう言っても、すぐに答えは返ってこなかった。
大橋さんは地図を見たまま少し考えている。神代さんも否定はしなかった。
藤崎さんが自分の右脚を見る。
「つまり、私が歩けないから?」
「それだけかは分かりません」
俺は答えた。
「東側は崩れてるし、西側は亀裂が広がってる。南側も藤崎さんを運ぶのは難しい。今までと違うのは、その辺かなって」
「《帰り道》が、それを見てるってことですか?」
管理会社の職員が聞く。
「分かりません。今のは俺の予想です。今まで見えなかったことがないので」
そこははっきり言っておく。
大橋さんが地図から顔を上げた。
「なら、今は仮説として置いときましょう」
「はい」
「スキルの理由を考えるより、七人で帰れる方法を作るほうが先です」
それで話は決まった。
《帰り道》が出ないなら、出るまで待っているわけにはいかない。
俺たちは普通に帰る方法を探す。
大橋さんが地図の三方向を指した。
「東は崩落。西は亀裂。南は縦穴。現状で一番可能性があるのは西です」
神代さんが聞く。
「亀裂を越える方法を考えますか?」
「まずはそこ。ただ、その前に南側も現物だけ確認したい」
藤崎さんが顔を上げる。
「縦穴ですか?」
「はい。地図だけで候補から外すのは早い」
大橋さんは現地救難員の一人を見る。
「南側、ここからどれくらい?」
「十分弱です」
「なら短時間で確認する」
また一時的に班を分けることになった。
待機するのは藤崎さん、管理会社の職員、救難員一人。
確認に行くのは大橋さん、神代さん、俺、もう一人の救難員。
四人と三人だ。
大橋さんが念のため全員へ伝える。
「通信はつないだまま。十分で現物確認、長引きそうなら戻る。勝手に先へ進まない」
「了解」
俺も返事をした。
歩き始める前に、もう一度足元を見る。
光はない。
神代さんが気づいた。
「まだ見ます?」
「一応」
「出ました?」
「出ません」
「なら、今は前を見てください」
「はい」
さっき転びかけたばかりなので反論できない。
南側へ向かう通路は、西側よりさらに自然の地形が残っていた。
床は傾き、ところどころ岩が突き出している。人一人なら問題なく歩けるが、藤崎さんを担架に乗せた状態で通るとなると話は別だった。
現地救難員が周囲を見ながら言う。
「ここだけでも担架はかなり持ちにくいですね」
「縦穴まで行く前にこれか」
大橋さんが答える。
神代さんは先頭で足場を確認していた。
「崩れたばかりの場所はなさそうです」
「分かりました。無理に奥まで行かなくていいです」
進んで数分すると、通路の先から冷たい風が上がってきた。
そのまま角を曲がると、岩壁に囲まれた縦穴が見える。
想像していたより広い。
直径は四、五メートルほど。
上へライトを向けると、岩壁に古い金具と固定ロープが残っている。
大橋さんが見上げた。
「これを登るのか」
現地救難員が頷く。
「昔は第四層から第五層へ降りる補助ルートだったみたいです」
「今もロープは使える?」
「見ただけじゃ分かりません。点検対象から外れてるはずです」
神代さんが壁際へ近づく。
「私はロープなしでも途中までは行けると思います」
大橋さんが即座に止めた。
「試さなくていいです」
「はい」
俺も上を見る。
高さはかなりある。
藤崎さんが歩けたとしても、簡単に使える道ではなさそうだ。
「担架は無理ですね」
俺が言う。
救難員が縦穴の角度を確認する。
「専用の引き上げ装備と、上側に人員がいれば不可能ではないです。ただ、今ここにある装備だけでやるのは危険です」
「地上班を上側まで回せる?」
大橋さんが通信を入れた。
雑音が混ざる。
『……聞こえてます』
地上側から返事が来た。
「南側旧縦穴を確認。第五層側からの担架搬送は現有装備では困難。第四層側から接近できるか確認できますか」
少し間があった。
『第四層側への通常経路も、揺れの影響確認中です。すぐには人を入れられません』
「了解」
大橋さんが通信を切る。
「南は今使えない」
これで候補は、ほぼ西側に絞られた。
俺たちは待機地点へ戻る。
大橋さんが藤崎さんたちへ説明した。
「南側は、現有装備での担架搬送は難しいです。西側の亀裂を越える方法を考えます」
藤崎さんが頷く。
「分かりました」
「亀裂の向こう側について、もう一度確認したいことがあります」
大橋さんが地図を広げる。
「固定金具が残ってました。あれ、救難用ですか?」
「いえ。昔、簡易橋を固定するために使っていたものです」
「強度は?」
「今は分かりません」
藤崎さんは少し考えてから続けた。
「ただ、対岸の岩盤自体は硬い場所です。亀裂が広がったのは、その岩盤が割れたというより、間の地面が落ちた可能性が高いと思います」
現地救難員が聞く。
「ロープを張るアンカーに使える可能性は?」
「古い金具をそのまま信用するのは危ないです。ただ、岩盤に新しくアンカーを取るなら……」
神代さんが言う。
「私が先に渡れば、向こう側から作業できます」
大橋さんが神代さんを見る。
「そこまでは俺も考えてました」
神代さん一人なら、三メートル程度の亀裂を越えること自体は難しくない。
問題は、その先だ。
俺が聞く。
「ロープを張れば、藤崎さんも渡せるんですか?」
救難員は少し考える。
「人だけなら問題ないと思います」
「担架は?」
「横に吊って渡す方法はあります。ただ、この幅と現場の固定点次第です」
「できるかもしれない?」
「できる可能性はあります。でも、今の段階でやれるとは言えません」
大橋さんが頷く。
「それでいい。まず試験できる状態まで作る」
藤崎さんが聞いた。
「私も何かできますか?」
「地図と地形の情報をお願いします」
「それだけでいいんですか?」
「今は歩かないことも仕事です」
藤崎さんは少し困った顔をしたが、すぐに地図へ目を落とした。
「分かりました」
俺はそのやり取りを見ながら、自分のことを考える。
《帰り道》が見えない。
それだけで、さっきから自分の役目がなくなったような気がしていた。
でも、大橋さんたちは普通に動いている。
地図を見る人がいて、現場を確認する人がいる。負傷者を見る人も、ロープを扱う人もいるし、神代さんは対岸へ渡れる。
俺だけ何もできないわけじゃない。
「俺は?」
大橋さんがこちらを見る。
「何がです?」
「手伝えることあります?」
「ありますよ」
即答だった。
「ロープ運んでください」
「それ?」
「嫌ですか?」
「いや、やります」
大橋さんが少し笑う。
「《帰り道》がなくても、荷物は持てるでしょう」
「持てます」
当たり前だ。
でも、言われるまで自分で忘れていた。
救難員が必要な装備を確認する。
ロープ、予備ロープ、簡易ハーネス、カラビナ、携帯用アンカー。それから藤崎さんを運ぶ担架。
全部を一度に運ぶ必要はない。
まずは亀裂まで行き、対岸側に安全な固定点を作れるか確認する。
大橋さんが役割を決める。
「神代さんが先に対岸へ渡る。こちら側は俺と救難員で安全確保。久世さんは装備を渡すのを手伝ってください」
「はい」
「管理会社の方と藤崎さん、もう一人はここで待機。移動はまだしません」
全員が頷く。
俺たちは再び西側へ向かった。
二度目なので、さっきより足元に注意する。
光は見えない。
それでも、今歩いている道そのものは見えている。
岩場を抜け、狭い通路を進み、亀裂の前まで戻った。
神代さんが対岸を確認する。
「向こう側、さっきから変化はありません」
大橋さんが救難員を見る。
「行ける?」
「神代さん本人なら」
「神代さん。無理だと思ったら戻ってください」
「分かりました」
神代さんは装備を軽く確認してから、亀裂の端へ立った。
助走はほとんどつけず、一歩、二歩と踏み込んで、そのまま対岸へ跳ぶ。
着地と同時に姿勢を低くし、足元を確認した。
「問題ありません」
俺は思わず息を吐く。
見慣れているつもりでも、三メートルの穴を普通に越えられると少しおかしい。
「久世さん」
神代さんが向こうから呼ぶ。
「はい」
「今、何か思いました?」
「何も」
「そうですか」
なぜ分かるんだろう。
神代さんは周囲の岩盤を確認する。
こちらの救難員が指示を出した。
「古い金具は触らず、その右側の岩を見てください。亀裂や浮きがないか」
「ここですか?」
「はい」
神代さんがライトを当て、表面を手で確認する。その後、携帯用の確認具で軽く叩いた。
「大きな浮きはなさそうです」
「もう少し右もお願いします」
数か所確認し、救難員が判断する。
「新しく取るなら使えそうです」
大橋さんが頷いた。
「アンカーを向こうへ送る」
俺たちは細い補助ロープに装備袋を固定し、神代さんへ渡す。
作業そのものは救難員が指示し、俺は言われた物を出しながら、ロープが絡まないように支えた。
派手なことは何もない。
それでも、やることはある。
向こう側で神代さんがアンカーを固定し、こちら側でも別の岩盤へ固定点を作る。
一本目のロープが亀裂の上に張られた。
救難員が慎重に荷重をかける。
「まだ人は乗せません」
大橋さんが言う。
「まずテスト」
装備袋を吊り、少しずつ重量を増やす。
ロープが張る。
アンカーに大きな変化はない。
「ここまでは大丈夫」
救難員が言う。
俺は亀裂の向こうを見る。
渡れる形に近づいている。
でも、まだ藤崎さんを乗せられるわけではない。
何となく足元を見ると、当然のように光はなかった。
大橋さんが気づく。
「まだ出ません?」
「はい」
「なら、まだ何か足りないんでしょうね」
あまりにも普通に言われて、俺は大橋さんを見る。
「信じるんですか?」
「何を?」
「俺の、七人で帰れる道がないから出ないって話」
大橋さんは少し考えた。
「半分くらいです」
「半分」
「残り半分は、久世さんのスキルが本当に調子悪い可能性」
「ですよね」
「だから、どっちでも困らないように動いてます」
それが一番正しかった。
《帰り道》が出ない理由が俺の予想通りでも、違っていても、七人で帰れる方法を作る必要があることは変わらない。
救難員がロープを確認する。
「もう一段、荷重を上げます」
俺たちは少し離れた。
追加の重りを吊るし、ゆっくり負荷をかける。
数秒は問題なかった。
その時、対岸側の固定点の近くで小さく砂が落ちた。
「止めて!」
神代さんが声を上げる。
救難員がすぐに荷重を抜くと、ロープが緩んだ。
全員が固定点を見る。
アンカーそのものは抜けていない。
ただ、そのすぐ横の岩に細い亀裂が入っていた。
救難員が顔をしかめる。
「ここは使えない」
大橋さんが聞く。
「場所を変えれば?」
「可能性はあります。でも、この状態で藤崎さんを吊るすのは駄目です」
一度うまくいきそうに見えた方法が、そこで止まった。
俺は亀裂を見る。
また道がなくなったように思えた。
それでも、大橋さんは落ち着いている。
「分かった。戻って考え直す」
「すみません」
神代さんが言う。
「神代さんが謝ることじゃないです」
救難員が答える。
「人を乗せる前に分かった。それで十分です」
俺たちは張ったロープを回収し、神代さんもこちら側へ戻ってきた。
帰り道は、まだない。
少なくとも、今考えた方法では作れなかった。
それでも、さっきまでとは少し違う。
光が見えないから何もできないわけではない。
一つ試して、駄目ならやめる。次の方法を探す。
俺たちは七人で帰るために、ない道を探し始めていた。




