第81話 救難じゃない仕事
「今日は誰も助けなくていいからな」
救難所を出る前、相馬さんにそう言われた。
「それ、俺に言います?」
「お前に言ってる」
「分かってますけど」
隣で神代さんが少し笑う。
今回向かうのは、隣県にある第二森下ダンジョン。
救難依頼ではない。
現地の救難班から、通常時に使っている退避経路を一度確認してほしいという相談が入ったのが始まりだった。
正確には、
「久世さんの《帰り道》で、今使っている退避経路が合っているか見てもらえませんか」
という話だったらしい。
相馬さんは最初、その言い方が気に入らなかった。
「《帰り道》で正解を決めるな。昨日通れた道が、明日も安全とは限らん」
俺も横で聞いていた。
前回の閉鎖予定ダンジョンでの救難でも、それは嫌というほど分かった。
道があっても、扉は開かないことがある。設備は止まり、床が濡れていることもあれば、魔物が出ることもある。
《帰り道》が示したからといって、そのまま何も考えずに歩けるわけじゃない。
だから今回は、《帰り道》を使って新しい避難ルートを決めるのではなく、現地が普段どんな道を使い、何を基準に退避を判断しているのかを見る。その上で、必要なら意見を出す。
そういう仕事になった。
「珍しいですね」
車の中で神代さんが言う。
「何がです?」
「久世さんが救難以外でダンジョンに行くの」
「俺、一応探索者なんですけど」
「最近ずっと救難しかしてないじゃないですか」
言われてみればそうだった。
探索者登録自体はしているし、ランクも変わらずF級だ。ただ、ここしばらくは素材採取より救難所にいる時間のほうが長い。
「今日くらい普通に終わってほしいですね」
俺が言うと、神代さんも頷いた。
「そうですね。帰って報告書を書いて終わりで」
「久世さん、報告書書くんですか?」
「そこは小日向に」
「本人がいないところで仕事増やしてますよ」
「戻ったら相談します」
たぶん嫌な顔をされる。
第二森下ダンジョンへ着いたのは、午前十時前だった。
入口周辺は思っていたより広い。
探索者用の受付棟と管理棟が分かれ、その奥には救難用の車両スペースもある。現役ダンジョンだけあって、旧八千代第三ダンジョンとは雰囲気がまるで違った。
人も多い。
装備を確認している探索者や、素材を運び出している回収業者。これから中へ入るらしい初心者パーティもいる。
誰もいなかった閉鎖予定ダンジョンを見たあとだと、それだけで少し騒がしく感じた。
「久世さんですか?」
声をかけてきたのは、四十歳前後の男性だった。
短く切った髪に、軽装の救難装備。胸には現地救難班の識別章がついている。
「はい。久世です」
「大橋です。今日はありがとうございます」
「こちらこそ」
神代さんも挨拶する。
「神代です。よろしくお願いします」
「もちろん存じてます」
大橋さんは神代さんを見たあと、俺を見る。
「お二人セットで来るとは聞いてましたけど、本当に来ると緊張しますね」
「俺で緊張します?」
「そっちじゃなくて神代さんです」
「ですよね」
神代さんが横で小さく息を吐いた。
「久世さん」
「はい」
「まだ何もしてないですよ」
分かっている。
今回、中へ入るのは全部で七人だった。
俺と神代さん、現地救難班長の大橋さんと救難員二人。それからダンジョン管理担当の藤崎さんと、管理会社の職員が一人。
藤崎さんは五十代くらいの細身の男性だった。
探索者ではない。
ただ、このダンジョンの設備更新や地形記録には長く関わっているらしく、紙の地図と端末の両方を持っている。
「今日は第五層までです」
藤崎さんが地図を広げる。
「第二森下は自然洞窟型なので、人工通路みたいに一直線ではありません。特に第四層から下は、昔から使っている道と最近開けた道が混ざっています」
「崩れやすいんですか?」
俺が聞く。
「場所によります。急に全部崩れるようなところは通常ルートには使ってません。ただ、小規模な落石や地形変化はあります」
大橋さんが横から補足する。
「退避経路は二本設定してます。普段使う東側と、東が使えない時の西側。ただ、西側は距離が長い」
「それを見てほしい?」
「そうです」
大橋さんが頷く。
「どっちが正しいか決めてほしいわけじゃありません。今の運用で、救難側から見て気になるところがあるか。それと、もし久世さんの《帰り道》が全然違う方向を示したら、その理由を考える材料にはしたい」
相馬さんが聞いたら、たぶん合格と言う。
俺は念のため確認した。
「《帰り道》が出たとしても、その道を固定して避難経路にするのはなしですよ」
「そこは聞いてます」
大橋さんが苦笑する。
「相馬さんから電話でかなり念を押されました。『久世を便利な避難看板にするな』って」
「やっぱり」
言いそうだった。
装備確認を終え、七人でダンジョンへ入る。
第一層は整備されていた。
自然洞窟型とはいっても、入口に近いところは床が均され、照明もある。ただ、第二層へ降りたあたりから雰囲気が変わった。
岩壁がそのまま露出し、通路の幅も一定ではない。天井が高い場所もあれば、頭上を気にしながら歩く場所もある。
遠くから水の流れる音が聞こえた。
「設備が少ないですね」
俺が言う。
藤崎さんが答える。
「最低限です。照明も主要部だけ。昔から自然地形をあまりいじらない方針なので」
「旧八千代と真逆ですね」
神代さんが言う。
「向こうは設備だらけでしたからね」
「閉鎖前だったのもありますけど」
俺たちは東側の通常経路を使って進んだ。
大橋さんはところどころで止まり、救難時の集合位置や通信の届き方を説明する。
「第三層のここまでは、地上との通信はほぼ安定します。ただ、この先の曲がりを越えると一度弱くなる」
救難員の一人が端末を確認する。
「今日は中継器生きてます」
「いつも生きててほしいけどな」
「それはそうです」
会話を聞きながら歩く。
今日は誰かを探しているわけではないし、急ぐ理由もない。
こんなふうにダンジョンの中を歩くのは、久しぶりだった。
第四層へ入ったところで、通路が大きく開けた。
岩壁に囲まれた広い空洞だ。
中央には浅い水が流れ、その両側に人が歩ける岩場が続いている。上を見ても、天井はライトの届く範囲にはなかった。
「広いですね」
俺が言う。
「ここが東側経路の一番分かりやすいところです」
大橋さんが答える。
「この水路沿いに南へ行けば、第五層へ降りる道があります」
神代さんが周囲を見る。
「魔物は?」
「出ます。ただ、今日は巡回班が先に確認してます。ゼロとは言いませんけど」
「分かりました」
神代さんはいつも通りだった。
今日は救難ではない。それでもダンジョンの中にいる以上、警戒を解くつもりはないらしい。
俺たちは水路沿いを進む。
途中で藤崎さんが足を止め、壁の一部を指した。
「ここ、昔は通路だったんですよ」
見ると、岩で塞がれたような場所がある。
「崩れたんですか?」
「十年くらい前に。大きな事故ではなかったんですが、そのあと使わなくなりました」
「戻さなかったんですね」
「別の道が安定してましたから」
藤崎さんはそのまま歩き出す。
「ダンジョンって、同じ形のままじゃないんです。人工的に補強しても、少しずつ変わるところは変わります」
その言葉に、俺は旧八千代の記録を思い出した。
昨日通れたから、今日も通れるとは限らない。
場所が違っても、考え方は同じらしい。
第五層へ降りる手前で、一度休憩を入れた。
ここまで特に問題はない。
俺は水を飲みながら大橋さんへ聞く。
「今日、《帰り道》は使わなくていいんですか?」
「今はまだ」
大橋さんが答える。
「まず普段使ってる道をそのまま見てもらいたいです。第五層まで行って、戻る時に一度お願いしようかと」
「分かりました」
「使うとしたら、全員でですよね?」
「はい」
大橋さんが俺を見る。
「一人ずつ別の道が出るわけじゃない?」
「出ないです」
俺は少し考えてから答える。
「今、一緒に帰る人たち全員で一本です」
「なるほど」
「負傷者がいれば、その人も含めた道になります。だから、健常者だけ先に近道とか、そういう出し分けはできません」
大橋さんが頷いた。
「そっちのほうが救難では分かりやすいな」
「俺も最近そう思います」
前は、そこまで言葉にして考えていなかった。
でも救難を重ねるうちに、《帰り道》が一人ずつ帰すための能力ではないことは分かってきた。
一緒に帰る集団全体で一本。
今のところ、それが一番近い説明だと思う。
休憩を終え、第五層へ降りる。
ここから先は、さらに自然の地形が強くなった。
地面は完全に岩肌で、ところどころに浅い水たまりがある。壁際には目印用の反射板が一定間隔で取り付けられているものの、照明はほとんどない。
全員がライトを点ける。
藤崎さんが説明した。
「第五層は東側経路と西側経路の差が大きいです。東は距離が短いけど、一部狭い。西は広いけど遠回り」
大橋さんが俺を見る。
「帰りに《帰り道》がどっちを示すか、そこはちょっと気になってます」
「期待しすぎないでくださいね」
「分かってます」
「本当に?」
「相馬さんと同じ顔しないでください」
どんな顔だろう。
神代さんが少し前を歩きながら言う。
「久世さん、似てきたんじゃないですか?」
「嫌なんですけど」
『聞こえてるぞ』
通信機から相馬さんの声がした。
俺は思わず足を止める。
「つながってたんですか?」
『さっきからな』
「先に言ってくださいよ」
『言う必要がない』
いつも通りだった。
第五層の確認地点までは、さらに二十分ほどかかった。
途中で一度、小型の魔物を見かけたが、こちらへ近づいてくる前に離れていった。神代さんも追わない。
今日は戦いに来ているわけではない。
やがて藤崎さんが立ち止まった。
「ここまでです」
前方には二つの通路がある。
一方は岩の間を抜ける細い道。もう一方は少し下って、大きく回り込む広い道だ。
「右が東側。左が西側です」
大橋さんが言う。
「東側が通常退避。西側が予備」
俺は二つを見比べた。
普通に歩ける七人なら、東側で問題なさそうに見える。
「帰りにここで一度《帰り道》を見てもらいます」
「分かりました」
藤崎さんは周辺の岩壁を確認し、管理会社の職員も端末で記録を取っている。神代さんは少し離れた場所から周囲を警戒し、救難員二人は通信状況を確認していた。
誰も慌てていない。
ここまでは、普通の現場確認だった。
その時、足元がわずかに揺れた。
「ん?」
俺が下を見ると、水たまりの表面に小さな波紋が広がっていた。
大橋さんも気づく。
「揺れたな」
藤崎さんが壁を見る。
「小さいですね」
神代さんがこちらへ戻ってくる。
「地震ですか?」
「この辺りでは、たまにあります。この程度なら珍しくはないです」
藤崎さんが答えた。
大橋さんが念のため通信を入れる。
「第五層確認地点。微弱な揺れあり。現在異常なし」
『了解』
地上側から返事が来た。
俺も周囲を見る。
岩が落ちた様子はなく、通路にも目立った変化はない。
「戻ります?」
俺が聞く。
大橋さんは少し考えてから、藤崎さんを見る。
「どうします?」
「もう少し様子を見ましょう。余震が続くようなら戻ります」
「了解」
誰も大げさには反応しなかったし、俺も同じだった。
これまでダンジョンの中で、小さな揺れくらいなら何度か経験している。
その時はまだ、今日の仕事が救難に変わるとは思っていなかった。




