第80話 閉鎖のあとに残るもの
翌日、救難所へ行くと、小日向が昨日の救難記録を広げていた。
机の上には、いつもの探索用地図だけでなく、管理会社から送られてきた設備図も並んでいる。
「朝から大変そうだね」
俺が声をかける。
「久世さんも関係者ですよ」
「そうだった」
「忘れないでください」
忘れてはいない。
ただ、昨日は家に帰って風呂に入ったあと、そのまま寝た。今朝も腕が少し重い。
救難で剣を振ったわけでもないのに筋肉痛になるのは、何となく納得がいかない。
「神代さんは?」
「もう来てますよ」
小日向が奥を指す。
神代さんは相馬さんと昨日の報告を確認しているところだった。俺に気づいて軽く頭を下げる。
「おはようございます」
「おはようございます。早いですね」
「久世さんが遅いだけでは?」
時計を見る。
遅刻はしていない。
「普通です」
「そうですか」
たぶん納得していない。
俺も机の近くへ座った。
昨日の救難対象は、設備点検員六人と護衛探索者二人。
設備員のうち足をぶつけていた一人は、軽い捻挫と打撲だった。片桐さんは左脚の骨折が確認されたものの、緊急手術が必要な状態ではなく、その日のうちに病院へ搬送されたらしい。
石倉さんを含め、ほかの六人にも大きな怪我はなかった。
「片桐さん、大丈夫だったんですね」
俺が聞く。
「しばらく固定は必要みたいですけどね」
小日向が答える。
「岸本さんからも連絡が来ました。全員の状態確認が終わったそうです」
「よかった」
そこでようやく、昨日の救難が本当に終わった気がした。
小日向は記録へ目を戻す。
「ただ、今回ちょっと困ってるんですよ」
「何が?」
「通った場所です」
机の上の地図を見る。
俺たちが通った道は、かなり複雑だった。
最初に設備員六人を見つけた時も、一般通路から外れた旧管理区画へ入った。護衛二人を探す時には第五保守路を使い、旧搬送設備側から回り込んでいる。
そのあと二人を見つけ、《帰り道》が示した作業区画へ入り、非常扉を開け、資材搬送区画と旧資材搬出路を通って第二層、第一層へ抜けた。
普通の探索用地図だけでは、ほとんど追えない道だった。
「これ、残しても意味ある?」
俺が聞く。
小日向がこちらを見る。
「ありますよ」
「でも、閉鎖するんでしょ?」
「だからです」
俺には逆に聞こえた。
小日向は設備図の一枚を指した。
「閉鎖が終われば、今回使った設備の一部は撤去されます。通れなくなる道もあります」
「じゃあ、次は使えないじゃん」
「次に同じ道を使うために残すわけじゃありません」
小日向は昨日の記録を開いた。
そこには通った場所だけではなく、その時に何を確認し、どう対応したのかまで書かれている。
非常扉EX-408は通常電源が停止していて、固定部が作動中だったため、第五層側の制御室から手動解除した。
旧搬送路では、停止していた電動搬送台の駆動を切り離し、人力で使った。
旧資材搬出路では、排水設備の停止によって床が濡れていたため、ロープを使って担架を渡した。
「こういうところです」
「設備の記録?」
「それもありますけど、大事なのは、その時どう確認してどう判断したかです」
少し前にも似た話をした。
《帰り道》が示したルートだって、次の救難で同じになるとは限らない。
人が違えば、怪我の状態も違う。ダンジョンの中だって変わる。
だから、「この道なら安全」とは残さない。
「今回も同じか」
「そうです」
小日向が頷く。
「閉鎖作業が進めば、昨日の情報だってすぐ古くなります。でも、その時どんな状態で、何を確認して通ったのかは残せます」
その時、相馬さんがこちらへ来た。
「意味があるかどうかは、その時使う奴が判断する」
「おはようございます」
「もう昼前だ」
「まだ午前です」
「細かい」
相馬さんは設備図を見る。
「管理会社から追加資料が来た」
小日向が受け取る。
「何です?」
「閉鎖後も残す設備と、完全撤去する設備の一覧だ」
小日向がすぐに昨日の記録と照らし合わせる。
俺も横から見るが、設備番号ばかりでよく分からない。
「昨日の非常扉は?」
神代さんが聞く。
「EX-408は残ります。非常時の区画分離用として維持するそうです」
「搬送台は?」
俺が聞く。
「撤去です」
「持って帰ればよかった」
「まだ言ってるんですか」
小日向に呆れられた。
相馬さんは別の資料へ目を移す。
「旧資材搬出路は一部閉鎖。第二層から第一層側だけ非常経路として残すらしい」
「全部なくなるわけじゃないんですね」
「閉鎖するからって、中を全部埋めるわけじゃない」
相馬さんが答える。
「点検する人間も入る。人が入るなら、何かあった時には救難も必要になる」
俺は少し意外だった。
一般探索が終われば、誰も入らなくなるような感覚でいた。
でも、管理や点検までなくなるわけではない。
相馬さんが設備図を指す。
「問題は、使わなくなった場所ほど知ってる奴が減ることだ」
その言葉で、昨日のことを思い出す。
俺たちだけでは非常扉の開け方が分からなかった。搬送台を人力で動かせることも知らなかったし、探索用地図では壁になっていた場所に設備用の通路があることも知らなかった。
岸本さんたちがいなければ、もっと時間がかかっていたはずだ。
「昨日みたいに詳しい人がいなくなったら困るってことですか?」
俺が聞く。
「そういうことだ」
相馬さんが答える。
「閉鎖が進めば担当者も変わる。設備を撤去した人間が、何年もその場所を見続けるとは限らない。だから残せる情報は残す」
小日向はすでに入力を始めている。
「管理会社側の記録と、救難側の記録は分けておいたほうがよさそうですね」
「何が違うの?」
俺が聞く。
「管理会社は設備がどういう状態かを残します。こっちは、その状態の中でどう救難したかを残すんです」
「なるほど」
昨日の非常扉なら、管理会社側には固定機構の解除方法や制御室の位置が残る。
救難側には、歩けない負傷者を搬送している状況で、その扉を通るために何を確認し、誰と連携したかが残る。
似ているようで、確かに違う。
「また仕事増えました?」
俺が聞く。
小日向が手を止めた。
「誰のせいだと思ってます?」
「ダンジョン?」
「久世さんたちです」
「救難しただけなのに」
神代さんが少し笑った。
相馬さんは気にせず続ける。
「今回の記録は、閉鎖作業が終わった時点でもう一度更新しろ」
「分かりました」
「使えなくなった道は使えないと書く。残る設備は状態を確認する。昨日通れたから今日も通れる、みたいな記録にするな」
「はい」
その話を聞いていて、一つ気になった。
「俺の《帰り道》は、どう書くんです?」
小日向が答える。
「いつも通りです」
「いつも通り?」
「久世さんが示した方向と、その時の救難対象の状態。それから、実際に通るために必要だったことです」
「非常扉とか?」
「はい。搬送台も、濡れた床も」
小日向が記録を見せる。
《帰り道》が示したから安全だった、とは書かれていない。
示された方向を確認しながら現場の状態を調べ、必要なところでは設備担当へ照会し、片桐さんの状態に合わせて搬送方法を変えた。
昨日やったことが、そのまま残されている。
「こっちのほうが正しいですね」
俺が言う。
「でしょう?」
《帰り道》は便利だ。
俺自身、それには何度も助けられてきた。
でも、光が見えれば何もしなくても帰れるわけではない。道の途中に何があるかは自分たちで確かめ、知らないことがあれば知っている人に聞く。
昨日は、それがいつもより分かりやすかっただけなのかもしれない。
「そういえば」
神代さんが声を上げた。
「岸本さんたちは、今日もあのダンジョンに入るんですか?」
小日向が確認する。
「今日は中止みたいです」
「点検は?」
「日程を組み直すそうです。昨日の崩落箇所を先に調査してから再開するって」
「護衛も変わる?」
俺が聞く。
「片桐さんは無理でしょうね。石倉さんも今日は休みです」
相馬さんが言う。
「次は別の護衛をつける。その前に崩落原因の確認だ」
「じゃあ閉鎖、遅れるんですか?」
「少しはな」
相馬さんは何でもないことのように答えた。
「人が死ぬよりましだ」
それ以上の説明はいらなかった。
昼を過ぎた頃、管理会社から追加の連絡が入った。
小日向が電話を受ける。
「はい。……分かりました」
しばらく話したあと、こちらを見る。
「崩落箇所の確認が終わったそうです」
「原因は?」
相馬さんが聞く。
「閉鎖作業そのものではなく、老朽化していた支持材の一部が破損した可能性が高いそうです。詳しくはこれから調べると」
「二人が確認に行った場所?」
「はい。片桐さんが怪我をした二回目の崩れも、その周辺です」
相馬さんが頷く。
「記録に入れとけ。確定前だから原因とは書くな」
「分かってます」
小日向がすぐに入力する。
俺はそのやり取りを見ながら、昨日の設備室を思い出した。
崩落がもう少し大きかったら。
片桐さんの怪我がもっと重かったら。
岸本さんたちの設備図がなかったら。
考えれば、いくらでも違う結果はあり得た。
でも昨日は、全員が帰った。
それで十分だ。
神代さんが隣から俺を見る。
「どうしました?」
「いや。昨日、道はずっと見えてたなと思って」
「はい」
「それでも結構大変だったなって」
神代さんは少し考えてから言った。
「道が見えても、歩くのは私たちですから」
「そうですね」
分かりやすい答えだった。
「久世さんが方向を見て、設備の方が扉を開けて、救難員が片桐さんを運んだ。私は魔物を止めました」
「俺も担架持ちましたよ」
「知っています」
「そこ大事です」
「筋肉痛ですか?」
「何で分かるんです?」
「朝から腕を気にしているので」
見られていた。
俺は腕を下ろす。
「明日には治ります」
「そうですか」
「たぶん」
「たぶんなんですね」
昨日、岸本さんとも似たようなやり取りをした気がする。
夕方になる頃には、昨日の救難記録もだいたい形になった。
小日向が最後に保存する。
「とりあえず一次記録はこれで終わりです。閉鎖作業が進んだら、設備情報だけ更新します」
「お疲れさま」
俺が言う。
「久世さんも確認してくださいね」
「俺も?」
「当事者ですから」
「明日でもいい?」
「今日お願いします」
逃げられなかった。
俺は端末を受け取る。
記録には、昨日の動きが順番に残されていた。
最初の救難では第四層西側の旧管理区画で設備員六人を確保し、全員を地上へ帰した。そのあと片桐さんと石倉さんを探すためにもう一度入り、第五保守路から旧排気管理区画へ回り込んだ。
二人を見つけてからは、《帰り道》に沿って資材搬送区画、旧資材搬出路、第二層管理路を通り、第一層の旧搬出口から地上へ戻った。
昨日はあれだけ長く感じた動きも、文字にすると数行で終わってしまう。
も、その一つ一つの場所で誰かが判断し、必要なことをしていた。俺の《帰り道》だけではなく、地図や通信、設備の知識、搬送、戦闘、地上からの確認がつながったからこそ、八人も俺たちも地上へ戻ることができた。
俺は最後まで読み、端末を小日向へ返す。
「大丈夫です」
「本当に全部読みました?」
「読みましたよ」
「珍しい」
「教育係やった人なので」
「もう終わってますよ、それ」
自分から言ったのに否定された。
相馬さんが帰り支度をしながら言う。
「久世」
「はい」
「昨日のダンジョン、閉鎖したらお前も入る機会はほとんどなくなる」
「そうですね」
「だから覚えておけ」
俺は相馬さんを見る。
「道を?」
「違う」
相馬さんは昨日の設備図を指した。
「使わなくなった場所ほど、知らないことが増える」
それだけ言って、先に部屋を出ていった。
俺はもう一度、机の上の地図を見る。
昨日使った道のいくつかは、もうすぐ使えなくなる。設備も撤去され、今そこを知っている人たちも、いつか別の仕事へ移るかもしれない。
だから記録を残す。
同じ道をもう一度通るためではなく、次に誰かが困った時、何を確かめればいいのかを残しておくために。
神代さんが荷物を持つ。
「帰ります?」
「はい」
俺も席を立った。
その時、救難所の電話が鳴った。
小日向が反射的に受話器へ手を伸ばす。
「はい、救難受付です」
俺と神代さんは一度足を止めた。
小日向がこちらを見る。
数秒後、首を横に振る。
救難要請ではないらしい。
「帰って大丈夫みたいですね」
俺が言う。
「そうですね」
神代さんと一緒に外へ出る。
昨日とは違って、今日は普通の夕方だった。
誰かを迎えにダンジョンへ向かう必要もない。
それでも、救難所には昨日の記録が残っている。
閉じられるダンジョンでは、使われなくなる道も設備も増えていく。
でも、そこで人を帰すために確かめたことまで、一緒になくす必要はない。
昨日使った道はいずれ消えるかもしれない。
それでも、そこで何をして全員が帰ったのかは残る。
俺は、それでいいと思った。




