第79話 使われなくなった道
第二層の管理路へ入ってから、道はさらに歩きやすくなった。
床は平らで、照明も第四層より多い。壁には古い管理番号が残っているものの、通路そのものに大きな損傷はなかった。
《帰り道》も、そのまま前へ伸びている。
「ここから先は問題なさそうですね」
俺が言う。
班長はすぐには頷かなかった。
「地上へ出るまではな」
「分かってます」
最近、俺もそのくらいは学んでいる。
片桐さんの担架は、今は班長と現地の救難員が持っていた。長い搬出路を上ってきたせいで、全員少しずつ疲れている。
神代さん以外は。
俺は横を歩く神代さんを見る。
「本当に疲れてます?」
「さっきも答えました」
「見えないんですよね」
「久世さんが分かりやすすぎるんじゃないですか?」
言われて、自分の腕を見る。
担架を持っていたせいで、まだ少し重い。
「俺、ちゃんと役に立ってましたよね?」
「誰も否定してません」
「ならいいです」
神代さんが少し笑った。
前から班長の声がする。
「余裕あるなら前見て」
「はい」
怒られた。
第二層の管理路は、一般探索者が使う場所とは少し違っていた。
途中にあるのは休憩所や売店ではなく、倉庫や設備室ばかりだ。壁際には撤去予定の機材がまとめられ、一部の扉にはすでに封鎖用の札が貼られている。
閉鎖準備が進んでいることが、第四層よりもはっきり分かった。
石倉さんが周囲を見る。
「ここも、もう使わなくなるんですね」
現地の救難員が答えた。
「閉鎖したら、基本的にはな」
「何回も通ったんだけどな」
石倉さんは独り言のように言った。
片桐さんも担架の上から天井を見る。
「俺たちも、ここに来るのは今日が最後の予定だったんです」
「点検が最後だったんですか?」
俺が聞く。
「はい。岸本さんたちの護衛で入って、問題なければ終わりでした」
片桐さんが少し笑う。
「とんでもない最終日になりましたけど」
「忘れられなくはなりましたね」
「できれば、いい意味で忘れられない日にしたかったです」
それはそうだ。
少し進んだところで、班長が通信を入れた。
「第二層管理路を北へ移動中。片桐さんの状態、大きな変化なし」
『了解』
小日向の声が返ってくる。
『その先ですが、通常の管理階段ではなく、第一層の旧搬出口へつながるルートを現地側で開けています』
班長が俺を見る。
「久世さんの道は?」
俺も足元を確認する。
「そのまま北です」
『なら合ってます』
今度は岸本さんの声だった。
『その道の先に、昔の資材搬出用の傾斜路があります。第一層まで階段なしで上がれます』
「また坂?」
俺が聞く。
『今度はそんなに長くないです』
「本当ですか?」
『たぶん』
「たぶん?」
通信の向こうで岸本さんが笑った。
『俺も最近歩いてないので』
このダンジョンは、誰も使わなくなった場所ばかりだ。
それでも図面には残っていて、設備もすべて撤去されたわけではない。俺たちはそんな場所をつなぎながら、少しずつ地上へ近づいていた。
数分後、旧搬出口への分岐が見えてきた。
壁の案内板は色が薄くなり、文字も半分ほど消えている。
『資材搬出路 第一層』
矢印だけは残っていた。
「こっちです」
《帰り道》も同じ方向へ曲がる。
班長が先を確認してから進んだ。
通路はすぐに緩やかな上り坂になった。
さっきの旧資材搬出路ほど長くはないが、担架を持って歩くには負担がかかる。途中で一度止まり、持ち手を交代することになった。
「俺もやります」
俺が言う。
班長が腕を見る。
「まだ持てる?」
「その聞き方やめてもらえます?」
「無理して落とされるほうが困る」
正しい。
俺は自分の腕を軽く動かして確かめた。
「大丈夫です。少し休みましたから」
「じゃあ前を頼む」
「はい」
今度は俺と現地の救難員で担架を持つ。
持ち上げたところで、片桐さんが言った。
「久世さん、またですか?」
「不安?」
「ちょっと」
「俺、一応探索者なんですけど」
「F級ですよね」
「知ってるんだ」
「さっき石倉から聞きました」
俺は石倉さんを見る。
「何で言ったんです?」
「有名だから知ってると思って」
「本人に聞こえるところで言わなくても」
神代さんが後ろから言う。
「久世さん、前」
「はい」
また怒られた。
それでも、第四層にいた時より空気はずっと軽い。
二人を見つけた時は、片桐さんの顔色も悪く、石倉さんも周囲を気にしていた。
今は地上が近い。
まだ終わってはいないが、ようやく終わりが見えてきている。
俺たちは傾斜路を上った。
途中で俺の腕がつらくなってきた頃、壁の表示が変わる。
『第一層』
「来た」
思わず声が出た。
班長も表示を確認し、通信を入れる。
「第一層到達。七名全員」
すぐに相馬さんの声が返ってきた。
『了解。搬出口側に受け入れ班がいる。そのまま進め』
「了解」
俺も少しだけ安心した。
片桐さんが聞く。
「もう地上ですか?」
「まだです」
今度は俺が先に答えた。
「まだ言ってないですけど」
「言いそうだったので」
「信用ないなあ」
「学習されてるんですよ」
神代さんが言う。
誰に。
第一層の搬出路は、これまでよりさらに広かった。
昔は大型設備を運び出していたらしく、床には太い車輪跡が残っている。壁際には黄色と黒の注意表示が続き、天井には使われなくなった案内灯が並んでいた。
《帰り道》は真っすぐ先へ伸びている。
その奥に、大きな搬出ゲートが見えた。
今度は閉じていない。
半分ほど開けられたゲートの向こうには明るい照明が見え、救難員が数人待っていた。医療担当もいる。
「地上班です!」
向こうから声が届く。
班長が歩調を少し落とした。
「片桐さん、もうすぐ引き継ぎます」
「はい」
その返事には、さっきまでとは違う力があった。
ゲートの前まで行くと、地上側の救難員が担架を受け取る準備をする。
「こちらで持ちます」
「左下腿負傷。固定済み。搬送中に痛みの増加がありましたが、その後は悪化なし。意識清明」
現地の救難員が状態を伝える。
「了解」
俺たちから地上側へ、担架がゆっくり渡された。
片桐さんがゲートを越え、石倉さんも続く。班長、現地の救難員二人、神代さんと順番に通り、最後に俺がゲートを越えた。
ダンジョン特有の冷たい空気が変わる。
ここはまだ搬出用の建物の中だが、もうダンジョンの外だ。
俺は振り返った。
「班長」
「ああ」
全員を確認する。
救難対象二名。
救難側五名。
七人。
「全員出ました」
その瞬間、足元の《帰り道》が消えた。
「片桐、石倉両名、地上到着」
班長が通信を入れる。
少し間があって、相馬さんの声が返ってきた。
『了解』
短い返事だったが、それで十分だった。
俺も大きく息を吐く。
今度こそ終わった。
たぶん。
「久世さん」
通信機から小日向の声が聞こえた。
『今、何か言おうとしました?』
「何も」
『ならいいです』
どうして分かったんだ。
片桐さんはそのまま医療担当へ運ばれていった。
石倉さんも一緒についていこうとしたが、一度止められて状態確認を受けている。
その時、別の方向から走ってくる人たちが見えた。
岸本さんたちだった。
六人いる。
「片桐さん!」
岸本さんが担架へ近づこうとして、医療担当に止められる。
「すみません。まずこちらで診ます」
「あ、はい」
岸本さんはすぐに下がった。
片桐さんが担架の上から手を上げる。
「ちゃんと戻りましたよ」
「……はい」
岸本さんの返事が少し詰まった。
石倉さんも六人の姿を確認すると、大きく息を吐く。
「みんな、怪我ないですか?」
「一人、足をぶつけました。でも大丈夫です」
「よかった」
六人と二人。
途中で離れていた八人が、ようやく同じ場所にそろった。
俺は少し離れたところから、その様子を見る。
神代さんが隣に来た。
「終わりましたね」
「今度は言っていい?」
「はい」
許可が出た。
「終わった……」
腕も脚も重い。
今日はずっと歩いていた気がする。
神代さんが俺を見る。
「お疲れさまでした」
「神代さんも」
「私はあまり疲れてません」
「やっぱり」
「少しは疲れてます」
さっきと同じ答えだった。
俺たちが休んでいる間にも、救難員たちは片桐さんの搬送情報を引き継ぎ、現地の管理会社は中に残した設備の確認を始めていた。
救難対象が地上へ戻っても、そこで全部の仕事が終わるわけではないらしい。
しばらくして、岸本さんがこちらへ来た。
「久世さん」
「はい」
「ありがとうございました」
深く頭を下げる。
俺は少し困った。
「俺だけじゃないですよ」
「分かってます」
岸本さんが顔を上げる。
「だから、皆さんに言ってます」
「それならよかったです」
岸本さんは少し笑い、それからダンジョンの搬出口を見る。
「まさか、あの搬出路をもう一度使うとは思いませんでした」
「普段は使わないんですよね?」
「何年もほとんど使ってません。閉鎖が終われば、あそこも使えなくなる予定です」
「そうですか」
俺も搬出口の奥を見る。
今回通ったのは、普通の探索者が使う道ではなかった。
設備員しか知らない通路や、止められていた非常扉。使われなくなった搬送台に、昔の資材搬出路。
閉鎖に向けて、少しずつ役目を終えようとしていたものばかりだ。
それでも今日は、その一つ一つが人を帰すために役に立った。
「久世さんの道がなかったら、あそこを帰り道に使おうとは思わなかったかもしれません」
岸本さんが言う。
俺は少し考えてから答えた。
「でも、俺だけだったら通れませんでしたよ」
「扉ですか?」
「それもです。搬送台も、搬出路も知らなかったし」
《帰り道》が教えてくれるのは、地上へ向かう方向だ。
その途中にある扉の開け方も、設備の動かし方も、濡れた床を安全に渡る方法も教えてくれない。
「だから、お互い様です」
俺が言うと、岸本さんは少し笑った。
「そういうことにしておきます」
「そうしてください」
その時、腰の通信機から相馬さんの声がした。
『久世』
「はい」
『現地でやることが終わったなら戻ってこい』
「もう?」
『救難は終わっただろ』
俺は、まだ報告や片づけを続けている現地の救難員たちを見る。
「手伝わなくていいんですか?」
『お前が設備報告書を書くのか?』
「書けません」
『なら戻ってこい』
正しい。
神代さんも帰る準備を始めている。
俺は現地の救難員たちを見る。
まだ報告や片づけが残っているらしい。
「手伝わなくていいんですか?」
「お前が設備報告書を書くのか?」
「書けません」
「なら帰れ」
正しい。
神代さんも帰る準備を始めている。
俺は最後にもう一度、旧八千代第三ダンジョンの入口を見た。
来月には一般の探索者が入らなくなる。
そのあと設備の整理が進めば、今日俺たちが通った道のいくつかは、本当に使えなくなるのだろう。
それでいい。必要がなくなったものを、いつまでも残しておくことはできない。
ただ、今日はまだ残っていたから、設備員六人も、護衛探索者二人も、救難に入った俺たちも全員地上へ戻ることができた。
閉じようとしているダンジョンに残っていた、もうほとんど使われない道。
その道は最後にもう一度、人を地上へ帰すために使われた。




