第78話 遠回りの道
旧資材搬出路へ入ると、すぐに通路の造りが変わった。
床は広く、中央には昔の台車が通っていたらしい二本の跡が残っている。通路そのものも緩やかな傾斜になっていて、階段は見当たらない。
「確かに、担架ならこっちのほうが楽ですね」
俺が言うと、前を歩く班長が頷いた。
「距離はあるけどな」
地図上ではかなり遠回りだ。
通常の階段を使えば、第四層から第三層、第二層へと短い距離で上がれる。ただし、そのたびに片桐さんを乗せた担架を持ち上げなければならない。
こっちは長い代わりに、大きな段差がほとんどない。
《帰り道》がどこまで片桐さんの状態を見ているのか、俺には分からない。それでも、今ここにいる七人で地上へ戻る道として、この道を示している。
それなら、あとは実際に通れるように進むだけだ。
「片桐さん、揺れはどうです?」
担架の前を持つ救難員が聞いた。
「さっきより大丈夫です」
「痛みは?」
「五くらいです。増えてはいません」
「分かりました。変わったらすぐ言ってください」
俺たちは速度を上げず、一定の歩調で進んだ。
旧資材搬出路は、思っていた以上に長い。
使われていないせいか、ところどころ照明が消えている。壁際には撤去予定の札が貼られ、何も置かれていない資材置き場だけがいくつも残っていた。
神代さんは後方を警戒しながら歩いている。
さっき逃げた魔物が戻ってくる様子はない。
俺は《帰り道》と前方を交互に確認する。
十五分ほど進んだところで、班長が立ち止まった。
「一回交代する」
担架を持っていた二人が、ゆっくり床へ下ろす。
距離が長い以上、同じ人間がずっと運び続けるわけにはいかない。
班長が神代さんを見る。
「代われます?」
「もちろんです」
「じゃあ後ろをお願いします。俺が前を持つ」
俺も少し考えてから言った。
「俺も持ちますよ」
班長がこちらを見る。
「大丈夫?」
「普通の担架くらいなら」
戦えないからといって、荷物まで持てないわけではない。それに、ずっと《帰り道》を見ながら歩いているだけというのも少し落ち着かなかった。
「じゃあ次の交代で頼む。ただ、持ちながら道の確認はできる?」
「できます」
「なら頼む」
即決だった。
神代さんが少し笑う。
「久世さん、仕事増えましたね」
「最近ずっと、人に仕事を増やされてる気がします」
「教育係だったからでは?」
「瀬川君、もう帰りましたよ」
石倉さんが横から聞く。
「教育係もやってるんですか?」
「やってました。期間限定で」
「久世さんが?」
「その反応、瀬川君と同じなんですけど」
片桐さんまで担架の上で笑った。
少し空気が軽くなる。
休憩を終え、俺たちは再び進み始めた。
通路は一度わずかに下り、その先から長い上りに変わる。
地上へ帰る途中なのに、一度低い位置まで降りているらしい。
石倉さんが壁の表示を見る。
「本当に遠回りですね」
「俺もそう思います」
「でも、この傾斜なら片桐を運べるか」
石倉さんが担架を見る。
通常階段を選んでいたら、片桐さんを持ち上げるたびに止まり、姿勢を変えなければならなかったはずだ。距離だけなら短くても、今の状態ではこちらのほうが負担は少ない。
しばらく進んだところで、俺の番が来た。
「久世さん、前をお願いします」
「はい」
担架の前側へ回り、もう一人の救難員と一緒に持ち手を握る。
班長の合図で持ち上げた瞬間、思った以上の重さが腕にかかった。
「重っ」
思ったことがそのまま口に出た。
担架の上から片桐さんが言う。
「だから言ったじゃないですか」
「本人は言わなくていいです」
「すみません」
後ろで神代さんが笑っている。
「久世さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「無理なら代わりますよ」
「まだ始まったばっかりだから」
俺は足元を見る。
《帰り道》は担架を持っていても変わらず見える。
ただ、普段より光だけを見ている余裕はなかった。自分がつまずけば片桐さんまで危ない。
進む方向と床の状態、その両方を確かめながら歩く。
「こういうの、結構大変ですね」
俺が言うと、横を歩く班長が答えた。
「何が?」
「道を見るのと運ぶの、同時にやるの」
「だから役割を分けるんだよ」
「ですよね」
あっさり言われた。
何でも自分でやればいいわけではない。
瀬川に教えていたことを、また自分で確認する。
俺は進む方向を見る。
一緒に担架を持つ救難員は、片桐さんの揺れと足元を見る。
班長は先の通路を確認し、神代さんは後ろを警戒する。
それぞれが別のところを見ているから、全員で進める。
しばらくすると、前方の床が濡れているのが見えた。
「止まって」
班長が手を上げる。
俺たちは担架をゆっくり下ろした。
通路の右側から水が染み出し、数メートルにわたって床を濡らしている。深さはないが、表面には薄く泥のようなものも広がっていた。
現地の救難員が近づいて確認する。
「排水が止まってるのか?」
班長が通信を入れた。
「地上。旧資材搬出路で床面の浸水を確認。深さはほぼなし。漏水というより排水不良に見えます」
岸本さんの声が返ってくる。
『位置分かります?』
壁の設備番号を伝える。
少しして返事が来た。
『そこ、排水ポンプを一台止めてます。雨水じゃなくて、設備側の結露水が溜まってるんだと思います』
「危険は?」
『水自体に危険はないです。ただ、床はかなり滑るかもしれません』
救難員が靴底で軽く確かめる。
「滑るな」
担架を持ったまま、そのまま通るのは危ない。
俺は《帰り道》を見る。
光は濡れた床を越え、そのまま先へ続いている。
「道はこっちです」
班長が聞く。
「変わらない?」
「はい」
迂回する方向は示していない。
だからといって、滑る床をそのまま歩けという意味でもない。
神代さんが聞く。
「どうします?」
現地の救難員が通路の端を確認する。
「壁際は少し乾いてる。そこなら行けそうだ」
ただし、担架を四人で囲めるほどの幅はない。
班長が少し考えてから言った。
「ロープを使う」
救難用バッグからロープを取り出し、壁側に残っている手すりへ固定する。
先に救難員一人が濡れた区間を抜け、反対側から張った。
「担架は二人で持つ。横から神代さんが支える。久世さんは先へ行って、道と足元を見て」
「分かりました」
俺は先に濡れた床へ入る。
確かに滑る。
歩幅を狭くし、ロープを握りながら慎重に進んだ。
光はまっすぐ先へ続いている。
反対側へ着いて振り返る。
「ここまで大丈夫です。途中、中央より左側のほうが滑ります」
「了解」
片桐さんの担架が持ち上がる。
班長と救難員が前後を持ち、神代さんが横から支える。
一歩ずつ進む。
急がない。
途中で前側の救難員の足がわずかに滑ったが、ロープを握ってすぐに姿勢を戻した。担架はほとんど傾かず、そのまま全員が濡れた区間を抜けることができた。
「片桐さん、大丈夫?」
「大丈夫です」
班長が周囲を見る。
「七名全員。怪我なし」
俺も改めて確認する。
救難対象二名。
救難側五名。
ちゃんと七人いる。
ロープを回収し、また歩き始める。
《帰り道》があるからといって、濡れた床が乾くわけではないし、転ばない方法まで教えてくれるわけでもない。
それでも、進む方向が分かっているから、その場所をどう安全に通るかに集中できる。
今の俺たちには、それで十分だった。
しばらくすると、通路の傾斜が少し強くなった。
今度は上りだ。
「ここから長いですよ」
岸本さんが通信越しに教えてくれる。
『この坂を上り切れば第三層の高さまで戻ります。その先はほぼ平坦です』
「どれくらい?」
班長が聞く。
『三百メートルくらいです』
俺は担架を見る。
「交代しながらですね」
「そうする」
今度は俺と神代さんが担架を持った。
前が俺。
後ろが神代さん。
持ち上げた途端、さっきより軽く感じる。
「神代さん、力入れすぎないでくださいね」
「どういう意味です?」
「俺だけ仕事してないみたいになるから」
「そんな調整できません」
「ですよね」
片桐さんが笑う。
「俺、軽くなった気がします」
「神代さんのおかげですね」
「久世さんも持ってますよ」
「分かってます」
俺たちはゆっくり坂を上った。
途中で何度か止まり、持つ人間を交代する。そのたびに片桐さんの状態も確認した。
痛みは残っているが、悪化はしていない。
石倉さんも救難対象だから、担架を持たせることはしない。それでも水を渡したり、片桐さんへ声をかけたり、自分にできる範囲で動いていた。
長い坂を上り切った頃には、さすがに俺の腕も重くなっていた。
「疲れた……」
思わず口に出す。
壁際に座り込みたい気分だったが、班長に見られてやめた。
神代さんはいつもとほとんど変わらない顔をしている。
「神代さん、疲れてます?」
「少しは」
「本当?」
「本当です」
たぶん俺の「少し」とは違う。
救難員が片桐さんの状態を確認している間、俺も水を飲んだ。
その時、相馬さんから通信が入る。
『現在位置は』
班長が壁の表示を確認する。
「旧搬出路、第三層接続部手前です」
『順調か』
「少し時間はかかってますが、七名全員問題なし」
『了解。第二層側の管理路も確認させてる。出口まで通れる』
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
まだ地上ではない。
でも、先の状態を確認してくれている人がいる。
続いて小日向の声が聞こえた。
『第二層から先は通常管理路へ合流できます。現在、通行障害なしです』
「ありがとう」
俺が答える。
『久世さん、まだ帰還前ですよ』
「分かってるよ」
通信の向こうで少し笑う声がした。
片桐さんが聞く。
「いつも言われてるんですか?」
「最近多いですね」
「信用ないんですね」
「違います」
たぶん。
休憩を終え、俺たちは再び歩き始めた。
第三層の高さまで戻ったあとは、岸本さんの言った通り道が平らになった。
《帰り道》も迷うことなく先へ続いている。
やがて壁に『第二層管理路』の表示が見えてきた。
現地の救難員が言う。
「もう少しだ」
石倉さんが息を吐き、片桐さんも担架の上から天井を見る。
「長かったな」
「まだですよ」
俺が言うと、片桐さんがこちらを見る。
「久世さんが言うんですか?」
「俺も学んでるんで」
みんなが少し笑った。
俺たちは第二層へ続く緩い坂を上っていく。
通常の階段を使うより、ずっと遠回りだった。
その代わり、誰かを無理に持ち上げる必要はなく、片桐さんの脚も悪化していない。
短い道ではなく、今いる七人で帰れる道。
俺の足元に見える光は、そのための方向をずっと示していた。
第二層の管理路へ入ったところで、班長がもう一度人数を確認する。
「救難対象二名、救難側五名。七名、全員います」
俺も前を見る。
ここから先は、地上側でも通行できることが確認されている。
《帰り道》は、そのまま出口へ向かって続いていた。
ようやく、地上が近づいてきた。




