第76話 止まった設備
非常扉を抜けた先は、これまでより広い通路だった。
床も比較的平らで、担架を持ったまま歩ける。閉鎖準備で照明は減らされているものの、壁沿いには非常灯が残っていた。
俺は先頭寄りを歩きながら、《帰り道》を確認する。淡い光は通路の奥へ続いていた。
「このままなら、さっきより運びやすいですね」
俺が言うと、担架の後ろを持っている救難員が頷いた。
「そうだな。ただ、まだ第四層だ」
「ですよね」
少し気が早かった。
片桐さんと石倉さんを見つけ、開かなかった非常扉も越えることができた。それでも、地上まではまだ距離がある。
前を歩く班長が通信を入れた。
「現在、旧排気管理区画を移動中。七名全員、非常扉を通過しました」
『了解。片桐さんの状態は』
相馬さんの声が返ってくる。
救難員が担架を見ながら答えた。
「搬送継続可能。意識清明です」
片桐さんが少し顔を上げる。
「すみません。ずっと運んでもらって」
「気にしないでください」
「さっきから、それしか言ってない気がして」
「じゃあ、黙って運ばれててください」
救難員が返すと、片桐さんが苦笑した。
「はい」
横を歩いていた石倉さんも言う。
「元気そうじゃないですか」
「脚以外はな」
二人が話せる余裕があるのは悪いことではない。ただ、救難員は会話を聞きながらも、ときどき片桐さんの顔色や呼吸を確認していた。
俺たちは速度を上げず、一定の歩調で進む。
十分ほど歩いたところで、《帰り道》が左へ曲がった。
俺もその方向へ向かおうとして、足を止める。
「どうした?」
班長が聞いた。
「こっちです」
俺が指した先には、古い案内板が残っていた。
『資材搬送区画』
現地の救難員が地図を見る。
「地上へ向かうだけなら、まっすぐのほうが近いはずだけどな」
「でも、《帰り道》は左です」
「分かった。そっちへ行く」
班長は迷わなかった。
左の通路へ入ると、石倉さんが案内板を見る。
「ここ、まだ使えるんですか?」
「知ってます?」
俺が聞く。
「設備班について入った時に通ったことがあります。資材を運ぶ場所です」
「最近も?」
「そこまでは分かりません。俺たちはほとんど使わないので」
班長が地上へ確認する。
「岸本さん。資材搬送区画について分かりますか」
少しして返事が来た。
『どの辺です?』
「旧排気管理区画から北側へ入ったところです」
『……そこなら旧搬送路ですね』
「通れますか?」
『通路自体は残してあります。ただ、搬送設備は停止済みです』
俺は思わず言った。
「また止まってる」
通信の向こうで岸本さんが少し笑った。
『閉鎖するダンジョンなので』
「そうでした」
忘れていたわけではない。
ただ、必要になった設備がことごとく止まっている。
俺たちはそのまま先へ進んだ。
資材搬送区画は、それまでの通路とは少し造りが違っていた。床の中央には二本の細いレールが敷かれ、壁際には荷物を一時的に置くためのスペースが並んでいる。天井も高く、担架を運ぶにはかなり楽そうだった。
「ここなら、さっきの通路より動きやすいですね」
神代さんが周囲を見る。
「魔物が来ても、ある程度は距離を取れます」
「それは助かります」
俺が答えた直後、担架の上から声がした。
「ちょっと、止めてもらえますか」
片桐さんだった。
班長がすぐに手を上げる。
「停止」
担架をゆっくり床へ下ろし、救難員が片桐さんの横へしゃがんだ。
「どうしました?」
「脚が……さっきより痛くて。ずっと痛いんですけど、運ばれてる時の揺れが響く感じです」
救難員が固定を確認する。
「しびれは?」
「ないです」
「足先は動かせる?」
「はい」
「吐き気やめまいは?」
「それも大丈夫です」
受け答えはしっかりしているが、片桐さんの額には薄く汗が浮かんでいた。
石倉さんが心配そうに見る。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないから運ばれてんの」
「そういう意味じゃなくて」
「分かってるよ」
言い返す余裕はまだある。
救難員は固定具の位置を調整すると、班長を見る。
「状態が急に悪くなったわけではありません。ただ、このまま長く手持ちで運ぶより、できれば揺れを減らしたいです」
「何か使えるものは?」
「車輪付きの搬送器具があればいいんですが」
俺たちの装備にはない。
今回は狭い保守路を通る可能性が高かったため、持ってきたのは折り畳み式の担架だった。
その時、石倉さんが床のレールを見る。
「ここ、搬送台がありませんでしたっけ」
「搬送台?」
「資材を運ぶやつです。確か電動だったと思いますけど」
班長がすぐに通信を入れた。
「岸本さん。旧搬送路に資材用の搬送台は残っていますか」
『あります。ただ、動力はもう切ってます』
「人力では使えない?」
『確認します』
端末を操作する音が聞こえる。
俺はその間に《帰り道》を確認した。
淡い光は資材搬送区画の奥へ続いている。
道が示しているのは、あくまで進む方向だ。どうやって片桐さんを運ぶかまでは、俺たちで考えなければならない。
しばらくして、岸本さんの声が戻った。
『人力でも使えます』
全員が通信機を見る。
『電動搬送台ですが、駆動を切り離せば手押しにできます。非常時に動かすための機構が残っています』
「場所は?」
『その区画に二台あるはずです。一台は南端、もう一台は中央の待避所です』
現地の救難員が地図を見る。
「中央の待避所なら近い」
班長が周囲を確認した。
「搬送台を見に行く。ただし、ここで一度分かれる。確認に行くのは俺と久世さん、救難員二名の四人。神代さんは片桐さんと石倉さんのところに残ってください。通信はつないだままにします」
「分かりました」
神代さんが頷く。
班長はもう一度人数を確認した。
「全体では七名。ここに残るのが三名、確認に行くのが四名。搬送台を確認したらすぐ戻る」
「了解です」
俺も返事をする。
七人で帰る途中、一時的に四人と三人へ分かれる。
誰がどこにいるのか分かっていれば問題はない。逆に、それを曖昧にしたまま動くほうが危ない。
神代さんが片桐さんと石倉さんのそばへ残り、俺は班長と救難員二人について先へ進んだ。
百メートルも行かないうちに、レール脇の広い場所が見えてくる。
そこに低い搬送台が止まっていた。
「これか」
金属製の平たい台に、固定用の柵がついている。普段使っている搬送椅子とは全く違う形だ。
救難員が横の操作部を見る。
「電源は入ってない」
班長が設備番号を地上へ伝えると、岸本さんが図面を確認した。
『その型なら使えます。側面に黒いレバーがありませんか』
「ある」
『それを下げると駆動部を切り離せます。ただ、その前に車輪止めを確認してください』
言われた通り、一つずつ状態を確認する。
俺は横で見ていた。
「俺、何かできます?」
「今は《帰り道》を見てて」
班長に言われる。
「はい」
最近は、こういうことにも少し慣れてきた。
何かしていないと落ち着かない気持ちはある。でも、知らない設備に手を出すくらいなら、任せたほうがいい。救難では、自分にできないことを勝手にやらないのも大事だ。
「駆動、切れました」
救難員が搬送台を軽く押す。
最初は重かったが、ゆっくり動いた。
「これなら使える」
『急な勾配では使わないでください』
岸本さんが言う。
『止める時は必ず二人以上で。ブレーキも手動です』
「了解」
俺たちは搬送台を押して、神代さんたちのところまで戻った。
「戻りました」
俺が声をかけると、神代さんがこちらを見る。
「問題ありませんでした?」
「使えます。手押しですけど」
班長が全員を確認する。
「救難対象二名、救難側五名。七名、全員そろった。搬送を再開する」
一時的に分かれていた七人が、ここでもう一度そろった。
石倉さんは搬送台を見ると、目を丸くした。
「まだ残ってたんだ」
「知ってたの?」
俺が聞く。
「見たことはあります。でも、動かしたことはないです」
「俺もです」
「久世さんは当たり前でしょう」
確かに。
片桐さんを担架ごと搬送台へ載せ、救難員が固定位置を確認してベルトを追加する。
少しだけ動かしてから聞いた。
「揺れ、どうです?」
「担架だけより全然楽です」
片桐さんが答える。
救難員も状態を確認して頷いた。
「これで行こう」
班長が役割を決める。
搬送台は前後から二人で操作し、石倉さんは横につく。神代さんは後方警戒。俺は少し前で《帰り道》を確認する。
「進めます」
搬送台がレールの上をゆっくり動き始めた。
電動ではないので、誰かが押さなければ進まない。それでも担架を持ったまま歩くより揺れは少なく、片桐さんの表情も少し楽そうに見えた。
「岸本さん」
俺が通信へ声をかける。
『はい』
「これ、閉鎖したら撤去する予定だったんですか?」
『搬送台ですか?』
「はい」
『二台とも撤去予定です。レールも一部は外します』
「そうなんだ」
今使っているものも、もうすぐなくなる。
閉鎖するダンジョンなら当然だ。
それでも今日は、止められていた設備が人を帰すために使われている。
俺たちはレール沿いを進んだ。
途中に緩い下りがあったため、一度搬送台を止める。
救難員が勾配を確認した。
「ここは押すより、支える側を増やしたほうがいい」
神代さんが前へ出る。
「私も持ちます」
「お願いします」
三人で速度を抑えながら、ゆっくり下ろしていく。
俺は先の床と《帰り道》を確認する。大きな段差はなく、光も同じ方向へ続いていた。
下り切ったところで、班長が人数を確認する。
「救難対象二名、救難側五名。七名、全員います」
さらに進むと、資材搬送区画の終わりが見えてきた。
その先には、通常通路へ戻るための開口部がある。
「ここを抜ければ、第四層の北側通路です」
現地の救難員が言う。
「階段まで行ける?」
班長が聞く。
「行ける。ただ、搬送台はここまでだな」
レールがそこで終わっていた。
俺も《帰り道》を見る。
光はその先の通常通路へ続いている。
「ここからは、また担架ですね」
片桐さんが言う。
「残念そうですね」
俺が聞く。
「これ、楽だったんで」
「持って帰ります?」
「怒られるでしょ」
「撤去予定らしいですよ」
「じゃあ一台くらい」
「駄目です」
救難員に止められ、石倉さんが笑った。
片桐さんも笑う。
少しだけ空気が軽くなった。
班長が言う。
「休憩を入れてから担架へ戻す。片桐さんの状態ももう一度確認する」
「了解」
搬送台を固定し、救難員が片桐さんを診る。
痛みは残っているものの、搬送台に替えてからは強くなっていないらしい。
俺はその間に足元を見る。
《帰り道》は通常通路の先へ続いている。
設備区画からは、もう出られる。
あとは階段へ向かって上がっていけばいい。
そう思った時、神代さんが通路の先へ顔を向けた。
「待ってください」
班長が顔を上げる。
「どうしました?」
「何か来ます」
全員が黙った。
俺にも、何かが床を擦る音と、それに重なるような足音が聞こえた。
一つではない。
神代さんが剣に手をかける。
「複数います」
現地の救難員がライトを奥へ向けたが、まだ姿までは見えなかった。
班長が周囲を確認する。
後ろには、今まで使っていた資材搬送区画がある。すぐ横には片桐さんを載せた搬送台があり、この状態で慌てて動かすほうが危ない。
神代さんが前へ出た。
「私が確認します」
「無理に追わないでください」
「分かっています」
神代さんは剣を抜き、通路の奥へ目を向ける。
俺は片桐さんたちのそばに残った。
閉鎖予定で、人の姿がほとんどなくなったダンジョン。それでも、魔物までいなくなったわけじゃない。
地上へ帰るには、まだこの先を通らなければならなかった。




