第7話 帰りを待っている人
救難所を出て十分ほどで、俺たちは第五層東区画へ続く入口に着いた。
今回は昨日と違って、現場までの距離は近い。
その分、気持ちまで軽いかと言えば、そうでもなかった。
入口近くの待機スペースに、一人の女性が立っていたからだ。
年齢は五十歳前後。
何度もダンジョンの入口へ目を向けている。
落ち着いているように見える。
でも、両手はずっと握ったままだった。
小日向が端末を確認しながら俺に近づく。
「未帰還者のご家族です。奥さんですね」
「そうか」
神代さんも女性を見る。
昨日の探索装備に近い格好へ着替えていた。
腰には剣。
表情も、さっき救難所で話していた時より引き締まっている。
相馬さんが先に女性のところへ向かった。
「救難班の相馬です」
「お願いします」
女性はすぐに頭を下げた。
「主人と娘が……まだ中に」
「現在、第五層東区画を中心に捜索しています。最後に連絡が取れた場所から大きく離れていなければ、発見までそう時間はかからないと思います」
「娘は、電話では怪我してないって言ってました。でも主人が……」
「足を痛めた可能性があると聞いています」
女性が頷く。
「たぶん、主人が無理をしたんです」
その言い方に、少しだけ怒っているような響きがあった。
「昔からそうなんです。大丈夫、大丈夫って言って」
小日向が小さく俺を見る。
俺も何となく分かった。
心配だから怒っているんだろう。
相馬さんが確認を続ける。
「お二人は普段から探索を?」
「主人は何度か。娘は今日が初めてです」
「初めて?」
神代さんが思わず聞き返した。
女性がこちらを見る。
「あ、はい。二十歳になったから、一度くらい見てみたいって」
「初心者講習は受けていますか?」
「受けています。主人も浅いところだけにするって言ってました」
第五層。
確かに深くはない。
初心者が経験者と一緒に入ることも珍しくない区域だ。
それでも事故は起きる。
「最後の連絡は?」
俺が聞くと、女性は少し驚いたようにこちらを見た。
相馬さんが紹介してくれる。
「久世です。今日の捜索に入ります」
「あ……」
女性の目が少し大きくなる。
「昨日、ニュースに出ていた方ですか?」
やっぱり顔が出ていたらしい。
「少し映っただけです」
「S級の方たちを助けたって」
「連れて帰っただけですよ」
女性は一瞬だけ何かを言おうとして、やめた。
代わりに深く頭を下げる。
「主人と娘も、お願いします」
こういう時、気の利いたことは言えない。
大丈夫です、と簡単に約束するのも違う気がする。
中で何が起きているのか、まだ分からない。
だから俺は、いつも言えることだけを言った。
「見つけたら、連れて帰ります」
女性が顔を上げる。
「はい」
今度は少しだけ、握っていた手の力が抜けたように見えた。
第五層東区画は、初心者向けとして整備されている。
壁には一定間隔で案内表示。
足元も比較的平坦。
魔物も浅層向けの弱い種類が中心だ。
だからこそ、親子が長時間戻らないというのが少し気になった。
「迷っただけならいいんですけど」
神代さんが前を歩きながら言う。
「そうですね」
俺も周囲を見回す。
今回は、まだ《帰り道》は使っていない。
正確には使えない。
帰す相手がいないからだ。
俺のスキルは、遭難者の居場所を教えてくれるものじゃない。
誰かを見つけたあと、地上へ連れて帰るための道が見える。
捜索そのものは普通にやる必要がある。
神代さんが振り返る。
「久世さんのスキルで、二人の場所は分からないんですか?」
「分かりません」
「やっぱりそうなんですね」
「《帰り道》なので」
「名前通り」
「かなり素直なスキルです」
神代さんが少し笑う。
今回の捜索には、俺と神代さん以外にも救難スタッフが入っている。
二組に分かれ、最後に通信が確認された地点を中心に探している。
小日向は地上側。
相馬さんも本部で全体を見ている。
俺たちは東側。
もう一班が西側だ。
「未帰還になった理由、何だと思います?」
神代さんが聞いた。
「分かりません」
「またそれですか」
「見てないものは分からないですよ」
「もっと予想とか」
「足を痛めたなら、転んだとか。魔物から逃げたとか」
「普通ですね」
「普通の事故のほうが多いですから」
神代さんが少し意外そうな顔をする。
「昨日みたいな大事故ばかりじゃない?」
「むしろ昨日みたいなのは珍しいです」
「そうなんですね」
「救難って、もっと地味ですよ」
道を間違えた。
怪我をした。
装備が壊れた。
予定より体力を消耗した。
少し休むつもりが、動けなくなった。
大事故になる前の、小さな判断ミス。
そういうものの積み重ねのほうが多い。
「でも」
俺は前を見る。
「小さい事故だから安全とは限らないです」
「はい」
神代さんの返事が少し真面目になる。
さっき入口にいた女性のことを思い出しているのかもしれない。
俺たちは案内表示を一つ確認する。
最後に親子がいたとされる場所まで、あと少し。
そこで通信が入った。
『久世、聞こえるか』
相馬さんだ。
「聞こえます」
『西側班、発見なし。そっちは』
「まだです」
『了解。二人の端末位置情報が一度だけ拾えた。東区画の旧採掘路付近だ』
旧採掘路。
俺は神代さんを見る。
彼女も知っているらしい。
「今、封鎖されてるところですよね」
『完全封鎖じゃない。入口に進入禁止の表示があるだけだ』
「初心者が入りますかね」
『普通なら入らん』
普通なら。
その言葉が引っかかる。
「分かりました。確認します」
通信を切る。
神代さんが速度を上げた。
俺もついていく。
旧採掘路の入口までは数分だった。
通路の端に、古い金属製の柵がある。
《この先、整備区域外》
注意書き。
その横。
柵が少しずれている。
神代さんがしゃがんだ。
「誰か通った跡があります」
床の埃が乱れている。
靴跡。
少なくとも一人。
俺も確認する。
「行きましょう」
「はい」
柵の隙間を抜けた。
そこから先は、同じ第五層でも空気が違った。
照明が少ない。
足元も整備されていない。
壁には古い採掘跡。
「初めて来ました」
神代さんが周囲を見る。
「俺もです」
「救難員なのに?」
「第五層でここまで入る人、ほとんどいませんから」
「じゃあ、二人はどうして」
「それを見つけたら聞きましょう」
神代さんが頷く。
俺たちは慎重に進んだ。
五分ほど歩いた頃。
微かな音が聞こえた。
神代さんが手を上げる。
俺も止まる。
「声?」
耳を澄ます。
何か聞こえる。
「……お父さん」
女性の声。
神代さんと目が合った。
すぐに走る。
角を曲がる。
少し先に人影が見えた。
若い女性が一人、地面にしゃがみ込んでいる。
その隣には男性。
壁にもたれ、右足を伸ばしていた。
「救難です!」
俺が声を上げる。
女性がこちらを見る。
一瞬、何が起きたのか分からないような顔。
それから、立ち上がった。
「助け……」
声が詰まる。
俺たちが近づく。
「怪我は?」
「私は大丈夫です。でも父が」
神代さんがすぐに男性の前へしゃがんだ。
「失礼します」
右足首が腫れている。
靴の一部も破損していた。
出血は少ない。
ただ、歩くのはかなり厳しそうだ。
男性が申し訳なさそうに笑う。
「すみません。情けないところを」
「何があったんですか?」
俺が聞く。
娘さんが答えた。
「魔物が出て……逃げた時に父が転んで」
「それでここへ?」
「はい。父が、こっちなら近道だって」
男性が目を逸らす。
娘さんの声が少し強くなる。
「立入禁止って書いてあったのに!」
「いや、昔は通れたんだよ」
「昔の話でしょ!」
「まあまあ」
俺が間に入る。
二人とも無事なら、説教は地上へ戻ってからでいい。
「ひとまず帰りましょう」
男性が足を見る。
「俺は無理です」
「大丈夫です」
「歩けませんよ」
「歩けなくても、帰れる道を探します」
言いながら、俺は二人を見る。
一緒に帰す。
そう意識する。
足元へ視線を落とす。
すぐに淡い光が浮かび上がった。
ちゃんと出た。
少し安心する。
光は俺たちが来た道とは違う方向へ伸びている。
「こっちですね」
俺が言う。
娘さんが不安そうに見る。
「そっち、出口と逆じゃ……」
昨日も同じことを言われたなと思った。
「今はこっちです」
神代さんが俺の横に立つ。
「大丈夫です」
娘さんが神代さんを見る。
ようやく誰なのか気づいたらしい。
「え……神代美波?」
「今は探索者じゃなくて救難のお手伝いです」
「本物……」
「その話は地上で」
神代さんが少し笑う。
それから男性の前へしゃがんだ。
「背負います」
男性が慌てる。
「いやいや、そんな!」
「歩けないんですよね?」
「でも、女性に背負われるのは」
「私、S級です」
「いや、それは知ってますけど」
「なら大丈夫です」
強い。
言い方も含めて。
男性はまだ遠慮していたが、最後には折れた。
神代さんが軽々と背負う。
本当に軽そうだ。
娘さんが呆然としている。
「お父さんが……」
「俺も初めて見たら驚くと思います」
「すごいですね」
「ですよね」
神代さんが俺を見る。
「聞こえてますよ」
「褒めてます」
「ならいいです」
少しだけ空気が軽くなる。
俺は光を見る。
「行きましょう」
歩き出す。
父親を背負った神代さん。
その隣を娘さん。
俺が先頭。
まだ出口までは距離がある。
でも道は見えている。
それなら帰れる。
そう思っていた。
後ろから男性の声がした。
「久世さん」
「はい?」
名前を知っているらしい。
昨日の件かもしれない。
「俺、本当にこのままでいいんですか」
「何がです?」
「神代さんに背負わせて」
神代さんが言う。
「私は問題ありません」
「そうじゃなくて……」
男性は少し黙った。
「俺を置いて、娘だけ先に連れて帰ってもらえませんか」
娘さんが振り返る。
「お父さん!」
「だって、このままじゃみんな遅くなるだろ」
「だからって置いていけるわけないでしょ!」
「でも」
「嫌だからね!」
親子の声が通路に響く。
俺は足を止め振り返る。
男性が俺を見る。
「久世さん。娘だけでも」
俺は足元を見る。
光はまだ続いている。
消えていない。
全員で帰れる道がある。
なら、答えは簡単だった。
「その必要はありません」
男性が黙る。
「でも俺がいると――」
「帰れる道は出てます」
「……え?」
俺は光の先を見る。
「全員で帰れます」
それだけ伝えて、また歩き始めた。
後ろで娘さんが小さく息を吐く。
神代さんも何も言わなかった。
しばらくしてから、男性がぼそっと言った。
「……すみません」
「謝るのは地上に戻ってからでいいですよ」
俺は振り返らずに答えた。
「奥さん、待ってますから」
今度は返事がなかった。
ただ、少しして。
「はい」
それだけが聞こえた。
俺たちは地上へ向かって歩き続けた。
だが、その途中。
足元の光が、ふっと揺れた。
俺は足を止める。
「久世さん?」
神代さんが聞く。
光がゆっくりと薄くなる。
そして、さっきまでとは別の通路へ伸び直した。
俺は神代さんの背中を見る。
正確には、背負われている男性の右足。
さっきより明らかに腫れが強くなっている。
「……道が変わった」
俺が呟く。
娘さんが不安そうにこちらを見る。
「何かあったんですか?」
俺は新しく伸びた光を確認した。
かなり遠回りだ。
でも、道は消えていない。
「大丈夫です」
俺は答える。
「帰れます。ただ――」
もう一度、男性の足を見る。
「少し、遠回りになりそうです」




