第6話 今度は私がついていきます
「戦えないのに、どうしてあそこまで助けに来られるんですか?」
神代さんの問いに、俺は少しだけ考えた。
受付の前で話すような内容でもない。
周りでは、仕事をしているふりをしながらこちらを気にしているスタッフが何人かいる。小日向なんて、隠す気すらない。
「場所、変えますか」
「はい」
紙袋を小日向へ押しつける。
「これ、休憩室に持っていって」
「僕が?」
「あと、勝手に開けるなよ」
「開けませんよ。たぶん」
「今の一言で信用なくしたぞ」
小日向が紙袋を抱えたまま笑う。
神代さんも少しだけ口元を緩めた。
俺たちは受付を離れ、救難所の奥にある小さな打ち合わせスペースへ移動した。
四人掛けのテーブルと椅子があるだけの部屋だ。
俺が椅子を引く。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
向かいに座る。
改めて見ると、昨日とはずいぶん印象が違った。
探索装備も剣もない。
こうして普通の服で座っていると、有名なS級探索者というより、どこにでもいそうな女性に見える。
もちろん、昨日オーガの腕を一撃で落とした人だけど。
「さっきの質問ですけど」
俺から話を戻す。
「はい」
「怖くないわけじゃないですよ」
神代さんが少し意外そうな顔をした。
「怖いんですか?」
「そりゃ怖いです」
「でも、昨日は一人で十八層まで来ましたよね」
「途中までは第一班と一緒でしたし」
「最後は一人でした」
「そうですけど」
神代さんは黙っている。
どうやら、それでは答えになっていないらしい。
俺は背もたれに軽く身体を預けた。
「神代さんは、ダンジョンに入る時、怖くないんですか?」
「怖い時はあります」
「ですよね」
「でも私は戦えます」
「俺は帰れます」
神代さんが目を瞬いた。
「帰れる道が見えるから、怖くないということですか?」
「いや。怖いですよ」
「……またそこに戻るんですね」
少し呆れられた。
俺も笑う。
「でも、怖いから行かないっていうのも違うかなと」
「どういう意味ですか?」
俺は少し言葉を選んだ。
別に立派な理由があるわけではない。
この仕事を始めた時から、ずっとそうしてきただけだ。
「救難要請って、帰れなくなった人が出すものじゃないですか」
「はい」
「なら、迎えに行く人間が必要でしょう」
「それは……そうですけど」
「俺には帰る道が見える。それなら、行けるところまでは行ったほうがいい」
神代さんは何も言わない。
俺は続けた。
「もちろん無理はしませんよ。魔物だらけなら待ちますし、戦闘が必要なら戦える人に頼ります。昨日だって神代さんたちがいなかったら、オーガを見た瞬間逃げてます」
「それは分かっています」
「ですよね」
「むしろ、そこまで素直に逃げると言える探索者も珍しいですけど」
「死にたくないので」
即答すると、神代さんが吹き出した。
昨日よりよく笑う人だ。
「でも」
笑いが収まると、神代さんは少し真面目な顔になった。
「それなら、余計に不思議です」
「何がですか?」
「自分が死ぬかもしれない場所へ、他人を助けるために入ることです」
俺はテーブルを見る。
確かに、外から見ればそうなるのかもしれない。
「そこまで大げさに考えたことないですよ」
「そうなんですか?」
「仕事ですから」
「昨日からそればっかりですね」
「便利なんですよ、この答え」
「分かりました。じゃあ聞き方を変えます」
神代さんが少し身を乗り出す。
「どうして、この仕事を続けているんですか?」
今度はすぐに答えが出なかった。
何となく始めた仕事ではない。
でも、誰かに話すために理由を整理したこともなかった。
しばらく考えてから口を開く。
「帰ってきた人って、大体同じ顔するんですよ」
「同じ顔?」
「地上に出た瞬間、力が抜けるんです」
昨日の神代さんたちもそうだった。
浅層で迷っていた初心者二人も。
その前に助けた人たちも。
緊張していた顔が、出口を見た途端に変わる。
「それを見ると、まあ……やっててよかったかなと思います」
言い終わってから、少し気恥ずかしくなった。
格好つけるつもりはなかったのに、それっぽいことを言ってしまった気がする。
「今のなしで」
「どうしてですか」
「何となく」
「嫌です。覚えておきます」
「やめてください」
神代さんはまた笑った。
その時、ドアがノックされた。
「どうぞ」
俺が答えると、小日向が顔を出した。
「失礼します」
「何だ?」
「お茶持ってきました」
「頼んでないけど」
「気を利かせました」
両手に紙コップを持っている。
俺と神代さんの前へ一つずつ置くと、小日向は当然のように空いている椅子へ座ろうとした。
「帰れ」
「え?」
「何で座るんだよ」
「いや、話終わったかなって」
「まだだ」
「分かりました」
素直に立ち上がる。
「ちなみに、お菓子すごく美味しそうでした」
「開けたな?」
「相馬さんが開けました」
本当か怪しい。
小日向が出ていくと、神代さんが紙コップを見ながら笑っていた。
「仲がいいんですね」
「新人だから世話してるだけです」
「向こうはそう思ってなさそうですけど」
「調子に乗るので本人には言わないでください」
「分かりました」
神代さんが一口お茶を飲む。
それから、少しだけ姿勢を正した。
「久世さん」
「はい」
「お願いがあります」
さっきから聞きたかったこととは別らしい。
「何でしょう」
「次に危険な救助へ行く時、私も連れていってもらえませんか」
思わず聞き返した。
「神代さんを?」
「はい」
「救助に?」
「はい」
俺はしばらく黙った。
冗談を言っているようには見えない。
「何でですか?」
「昨日、思ったんです」
神代さんは自分の右手を見る。
昨日はそこに剣を握っていた。
「私は戦えます。強い魔物が出ても、ある程度は対応できます」
「ある程度どころじゃなかったですけどね」
オーガをほとんど一人で倒していた。
「でも、帰れませんでした」
神代さんの声が少し低くなる。
「階層変動が起きて、地図が使えなくなっただけで、私たちは何もできなくなった。魔物は倒せるのに、地上へ戻れない」
昨日のことを思い出しているのだろう。
「久世さんは逆です」
「逆?」
「戦えない。でも、帰れる」
なるほど。
言われてみればそうだ。
神代さんは続ける。
「昨日、オーガが出た時に久世さんは私に『助かりました』って言いましたよね」
「言いました」
「私も同じです」
俺を見る。
「久世さんがいなければ、私たちは帰れなかった」
少しだけ言葉を置く。
「なら、一緒に行けばいいと思ったんです」
ずいぶん単純な結論だった。
でも、嫌いではない。
「神代さんが魔物を倒して」
「久世さんが帰る道を見つける」
「役割分担ですね」
「はい」
俺は腕を組む。
悪い話ではない。
むしろ救難側からすれば、S級探索者が同行してくれるのはありがたい。
問題は。
「神代さん、本来の仕事は?」
「探索です」
「ですよね」
「空いている時だけで構いません」
「事務所は大丈夫なんですか」
「今日はその話もしてきました」
早い。
「もう許可取ったんですか?」
「救難側の承認が出るなら、協力活動として参加していいそうです」
「準備よすぎません?」
「断られると思っていたので」
「俺、まだ断ってないですよ」
「じゃあ、いいんですか?」
急に嬉しそうな顔をされた。
こういう表情をされると断りにくい。
「俺が決めることじゃないので、相馬さんに聞かないと」
「分かりました」
その時だった。
今度はノックもなくドアが開いた。
相馬さんが立っている。
「聞こえてた」
「盗み聞きですか」
「お前ら声でかいんだよ」
そんなに大きかっただろうか。
相馬さんは部屋へ入り、空いている椅子を引いた。
神代さんが軽く頭を下げる。
「突然すみません」
「話は分かった」
相馬さんは腕を組む。
「神代さん。本気で救難活動に参加するつもりですか」
「はい」
「探索と違って、敵を倒すのが目的じゃない」
「分かっています」
「救難対象を優先する。攻略を続けられそうでも撤退することがある」
「はい」
「久世が逃げろと言ったら?」
神代さんは一瞬も迷わなかった。
「逃げます」
俺が横を見る。
「本当に?」
「久世さんが帰る道を知ってるんですよね?」
「まあ」
「なら従います」
相馬さんが俺を見る。
「だとよ」
「何で俺に言うんですか」
「お前と組みたいって話だからだ」
正式にそう言われると妙な感じがする。
相馬さんは少し考えたあと、神代さんへ向き直った。
「常時とはいかないが、協力要員としてなら歓迎します。詳細は後で事務側と詰めましょう」
神代さんの顔が明るくなる。
「ありがとうございます」
「ただし」
相馬さんの声が少し低くなる。
「こいつを守ろうとして無茶するのはやめてください」
「相馬さん」
「お前は黙ってろ」
黙る。
神代さんは俺を見てから頷いた。
「分かりました」
「久世もだ」
「俺も?」
「S級が横にいるからって危ないところへ突っ込むな」
「そんなことしませんよ」
「昨日十八層に一人で入った男が言うな」
言い返せない。
相馬さんが立ち上がった。
「それじゃ、話はあとで――」
そこで、館内放送が鳴った。
『救難班、緊急連絡。浅層区域にて未帰還者二名。現在、現地班が情報確認中』
相馬さんの顔つきが変わる。
俺も立ち上がった。
救難所では珍しくない放送だ。
ただ、続く内容に少し引っかかった。
『対象は親子。父親四十八歳、娘二十歳。最終確認地点は第五層東区画』
第五層。
初心者向けに近い場所だ。
本来なら、そこまで大きく迷うような区域ではない。
相馬さんがすぐにドアを開ける。
「行くぞ」
「はい」
俺も続こうとする。
その横で椅子が動いた。
神代さんだった。
「私も行きます」
相馬さんが振り返る。
「まだ正式な手続き前ですよ」
「見学でも構いません」
「見学でダンジョン入られても困ります」
「なら、協力要員としてお願いします」
相馬さんが俺を見る。
また俺か。
「久世」
「何ですか」
「どうする」
俺が決めるのか。
神代さんを見る。
昨日よりずっと軽い服装だが、ここへ来る時に装備も持ってきたらしい。受付近くに剣を含めた探索装備一式が置かれていたのを思い出す。
本当に準備がいい。
「危なくなったら、俺の指示聞いてくれます?」
「もちろんです」
「攻略じゃないですよ」
「分かっています」
「魔物がいても、倒す必要がなければ避けます」
「はい」
返事に迷いがない。
俺は相馬さんを見る。
「俺は大丈夫です」
「分かった」
相馬さんが短く頷く。
「神代さん。十分で準備してください」
「五分でできます」
「じゃあ五分で」
話が早い。
俺たちは打ち合わせスペースを出た。
廊下では小日向がすでに端末を抱えて走り回っている。
俺を見るなり声を上げた。
「久世さん、未帰還者の情報来てます!」
「確認する」
「最後の通信では娘さんは無傷、父親が足を痛めてる可能性があります」
怪我人か。
それなら余計に急いだほうがいい。
俺はロッカーへ向かう。
その後ろを神代さんがついてくる。
昨日は、俺が一人で彼女たちを迎えに行った。
今日は違う。
「神代さん」
「はい」
歩きながら振り返る。
「よろしくお願いします」
神代さんは少しだけ笑った。
「こちらこそ」
そして、ほんの少し考えてから付け加える。
「今度は私がついていきます」
昨日とは逆だなと思った。
でも、悪くない。
救難所の外では、もう出動車両のエンジンがかかっていた。
今度迎えに行くのは、S級探索者じゃない。
どこにでもいる親子だ。
それでも、やることは同じだった。
無事に見つけて。
全員で、地上へ帰る。




