第5話 F級のおっさんは誰だ
翌朝、救難所に着いた時から、何かがおかしかった。
いつもならこの時間、夜勤組が引き継ぎをしながらコーヒーを飲んでいたり、小日向が眠そうな顔で端末を眺めていたりする。ところが今日は、入口を通っただけで何人もの視線がこっちへ向いた。
「おはようございます」
挨拶すると、一応みんな返してくれる。
ただ、そのあとも見られている。
何だろう。
昨日の報告書に何か書き忘れただろうか。
ロッカーへ向かおうとしたところで、小日向が勢いよく立ち上がった。
「久世さん!」
「おはよう」
「おはようございますじゃないですよ!」
「朝だからな」
「そういうことじゃなくて!」
朝から元気だ。
小日向はスマートフォンを持ったまま駆け寄ってくると、その画面を俺の目の前へ突き出した。
「これ、見ました?」
「近い」
「あ、すみません」
少し離してくれたので画面を見る。
動画だった。
再生前の画像に、何人かの探索者が映っている。
先頭にいるのは――俺だ。
その後ろには神代さんたち。
画面には大きな文字で、
『S級パーティを救った謎のF級探索者』
と書かれていた。
「……何これ」
「昨日の切り抜きです」
「切り抜き?」
「森岡さんの配信、途中で復帰してたじゃないですか。その部分が拡散されてるんですよ」
昨日の帰り道で、橘さんがそんなことを言っていたのを思い出す。
確かに少し映ったとは聞いた。
でも。
「俺、こんなに映ってた?」
「ずっと先頭歩いてますから」
「顔も出てるな」
「そこ気にするんですか?」
「気にするだろ」
探索者として配信活動をしているわけでもない。
自分の顔が知らないところで広まっているのは、あまり落ち着かない。
小日向が動画を再生する。
十八層からの救助を終え、上層へ戻っている途中の映像だった。
俺が前を歩き、その後ろを神代さんたちがついてきている。
画面の横をコメントが流れていた。
《美波ちゃん無事だ!》
《全員いるじゃん》
《よかったマジで》
そこまでは普通だ。
少しして、俺の姿に気づいたらしいコメントが増え始める。
《先頭誰?》
《救難隊?》
《見たことない》
《この人が案内してるの?》
映像の中で、森岡さんが俺に何か話しかけている。
そこへ橘さんの声が入った。
『久世さん、めちゃくちゃ映ってます』
そして神代さんが言う。
『久世さんも映ってましたからね』
俺の名前までしっかり入っていた。
「これ、名前消せなかったの?」
「生配信なので無理ですよ」
「そうか」
続けて別のコメントが表示される。
《久世って誰だ》
《検索しても出ない》
《探索者ランクFってマジ?》
《F級が十八層まで救助に行ったの?》
《いやいや無理だろ》
《なんでS級が全員この人についてってるんだ》
俺は小日向を見る。
「みんな暇なの?」
「久世さん。今この動画、かなり回ってます」
「どれくらい?」
小日向が再生回数を指差した。
数字を見て、もう一度見直す。
「……桁、合ってる?」
「合ってます」
「昨日の夜から?」
「はい」
よく分からない世界だ。
人を一組連れて帰っただけなのに。
いや、相手がS級だったからなのだろう。
「でもまあ、神代さんたちが無事だったって分かったならよかったんじゃないか」
スマートフォンから目を離す。
小日向が不満そうな顔をする。
「反応それだけですか?」
「他に何があるんだよ」
「自分が話題になってるんですよ」
「別に話題になりたくない」
「普通もっと何かあるでしょう。嬉しいとか、恥ずかしいとか」
「顔が出てるのは恥ずかしい」
「そこなんですよね、結局」
小日向が肩を落とした。
そこへ後ろから低い声が飛んでくる。
「朝から騒ぐな」
相馬さんだった。
紙コップのコーヒーを片手に、いつも通り機嫌が悪そうな顔をしている。
「相馬さん、見ました? 久世さんの動画」
「見た」
「すごいですよね」
「面倒だ」
俺と同じ感想だった。
小日向が振り返る。
「なんで二人ともそんな反応なんですか」
相馬さんは答えず、俺に一枚の紙を差し出した。
「ほら」
受け取る。
昨日提出した報告書だった。
いくつか赤字が入っている。
「ここの時間、間違ってる。それと第一班と別れた地点をもう少し詳しく書け」
「ああ、すみません」
「午前中に直せ」
「分かりました」
やっぱりこっちのほうが現実感がある。
動画が何回再生されようと、報告書の間違いは直さないといけない。
自分の机へ向かおうとした時、電話が鳴った。
受付のスタッフが取る。
「はい、湾岸第一ダンジョン救難所です」
いつもの光景だ。
ただ、すぐにそのスタッフが俺を見た。
「……久世、さんですか?」
俺も見る。
受付の人が受話器を押さえる。
「久世さんに相談したいって」
「俺?」
「昨日の救助を見たそうです」
小日向が嬉しそうに振り返った。
俺は嫌な予感がした。
それから一時間で、電話が六件。
メールは十二件来た。
全部、俺宛てだった。
「おかしくない?」
パソコンの画面を見ながら言う。
隣の席で小日向が楽しそうに笑っている。
「人気者ですね」
「笑ってないで手伝ってくれ」
「振り分けしてますよ」
内容は様々だった。
遭難した仲間を捜してほしい。
以前迷った場所まで同行してほしい。
深層攻略についてきてほしい。
中には、
『絶対に死なないルートが分かるって本当ですか?』
という問い合わせまであった。
「誰がそんなこと言ったんだ」
俺が画面を見ながら呟くと、小日向が別の端末から顔を上げる。
「ネットで話が膨らんでますね」
「《帰り道》はそんなスキルじゃないぞ」
「知ってます」
「魔物は普通に出るし」
「知ってます」
「俺は戦えないし」
「それも知ってます」
「じゃあ何とかしてくれ」
「僕にネットは止められませんよ」
それもそうか。
深層攻略への同行依頼を閉じる。
俺の仕事は攻略ではない。
宝を取りに行くための案内役になるつもりもない。
そこへ相馬さんがやってきた。
「どうだ」
「帰りたいです」
「来たばっかりだろ」
「問い合わせが多すぎます」
「そのうち落ち着く」
「本当ですか?」
「知らん」
言い切った。
相馬さんは机の横に立つと、表示されている依頼を確認した。
「これは断れ」
一件を指差す。
深層探索への同行依頼だ。
「こっちもだ。観光目的で救難員を使うな」
「ですよね」
「救難は便利屋じゃない。必要なものだけ回せ」
相馬さんはそう言って、今度は小日向を見る。
「お前も依頼内容を確認してから久世に渡せ」
「はい」
俺宛てだから全部回していたわけではなかったらしい。
助かる。
相馬さんが去ろうとしたので、俺は呼び止めた。
「相馬さん」
「何だ」
「昨日の件で問い合わせが増えたなら、しばらく俺は表に出ないほうがいいですか?」
相馬さんは少しだけ考えた。
「何でだ」
「いや、余計に騒がれるかなと」
「救難要請が来たら行け」
即答だった。
「でも」
「お前の仕事は何だ」
「救難です」
「なら、それ以外は気にすんな」
相馬さんはそのまま歩いていった。
分かりやすい。
俺も気持ちを切り替えて、報告書の修正に戻った。
昼を過ぎる頃には、少しだけ落ち着いてきた。
問い合わせは受付側で整理してくれるようになり、本当に救難が必要なものだけこちらへ回ってくる。
幸い、大きな事故は起きていない。
昼食を買いに行くのも面倒だったので、休憩室の自動販売機でパンを買った。
小日向もついてくる。
「久世さん、コメント欄見ました?」
「もう見ない」
「面白いですよ」
「俺は面白くない」
「『F級のおっさん』って呼ばれてます」
パンの袋を開ける手が止まった。
「誰がおっさんだ」
「三十五歳は微妙なところですね」
「微妙って何だ」
「僕から見たらおっさんです」
「お前、何歳だっけ」
「二十一です」
「じゃあ、お前が三十五になった時に同じこと言ってやる」
「十四年後まで覚えてるんですか?」
「今ので覚えた」
小日向が笑う。
俺はパンを一口食べた。
味は普通だ。
昨日の十八層で食べた簡易食よりはずっといい。
「でも、肯定的なコメント多いですよ」
小日向が言う。
「そうなの?」
「『救助にF級とか関係なくない?』とか、『こういう人がいるなら安心する』とか」
「へえ」
「嬉しくないですか?」
少し考える。
知らない人に褒められるのは、悪い気はしない。
でも、昨日助けた神代さんたちが無事に家へ帰れたことのほうが、俺にはずっと分かりやすかった。
「まあ、悪くはないかな」
「お」
「何だよ」
「やっと人間らしい反応した」
「今まで何だと思ってたんだ」
そんな話をしていると、休憩室のドアが開いた。
受付の女性スタッフだった。
「久世さん、ちょっといいですか?」
「はい」
また問い合わせだろうか。
残ったパンを袋に戻す。
「救難依頼ですか?」
「いえ」
受付の人は少し困ったような、それでいて興奮しているような顔をしていた。
「お客さんです」
「俺に?」
「はい」
今日は本当に多いな。
俺は立ち上がる。
「誰ですか?」
「神代美波さん」
小日向が勢いよく立ち上がった。
「えっ?」
俺も聞き返す。
「神代さん?」
「受付にいらっしゃってます。久世さんに会いたいって」
昨日、地上に戻った時にお礼なら言われている。
何か忘れ物でもあっただろうか。
休憩室を出て受付へ向かう。
廊下の途中から、いつもより人の気配が多いことに気づいた。
救難所のスタッフまで何となく受付のほうを気にしている。
「みんな仕事してくださいよ……」
小さく呟きながら角を曲がる。
受付前に、一人の女性が立っていた。
昨日の探索装備ではない。
白いシャツに細身のパンツという普通の服装で、長い黒髪も下ろしている。それでも、すぐに神代美波だと分かった。
向こうも俺に気づく。
表情が少し和らいだ。
「久世さん」
「こんにちは」
「昨日はありがとうございました」
会って早々、また頭を下げられた。
「いえ。昨日も言いましたけど、仕事なので」
「それでも、お礼をしたくて」
神代さんが手にしていた紙袋を少し持ち上げる。
「皆さんで食べてください」
「気を遣わなくてもよかったのに」
「私がそうしたかっただけです」
そう言われると断りにくい。
「じゃあ、ありがたく」
紙袋を受け取る。
思ったより重い。
小日向が俺の後ろから中を覗こうとしていたので、肘で軽く押し返した。
「で」
俺は神代さんを見る。
「これを渡すためだけに?」
神代さんが一度口を閉じた。
どうやら違うらしい。
少し迷ったあと、まっすぐこちらを見る。
「久世さんに、聞きたいことがあります」
昨日までとは少し違う目だった。
助けられた探索者が救難員を見る目ではない。
何かを確かめようとしている。
「時間、いただけますか?」
俺は手元の紙袋と神代さんを交互に見る。
「仕事中なので、少しなら」
「ありがとうございます」
何を聞かれるのだろう。
《帰り道》についてだろうか。
十八層のことか。
その答えは、次の神代さんの言葉で分かった。
「久世さんは――」
神代さんは一度だけ息を整えた。
「戦えないのに、どうしてあそこまで助けに来られるんですか?」




