第4話 全員、生還
「帰れる道は、ちゃんと続いてます」
俺がそう言うと、森岡さんが裂け目の向こうを見た。
「続いてるって……どこに?」
「こっちです」
俺は崖の縁から少し離れ、右側の壁際へ歩く。
光は岩壁に沿って伸びていた。
一見するとただ崩れた岩が積み重なっているだけで、通路があるようには見えない。
神代さんが隣まで来る。
「この奥ですか?」
「みたいですね」
「みたいですね、じゃなくて」
森岡さんが後ろから言う。
「もうちょっと安心できる言い方ないの?」
「帰れるとは言ってますよ」
「そうだけどさ」
橘さんが小さく笑った。
この状況でも笑える余裕が戻ってきたなら悪くない。
俺は岩壁へ近づいた。
大きな岩が斜めに倒れ、その裏側にわずかな隙間ができている。
しゃがみ込んでライトを向ける。
奥は暗い。
ただ、人が一人通れるくらいの空間はありそうだった。
「ここですね」
神代さんもしゃがみ込む。
「通れそうですか?」
「俺は」
「榊原さんは?」
後ろを見る。
榊原さんは森岡さんに肩を借りたまま立っている。
右足の状態はあまり良くない。
狭い場所を這うように進む必要があるなら厳しい。
でも光はここを通っている。
それなら、全員で通れるはずだ。
「たぶん大丈夫です」
森岡さんがすぐに言う。
「その“たぶん”にも慣れてきたな」
「すみません」
「もう謝らなくていいよ」
俺はヘルメットのライトを点け直し、岩の隙間へ身体を入れた。
思ったより広い。
最初こそ屈む必要があったが、数メートル進むと天井が高くなった。
奥へ進む。
足元も平らだ。
ただし右側は崩れていて、その向こうにはさっきの裂け目が見える。
どうやら崖の壁面に残った細い通路らしい。
「行けそうです」
振り返って声をかける。
神代さんが最初に入ってきた。
続いて橘さん。
森岡さんと榊原さんが最後だ。
榊原さんは少し苦労していたが、森岡さんが身体を支えれば進める。
全員が入ったのを確認し、俺はまた光を追った。
「すごいな」
森岡さんが周囲を見回す。
「こんな道、地図に載ってたか?」
神代さんが首を横に振る。
「少なくとも私が確認した地図にはありませんでした」
「じゃあ、階層変動でできたのか」
「その可能性はありますね」
二人が話している横で、俺は前を確認する。
光は安定している。
このまま進めそうだった。
「行きましょう」
俺が言うと、神代さんが頷いた。
細い通路を進んで十分ほど経った。
さっきまでのような大きな分岐はない。
光も真っ直ぐ伸びている。
榊原さんの足を考えれば、このまま何事もなく進めるのが一番だった。
そう思っていた。
前方から、石が転がる音がした。
神代さんが足を止める。
俺も止まる。
全員が静かになる。
また一つ。
小さな石が落ちる。
次に、低い唸り声。
森岡さんが盾を前へ出した。
「来るぞ」
通路の奥。
暗闇の中から、赤い目が二つ浮かんだ。
一体。
その後ろにもう一体。
さらに奥にもいる。
橘さんが短く息を吐く。
「三……四?」
神代さんが剣を抜いた。
「久世さんたちは下がってください」
俺は素直に後ろへ下がる。
こういう時に無理をして前へ出ても邪魔になるだけだ。
榊原さんも壁際へ寄る。
森岡さんがその前へ立った。
現れたのは、四足歩行の魔物だった。
大きさは大型犬の倍ほど。
黒い毛。
長い牙。
ダンジョンウルフ。
一体なら中級探索者でも対処できる。
ただし狭い通路で数が多いと厄介だ。
一匹目が神代さんへ飛びかかった。
速い。
俺の目では追い切れない。
でも神代さんはほとんど動かなかった。
一歩だけ前へ。
剣を振る。
ダンジョンウルフが空中で弾かれ、そのまま壁へ叩きつけられた。
二匹目。
森岡さんの盾へ突っ込む。
鈍い音。
森岡さんは少しも下がらない。
「橘!」
「分かってる!」
橘さんが片手を上げる。
短い詠唱。
青白い光が走り、三匹目の足元が凍った。
動きが止まる。
そこへ神代さん。
一閃。
あっという間だった。
残った一匹が踵を返そうとする。
だが森岡さんが盾で進路を塞ぐ。
「逃がすなよ!」
「そっちが塞いだんでしょう」
神代さんが言いながら剣を振る。
最後の一匹が倒れた。
静かになる。
俺は少し間を置いてから聞いた。
「終わりました?」
神代さんが剣についた血を払う。
「終わりました」
「助かりました」
「だから、それはこっちの台詞です」
前にも同じことを言われた気がする。
神代さんも気づいたらしく、少しだけ笑った。
俺たちは再び進み始めた。
通路は徐々に上り坂になっていった。
それほど急ではない。
榊原さんでも進める。
やっぱり《帰り道》は怪我人を含めて道を選んでいるらしい。
しばらくすると、空気が変わった。
少しだけ冷たい。
俺は立ち止まる。
「どうしました?」
神代さんが聞く。
「いや」
前方を見る。
光が強くなっている。
経験上、これは出口が近い時に多い。
「たぶん、もう少しです」
森岡さんが声を上げる。
「お、やっと?」
「たぶん」
「そこは言い切ってくれよ」
後ろから笑い声が上がる。
さっきまで遭難していたとは思えないくらい、空気が軽くなっていた。
少し先で、通路が開ける。
階段があった。
上へ続いている。
神代さんが息を呑む。
「これ……」
「知ってる階段ですか?」
「いいえ。でも、上に行けるなら」
俺は光を見る。
階段を上っている。
「行けます」
全員で階段を上がる。
一段。
また一段。
途中で榊原さんが少し苦しそうにしたので、森岡さんがさらに強く身体を支えた。
橘さんも反対側へ回る。
神代さんは一番後ろへ。
俺が先頭。
そのまま階段を上り切る。
出た場所は、広い通路だった。
壁に見覚えのある表示がある。
《第十七層・南区画》
森岡さんが声を上げた。
「十七層!」
橘さんも顔を明るくする。
神代さんが周囲を確認した。
「ここなら救難班と合流できます」
俺は位置発信機を見る。
さっきまで不安定だった通信表示が戻っている。
すぐに端末が震えた。
救難本部からだ。
『久世、応答しろ』
相馬さんの声。
「久世です」
『神代班は?』
「全員います。負傷者一名。歩行可能です」
一瞬、向こうが静かになった。
『全員いるんだな』
「はい」
『現在位置は』
表示を確認する。
「十七層南区画。階層変動後にできた通路から上がりました」
『分かった。第一班を向かわせる。それまで動くな』
「了解です」
通信を切る。
神代さんたちが俺を見ていた。
「救難班、来るそうです」
森岡さんが大きく息を吐いた。
「やっと助かった……」
榊原さんが笑う。
「いや、それもっと前に言う台詞じゃない?」
「地上出るまで信用しねえ」
「慎重だなあ」
「お前が怪我隠すからだろ」
「それは悪かったって」
二人のやり取りを聞きながら、俺は壁際に腰を下ろした。
ここまで来れば大丈夫だろう。
神代さんが隣に立つ。
「久世さん」
「はい?」
「ありがとうございました」
「まだ地上じゃないですよ」
「でも、もう帰れますよね?」
俺は足元を見る。
光はまだ続いている。
第十七層から上。
はっきりと。
「帰れます」
そう答えると、神代さんは安心したように息を吐いた。
第一救難班と合流してからは早かった。
既知のルートを使い、全員で上層へ向かう。
階層変動の影響も、第十五層より上ではほとんどない。
十三層。
十層。
七層。
少しずつ地上が近づいてくる。
それに合わせて通信も安定し始めた。
神代さんたちの配信機材も途中で回線が戻ったらしい。
橘さんが端末を確認して驚いた。
「配信、復帰してる」
神代さんが振り返る。
「いつから?」
「今気づいた。たぶん十層くらいから」
「切ってください」
「もう映ってるけど」
「え?」
神代さんが明らかに嫌そうな顔をする。
森岡さんが笑った。
「いいじゃん。生存報告になるだろ」
「そういう問題じゃない」
俺にはよく分からない。
配信画面に自分が映っている可能性はあるが、救助活動中だし気にしている余裕もなかった。
橘さんが画面を見る。
「コメント、すごいことになってる」
「見なくていいです」
「『美波生きてた!』」
「読まなくていい」
「『全員いるじゃん!』」
「橘さん」
「『前歩いてるおっさん誰?』」
足が止まりそうになった。
俺のことだろうか。
橘さんが俺を見る。
「久世さん、めちゃくちゃ映ってます」
「俺ですか?」
「先頭ですからね」
「切れません?」
「私の配信じゃないので」
どうやら森岡さんの機材らしい。
本人は知らない顔をしている。
「森岡さん」
神代さんの声が低くなる。
「今切ります」
素直だった。
それからは配信なしで進んだ。
ようやく一層。
地上へ続くゲートが見える。
その瞬間。
俺の足元に伸びていた光が、少しずつ薄くなった。
もう必要ない。
ここまで来れば、誰でも帰れる。
ゲートの向こうが騒がしい。
ずいぶん人がいるようだった。
「すごい音ですね」
俺が言うと、神代さんが苦笑する。
「たぶん私たちのせいです」
「有名人って大変ですね」
「他人事みたいに言ってますけど、久世さんも映ってましたからね」
「俺はF級ですよ」
「そこは関係ないと思います」
ゲートを抜ける。
一気に視界が明るくなった。
眩しくて目を細める。
次の瞬間、いろんな声が聞こえた。
「神代さん!」
「全員いる!」
「榊原さん、負傷しています!」
「担架こっち!」
救急スタッフが走ってくる。
報道らしい人間もいる。
一般の見物人までいるようだった。
神代さんたちの生還を待っていたらしい。
榊原さんはすぐに救急スタッフへ引き渡された。
橘さんも付き添う。
森岡さんは救難班へ状況を説明している。
俺は少し離れた。
俺の仕事は終わった。
全員、地上へ戻った。
それでいい。
「久世!」
相馬さんの声がする。
振り返ると、相馬さんと小日向がこちらへ来るところだった。
小日向は走っている。
「久世さん!」
「お疲れ」
「お疲れじゃないですよ!」
いきなり怒られた。
「連絡途切れるし、十八層だし、こっちはずっと――」
「悪かったって」
「絶対分かってないですよね」
「分かってる」
「本当ですか?」
たぶん半分くらいしか分かっていない。
相馬さんは俺の前まで来ると、何も言わず装備を確認した。
怪我がないのを見てから、短く息を吐く。
「無茶したか?」
「してません」
「本当か」
「神代さんたちが強かったので」
「お前は他人の戦闘力を前提にするな」
「すみません」
相馬さんはため息をついた。
でも、それ以上は何も言わなかった。
俺は救難所へ戻ろうとする。
報告書も書かなければならない。
かなり長くなりそうだ。
「じゃあ、報告まとめてきます」
その時。
「久世さん!」
呼ばれた。
振り返る。
神代さんだった。
救急スタッフや仲間から離れ、こちらへ歩いてくる。
周囲にはまだ人が多い。
何人かが俺たちを見ている。
神代さんは気にせず、俺の前で立ち止まった。
「ありがとうございました」
深く頭を下げる。
さっき十七層でも言われた。
でも今度は、地上だ。
俺は少し困ってから答える。
「仕事ですから」
神代さんが顔を上げた。
「それでもです」
真っ直ぐな目だった。
「久世さんが来てくれなかったら、私たちはまだあそこにいました」
俺は返す言葉を探した。
こういう時はどうも苦手だ。
結局、出てきたのは普通の言葉だった。
「全員で帰れてよかったです」
神代さんが笑う。
「はい」
俺も少しだけ笑ってから、今度こそ救難所へ向かう。
後ろではまだ騒ぎが続いていた。
俺には関係ない。
報告書を書いて、装備を戻して、今日は帰る。
明日になれば、またいつもの救難所だ。
俺はそう思っていた。




