第66話 帰ってきた班
翌朝、救難所へ行くと、瀬川が昨日の記録を見直していた。
机の上には、救難対象から聞き取った内容と、現地班が実際に確認した情報が並べてある。
黄色い配管状のもの。
設備番号563。
赤い非常灯。
搬送昇降機の駆動音。
それぞれに、通報時の情報なのか、現場で確認されたものなのかが書き加えられていた。
「おはよう」
「おはようございます」
瀬川は顔を上げると、すぐに記録へ視線を戻した。
「昨日の続き?」
「はい。現場の報告と照らしてました」
「朝から真面目だね」
「久世さんも見ます?」
「俺?」
差し出された紙を見る。
救難対象の三人が話していた内容と、現地班が確認したものには少し違いがあった。
黄色いものが二本見えたこと自体は合っていたが、そのうち細い一本は配管ではなく、古い電線管だったらしい。
「これ、配管じゃなかったんだ」
「はい。でも、場所を探す情報としては使えました」
「配管じゃなくても?」
「通報した人たちからは、黄色い配管が二本に見えてたんですよね。だから、その情報自体を間違いにするのも違うのかなって」
瀬川が自分のメモを指す。
「あとから記録を見る人が、二本とも配管だったと思わなければいいだけなので」
「細かいね」
「細かすぎますか?」
「それは小日向さんに聞いて」
すぐ近くで端末を操作していた小日向が顔を上げた。
「こっちに投げないでください」
「専門家でしょ」
「久世さんの教育係ですよね?」
「記録は担当外です」
「そんな制度ありません」
瀬川が笑う。
小日向は椅子を寄せ、記録を確認した。
「瀬川さんの考え方でいいと思います。ただ、“本人たちにはそう見えた”まで文章で全部書くと長くなるので、通報時情報と現場確認を並べれば十分ですね」
「例えば?」
「通報時情報に『黄色い配管状のもの二本』。現場確認に『黄色配管一本、黄色電線管一本』。これなら違いが分かります」
瀬川がすぐに書き直した。
「なるほど」
「あと、救難対象が間違えたって書き方にはしないほうがいいです」
「どうしてです?」
「暗いダンジョンの中で、設備の種類まで正確に見分けろっていうほうが無理ですから。僕たちが知りたいのは正解を答えられたかじゃなくて、その情報を次の判断に使えるかどうかです」
瀬川が頷く。
俺も横で聞いていた。
「昨日の三人も、別に嘘を言ったわけじゃないもんね」
「そういうことです。救難対象は設備の試験を受けてるわけじゃありませんから」
午前中には、昨日第五層へ向かった救難班の四人もやって来た。
昨日は帰還後に最低限の報告を済ませていたが、今日は改めて詳細な記録の確認と、使用した装備の点検をするらしい。
先頭の男性が俺たちの机を見て声をかけた。
「昨日の記録、まだやってる?」
「ちょうど確認してます」
小日向が答える。
「よかったです。捜索中の判断も少し詳しく聞かせてください」
四人が机を囲み、俺と瀬川もその場に残った。
小日向が地図を広げる。
「最初、西側を第一候補にしましたよね」
「聞いてた情報なら、あれでよかったと思う」
男性が西側設備通路を指す。
「北側もあり得たけど、一定間隔の金属音って情報が大きかった」
瀬川が聞く。
「現場に入ってからも、その音は聞こえたんですか?」
「ああ。ただ、第五層へ降りた直後は聞こえなかった。西側へ入ってから少しずつ聞こえるようになった」
「じゃあ、その時点で西側の可能性が上がった?」
「そうだな。でも、それだけで決めたわけじゃない」
救難員は地図を指でなぞった。
「設備番号を追いながら、通報内容と一つずつ合わせた。黄色いものが二本、赤い非常灯、右へ曲がる通路。そこまで重なって、ようやくかなり近いと判断した」
「音が聞こえたから、そのまま走ったわけじゃないんですね」
「走らないよ」
救難員が笑う。
「違ってたら、戻る時間が余計にかかるだろ」
瀬川も少し笑った。
「そうですよね」
別の救難員が口を開く。
「それに、現場へ行く前に候補が二つまで絞れてたのは助かったよ」
瀬川がそちらを見る。
「そんなに違いますか?」
「違う。第五層全部を探すのと、西か北のどちらかを確認するのじゃ全然違う」
男性が地図を広げた。
「今回は怪我人がいなかったからまだ余裕はあったけど、これが重傷者ありだったら十分でも早く見つけたい。その最初の十分を減らせる情報は大きいよ」
瀬川の表情が少し真剣になる。
「僕が昨日やったことって、その時間を減らすためだったんですね」
「そういうことだな」
救難員はあっさり答えたあと、少しだけ付け加えた。
「ただ、君一人で見つけたわけじゃないぞ」
「はい」
「そこが分かってるなら大丈夫だ。地上で候補を絞る人がいて、俺たちが中で確認する。違ってたら情報を戻して、次を探す。それだけだから」
瀬川が頷いた。
「はい」
「でも、その“それだけ”を誰かがやってくれないと困る」
瀬川は少し驚いたように顔を上げた。
救難員は大げさに褒めたわけではない。ただ、現場で実際に必要だったことを話しただけだ。
それでも、瀬川にはその言葉が残ったようだった。
詳しい確認を終えると、四人は装備庫へ向かった。
瀬川はしばらく地図を見ていた。
「どうしたの?」
俺が聞く。
「昨日も役に立ったって言ってもらいましたけど、今日聞くと少し違いますね」
「何が?」
「現場で、僕たちが送った情報をどう使ったのか分かったので」
瀬川は設備番号563の辺りを見る。
「僕はここで地図を見てただけでした。でも、向こうではその情報を持って、本当に通路を歩いてたんですよね」
「そうだね」
「何か、やっとつながった感じがします」
俺にも少し分かった。
救難所にいると、地図の上で印が動いているように見える。
現場では逆だ。
地上から届いた情報を聞きながら、本物の通路を歩く。
俺たちが現場で何気なく受け取ってきた情報も、誰かがここで整理して送ってくれていた。
「小日向さん、すごかったんですね」
瀬川が言う。
小日向がすぐに顔を上げた。
「過去形みたいに言わないでください」
「そういう意味じゃないです」
「今もすごいです」
「自分で足した」
俺が言う。
「誰も言ってくれないので」
「言われたいんだ」
「少しくらいは」
瀬川が笑った。
午前中は、そのまま昨日の救難記録を完成させることになった。
俺は自分の仕事に戻ったが、しばらくすると相馬さんが瀬川を呼ぶ。
「瀬川」
「はい」
「昨日の救難、最初の通報内容を言ってみろ」
いきなりだった。
瀬川は一瞬だけ驚いたが、すぐに答える。
「救難対象三名。第五層。全員一緒で怪我人なし。通信は不安定。現在地不明です」
「周辺情報」
「黄色い配管状のものが二本。一本は太く、一本は細い。設備番号は末尾63。赤い非常灯。通路は直進した先で右へ曲がっていました」
「音は」
「低い連続音と、一定間隔の金属音です」
相馬さんが頷く。
「全部《記録》で覚えてるのか」
「全部じゃないです」
瀬川が答えた。
「聞いた時の内容は残りやすいですけど、細かい数字はメモも見ています」
「能力がなければ?」
少し難しい質問だった。
瀬川は考える。
「もっと早くメモを取ると思います」
「それで足りるか」
「たぶん足りると思います。ただ、聞き逃した時の確認は増えるかもしれません」
「なら、《記録》があるから救難ができるわけじゃないな」
「はい」
「何に使える」
瀬川は少し考えてから答えた。
「聞いた情報を、なるべく正確に残すために使えます」
相馬さんはそれ以上問い詰めず、「分かった」とだけ言って自分の席へ戻った。
瀬川が俺を見る。
「今の何だったんですか?」
「知らない」
「教育係ですよね?」
「相馬さんの考えてることまでは担当外」
すると、離れた席から相馬さんの声が飛んできた。
「瀬川の能力だけで仕事を作るなって話だ」
俺たち二人が振り返る。
相馬さんは書類を見たまま続けた。
「《記録》が使えなくなったら何もできません、じゃ困る。記録の取り方を覚えた上で、能力で精度を上げろ」
瀬川は少し考えたあと、頷いた。
「はい」
俺もその言葉を聞きながら、自分のことを考えた。
《帰り道》があるから、俺にできることは増えた。
でも、人数を確認することも、怪我人の状態を見ることも、実際にその道を通れるかほかの人に確かめてもらうことも、《帰り道》が勝手にやってくれるわけではない。
瀬川も同じなのだと思う。
便利な能力があることと、その能力だけで仕事をすることは別だ。
午後になると、救難所は静かだった。
瀬川は装備確認を手伝い、通信記録を整理しながら、小日向に何度か修正されている。
「ここ、“たぶん西側”じゃ駄目です」
「どう書けばいいですか?」
「西側を第一候補と判断。後ろに根拠を簡潔に書いてください」
「長くなりません?」
「だから短くまとめるんです」
「難しい……」
俺は少し離れたところで聞いていた。
「瀬川君」
「はい?」
「記録好きって言ってなかった?」
「好きなのと上手いのは別です」
「なるほど」
「久世さん、ちょっと安心しました?」
「何で分かった?」
小日向が呆れた顔をする。
そのあと、相馬さんが昨日の救難記録を手に取り、しばらく目を通していた。
瀬川もそれに気づいたらしい。
「相馬さん」
「何だ」
「一つ聞いていいですか?」
「言え」
瀬川は少し考えてから口を開いた。
「昨日の救難班の人たちって、捜索が上手い人たちなんですよね?」
「ああ」
「それって、どうやって分かるんですか?」
相馬さんが顔を上げた。
瀬川は続ける。
「探索者ならランクがありますよね。強い人なら、ある程度それで分かる。でも、救難が上手い人って何を見れば分かるんですか?」
俺も少し気になって相馬さんを見る。
神代さんはS級。
俺はF級。
昨日の救難班にも、それぞれ探索者としてのランクはある。
でも、昨日三人を見つけたのは、強い魔物を倒せたからではない。
「救難にもランクみたいなのがあるんですか?」
瀬川が聞く。
「ない」
相馬さんはすぐに答えた。
「じゃあ、誰を現場に出すかは?」
「経験と、できることを見る」
「できること?」
相馬さんは手に持っていた記録を机へ置いた。
「捜索ができる。搬送ができる。応急対応ができる。通信ができる。現場で判断できる。そういうのを見て組む」
瀬川は少し考える。
「でも、それってどこかにまとまってるんですか?」
今度は相馬さんが黙った。
俺は小日向を見る。
小日向も何か考えている。
瀬川は、ただ疑問に思ったことを聞いただけなのだろう。
昨日、自分の《記録》が一つの役割として使われた。
現場班には現場班の役割があった。
それぞれに得意なことがあるなら、それをどうやって知るのか。
「全部まとまってるわけじゃないですね」
小日向が答えた。
「救難歴や資格は残っています。でも、実際にどんな現場を経験して、何ができるかまで一覧になっているわけではないです」
「じゃあ、昨日みたいな班を作る時は?」
「相馬さんたちが知ってる人から選ぶことが多いです」
瀬川は少し驚いた。
「人が増えたら大変じゃないですか?」
今度は誰もすぐには答えなかった。
少し前までなら、それでも困らなかったのかもしれない。
でも、救難に関わる人は増え始めている。
別の地域から学びに来る人も出てきた。
俺の《帰り道》だけではなく、救難のやり方そのものについて問い合わせも来ている。
瀬川の疑問は、思っていたより大きな話なのかもしれない。
相馬さんが小日向を見る。
「今ある記録、出せるか」
「救難員ごとのですか?」
「ああ」
「出せます」
小日向が端末を操作し始める。
瀬川が俺を見た。
「何か始まります?」
「たぶん」
「久世さんも分からないんですか?」
「俺、相馬さんの教育係じゃないから」
「それはそうですね」
そこはすぐ納得された。
俺も椅子を少し机へ寄せた。
昨日の救難で三人は無事に帰った。
その救難が終わったあとに残った記録から、今度は別の疑問が出てくる。
誰が、何をできるのか。
救難に必要な力は、探索者ランクだけでは分からない。
そのことをどうやって残し、次の現場へつなげるのか。
小日向が画面にいくつもの記録を表示する。
相馬さんはそれを見ながら言った。
「一度、整理するか」
瀬川の何気ない疑問から、また一つ新しい仕事が増えそうだった。




