第65話 声だけで探す
瀬川の研修が始まって五日目の午前中、救難所に一本の連絡が入った。
電話を取った小日向の表情を見て、俺は手元の資料を置く。
「はい、救難受付です。まず人数を教えてください」
瀬川もすぐに動いた。
もう、電話が鳴るたびにこちらを見ることはない。小日向の邪魔にならない位置へ移動し、自分のメモを開く。
「三名ですね。全員一緒にいますか?」
小日向の声を聞きながら、俺も内容を追う。
救難対象は三人。第五層で探索中に道を見失い、現在地が分からなくなったらしい。怪我人はおらず、三人とも一緒にいる。
ただ、通信状態があまりよくない。
『地図は……あるんですけど、さっきから……合わなくて』
若い男性の声が途中で途切れた。
「聞こえています。今いる場所から動かないでください。周囲に魔物は見えますか?」
『今は……いません』
「分かりました。では、その場から見える範囲だけ教えてください。確認のために歩き回らなくて大丈夫です」
通話の向こうで三人が相談する声がする。
『黄色い……たぶん配管みたいなのがあります』
「何本ありますか?」
『二本です。太いのと……細いのが一本ずつ』
小日向が記録する。
「ほかに見えるものは?」
『赤い非常灯があります。かなり古そうな……』
そこで音声が途切れた。
数秒後、通信が戻る。
『すみません』
「大丈夫です。壁に番号や文字はありますか?」
『あります。前のほうが削れてて……六三、だと思います』
「末尾が六三ですね」
『はい』
小日向はそこまで聞くと、一度相馬さんを見る。
「第五層。黄色い配管状のもの二本、古い赤色非常灯、設備番号らしき表示は末尾63です」
相馬さんが設備図を開いた。
瀬川も地図を覗き込む。
俺も横から見た。
「これだけで分かる?」
俺が聞く。
「難しいですね」
小日向が答える。
第五層には古い設備区画がいくつも残っている。
黄色い配管も珍しくない。
赤い非常灯も旧区画なら何か所かある。
番号の末尾が63になる設備も一つではなかった。
「候補は三か所くらいです」
小日向が画面を示す。
北側の旧作業区画。
西側の設備通路。
南東側の保守区画。
「昨日より広いですね」
瀬川が言った。
前日の救難では、壁番号や設備の位置がかなりはっきりしていた。今回は似たようなものが複数あり、見えている情報だけでは場所を決めにくい。
小日向が通話へ戻る。
「もう少し確認します。今いる場所から動く必要はありません。通路の形は分かりますか?」
『まっすぐで……少し先が右に曲がってます』
「左側は?」
『壁です』
小日向が地図を確認する。
「三か所ともあり得ますね」
瀬川が言った。
確かに、これでは決め手にならない。
しかも通信はさっきから不安定だ。
細かく質問を続ければ、その途中で完全に切れる可能性もある。
相馬さんが言う。
「歩かせるなよ」
「はい」
小日向もすぐに答えた。
救難対象に場所を確認させるため、知らない通路を歩かせるわけにはいかない。
瀬川は地図とメモを交互に見ていた。
「何か気になる?」
俺が聞く。
「情報はあるんですけど、昨日と同じ探し方だと絞れないなと思って」
「昨日と同じ?」
「見えているものを地図と合わせるやり方です」
瀬川が答えた。
「黄色い配管も、非常灯も、番号も候補が残るので」
「じゃあ、ほかに何見る?」
「……見えるものじゃなくてもいいんですよね」
瀬川が小日向を見る。
「音って聞いてもいいですか?」
小日向は少し考えてから通話へ戻った。
「周囲で何か音はしますか? 機械の音でも、水の音でも構いません。その場で聞こえるものだけ教えてください」
『音……』
しばらく沈黙が続く。
通信が切れたわけではない。
三人も黙って耳を澄ませているらしい。
『低い音が、ずっとしてます』
「どんな音ですか?」
『ブーンっていう……機械みたいな』
瀬川が設備図を見る。
第五層には換気設備もある。
それだけでは場所を決められない。
『あと……』
男性の声が続く。
『たまに、カン、カンって鳴ります』
「金属音ですか?」
『そうです。二回くらい続けて』
瀬川の手が止まった。
「小日向さん」
「何です?」
「その音、前に見た記録にありませんでしたっけ」
「どの記録です?」
「設備の不具合で通路を迂回した救難です。搬送設備の近くで、一定間隔の警告音が聞こえたって」
小日向が端末を操作する。
瀬川は答えを断定しなかった。
自分の《記録》だけを頼りにするのではなく、実際の記録を確認するつもりらしい。
「これかな」
小日向が一件の救難記録を開いた。
西側設備通路。
近くに資材搬送用の昇降機があり、停止と再始動の際に金属音が発生するという記載があった。
「警告音ではなく、荷台の固定部が作動する音ですね」
「二回鳴る?」
「設備記録を見ます」
小日向が別の資料を開く。
相馬さんも画面を覗く。
「西側の昇降機はまだ動いてるな」
「はい。第五層と第六層の間で資材搬送に使われています」
小日向が設備の稼働記録を確認した。
「荷台が停止する時に固定具が二段階で作動するみたいです」
瀬川が地図を見る。
「じゃあ、低い音が駆動音で、カン、カンっていうのが固定具の音なら……」
「西側の可能性は上がる」
相馬さんが言った。
瀬川が頷く。
「でも北側にも換気設備があります」
「そうだ。だから決めつけるな」
「はい」
相馬さんが小日向へ言う。
「現地班を出せ。西側を第一候補。北側を第二候補に残す」
「了解です」
小日向が救難班へ連絡する。
俺は地図を見ながら聞いた。
「俺は?」
「待機」
「今日も?」
「場所が分からない人間を探すのに、お前の《帰り道》は使えないだろ」
その通りだった。
《帰り道》は、まだ見つけてもいない救難対象のところまで案内してくれる能力ではない。
「神代さんは?」
「呼ばない。今の情報なら通常班で対応できる」
「了解です」
前日より素直に答えられた。
瀬川が俺を見る。
「久世さん、今日は行きたいって言わないんですね」
「昨日学んだから」
「早いですね」
「教育係だからね」
「それ、関係あります?」
少し失礼になってきた気がする。
出動するのは四人。
捜索経験のある救難員を中心に、第五層西側から確認することになった。
救難対象の三人には、その場から動かないよう改めて伝える。通信が不安定だからこそ、こちらが探しに行く。
現地班が出発してからも、小日向は通話をできるだけ維持した。
ただし、無理に質問はしない。
「こちらから必要な時に呼びます。通信が切れても、その場にいてください」
『分かり……ました』
また少し音声が乱れる。
瀬川が画面を見る。
「通信、かなり悪くなってますね」
「そうですね」
「切れたらどうします?」
「今ある情報で探します」
小日向は普通に答えた。
瀬川もそれ以上は聞かなかった。
二十分ほどして、現地班から連絡が入る。
『第五層到達。西側設備通路へ向かいます』
瀬川が時刻を記録した。
「第一候補で合ってるといいですね」
「そうだね」
「僕が西側って言ったせいで、違ってたら時間を使いますよね」
俺は少し考えてから答えた。
「瀬川君が決めたわけじゃないでしょ」
「でも……」
「可能性を出しただけだよ」
相馬さんも聞いていたらしい。
「久世の言う通りだ」
瀬川が振り返る。
「お前が出したのは候補だ。それを第一候補にしたのは俺だ」
「はい」
「外れていたら北側へ行く。そのために第二候補を残してある」
相馬さんが地図を指した。
「最初から正解が分かるなら、捜索は必要ない」
瀬川は少し黙ってから頷いた。
「分かりました」
その会話を聞きながら、俺も少し安心した。
《帰り道》が出れば、帰る方向については答えが見える。
だから忘れそうになる。
普通の救難では、分からないまま候補を選び、一つずつ確かめなければならないことのほうが多い。
『西側設備通路へ入りました』
通信が入った。
小日向が地図を確認する。
『低い機械音を確認。まだ金属音は聞こえません』
瀬川が顔を上げる。
「低い音はある」
「それだけではまだです」
小日向が言った。
「はい」
現地班は慎重に奥へ進む。
『設備番号551確認。北へ進みます』
しばらくして、
『黄色い配管状のもの二本を確認。太い配管一本と、細い線状設備一本』
瀬川がメモを見る。
救難対象が話していたものと似ている。
ただ、まだ決め手にはならない。
『赤色非常灯あり』
条件が少しずつ重なっていく。
瀬川が地図へ身を乗り出した。
その時、通信機の向こうで音がした。
カン。
少し間を空けて、もう一度。
カン。
救難員の声が続く。
『金属音二回確認。搬送昇降機の作動音と思われます』
瀬川が小さく息を吐いた。
小日向が聞く。
「設備番号は確認できますか?」
『561……前方に次の表示あり』
数秒後。
『563確認』
瀬川の手が止まる。
通報で聞いていた番号の末尾と一致した。
さらに救難員の声が続く。
『右折通路あり。声をかけます』
俺たちも黙って通信を聞いた。
『救難です! 聞こえますか!』
少し間がある。
遠くで何か声がした。
『返事あり。三名と思われます。確認します』
瀬川がじっと通信機を見る。
数十秒後、救難員の声が戻った。
『救難対象三名を発見。三名全員います。外傷なし。意識も問題ありません』
瀬川が大きく息を吐いた。
「合ってた……」
「まだ帰還前ですよ」
小日向が言う。
「はい」
前日、俺が言われたのと同じだった。
瀬川も少し笑う。
現地班は三人の状態を確認し、持っていた地図も見せてもらった。
途中の分岐で、古い案内表示を現在も使われている通路だと思い込み、そのまま進んだ結果、地図上で考えていた自分たちの位置がずれてしまったらしい。
場所さえ分かれば、帰還自体は難しくない。
『通常帰還路へ向かいます』
小日向が時刻を記録する。
瀬川も自分のメモへ目を落とした。
「さっきの金属音、本当に搬送設備の音だったんですよね」
「現場がそう言ってましたね」
小日向が答える。
「帰ってきたら、設備まで確認しておきます?」
俺が聞く。
瀬川は頷きかけてから止まった。
「今は聞かなくていいですね」
「お」
「帰還中ですし、必要のない確認で通信を増やすことないかなって」
小日向が少し笑った。
「あとで確認しましょう」
「はい」
瀬川はまた地図を見る。
研修に来たばかりの頃なら、気になったことをその場ですべて確かめようとしていたかもしれない。
今は、確認することにも順番があると分かってきたらしい。
それから三十分ほどして、三人は第五層を抜けた。
第三層、第二層と順調に進み、やがて地上側から連絡が入る。
『救難対象三名、全員帰還しました』
小日向が時刻を書き、瀬川も同じ内容を記録した。
「終わった」
今度は小日向も止めなかった。
「終わりましたね」
俺は瀬川を見る。
「初めてじゃない?」
「何がです?」
「自分が出した情報が、そのまま現場で使われたの」
瀬川は少し考えた。
「そうですね」
うれしそうではある。
ただ、思っていたより静かだった。
「もっと喜ぶかと思った」
「うれしいです。でも、本当に僕のおかげって言っていいのかなと思って」
「またそこ?」
「だって、電話を受けたのは小日向さんですし、設備記録を確認したのも小日向さんで、第一候補を決めたのは相馬さんですよね。実際に見つけたのは現地の人です」
俺は少し笑った。
「じゃあ、それでいいんじゃない?」
「え?」
「誰のおかげか、一人に決めなくていいでしょ。救難なんだから」
自分で言ってから、少し前にも似たようなことを考えた気がした。
俺が道を見つけても、閉じた扉は開けられない。神代さんが強くても、怪我人の治療は別の人がする。地上に残った小日向が情報をつなぐ。
今日だって同じだ。
瀬川が音の記録を思い出しただけでは足りない。
小日向が過去の救難記録と設備資料を確認し、相馬さんが候補を決め、現地班が実際の音や設備番号を確かめて三人を見つけた。
「一つ役に立った。それでいいんじゃない?」
俺が言う。
瀬川は少しだけ笑った。
「一つですか」
「研修五日目なら十分でしょ」
「そういうことにします」
午後、現地班が救難所へ戻ってきた。
報告を受けた小日向が、瀬川を呼ぶ。
「確認したかったこと、ありましたよね」
「音です」
瀬川が救難員に聞いた。
「救難対象の近くで聞こえていた低い音と金属音、やっぱり搬送昇降機だったんですか?」
「ああ」
救難員が地図を指す。
「ここの昇降機だ。低い駆動音がずっとしてる。カン、カンっていうのは荷台が止まる時の固定具の音だな」
「二回鳴る?」
「二段階で固定するからな」
瀬川が頷く。
自分が思い出した記録と、実際の設備がつながったらしい。
「場所を絞るきっかけを出してくれたの、君だって?」
救難員に聞かれ、瀬川が少し慌てた。
「僕一人じゃないです。小日向さんが記録を確認して、相馬さんが判断したので」
「それでも、あの音を拾ってなかったら西側から入ったか分からないだろ」
「はい」
「助かったよ。北側から確認してたら、もう少しかかってた」
瀬川は一瞬、何と答えればいいのか分からないようだった。
「……よかったです」
結局、それだけ答えた。
救難員が離れたあと、瀬川は自分のメモを見ていた。
黄色い配管状のもの。
番号の末尾。
赤い非常灯。
低い機械音。
二回続く金属音。
一つだけなら、どれも場所を決められる情報ではない。
特に今日、場所を絞るきっかけになったのは、地図に描かれたものではなく、通話の向こうから聞こえてきた音だった。
「《記録》、使った?」
俺が聞く。
瀬川は頷いた。
「聞いたことを思い出しやすいので。似た音が書いてあった記録を思い出せました」
「じゃあ、やっぱり役立ったじゃん」
「でも、僕が覚えてただけじゃ駄目でした」
瀬川は小日向の端末を見る。
「ちゃんと記録を探して、設備情報を確認して、それから現場の人が確かめた。僕の《記録》だけで場所が分かったわけじゃないです」
「そのくらいがちょうどいいんじゃない?」
「何がです?」
「何でも一人で分かったら、ほかの人いらなくなるし」
瀬川は少し考えてから笑った。
「久世さんがそれ言うんですね」
「俺の《帰り道》も同じだよ」
帰る方向は見える。
でも、人がどこにいるかは分からない。
通れるかどうかも、自分一人ですべて確かめられるわけではない。
一つできることがあっても、それだけで救難全部ができるわけじゃない。
瀬川も、少しずつそれを実感しているようだった。
「戦闘では役に立たないですけどね、《記録》」
「ここ、戦闘する場所じゃないからね」
瀬川が俺を見る。
研修に来たばかりの頃にも、似たような話をした。
あの時は、自分に何ができるのか本人にも分かっていなかった。
今日は、その答えが一つ増えた。
通話の向こうにいる人の話を聞く。
その中から必要な情報を残す。
前に残された記録とつなげる。
そして、実際に探しに行く人へ渡す。
剣を振らなくてもできる。
ダンジョンへ入らなくても、人を帰すためにできる仕事はある。
瀬川が地図を閉じた。
「久世さん」
「何?」
「救難って、思ってたより仕事多いですね」
「俺も最近そう思う」
「教育係なのに?」
「それ毎回言うのやめない?」
瀬川が笑った。
俺も笑いながら、自分の席へ戻る。
今日、俺たちは三人の姿を一度も見ていない。
聞こえたのは、途切れそうな声と、その向こうで鳴っていた機械の音だけだった。
それでも、その声を受け取り、残されていた記録とつなぎ、現場の救難員へ渡すことで三人を見つけることができた。
人を探し、人を帰す方法は一つじゃない。
瀬川も、少しずつそれを知り始めていた。




