第61話 救難を学びたい
数日後、救難所に見慣れない三人がやって来た。
先日、「救難訓練や帰還判断の方法について情報共有をしたい」と問い合わせてきた、別地域の救難組織の人たちだ。
一人は五十代くらいの責任者で、もう一人は現場経験のある救難員。そして最後の一人だけ、明らかに若かった。
二十歳を少し過ぎたくらいに見える。救難員と同じような装備を身につけているが、まだ身体になじんでいないのか、背筋を伸ばして座っている姿もどこか緊張して見えた。
「今日は遠いところありがとうございます」
小日向が飲み物を配る。
「いえ、こちらこそ急なお願いを聞いていただいて」
向こうの責任者が頭を下げた。
名前は村瀬さん。
地方の中規模ダンジョンをいくつか担当している救難組織で、これまでは現地の探索者を中心に救難班を組んできたらしい。
相馬さんが向かいに座る。
「聞きたいのは、合同訓練のことでしたね」
「はい。それと、そちらで始めている救難記録の整理についても教えていただければと思っています」
「まだ始めたばかりですよ」
小日向がすぐに答えた。
「完成したものじゃありません」
「それでも参考にしたいんです」
村瀬さんは、机の上に置かれた資料へ目を向けた。
「こちらにも救難経験のある探索者はいます。ただ、誰が何をできるのかまで整理しているわけではありません。事故が起きてから、その時にいる人を集めることもまだ多いんです」
その話を聞いた相馬さんが、少しだけ目を細めた。何か思うところがあるらしいが、俺には分からない。
「その辺りも含めて、今日は見てもらえばいい」
相馬さんが言う。
「使えそうなものがあれば持って帰ってください。ただし、うちのやり方が正解だとは思わないでください」
「もちろんです」
話が進んでいく。
俺は少し離れた席で聞いていた。
神代さんもいる。今日は救難要請が入っていないので、朝から救難所へ来ていた。
そして、もう一人。
さっきから若い男性が何度かこちらを見ている。
目が合うと逸らされるのに、しばらくするとまた見てくる。三回目くらいで、さすがに気になった。
「何かあります?」
俺が聞くと、男性が固まった。
「え?」
「いや、さっきからこっち見てるので」
「す、すみません」
勢いよく頭を下げる。
そこまで謝らなくてもいい。
村瀬さんが苦笑した。
「瀬川。自己紹介くらいしなさい」
「はい」
若い男性が立ち上がった。
「瀬川悠真です。二十二歳です。探索者ランクはE級です。よろしくお願いします」
「久世です」
「知ってます」
即答だった。
俺は少し困った。
「そうですよね」
最近、こういうことが増えた。
こっちは相手を知らないのに、向こうは俺の名前を知っている。
瀬川はもう一度座ったが、まだ何か言いたそうだった。
「瀬川君は、今回本人の希望で連れてきました」
村瀬さんが説明する。
「希望?」
「はい。救難の仕事を知りたいと言いまして」
俺は瀬川を見る。
瀬川は少し緊張したまま、それでも今度は視線を逸らさなかった。
「僕、探索者を始めて二年なんです」
「はい」
「でも、あまり強くなくて」
その言葉には、少し覚えがあった。
「E級なら俺より上ですよ」
「そういう話じゃなくて」
「俺、F級ですよ」
「知ってます」
また即答された。
神代さんが少し笑っている。
瀬川は慌てて続けた。
「すみません。久世さんが弱いって言いたいわけじゃなくて」
「弱いですよ」
「それ本人が言うと話が進まないです」
小日向が横から口を挟んだ。
「そう?」
「そうです」
瀬川も少し笑った。
最初よりは緊張が抜けたらしい。
「僕のパーティ、みんなC級を目指してるんです。戦闘が得意な人もいて、最近は第五層より下にも行くようになって」
「瀬川君は?」
「僕はまだ第四層くらいまでです」
「一緒には行かないんですか?」
「行くこともあります。でも、足を引っ張ることが多くて」
言い方は淡々としていた。
拗ねているというより、自分の実力をそのまま話しているように聞こえる。
「剣も普通ですし、魔法も使えません。スキルも《記録》っていう、見たものを少し正確に覚えやすくなるだけのものです」
「便利そうですけど」
俺が言うと、瀬川は少し困った顔をした。
「戦闘ではほとんど意味がないです」
「戦闘以外なら?」
瀬川が止まる。
「そこを知りたくて来ました」
今度は、はっきり答えた。
俺は少しだけ姿勢を直した。
瀬川は続ける。
「久世さんの記事を見ました。最初は、F級なのにすごい能力を持っていた人なんだと思ってたんです」
「間違ってはいないですね」
「でも、最近の救難の記事を読むと、久世さん一人で助けてるわけじゃないって書いてあって」
「それはそうです」
「神代さんが戦ったり、救難員が怪我を見たり、担架を運んだり、地図を調べたりしてるって」
神代さんも黙って聞いている。
「それで思ったんです。救難なら、戦う以外にも自分にできることがあるのかなって」
部屋が少し静かになった。
俺は相馬さんを見る。
相馬さんは腕を組んだまま、瀬川を見ていた。
「それで救難をやりたい?」
相馬さんが聞く。
「まだ、そこまでは分かりません」
瀬川は正直に答えた。
「向いてるかどうかも分からないです。ただ、知りたいです」
「何を」
「戦えなくても、誰かを助ける側にいられるのか」
相馬さんはすぐには答えなかった。
俺も何も言わない。
こういう時、この人は適当な慰めを言わない。
少しして、相馬さんが口を開いた。
「戦えない奴でも救難には入れる。ただし、戦えないだけで役に立てるわけじゃない」
「はい」
「救難で見るのは探索者ランクじゃない。その現場で、今必要なことができるかどうかだ」
瀬川が頷く。
「地図が読める。怪我人を運べる。通信を扱える。周囲を警戒できる。人の話を聞いて記録できる。そういうのも全部必要になる」
「はい」
「でも、できないのにできるふりをする奴は邪魔だ」
瀬川の背筋がまた少し伸びた。
「分かりました」
「今の時点で何ができる?」
急に聞かれ、瀬川が少し考える。
「地図は読めます。探索中の記録も、パーティでは僕がつけています。通信機器は基本操作ならできます」
「応急処置は?」
「講習を一度受けただけです」
「搬送は?」
「訓練だけです」
「なら、その程度だ」
厳しい言い方だった。
でも、瀬川は落ち込まなかった。
「はい」
「ここで覚えていけばいい」
瀬川が顔を上げる。
村瀬さんも相馬さんを見た。
「いいんですか?」
「しばらくならな」
相馬さんが答える。
「現場へ出すかは別です。まず救難所で何をしてるか見てもらう」
「ありがとうございます」
瀬川が頭を下げる。
俺はその流れを聞きながら、嫌な予感がした。
こういう時は、だいたい誰かの仕事が増える。
その誰かが自分ではないことを願った。
「久世」
やっぱり呼ばれた。
「はい」
「瀬川についてやれ」
「俺?」
「お前」
「何でですか」
思わず聞いた。
瀬川も驚いた顔をしている。
「俺、人に教えられるようなことないですよ」
「ある」
「何を?」
「できないことだ」
意味が分からなかった。
「それを教えるんですか?」
「お前は、自分に何ができて何ができないかを知ってる」
相馬さんが言う。
「救難を始めたばかりの奴には、それくらいでちょうどいい」
「褒められてます?」
「好きに受け取れ」
小日向が笑っている。
神代さんまで少し楽しそうだ。
「神代さんでもいいんじゃないですか?」
俺が言う。
「私ですか?」
「教えるの上手そうだし」
相馬さんがすぐに否定した。
「神代さんを最初につけたら基準がおかしくなる」
「どういう意味です?」
神代さんが聞く。
「普通の新人にS級を基準にさせるなってことです」
「なるほど」
納得された。
俺は納得できない。
「じゃあ俺が普通の基準?」
「戦闘については下の基準だな」
「そこまではっきり言わなくても」
瀬川が笑いをこらえている。
「瀬川君」
俺が見る。
「はい」
「今笑った?」
「笑ってません」
「絶対笑ったよね」
「すみません」
やっぱり笑っていた。
最初よりかなり緊張が抜けている。
まあ、そのほうがいい。
相馬さんが机の上の資料を指した。
「今日はまず救難所の仕事を見せろ。受付、装備、記録。救難が入っても瀬川は地上待機だ」
「分かりました」
俺が返事をすると、瀬川も続けた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
言ってから、少し変な感じがした。
これまで俺は、教えてもらう側だった。
相馬さんから救難の判断を聞き、救難員から搬送のやり方を教わった。神代さんにも、戦闘が必要な場面では何度も助けてもらっている。
今でも分からないことはいくらでもある。
それなのに、今度は俺の横に誰かがつく。
「久世さん」
瀬川が声をかけてきた。
「何?」
「最初に何を覚えればいいですか?」
いきなり難しいことを聞かれた。
俺は少し考える。
装備や地図、通信、怪我人への対応など、覚えることはいくらでもある。
ただ、自分が救難に関わり始めた頃を思い返して、一つだけ先に浮かんだ。
「人数かな」
「人数?」
「救難対象が何人いるのか。見つけたら、本当に全員そろってるか確認する」
瀬川が頷く。
「それが最初ですか?」
「たぶん」
「たぶんなんですね」
「俺も教えるの初めてだから」
「大丈夫ですか?」
「俺も今それ思ってる」
小日向が吹き出した。
「久世さん、初日から不安にさせないでくださいよ」
「じゃあ小日向さん教えてよ」
「僕は記録担当です」
「逃げた」
「役割分担です」
神代さんが横から言う。
「私も手伝います」
「ありがとうございます」
瀬川が頭を下げた。
俺も少し安心する。
「よかった。一人じゃなかった」
「久世さんの教育係ですよ」
「そうでした」
相馬さんがため息をつく。
「まずお前がしっかりしろ」
そのあと、俺は瀬川を連れて救難所の中を回った。
と言っても、それほど広い場所ではない。
受付から装備庫、通信設備、簡単な処置ができるスペースを順番に見せ、最後に壁へ貼られた地図と救難記録の棚まで案内する。
瀬川は一つずつ真剣に見ていた。
特に記録棚の前では、長く足を止めた。
「これ、全部救難記録ですか?」
「そう」
「久世さんが来る前のも?」
「もちろん」
「見てもいいんですか?」
「許可取れば」
瀬川は棚を見る。
俺を見る時より興味がありそうだった。
「そんなに記録好き?」
「好きというか、気になります」
「何が?」
「同じ場所でも、事故ごとに違うんですよね?」
「違うね」
「だったら、何が違ったのかも残ってるのかなって」
俺は少し考えた。
小日向が最近整理している内容に近い。
《帰り道》が変わった時の状況だけではなく、救難対象の人数や負傷状態、搬送方法、周囲の環境まで残している。
「それ、小日向さんに言うと喜ぶかも」
「本当ですか?」
「たぶん仕事増やされるけど」
瀬川は少し迷ったあと、それでも言った。
「見たいです」
「真面目だなあ」
「久世さんは見ないんですか?」
「必要なら見ますよ」
「必要じゃなかったら?」
「小日向さんがまとめてくれます」
後ろから声がした。
「聞こえてますよ」
振り返ると、小日向が立っていた。
「地獄耳だ」
「狭いんですよ、ここ」
瀬川が笑う。
まだ来て数時間しか経っていない。
それでも、最初に会議室で座っていた時よりずっと自然な顔をしていた。
相馬さんが言っていた。
救難で見るのはランクではなく、その現場で今必要なことができるかどうか。
俺も少し前までは、その言葉を自分に向けられる側だった。
今もF級なのは変わらないし、戦えないことも変わっていない。
それでも、瀬川に見せられるものくらいは増えたのかもしれない。
「じゃあ瀬川君」
「はい」
「まず装備庫に戻ろうか」
「何するんです?」
「救難用バッグの中身、全部覚えてもらいます」
瀬川が少し驚いた。
「全部ですか?」
「俺も最初やらされたから」
「久世さんが?」
「そう」
「覚えられました?」
「そこ聞く?」
小日向が後ろで笑う。
俺は装備庫へ向かいながら、瀬川を振り返った。
救難を知りたいと言ってやって来たE級探索者。
戦うことでは、自分にできることが少ないと思っているらしい。
昔の俺とは少し違うが、似ているところもある。
何ができるのか分からないなら、まず知ればいい。
救難には、剣を振る以外の仕事がいくらでもある。
俺自身、それをここへ来てから知った。
今度は、そのことを誰かに教える番なのかもしれない。




