第60話 救難は一人じゃない
二件の救難が終わったあと、俺たちはそのまま現地の救難拠点へ戻った。
本来なら合同訓練の振り返りをする予定だった部屋には、訓練記録ではなく、さっきまでの救難で使った地図と端末が並んでいる。
俺の前にも報告書が置かれていた。
「やっぱり書くんですね」
「当たり前だ」
向かいに座る相馬さんが即答する。
「訓練じゃなくて本番だったんだぞ」
「分かってますけど」
「だったら書け」
「小日向さん、今日いないのに」
「帰ったら見せる」
それが一番嫌だった。
たぶん赤字が増える。
神代さんが隣で少し笑っている。
「久世さん、報告書だけは慣れませんね」
「神代さんは平気なんですか?」
「普通に書けます」
「何でみんな書けるんだろう」
「仕事だからだろ」
相馬さんに言われ、何も返せなかった。
少し離れた席では、城戸さんと西谷さん、それに何人かの救難員が二件の救難記録を整理している。
訓練は途中で中止になったため、予定していた比較は最後までできなかった。それでも、結果としては訓練以上に分かりやすいものが残ったらしい。
「一度、全員で確認しましょう」
城戸さんに呼ばれ、俺たちは机を囲んだ。
中央には、第六層と第七層の地図が一枚ずつ置かれている。
城戸さんが第六層の地図を指した。
「まずこちら。救難対象三名。一名が脚を負傷。神代さんと西谷班が対応しました」
西谷さんが続ける。
「対象の位置は最初から分かっていました。問題になったのは帰還時です。通常ルートの防火扉が閉まり、搬送椅子を通せなくなったため、旧作業通路へ変更しました」
「《帰り道》なしだな」
相馬さんが言う。
「はい。地図と施設記録を確認したあと、実際に二人で先行して通行状態を見ました。時間はかかりましたが、旧作業通路から通常区画へ戻れています」
城戸さんが神代さんを見る。
「神代さんはどうでした?」
「途中からは、久世さんがいないこと自体をあまり意識しなくなりました」
俺は横を見る。
「最初はしてたんですか?」
「少しは」
「そうなんだ」
「久世さんもしていたでしょう?」
「まあ……しました」
お互い様だった。
神代さんは話を戻す。
「防火扉が閉じた時は、久世さんがいれば別の道がすぐ分かったかもしれないとは思いました。でも、いないなら自分たちで探すしかありません。西谷さんたちが地図と記録を確認して、実際に通れるかを見た上で別の道を選びました」
城戸さんが頷く。
「時間はかかった。でも帰せた」
「はい」
「そこは大きいですね」
今度は第七層の地図へ移る。
「こちらは救難対象四名。久世さんと私たちの班が対応しました。四人を発見したあとは《帰り道》が出ています」
城戸さんは旧搬送ゲートの位置を指した。
「ただ、その道の途中に閉鎖されたゲートがありました」
「俺の能力じゃ開けられませんでした」
「ええ」
「そこ、そんなにはっきり言われるとちょっと悲しいですね」
「事実ですから」
昨日、俺が城戸さんに言ったのと同じことを返された。
神代さんが笑う。
城戸さんも少しだけ笑ってから、話を続けた。
「久世さんがいたことで、帰還方向を決める時間はかなり短くなりました。ただ、その道を実際に使うには、設備図の確認や制御室への移動、ゲートの安全確認が必要だった」
西谷さんが言う。
「その部分を第六層側の班が担当した」
「はい」
城戸さんは二枚の地図を並べた。
「昨日までの訓練では、《帰り道》がある場合とない場合を比較しようとしていました。でも、今日の結果を見ると、それだけでは足りなかったですね」
「どういう意味です?」
俺が聞く。
「久世さんがいるか、いないかだけで救難を分けて考える必要はないということです」
城戸さんが第七層のゲートを指す。
「久世さんがいても、ほかの救難班の協力が必要だった。一方で第六層では、久世さんがいなくても三人を帰すことができた。そのあと第六層側の人員が、第七層の救難にも加わっています」
相馬さんが腕を組む。
「当たり前の話ではあるな」
「はい。ただ、二件同時に起きたことで、かなり分かりやすくなりました」
城戸さんは俺を見る。
「久世さんをどこへ出すかは重要です。でも、それと同じくらい、久世さんを出した現場で誰と組ませるのか、出せなかった現場をどう動かすのかも考えないといけない」
「そうですね」
俺も納得できた。
俺は一人しかいない。
今日みたいに救難が二件重なれば、どちらかにしか行けない。それでも、もう片方を諦めるわけにはいかない。
「神代さん」
城戸さんが今度は神代さんを見る。
「第六層で、魔物を倒さなかった場面があったそうですね」
「はい。こちらに気づいていなかったので、離れるまで待ちました」
「以前からそういう判断を?」
神代さんは少し考える。
「前なら、先に倒していたと思います」
「なぜ変えたんです?」
「救難対象にとって必要かどうかを考えるようになったからです」
城戸さんは少しだけ笑った。
「昨日聞いた答えと同じですね」
「はい」
俺はそのやり取りを聞きながら、少し不思議な気分になった。
神代さんが救難に来るようになった頃は、俺が道を示し、神代さんが危険を片づける形だった。
今はそれだけではない。
俺がいない場所でも、自分で救難として何を優先するべきか考えている。
今後は、今日みたいに別の班へ入ることも増えるのかもしれない。
少し変な感じはするが、悪いことではなかった。
「今回の救難を踏まえて、一つ決めたいことがあります」
城戸さんが資料を閉じた。
「今後、久世さんをこちらへ要請する場合、《帰り道》が使えるという理由だけで呼ぶのはやめます」
俺は少し驚いた。
「呼ばれなくなる?」
「そういう意味ではありません」
「よかった」
「そこは安心するんですね」
「仕事が減るのも複雑なので」
相馬さんが呆れた顔をする。
城戸さんは話を続けた。
「久世さんが必要になる理由を明確にします。帰還経路の判断が難しいのか、地形変化があるのか、負傷者を連れたルート選択が必要なのか。その上で、現地側でも捜索、医療、搬送、危険対応を成立させておく」
相馬さんが頷く。
「それならいい」
「それともう一つ。久世さんが来られない場合の計画も、同時に用意します」
俺は第六層の地図を見る。
今日、神代さんたちは俺なしで三人を帰した。
その事実があるからこそ、その方針にも説得力がある。
「いいと思います」
俺が言う。
「俺がいなくても帰れるなら、そのほうがいいです」
城戸さんが少し笑った。
「本人にそう言われると助かります」
相馬さんは何も言わなかったが、少しだけ満足そうに見えた。
話し合いを終えたあと、俺たちは予定より遅い時間に現地を出た。
帰りの車では、相馬さんが運転し、神代さんが助手席、俺は後ろに座る。こちらへ来た時と同じ並びだ。
ただ、あの時は合同訓練をしに来ただけだった。
まさか本当に二件の救難へ入るとは思っていなかった。
「疲れました」
俺が言う。
「お疲れさまでした」
神代さんが振り返る。
「神代さんも」
「私は大丈夫です」
「それ今日も聞きました」
「そうでしたか?」
「言ってました」
相馬さんが前から口を挟む。
「寝るなら寝ろ。着くまで一時間以上ある」
「じゃあ寝ます」
「報告書は帰ってからだからな」
「今聞きたくなかった」
目を閉じようとしたところで、神代さんに呼ばれた。
「久世さん」
「はい?」
「今日、第七層で困りましたか?」
「何がです?」
「私がいなくて」
朝とは逆の質問だった。
俺は少し考える。
「困ったことはありましたよ」
「やっぱり?」
「ゲート開かなかったし」
「それは私がいなくても、西谷さんたちが行けたと思います」
「そういう意味じゃなくて」
神代さんがこちらを見る。
俺は少し言葉を探した。
「いつも一緒にいる人がいないと、最初はちょっと変な感じがしました。でも、城戸さんたちがいたので普通に救難できました」
「そうですか」
「神代さんは?」
「私も同じです」
それで話は終わった。
一緒にいなければ何もできない関係ではない。
でも、必要なら互いのいる場所へ手を貸しに行く。
今日くらいの距離が、今の俺たちにはちょうどいいのかもしれない。
救難所へ戻ったのは夕方だった。
入口を開けると、小日向がすぐに顔を上げる。
「お帰りなさい!」
「ただいま」
「聞きましたよ。訓練中に二件入ったんですよね?」
「誰から?」
「相馬さんから途中経過が来てました」
俺は相馬さんを見る。
「ちゃんと連絡してたんですね」
「当たり前だろ」
小日向はすでに机に資料を広げていた。
「第六層と第七層、両方まとめますからね」
「明日じゃ駄目?」
「駄目です」
「何で?」
「忘れるからです」
何も言い返せない。
神代さんが笑いながら自分の席へ向かう。
俺も諦めて椅子に座った。
小日向が端末を操作しながら言う。
「そうだ。今日、問い合わせが一件来てました」
相馬さんが上着を脱ぎながら聞く。
「どこからだ」
「別の地域の救難組織です」
俺は少し身構えた。
最近、それを聞くとだいたい俺の名前が続く。
「俺ですか?」
「今回は違います」
「違う?」
小日向が画面をこちらへ向けた。
そこには、これまで届いていたものとは少し違う内容が表示されていた。
久世直人を派遣してほしい、ではない。
《帰り道》を使わせてほしい、でもない。
「そちらで実施している救難訓練と、帰還判断の方法について情報共有をお願いしたい、だそうです」
俺は画面を見る。
「訓練?」
「はい。久世さんのことも少し書いてありますけど、聞きたいのは能力より救難班の運用みたいです」
相馬さんも画面を確認した。
「どこで知った」
「今回の合同訓練について、隣県側から話を聞いたみたいです。正式な共有はこれからですが、担当者同士でつながりがあるらしくて」
神代さんが言う。
「久世さんではなく、救難所に問い合わせが来たんですね」
「そうみたいです」
小日向が少しうれしそうに答える。
俺は何となく相馬さんを見る。
「どうします?」
相馬さんはしばらく画面を読んでから答えた。
「返事しろ」
「受けるんですか?」
「話くらい聞く」
小日向が入力を始める。
俺は椅子にもたれた。
最初の頃、救難所へ来る連絡のほとんどは、人を助けてほしいというものだった。
その後、俺の《帰り道》についての問い合わせが増えた。
そして今度は、俺の能力ではなく、救難のやり方そのものを知りたいと言う人たちが出てきた。
少しずつ、求められているものが変わり始めている。
俺一人が呼ばれる場所を増やすより、人を帰す方法そのものが増えていくほうがいい。
そのほうが、俺がいない場所でも誰かが帰れる。
「久世さん」
小日向に呼ばれた。
「何?」
「その前に報告書です」
「忘れてなかったか」
「忘れるわけないじゃないですか」
机の上に紙を置かれる。
今日の救難そのものは、もう終わった。
でも、そこで分かったことは記録として残り、次の現場へ使われていく。
俺はため息をつきながらペンを取った。
少なくとも、人を帰す仕事が俺一人のものではないことだけは、今日ではっきり分かった。




