第57話 道の先に扉がある
旧搬送ゲートの前で、俺たちは足を止めていた。
厚い金属製の扉が通路を完全に塞いでいるのに、足元の《帰り道》はその扉の向こうへ真っ直ぐ続いていた。
「やっぱり、こっちなんですよね?」
城戸さんに聞かれ、俺はもう一度光を確認する。
「はい。変わってません」
俺たちが救難対象の四人を見つけたのは、十五分ほど前だった。
最後に通信が入った旧貯蔵区画から少し離れた保守室に、四人ともまとまっていた。途中で一人が体調を崩し、そこで動くのをやめたらしい。
通信が切れる直前に聞こえた「一人」という言葉は、そのことだった。
幸い、大きな怪我ではない。
体調を崩した男性は軽い脱水と疲労が強く出ていたが、水分を取って休んだことで自力歩行できるまで回復していた。ほかの三人にも大きな怪我はなく、四人全員が歩ける状態だった。
人数と状態を確認し、俺が四人を連れて帰る相手として認識したところで《帰り道》が現れた。
ただ、その光は最初から通常帰還路とは反対側へ伸びていた。
城戸さんたちが地図と周囲の状況を確認しながら進んだ結果、たどり着いたのが、この旧搬送ゲートだった。
「操作盤、やっぱり駄目です」
救難員の一人が言った。
壁に取りつけられた古い操作盤は、何度押しても反応しない。表示灯すら点かなかった。
「電源そのものが落ちてます」
「手動解除は?」
城戸さんが聞く。
「この型は反対側です。こちらから触れる機構はありません」
城戸さんがゲートを見る。
俺も同じように扉を見るが、何度確認しても光は向こう側へ続いている。
「久世さん。このゲートが閉まっていても道は出るんですね」
「みたいです」
「開くかどうかは?」
「分かりません」
救難対象の一人が、不安そうに俺を見る。
「分からないんですか?」
「はい」
正直に答える。
「俺に分かるのは、帰るための方向だけです。この扉をどうやって開けるのかまでは見えません」
男性の表情が少し曇った。
仕方がない。俺だって、初めてこんな場所に取り残されたら不安になる。
「ただ、《帰り道》はこの先に続いています。なので、今は扉を開ける方法を探します」
城戸さんがすぐに端末を開いた。
「施設図を確認します」
ほかの救難員たちも動き始める。
俺が《帰り道》を見ている間に、城戸さんたちは設備の構造を調べていく。
誰も「道が出ているから何とかなる」とは言わない。
そこがありがたかった。
しばらくして、城戸さんが画面の一点を指した。
「ありました。制御室はゲートの反対側です」
「こっちから回れます?」
「回れません。少なくとも今いる第七層側からは、通常通路が途中で閉鎖されています」
「じゃあ、反対側から?」
「第五層です」
俺は少し驚いた。
「第五層までつながってるんですか?」
「古い搬送設備なんです。昔は下の階から資材をまとめて上へ送るのに使われていたらしい」
城戸さんがさらに地図を拡大する。
「今はほとんど使われていませんが、制御室自体は残っています」
「そこへ誰か行ければ開く?」
「設備が生きていれば、開けられる可能性はあります」
今必要なのは、それで十分だった。
城戸さんが地上へ通信を入れる。
「こちら第七層班。救難対象四名を確保。現在、旧搬送ゲート前で停止しています」
少しノイズが入ったあと、相馬さんの声が返ってきた。
『四人の状態は』
「全員歩行可能。一名に軽い脱水症状がありますが、休憩と給水で改善しています」
『久世の道は?』
「ゲートの向こうです」
『開かないのか』
「こちら側の操作盤は完全に停止しています。手動解除も反対側で、制御室は第五層側にあります」
少し間があった。
相馬さんはすぐに意味を理解したらしい。
『第六層班が第五層へ上がってきてる』
俺は顔を上げた。
「神代さんたち?」
『ああ。向こうは三人とも確保済みだ。一名を搬送中だが、もうすぐ安全区画へ入る』
城戸さんが俺を見る。
『救難対象を引き継いだあと、動ける人間を制御室へ回せるか確認する』
「お願いします」
俺が言うと、相馬さんがすぐに続けた。
『久世』
「はい」
『開くと決まったわけじゃない。そこで勝手に待ち続けるなよ』
「分かってます」
『四人の状態が悪くなるなら、別の道を探せ』
「はい」
通信が切れた。
俺は足元を見る。
光はまだゲートの向こうを指していて、別の道には変わっていない。
ただ、《帰り道》がここを示していることと、この場所でいつまでも待っていいかどうかは別の話だ。
城戸さんが救難対象の四人を見回す。
「一度休憩しましょう。水分を取ってください。体調に変化があれば、すぐに言ってください」
脱水気味だった男性が頷いた。
「すみません」
「謝らなくていいです。そのために来てます」
俺たちも壁際に待機場所を作った。
通路には十分な広さがあり、後方では救難員が警戒を続けている。今のところ近くに魔物の気配はないが、長く居続けたい場所ではなかった。
救難対象の一人が、俺の足元を見る。
もちろん、その人には何も見えていない。
「久世さん」
「はい?」
「本当に、道って見えてるんですよね?」
「見えてます」
「この扉の向こうに?」
「はい」
男性は改めてゲートを見る。
「でも、閉まってる」
「閉まってますね」
「こういうこともあるんですか?」
俺は少し考えた。
「あります。水の中を通る道が出たこともありますし、俺には見えない穴や障害物が途中にあったこともあります」
《帰り道》が示しているからといって、そのまま何も考えずに歩けるわけではない。
「俺の能力が教えてくれるのは、帰るための方向なんです。実際にそこを通るには、普通にいろんなことをしないと駄目です」
「じゃあ、この扉も?」
「俺には開けられません」
そう答えると、男性が少し笑った。
「そこ、普通なんですね」
「かなり普通です」
「もっと何でもできるのかと思ってました」
「俺もできたら楽なんですけどね」
そのやり取りで、張っていた空気が少しだけ和らいだ。
城戸さんがこちらを見る。
「久世さん、本当に説明どおりなんですね」
「何がです?」
「できないことは普通にできないと言うところです」
「できないので」
「それがいいんです」
昨日も似たようなことを言われた気がする。
俺としては、できないものをできると言うほうが怖いだけなのだが。
五分ほど経ったところで、救難員が四人の状態をもう一度確認した。
脱水気味だった男性にも大きな変化はなく、自力で歩ける。呼吸にも問題はない。
城戸さんが俺を見る。
「道は?」
「同じです」
「分かりました。あと十分待ちます。それまでに向こうが動かなければ、別ルートも本格的に検討しましょう」
俺も頷いた。
地図上には、ここから遠回りして通常帰還路へ戻る道もある。ただし、その途中の一部は現在使用停止になっているため、実際に通れるかどうかは確認しなければならない。
このゲートが開けば早い。
開かなければ、別の方法を探す。
《帰り道》があるからといって、それ以外の選択肢を考えなくていいわけではない。
数分後、相馬さんから通信が入った。
『第七層班、聞こえるか』
「聞こえます」
城戸さんが答える。
『第六層側の三人は安全区画へ引き継いだ。神代さんと西谷、それから現地救難員一名を制御室へ向かわせる』
俺は思わず息を吐いた。
「神代さん、来られるんですね」
『お前のところまで行くわけじゃない』
「分かってますよ」
『制御室までは十五分前後だ。設備の確認もある。それまでは待機。状態が変わったら即連絡しろ』
「はい」
城戸さんも返事をして、通信が切れた。
救難対象の一人が聞く。
「神代さんって、あのS級の?」
「はい」
「こっちに来るんですか?」
「扉の反対側へ行ってくれます」
「じゃあ、開けてもらえる?」
「まだ分かりません」
俺が答えると、今度は別の男性が笑った。
「久世さん、本当に『分かりません』って言いますね」
「分からないので」
「でも、不思議とさっきより安心します」
「何でです?」
「分からないことを、分からないって言ってくれるからですかね」
そういうものなのかもしれない。
俺にはよく分からない。
ただ、無理に「大丈夫」と言う必要はないと思っている。
帰れる道が見えているなら、それは伝える。開くかどうか分からない扉なら、それもそのまま伝えた上で、できることをやればいい。
待っている間も、城戸さんたちは設備図を調べ続けていた。
制御室から電源を復旧する方法だけでなく、手動でゲートを上げる場合の手順や、途中で停止した場合の固定方法まで確認している。
俺はそれを見ているしかない。
少し前までなら、自分が何もしていないような気分になったかもしれない。
でも今は違う。
俺が方向を示し、その先を実際に通れるようにするのは別の人の仕事だ。全部を自分でできる必要はない。
しばらくして、通信が入った。
今度は相馬さんではなかった。
『こちら西谷班。制御室前まで到着しました』
城戸さんがすぐに応答する。
「こちら第七層班。聞こえています」
『神代さん、救難員一名と一緒です。これから設備を確認します』
少し離れたところから、神代さんの声も聞こえた。
『久世さん、聞こえますか?』
俺は端末へ近づく。
「聞こえてます」
『そちらの四人は?』
「全員大丈夫です」
『分かりました』
「神代さんたちは?」
『こちらも問題ありません』
短いやり取りだったが、それだけでも少し安心した。
別々の救難に入り、俺たちは今も違う場所にいる。
それでも、一つの扉を挟んで同じ目的のために動いている。
全員を地上へ帰すためだ。
『制御盤を確認します』
西谷さんの声が入った。
しばらくして、再び通信が入る。
『電源は来ています。ただ、警告表示が出ています』
城戸さんの表情が引き締まった。
「内容は?」
『ゲート固定部の異常です。通常開放はできません』
救難対象の四人が黙った。
俺もゲートを見る。
それでも、足元の光は変わらずこの先を示している。
『手動操作なら開けられる可能性があります。ただし、開放後にその位置で固定できるか確認が必要です』
城戸さんが即座に返す。
「確認してください。固定できないなら開けないでください」
『了解』
続いて神代さんの声が入った。
『こちらで保持することはできますか?』
「駄目です」
城戸さんがすぐに答える。
『私なら持てると思います』
「力の問題じゃありません。機構が落ちた時に、どんな動きをするか分からない」
少し間があった。
『分かりました』
俺は思わず笑いそうになった。
「神代さん、そっちでも同じこと言われてる」
『聞こえてますよ、久世さん』
「すみません」
救難対象の一人も少し笑った。
張りつめていた空気が、ほんの少し緩む。
その直後、西谷さんから声が入った。
『固定装置、生きています。手動開放後に機械式ロックをかけられます』
城戸さんが確認する。
「二重確認してください」
『確認します』
少し待ったあと、返事が来た。
『問題ありません。開けます』
俺たちは一斉にゲートから距離を取った。
金属の奥から低い駆動音が響く。長く止まっていた機械が、無理やり目を覚ましたような音だった。
ゲートはゆっくりと持ち上がっていく。
最初はわずかな隙間だったものが、やがて人が屈めば通れる高さになり、それでも動きは止まらない。
十分な高さまで上がったところで大きな金属音が響き、固定装置が噛み合った。
『固定完了』
西谷さんの声が入る。
それでも城戸さんは、すぐには誰も通さなかった。
「二人で固定部と床面を確認。終わるまでゲート下には入らないでください」
救難員二人が近づき、固定部と床面を慎重に確認する。
やがて問題なしの報告が返ってきたところで、城戸さんがようやく俺を見る。
「久世さん」
俺も足元を確認した。
光は開いたゲートの下を通り、その先へ伸びている。
今度は、本当に進める。
「行けます」
閉ざされていた道が、ようやく俺たちの通れる帰り道になった。




