第54話 訓練中止
「二件、ほぼ同時です」
城戸さんの言葉を聞いた瞬間、訓練場にいた全員の動きが変わった。
ついさっきまで装備を外しながら感想を話していた救難員たちが、それぞれの持ち場へ向かう。地図を片づけていた人は端末を取り、担架を運んでいた人はそのまま装備庫へ走っていった。
俺も外しかけていたベルトを締め直す。
「内容は?」
相馬さんが城戸さんの横へ移動した。
「一件目は第六層北側。探索者三名です。位置は確認できています。一名が脚を負傷していて、三人とも現場で待機中です」
「通信は?」
「つながっています。近くに中型魔物が複数確認されていて、通常ルートへ戻るには生息区域の脇を通る必要があります」
城戸さんは続けて、もう一件の情報を開いた。
「二件目は第七層西側。探索者四名。通信は断続的ですが、最後に確認された位置はある程度絞れています。通常帰還路の一部が、魔物による設備破損で閉鎖されている可能性があります」
「怪我人は?」
「今のところ確認できていません。ただ、通信が不安定なので、届いている情報自体が古い可能性があります」
相馬さんが地図を開き、俺も横から覗き込む。
二件とも、さっきまで訓練していた施設に隣接する実ダンジョンで起きていた。第六層と第七層なので近いように見えるが、入口から途中で完全にルートが分かれる。
俺が二か所へ行くことはできない。
そう考えたところで、相馬さんがすぐに言った。
「分けるぞ」
城戸さんも頷く。
「私もそのつもりです。第六層側は救難対象の位置が分かっていて、現場までのルートも確認済みです。問題は負傷者の搬送と、その途中にある魔物の生息区域です」
城戸さんは地図上の第七層へ指を移す。
「こちらは位置がまだ曖昧で、帰還ルートにも問題がある可能性が高い。久世さんには第七層をお願いしたいです」
「でも、まだ見つけてないですよね」
「はい。捜索自体は通常通り行います。ただ、発見後に《帰り道》を使えるなら、その価値はこちらのほうが大きいと思っています」
「分かりました」
相馬さんが神代さんを見る。
「神代さんは第六層へ」
神代さんは一瞬だけ俺を見た。
本当に一瞬だった。
「はい」
それだけ答える。
俺も何か言うべきか迷った。
これまで救難へ入る時は、神代さんが一緒にいることが多かった。危険があれば前へ出てくれるし、戦闘が必要なら任せられる。俺が足元の光を見ている間も、周囲を確認してくれていた。
それが、いつの間にか当たり前になっていた。
でも今日は違う。
救難は二件ある。
俺は一人しかいないし、神代さんも一人しかいない。
「第六層は西谷班に任せます」
城戸さんが指示を続ける。
「神代さんを含めて六名。医療対応一名、搬送要員二名を入れます。位置が分かっているので、最短で接触してください」
西谷さんがすぐに返事をした。
「了解です」
「第七層は私が入ります。久世さんと現地救難員五名、それから相馬さんにも――」
「俺は地上に残る」
相馬さんが遮った。
城戸さんが見る。
「いいんですか?」
「二件同時だ。外で両方を見ている人間がいたほうがいい。必要なら途中で追加人員も動かす」
「分かりました」
判断が早い。
誰が一番強いかではなく、今どこに誰が必要なのかだけで役割が決まっていく。
さっきまでやっていた訓練が、そのまま本番へ切り替わったようだった。
「久世さん」
神代さんに呼ばれる。
「はい?」
「第七層、気をつけてください」
「神代さんも」
「私は大丈夫です」
「そういう問題じゃないですよ」
そう言うと、神代さんが少しだけ笑った。
「分かりました。気をつけます」
「お願いします」
「久世さんもお願いします」
何を、とは言わなかった。
それで十分だった。
城戸さんが声を上げる。
「装備確認、三分で出ます!」
全員が動き始め、俺と神代さんもそれぞれ別の準備へ向かった。
これまで一緒に入ることの多かった救難が、そこで二つに分かれた。
出発前の準備室では、二つの班が同時に装備を整えていた。
俺は予備ライトと救難用ロープを確認する。その横では、城戸さんが第七層側の情報を読み上げていた。
「対象は四名。全員B級探索者です。最後に確認されたのは、第七層西側の旧貯蔵区画付近。約二十五分前の通信では全員自力歩行可能ですが、そのうち一人が『通常通路へ戻れない』と話しています」
「理由は?」
「防火隔壁が閉鎖されているそうです。開閉設備が壊れている可能性があります」
「別ルートはありますか?」
「地図上では二つありますが、一つは現在使用停止。もう一つはかなり遠回りです」
「通信が戻ったら、そこで待つように伝えてください」
「すでに送っています。ただ、受信確認は取れていません」
俺は情報を頭の中で整理する。
位置はある程度分かっている。四人とも、少なくとも二十五分前までは歩けていた。問題は帰還路だ。
ただし、《帰り道》は四人を見つけるまで使えない。
まず探す。
いつもと同じだ。
そう思ったところで、隣から神代さんの声が聞こえた。
「西谷さん、魔物の位置は更新されていますか?」
第六層側の打ち合わせだった。
「直近では四体です。通路から少し外れた空間にまとまっていますが、音や人の接近で移動する可能性があります」
「救難対象との距離は?」
「現時点で約百メートルです」
「分かりました。必要なら私が離します」
「倒すかどうかはこちらで判断します」
「はい」
以前の神代さんなら、「倒します」と言っていたかもしれない。
今は違う。
自分にできることと、班として決めることを分けている。
その会話を聞いて、少し安心した。
俺がいなくても、あっちは大丈夫だ。
そう思った直後、城戸さんに肩を叩かれる。
「久世さん、こちらも出ます」
「はい」
俺は自分の班へ戻った。
二つの班はほぼ同時に準備を終え、入口前に集まった。相馬さんが全員を見回す。
「訓練じゃない。想定通りに動く必要はないからな。現場で状況が変わったら、その場で判断しろ。救難対象を見つけたら人数を確認して、状態を見る。必要なら最初の計画は捨てろ」
何人かが返事をする。
相馬さんは続けた。
「それと、どっちの班も地上へ戻るまでが仕事だ。忘れるな」
俺も頷いた。
さっきまで訓練で似たようなことを何度も確認していた。
でも、本番になると言葉の重さが違う。
ゲートが開き、西谷さんの班が先に入っていく。
神代さんもその中にいた。
途中で振り返ることはなかった。
俺も城戸さんたちと別のゲートへ向かう。
「久世さん」
歩きながら城戸さんが言った。
「何です?」
「さっきまで訓練だったのに、すみませんね」
「事故って、予定を見て起きてくれないですから」
城戸さんが少し笑った。
「相馬さんみたいなこと言いますね」
「それ、昨日俺も城戸さんに言いました」
「似てきました?」
「困るなあ」
「本人に聞こえたら怒られますよ」
少しだけ笑った。
緊張が消えたわけではない。
むしろ、いつもより大きい。
神代さんがいない。
慣れた救難所でもない。
一緒に入るのは、まだ会って間もない城戸さんたちだ。
それでも、やることは変わらない。
人を見つけ、状態を確認して、その人たちを連れて帰る。
俺たちは第七層へ向かった。
同じ頃、第六層では神代さんたちも別の救難対象へ向かっている。
同じ時間に、別の場所で二つの救難が始まった。
第七層へ下りる途中、城戸さんの端末に通信が入った。
ノイズが強い。
それでも、途切れ途切れに声が聞こえる。
『……こちら……四名……現在……旧貯蔵……』
城戸さんが足を止めた。
「救難班です。聞こえますか」
『……聞こえ……ます』
「動いていませんね?」
少し間があった。
『はい。ただ……一人……』
そこで音が途切れた。
城戸さんがすぐに呼びかける。
「もう一度お願いします。こちら救難班、聞こえますか」
返事はない。
通信が切れていた。
「一人、何なんでしょうね」
俺が聞く。
「分かりません」
怪我なのか、体調なのか。それとも別の問題なのか。
少なくとも、二十五分前の「全員歩ける」という情報をそのまま当てにすることはできなくなった。
城戸さんはすぐに隊列へ指示を出した。
「少し速度を上げます。ただし走らない。旧貯蔵区画まで予定通り進みます」
俺も前を見る。
まだ《帰り道》は出ない。
四人を見つけるまでは、俺もほかの救難員と同じように探すしかない。
今はまず、そこまで行くことだけを考える。
第六層へ向かった神代さんたちがどうなっているのか、俺には分からない。
だからこそ、今は目の前の救難に集中する。
今日は神代さんに頼れない。
向こうも、俺の《帰り道》には頼れない。
それでも、それぞれの班が救難対象を連れて地上へ戻る。
さっきまで訓練で確かめていたことを、本番で試す時が来ていた。




