第49話 久世一人に頼るな
翌日の午後、救難所に一本のオンライン会議が入っていた。
相手は、隣県のダンジョン救難を統括している組織だった。
昨日まで届いていた問い合わせの中でも、かなり具体的な話を持ってきたところだ。
会議室代わりの小さな部屋に、俺と久世、神代さん、小日向が入る。
画面の向こうには三人いた。
救難部門の責任者。
現場指揮を担当している男。
それと、ダンジョン管理側の職員。
簡単な挨拶を終えると、向こうの責任者が資料を表示した。
『今回ご相談したいのは、久世直人さんを広域救難の特別協力要員として登録できないか、という件です』
久世が一瞬こちらを見る。
俺は何も言わなかった。
『もちろん、常時拘束するような形ではありません。重大遭難や通常ルートでの帰還が困難な案件に限り、優先的に派遣をお願いできればと考えています』
画面に条件が並ぶ。
資料には対象地域や要請基準、移動費、危険手当、現地での権限まで細かく記されていた。
待遇だけを見れば悪くない。
むしろ、かなり気を使っている。
『これまでの救難実績も拝見しました。水没区画、濃霧、未登録区画からの帰還。久世さんの《帰り道》は、現在の救難体制では対応が難しい状況に対して非常に有効だと考えています』
久世が困ったように頭をかく。
褒められるのが苦手なのは知っている。
向こうの責任者は続けた。
『特に当方では、深層での地形変化によって帰還ルートを失う事故が年に数件あります。そうした事案では、久世さんの参加を前提に初動計画を組めれば、救命率を上げられる可能性があります』
そこで俺は口を開いた。
「今、前提と言いましたか」
画面の向こうが少し止まる。
『はい。ただ、もちろん久世さんのご都合もありますので――』
「そういう意味じゃない」
俺は資料を見る。
「久世が参加することを前提に、救難計画そのものを組むのかと聞いてます」
相手側の現場指揮担当が答えた。
『重大案件に限れば、そうした運用も検討したいと考えています』
「久世が来られなかったら?」
『その場合は従来の救難班で対応します』
「じゃあ最初から、その班でも動ける計画を作ってください」
向こうが黙る。
小日向も少し緊張した顔をしていた。
久世本人は、俺ではなく画面を見ている。
『誤解を招いたなら申し訳ありません。我々としては、久世さんの能力を最大限活用したいという意図でして』
「それ自体には反対してません」
俺は答える。
「使えるなら使えばいい。俺もそう思ってます」
『では――』
「でも、久世が来るまで動けない救難にはするなと言ってるんです」
部屋が静かになった。
画面の向こうだけではない。
こちらも同じだった。
しばらくして、久世が口を開いた。
「俺からもいいですか」
『もちろんです』
「たぶん、俺が行ったほうが帰れる可能性が上がる現場はあると思います」
自分で言ってから、少し気まずそうな顔をする。
「こういう言い方、自分でするの嫌なんですけど」
小日向が小さく笑いそうになり、すぐに口を閉じた。
「でも、俺にできるのは帰り道を見ることだけです。人を見つけるのは普通に探さないといけないし、怪我人を治すこともできません。道に大きな障害があったら、俺一人じゃどうにもならないこともあります」
『その点は理解しています』
「あと、俺が別の救難に出てることもあります」
久世が言う。
「一日に一件しか事故が起きないわけじゃないですよね」
現場指揮担当が頷く。
『それはそうです』
「だったら、俺がいなくても動けるようにしておいてほしいです。その上で、俺が行ける時は使ってください」
久世らしい答えだった。
自分の価値を下げたいわけではない。
必要とされること自体を嫌がっているわけでもない。
ただ、自分がいなければ何もできない形になることを嫌がっている。
そこは俺と同じだった。
会議はそこで終わらなかった。
むしろ、そこから話が具体的になった。
『では、久世さんの参加を前提ではなく、追加支援として位置づける形であればどうでしょう』
「それなら話はできます」
俺が答える。
『通常の救難班を先行させ、捜索や負傷者対応を開始する。久世さんが参加可能な場合は、発見後の帰還支援を担当していただく』
「そのほうがいいです」
久世も頷く。
神代さんが資料を見ながら聞いた。
「現地の救難班と久世さんが合流する場所はどうしますか?」
画面の向こうが少し止まった。
『状況によりますが、入口または現場近くを想定しています』
「現場近くで合流する場合、久世さんが救難対象をまだ確認していなければ《帰り道》は使えません」
神代さんが説明する。
「久世さんの能力は、遭難者を探すためのものではありません。まず救難対象を見つける必要があります」
『なるほど』
「そこを間違えると、久世さんが来れば遭難者の場所まで分かる、と現場が誤解するかもしれません」
俺は神代さんを見る。
最初の頃なら、こういう説明をするのは久世か俺だった。
今は神代さんが普通に話している。
救難所へ来るようになってから、ちゃんと見てきた結果だろう。
小日向も横から資料を確認する。
「それと、久世さんの《帰り道》が出ても、実際に通れるかは現地救難員の確認が必要です。水没していたり、搬送具が必要だったりすることもあるので」
『承知しました。能力そのものを救難計画の中心に置きすぎないよう、こちらでも整理します』
話は少しずつまとまっていった。
最初の提案とは違う。
久世ありきの救難ではない。
通常の救難を成立させた上で、久世が加われば帰還の選択肢が増える。
その形なら使える。
「もう一つ」
俺が言う。
『はい』
「久世を呼ぶ基準を決めてください」
『基準、ですか』
「何でもかんでも呼ばれたら、こいつが先に潰れます」
久世が横を見る。
「そこ心配してくれるんですね」
「当たり前だ」
「ちょっと意外でした」
「黙ってろ」
小日向が笑う。
俺は続けた。
「通常班だけで対応できる案件まで久世を呼ぶ必要はない。帰還経路の喪失、地形変化、負傷者を含む搬送経路の確保が難しい場合。その辺りから詰めたほうがいい」
『分かりました。一度こちらで要請基準案を作成します』
「それを見てからです」
『承知しました』
会議は一時間近く続いた。
最初に届いた書類よりは、ずっとまともな形になったと思う。
通信を切ったあと、小日向が椅子の背にもたれた。
「疲れた……」
「お前ほとんどしゃべってないだろ」
「聞いてるだけでも疲れるんですよ」
久世も同じように肩を回す。
「俺も」
「久世さんは本人だから仕方ないです」
神代さんはまだ資料を見ていた。
「でも、悪い話ではありませんよね」
「ああ」
俺は答える。
「最初のままなら断ってた」
「そんなに駄目でした?」
小日向が聞く。
「駄目だ」
「久世さんがいたほうが助かるなら、最初から来てもらったほうが早い気もしますけど」
「一件だけならな」
俺は椅子へ座り直す。
「小日向。今ここで救難が二件入ったらどうする」
「昨日もそれ聞きましたよ」
「答えろ」
「一件に久世さん。もう一件は別の救難班」
「久世が熱出してたら」
「通常班で両方対応します」
「それでいい」
「でも、難しい救難だったら?」
「難しいからって久世が生えてくるわけじゃない」
久世が少し笑った。
「生えませんね」
「だから、いない時でもできるところまでやるんだ」
小日向が頷く。
神代さんが資料から顔を上げた。
「相馬さん」
「何です」
「久世さんが現場にいない時は、どうするんですか」
昨日までの話より、少し踏み込んだ聞き方だった。
「例えば、帰還ルートが完全に分からなくなっていて、久世さんも来られない場合です」
「その時にできる方法で帰す」
「それでも難しかったら?」
「別の手を探す」
「それでも?」
神代さんは真剣だった。
俺は少し考える。
簡単な答えはない。
久世のような能力を誰も持っていない現場もある。
どうやってもすぐに帰せないこともある。
「それでも、久世がいないから終わりにはしない」
神代さんが黙って聞く。
「救難は一人の能力じゃない。地図を読む奴がいる。地形を確認する奴がいる。通路を作る奴がいる。怪我人を運ぶ奴がいる。外から記録を調べる奴もいる」
俺は机の上の資料を見る。
「その時でも帰せるようにするのが救難だ」
神代さんは少しだけ考え、頷いた。
「はい」
久世は何も言わなかった。
ただ、少し安心したような顔をしていた。
午後になると、小日向が昨日の記録整理を再開した。
久世の《帰り道》が変化した状況。
水没。
負傷。
担架搬送。
濃霧。
地形変化。
まだ事例は少ない。
それでも、ただ「久世なら帰れる」で終わらせず、何が起きていたのかを残す意味はある。
「小日向」
「はい?」
「それ、久世がいなかった場合も一緒に書け」
「どういうことです?」
「同じ状況で、普通の救難ならどう判断するかだ」
小日向が画面を見る。
「比較するんですか?」
「ああ」
「例えば、水没なら現地の救難員が水位や流れを確認して、通れるルートを探す、とか?」
「そうだ」
久世も覗き込む。
「俺のルートだけ記録しても駄目ってこと?」
「お前の能力を研究するだけなら、それでもいい」
「救難に使うなら違う?」
「そういうことだ」
小日向が新しい項目を追加する。
小日向は、《帰り道》が示した経路だけでなく、通常の救難ならどう判断するのか、必要な装備や人員は何か、久世の能力があったからできたことと、なくてもできることを分けて記録していく。
画面に項目が増えていく。
神代さんがそれを見ながら言う。
「久世さんがいなくても使える形にするんですね」
「できるものはな」
俺は答える。
久世が笑った。
「俺、そのうち仕事減ります?」
「減ったら喜べ」
「救難が減るなら喜びますけど」
「同じだ」
「ちょっと違う気もします」
小日向が会話を聞きながら入力を続けている。
その姿を見ていると、十五年前を思い出す。
足りない装備を書き出した。
誰が何をできるのか記録した。
救助のたびに、次はどうするかを考えた。
今もやっていることは大きく変わらない。
新しい能力が加わっただけだ。
夕方になって、隣県から追加のメールが届いた。
小日向が内容を読む。
「相馬さん。さっきのところからです」
「早いな」
「要請基準案を作る前に、まず合同訓練をやりませんかって」
俺は顔を上げた。
「合同訓練?」
「はい。久世さんの能力ありの場合と、なしの場合。両方試したいそうです」
久世が嫌な予感がしたような顔をする。
「俺、両方出るの?」
「ありのほうだけだろ」
「なしの時は休めます?」
「見学しろ」
「ですよね」
神代さんが少し楽しそうに資料を見る。
「いいと思います」
「神代さんは参加する気ですね」
「救難の訓練ですよね?」
「そうですけど」
「なら参加します」
迷いがない。
小日向も画面を見ながら言う。
「向こうも何人か救難員を出すみたいです。やり方の違いも確認したいって」
俺は内容を最後まで読む。
悪くない。
机の上だけで話していても分からないことはある。
実際に動けば、どこで噛み合わないかも見える。
「返事しろ」
「参加で?」
「ああ」
小日向が入力を始める。
久世がため息をついた。
「また出張か」
「訓練だ」
「どっちにしても外ですよね」
「諦めろ」
神代さんが笑った。
俺はもう一度、合同訓練の概要を見る。
久世がいる場合。
久世がいない場合。
同じ救難を、二つのやり方で考える。
ちょうどいい。
久世を使わないようにする必要はない。
使える時は使えばいい。
だが、久世一人に頼るな。
救難所を作り始めた頃から、そこだけは変わらない。
一人が欠けても、次の手を考えられるようにしておく。
それができて初めて、仕組みと呼べるのだと思う。




