第48話 昔と今
十五年前のことを思い返していた俺は、小日向が机の上に置いた封筒で意識を現在へ戻した。
「相馬さん、これもです」
「どこだ」
「北関東の救難組織です。合同救難について一度話を聞きたいって」
「それはさっき見た」
「こっちは別のところです」
見る。
確かに違う。
隣の県にある大規模ダンジョンの管理部門からだった。
内容を読む。
数行で頭が痛くなった。
「また久世か」
「はい」
小日向が苦笑する。
ここ数週間、こういう問い合わせが増えていた。
久世直人の《帰り道》を救難に利用できないか。
重大事故が発生した際、広域救難要員として派遣してもらえないか。
過去に帰還が困難だった区域で、事前にルート確認を頼めないか。
書き方は違う。
だが、言っていることはほとんど同じだった。
久世がいれば、今まで難しかった救難も何とかなるのではないか。
「久世さん、人気ですね」
「全然うれしくないんだけど」
少し離れた机から本人の声がした。
久世は今日も報告書を書いている。
昨日、小日向に戻された分だ。
その向かいには神代さんが座っていた。
救難要請は入っていない。
それでも、最近はこうして普通にいることが増えた。
「人気っていうより、期待されてるんじゃないですか」
小日向が言う。
「余計に困る」
「何でです?」
「俺、できないこと多いよ」
久世がペンを止める。
「人を探すのは普通にやらないと駄目だし、魔物の場所も分からない。帰り道が出ても、崩れてたら誰かに通れるようにしてもらわないといけないし」
「でも帰れる道は分かりますよね」
「見つけたあとならね」
小日向は机の上の書類を見る。
「外からすると、そこが一番大きいんでしょうね」
その通りだった。
救難では、人を見つけても帰還できなければ終わらない。通常ルートが塞がったり地形が変わったりすれば、負傷者を安全に運べる道が分からなくなることもある。
これまで何度もあった。
久世の《帰り道》は、その部分に強い。
だから期待される。
期待されること自体が悪いわけではない。
使えるものは使えばいい。
俺だってそう思う。
問題は、書類の書き方だった。
俺は一枚を机へ置く。
「小日向」
「はい」
「ここ読め」
指した部分を、小日向が覗き込む。
「『久世直人氏の参加を前提とした救難計画の構築について』……ですか」
「そこだ」
小日向が少し黙った。
久世もこちらを見る。
「俺の参加が前提?」
「ああ」
「それは嫌だな」
返事が早かった。
俺は久世を見る。
「理由は」
「俺がいなかったらどうするんです?」
その答えも、予想していたものだった。
神代さんが口を開く。
「別の救難班を出すことになるのでは?」
「それなら最初から、その班でも帰せるようにしておいたほうがいいですよね」
久世は当たり前のように言う。
「俺がいたら助かる場面が増えるのはいいです。でも、俺が来るまで何もできないっていうのは違うと思います」
小日向が書類を見る。
「でも、先方もそこまで考えてないんじゃないですか。久世さんが使えるなら使いたい、くらいで」
「たぶんな」
俺は答えた。
悪意はない。
むしろ逆だ。
一人でも多く助けたい。
そのために有効な能力を使いたい。
考え方としては正しい。
十五年前もそうだった。
髙瀬が岩を動かせる。
だから髙瀬を中心に救助計画を組んだ。
それ自体は間違いではない。
問題は、その次を用意していなかったことだった。
「相馬さん」
神代さんがこちらを見る。
「断るんですか?」
「全部は断らん」
「全部は?」
「合同救難も、情報共有もやる価値はある。久世を外へ出すこと自体にも反対しない」
久世が少し嫌そうな顔をする。
「出張、増えます?」
「必要ならな」
「やっぱり」
「ただし」
俺は書類を指で叩いた。
「久世がいることを前提に、救難そのものを組むのは駄目だ」
小日向が首を傾げる。
「どう違うんです?」
「久世を使うのと、久世しか使えないやり方にするのは別だ」
言ってから、昔聞いた言葉を思い出した。
宮下さんの言葉だった。
強い奴を使うなという話じゃない。
強い奴しか使えないやり方にするな。
今、目の前にいるのは強い探索者ではない。
戦えないF級だ。
それでも同じだった。
一人だけにしかできないことを、全体の前提にしてはいけない。
「例えば」
俺は小日向を見る。
「今日、同時に二件救難が入ったらどうする」
「一件は久世さん。もう一件は通常の救難班です」
「三件なら」
「二件は通常班」
「久世が怪我してたら」
小日向が黙る。
神代さんも少し考えた。
久世本人が言う。
「俺が休みの日もありますよ」
「そういうことだ」
救難は、都合のいい日にだけ起きるわけじゃない。
必要な人間が必ずいるとも限らない。
だから仕組みにする。
昔から、それは変わっていない。
昼を過ぎても救難要請は入らなかった。
小日向は外部から届いた問い合わせを地域別に分け始めた。
俺はその横で内容を確認する。
「これは残せ」
「合同訓練の打診?」
「ああ」
「こっちは?」
「事前のルート調査は断れ」
久世が顔を上げる。
「俺もそれ嫌です」
「何でです?」
小日向が聞く。
「救難じゃないから」
即答だった。
「普通に攻略のために道調べてほしいってことですよね」
「そうです」
「ならやらない」
相変わらずだった。
《帰り道》は便利だ。
だから使いたい奴は増える。
安全な攻略ルート。
効率のいい搬送路。
資材を運ぶ道。
探せばいくらでも利用方法は出てくる。
それでも久世は、救難かどうかで線を引く。
「こっちは?」
小日向が別の紙を出す。
「他県の救難班から、過去の水没救難について情報交換したいって」
「残せ」
「霧の救難記録も見たいそうです」
「それもだ」
「久世さんの能力について詳しく聞きたい、は?」
「内容次第だな」
久世が困った顔をする。
「俺、説明してもあんまり詳しいこと言えないですよ」
「知ってる」
「自分の能力なのに?」
小日向が笑う。
「分からないものは分からないんだよ」
久世が言う。
その横で神代さんが少し笑った。
最近よく見る顔だった。
最初に救難所へ来た頃より、明らかに表情が柔らかい。
「でも」
神代さんが言う。
「久世さんが分からなくても、記録から分かることはあるかもしれませんよね」
「記録?」
久世が聞き返す。
小日向が少しだけ目をそらした。
俺はその反応を見る。
「何かやってるのか」
「いや、大したことじゃないです」
「言え」
「救難記録をちょっと整理してるだけです」
久世が首を傾げる。
「何の?」
「久世さんの《帰り道》が変わった時の状況とか」
久世の手が止まった。
「いつの間に?」
「報告書をちゃんと書かない人がいるので、こっちでまとめないと」
「また俺?」
「久世さんです」
神代さんが笑う。
「見せろ」
俺が言うと、小日向が慌てた。
「まだ途中ですよ」
「途中でいい」
端末を受け取る。
簡単な一覧だった。
記録には、負傷者の歩行状態や搬送具の有無、水没や濃霧といった環境、人数、経路が変わった時の状況などが整理されていた。
まだ数は多くない。
結論を出せるようなものでもない。
それでも、救難ごとの記録が並ぶと見えるものはある。
久世の《帰り道》は、いつも同じ出口へ最短で向かうわけではない。
怪我人がいれば遠回りする。
搬送具を使えば道が変わる。
周囲の状況が変われば経路も変わる。
「これ、面白いですね」
神代さんが端末を覗き込む。
「何か分かります?」
久世が聞く。
「まだ分かりません」
小日向が答える。
「ただ、久世さんが言ってる『全員で帰れる道』っていうのが、どういう条件で変わるのかは少しずつ見えるかもしれません」
久世は一覧を見た。
「俺より詳しくなりそうだな」
「本人が記録取らないからですよ」
「取ってるよ。報告書に」
「人数抜けてましたよね」
「それはもう直した」
また二人が言い合っている。
俺は端末を小日向へ返した。
「続けろ」
小日向が少し驚く。
「いいんですか?」
「救難に使えるならな。ただし、決めつけるな」
「はい」
「傾向と能力のルールは別だ」
「分かってます」
それでいい。
今はまだ、分かることだけ集めればいい。
昔もそうだった。
足りないものを一つずつ記録した。
必要な装備を増やした。
役割を決めた。
救難所というものも、最初から完成していたわけじゃない。
今度は、久世という新しいものが加わった。
なら、それをどう使うか考えればいい。
久世だけに任せるのではなく。
周囲まで含めて、救難全体を強くする形で。
夕方。
問い合わせの整理が一段落したところで、俺は残した書類を机の中央へ集めた。
合同救難。
救難記録の共有。
合同訓練。
どれも今すぐ答えを出す必要はない。
ただ、避けて通ることもできないだろう。
久世の名前は、もうこの救難所の中だけに収まっていない。
「相馬さん」
久世が帰る準備をしながら言う。
「俺、別に有名になりたいわけじゃないんですけど」
「知ってる」
「出張ばっかりになるのも嫌です」
「それも知ってる」
「ちゃんと断ってくださいね」
「救難なら行かせる」
「そこは変わらないんですね」
「当たり前だ」
神代さんが隣で笑っている。
小日向も書類を片づけていた。
俺は三人を見る。
十五年前、救助は事故が起きるたびに人を集め、その場にいる誰かの経験や力に頼っていた。そこから足りないものを一つずつ補い、ようやく今の救難所ができた。
そして今、ここには久世がいる。
こいつにしか見えない《帰り道》があり、その力があれば救える人間が増える。それなら使わない理由はない。
ただ、久世がいなければ何もできない救難にするつもりもなかった。
机の上には、広域救難への協力要請が一枚残っている。俺はその紙を、断る書類の山には入れなかった。
久世を外へ出すこと自体が問題なのではない。
問題は、この力を救難の中でどう使うかだ。




