第47話 救難所ができるまで
第七層の崩落事故からしばらくして、俺が救助に呼ばれる回数はさらに増えた。
理由は単純だった。
一度参加すると、次から声がかかりやすくなる。
「あいつは搬送をやったことがある」
「負傷者を連れて戻った経験がある」
それだけで、当時は十分だった。
今のように救難専門の資格があるわけでもなければ、専用の班が常に待機しているわけでもない。事故が起これば、その時に動ける探索者を集めて現場へ向かう。
俺自身も、それを特別おかしいとは思っていなかった。
最初のうちは。
ある時は、第六層で足を怪我した探索者を運んだ。
現場に集まった六人のうち、担架を使った経験があるのは俺だけだった。
「これ、どう持つんですか?」
若い探索者に聞かれた。
「前後二人。残りは左右につけ。段差では勝手に持ち上げるな」
「はい」
「前が合図する。全員それに合わせろ」
教えながら、自分でも妙な気分になった。
数年前までの俺なら、担架の扱いなんて知らなかった。
強い魔物の倒し方なら説明できた。
剣の振り方も、盾役との連携も分かった。
だが、人をなるべく揺らさず運ぶ方法なんて考えたこともなかった。
その日は問題なく地上へ戻れた。
別の日には、第四層で通信が途絶えた二人を探しに行った。
入口へ着くと、十人近い探索者が集まっていた。
人数だけ見れば十分だ。
問題は、誰が何をするのか誰も決めていないことだった。
「東から行けば早い」
「いや、最後の通信は南側だろ」
「二班に分かれればいい」
「魔物が多い区域だから、戦える奴を固めたほうがいい」
全員、人を助けるために来ている。
それなのに出発する前から話がまとまらない。
結局、現場を知っている探索者がその場で指揮を取ることになったが、捜索中にも別の問題が起きた。
片方の班が見つけた足跡を、もう片方が知らない。
途中で発見した装備品についても、報告が地上へ戻るまで共有されなかった。
二人を発見できたのは日付が変わる少し前だった。
幸い、大きな怪我はなかった。
成功と言えば成功だ。
だが、地上へ戻ったあと、誰かが言った。
「これ、次も同じやり方でやるのか?」
誰も答えなかった。
俺も答えられなかった。
似たようなことは何度も起きた。
救助に必要なロープが足りず、現場へ向かう途中で別の班から借りた。
怪我人を固定する器具がなく、探索者が普段使っている装備を組み合わせて代用した。
救助要請を受けた窓口と、実際に現場へ情報を流す窓口が違い、怪我人の人数を勘違いしたまま班が出発したこともあった。
「二人って聞いてたぞ」
「こっちは三人って聞いてる」
「どっちだよ」
現場へ着いて確認すると、三人だった。
一人が大きな怪我をしていなかったため、最初の連絡では負傷者二人とだけ伝わっていたらしい。
それでも、救助対象が三人なら最初から三人として準備するべきだった。
怪我をしていないから、自力で必ず帰れるとは限らない。
そんな当たり前のことさえ、当時は統一されていなかった。
一番困ったのは、事故が起きるたびに顔ぶれが変わることだった。
経験者が三人いる日もあれば、俺以外は全員初めてという日もある。
治療ができる人間がすぐ集まることもあれば、現場まで来られないこともある。
高ランク探索者が参加したから安心だと思っていたら、本人に救助経験がなく、負傷者をどう運べばいいか分からないこともあった。
強さと救助経験は別だった。
それを知っている人間は少しずつ増えていたが、仕組みにはなっていなかった。
その年の冬、俺は久しぶりに宮下さんと同じ現場へ入った。
第八層で探索者二人が負傷。
一人は自力歩行が難しく、もう一人がその場で付き添っている。
位置は分かっていた。
現場へ向かう途中、俺は宮下さんに聞いた。
「最近、こういうの増えてません?」
「救助か?」
「はい」
「探索者自体が増えてるからな。潜る奴が増えれば、事故も増える」
「このままでいいんですかね」
宮下さんが俺を見る。
「何がだ」
「毎回、人を集めて、その場で役割決めて、装備もあるものを使う。今は何とか回ってますけど」
「回ってるように見えるだけだろ」
即答だった。
俺は少し驚く。
「そう思ってたんですか」
「思ってるよ」
宮下さんは前を歩きながら続けた。
「毎回、運がいいんだ」
「運?」
「たまたま経験者がいる。たまたま治療できる奴がいる。たまたま必要な装備を持ってる奴がいる。たまたま現場を知ってる奴がいる」
言われてみれば、その通りだった。
何か足りなくても、今までは誰かが補ってきた。
俺もその一人だった。
「でも、そのうち全部そろわない日が来る」
宮下さんが言う。
「事故は待ってくれないからな」
俺は黙った。
「宮下さんは、どうすればいいと思ってるんですか」
「簡単だ」
またその言い方だった。
この人は難しい話ほど簡単そうに言う。
「救助する奴を、事故が起きてから集めるのをやめる」
「最初から用意しておくってことですか?」
「ああ」
「でも探索者をずっと待機させるんですか」
「探索者だけじゃない」
宮下さんは指を折りながら言った。
「受付する奴。情報をまとめる奴。治療できる奴。運ぶ奴。現場で判断できる奴。それぞれ最初から決めておく」
「専用の組織みたいな?」
「そんな大げさなもんじゃなくていい。最初はな」
少し考える。
事故が起きる。
決まった場所へ連絡する。
必要な情報をそこでまとめる。
出る人間も、装備も、ある程度決まっている。
それだけで、今よりずっと早く動ける。
「それ、誰かに話してるんですか?」
「何度もな」
「通らない?」
「金がかかる」
宮下さんが笑う。
「人も必要だ。場所もいる。事故がない日は何もしない連中を置いておくのかって言われる」
「まあ……言われそうですね」
「でも、事故がない日に何もすることがないなら、それが一番いいんだ」
その言葉は妙に残った。
探索者の仕事は、何かをすることで結果が出る。
魔物を倒す。
素材を持ち帰る。
未踏区域を進む。
救助は違う。
事故がなければ、そもそも出番がない。
出番がないことが一番いい。
そんな仕事を、当時の俺はまだ完全には理解していなかった。
救助した二人を地上へ連れ戻したあと、宮下さんに連れられて小さな会議へ出た。
参加者は十人ほどだった。
探索者協会の職員。
医療関係者。
現場経験のある探索者。
ダンジョン管理を担当している職員もいた。
俺は場違いな気がした。
「何で俺まで?」
会議室へ入る前に聞くと、宮下さんは平然と答えた。
「最近よく救助に出てるから」
「それだけ?」
「現場を知らない奴だけで決めるよりマシだ」
それで参加させられた。
会議の内容は、想像していたより地味だった。
事故発生時の連絡先を一本化できないか。
救助用装備を共通で保管できないか。
負傷者の人数、位置、怪我の程度、通信状況を最初に確認する書式を作れないか。
現場へ向かう人間の役割を事前に分けられないか。
誰かが案を出すたびに、別の誰かが問題を挙げる。
「専用装備を置くとして、管理は誰がやるんです?」
「常駐人員まで置く予算はありません」
「探索者を登録制にするなら、参加義務はどうする?」
「低ランクでも搬送経験がある人間はいます。ランクだけで切るのは違うでしょう」
話はなかなか進まなかった。
俺は黙って聞いていた。
途中で協会職員が言った。
「そもそも、既存の探索者制度の中で対応できませんか。高ランクの方を優先的に招集するとか」
少し前の俺なら、それでいいと思ったかもしれない。
強い奴を集める。
危険な場所へ入るのだから、当然に見える。
でも今は違った。
「それだけじゃ駄目です」
気づけば口を挟んでいた。
全員がこちらを見る。
「どうしてです?」
職員に聞かれる。
「高ランクでも、担架を使ったことがない人はいます。負傷者を運びながら戦ったことがない人もいる。逆にC級でも、何度も救助に参加してる人はいます」
宮下さんは何も言わず聞いている。
「強い人が必要な場面はあります。でも、強い順に集めれば救助できるわけじゃないです」
言葉にしながら、救助に関わり始めた頃の自分とは、考え方が少しずつ変わってきたことに気づいた。
最初の俺は、柿沼さんが魔物を全部倒せば安全になると思っていた。
崩落事故では、髙瀬さんが岩をどかせば解決すると考えた。
どちらも間違いではない。
ただ、それだけでは足りなかった。
「じゃあ何を基準にするんです?」
別の職員が聞く。
「役割じゃないですか」
自分でも考えながら答えた。
「戦える人。治療できる人。運べる人。現場をまとめる人。全部一人でできる必要はないと思います」
会議室が少し静かになる。
医療担当者が頷いた。
「それなら、医療班との連携も最初から組み込めますね」
別の職員がメモを取る。
「救助経験の記録も必要かもしれません」
話が動き始めた。
俺が何か大きなことを決めたわけではない。
その場にいた全員が、それぞれの立場から意見を出した。
連絡体制。
装備。
人員。
記録。
訓練。
一つずつ。
その日の会議だけで何かが完成したわけでもなかった。
むしろ、決まらなかったことのほうが多い。
それでも、それまでとは違った。
事故が起きてから考えるのではなく、事故が起きる前に準備しようとしていた。
それから何年もかかった。
最初にできたのは、小さな救助対応窓口だった。
専用の部屋ですらない。
探索者協会の一角に机を二つ置き、事故の連絡をそこでまとめるようにしただけだった。
次に救助用の装備が集められた。
ロープ。
担架。
固定具。
予備のライト。
誰が使っても同じ場所へ戻す。
使ったら補充する。
それだけの決まりを作るのにも時間がかかった。
救助経験のある探索者を登録する仕組みもできた。
参加できる日。
得意なこと。
戦闘力。
治療の知識。
水中経験。
搬送経験。
探索者ランクだけでは分からない情報が、少しずつ記録されるようになった。
訓練も始まった。
最初は参加者が少なかった。
「事故も起きてないのに担架運ぶのか」
そう言う奴もいた。
俺も昔なら同じことを言ったかもしれない。
それでも続けた。
狭い場所での搬送。
ロープを使った移動。
負傷者役を置いた帰還訓練。
戦わずに通過する判断。
やってみると、戦える奴ほど最初につまずくことも多かった。
自分の速度で動く。
危険を見ると前へ出る。
魔物を追う。
全部、探索者としては自然な動きだ。
それを救助用に変えるには練習が必要だった。
宮下さんはよく言っていた。
「救助は、弱くなる練習じゃない。持ってるものを別の使い方にする練習だ」
その言葉は、今でも覚えている。
救助対応窓口が、正式に救難を専門とする部署になった頃には、俺もそこにいる時間のほうが長くなっていた。
いつから探索者より救難側の人間になったのか、自分でもはっきり覚えていない。
気づけば現場へ出るより、送り出すことが増えた。
若い探索者へ装備の使い方を教える。
報告書を見る。
事故が起きれば情報をまとめる。
必要な人間を選ぶ。
時には現場にも入る。
そうやって少しずつ形ができた。
もちろん、完璧ではない。
今でも事故は起きる。
判断を間違えることもある。
救えないことだってある。
それでも、昔とは違う。
事故が起きるたびに、たまたま近くにいた誰かの善意だけを頼る必要はなくなった。
帰れなくなった人間がいる。
その連絡を受ける場所がある。
迎えに行く人間がいる。
帰すための装備がある。
それを仕事として考える人間がいる。
攻略でもない。
討伐でもない。
人を帰すために動く場所。
今の救難所は、最初からそこにあったわけではない。
誰か一人が作ったものでもない。
何度も救助へ行き、そのたびに足りなかったものを一つずつ足してきた。
そうしてようやく、今の形になった。
そうして年月を重ねた末に、今の救難所がある。
そして現在、その救難所には、戦えないF級探索者が一人いる。
そいつが見えるという道を、俺は最初から全面的に信用していたわけじゃない。
ただ、一つだけ分かっていた。
どれだけ便利な力でも、一人だけに任せる仕組みにしてはいけない。
それを俺は、久世と出会うずっと前から知っていた。




