第46話 帰すための仕事
宮下さんと第五層へ救助に入った日から、三か月ほど経った。
あれ以来、俺は救助要請があるたびに、できる範囲で参加するようになっていた。
探索者としての仕事を辞めたわけではない。
普段はこれまで通りダンジョンへ潜り、魔物を倒し、素材を持ち帰る。違ったのは、救助に呼ばれた時の考え方だった。
何を倒すかではなく、誰を帰すか。
最初にそれを確認する。
言葉にすれば簡単だが、実際にやるとなると難しかった。
目の前に魔物がいれば、先に排除したくなる。危険な場所があれば、安全にしてから人を動かしたくなる。
それでも、救助対象の状態によっては待てないことがある。
あの日の女性探索者がそうだった。
俺が危険を全部なくそうとしている間にも、怪我人の時間は進んでいる。
そのことを意識するようになっただけでも、以前とはかなり違った。
そんな頃、これまでより規模の大きい事故が起きた。
「第七層で崩落。探索者八名が取り残されてる」
ダンジョン入口の臨時受付で、担当者が地図を指した。
俺は周囲を見る。
集められた探索者は十人を超えていた。
A級が二人。
B級が俺を含めて四人。
残りはC級。
治療魔法を使える者も二人いる。
宮下さんの姿はなかった。
別の現場へ出ているらしい。
「八人の状態は?」
俺が聞くと担当者が資料を見る。
「通信できているのは五人。一人が脚を負傷、二人が軽傷。残り三人は崩落の向こう側にいる可能性が高い。通信は途切れてる」
「崩落の範囲は?」
「第七層西側の接続通路。完全に塞がってるわけじゃないが、人がそのまま通れる状態じゃない」
横から男が口を挟んだ。
「なら、岩をどかせばいい」
A級探索者の髙瀬だった。
当時、この地域では柿沼さんと並んで名前の知られていた一人だ。
能力は《剛力》。
名前の通り、身体能力を大きく引き上げる。
大型魔物を押し返し、一人で落石を持ち上げたこともあるという。
「俺が道を開ける。その間に負傷者を運べばいい」
周囲も反対しなかった。
むしろ、それが一番早いと思っているようだった。
俺も最初はそう考えた。
崩落が問題なら、岩をどかす。
それができる人間がいる。
なら任せればいい。
「髙瀬さんが先頭で崩落地点まで。相馬さんたちは周囲警戒をお願いします」
現場担当者が決める。
「了解」
俺たちは準備を始めた。
その時点では、誰も疑っていなかった。
髙瀬がいれば何とかなる、と。
第七層までは問題なく進んだ。
崩落地点の少し手前で、取り残されていた五人と合流する。
負傷者は聞いていた通りだった。
一人が右脚を痛め、自力で歩くのは難しい。
残る四人のうち二人にも切り傷や打撲があるが、移動はできる。
「向こうに三人いるんです」
五人の中で一番年上の男性が、崩落した通路を指した。
「崩れる直前まで一緒でした。たぶん反対側に逃げたと思います」
「声は?」
「一度だけ聞こえました。でもそのあと何も」
髙瀬が岩の山を見る。
「どける」
それだけ言って前へ出た。
大きな岩に両手をかける。
身体に力が入る。
普通なら数人でも動かせないような岩が、少しずつ持ち上がった。
周囲から驚きの声が上がる。
「やっぱ髙瀬さんすげえな」
誰かが言った。
俺もそう思った。
髙瀬が一つ。
二つ。
通路を塞いでいる岩をどかしていく。
少しずつ隙間が広がる。
「これなら通れるようになる」
現場担当者が言う。
救助された五人の表情も明るくなった。
俺は負傷者のそばへ行く。
「脚、どうだ?」
「動かすとかなり痛いです」
「治療役に見てもらったか?」
「はい。折れてはいないと思うって」
治療役の探索者が頷く。
「強い捻挫か、ひびの可能性があります。歩かせないほうがいいです」
「担架を出そう」
準備を始める。
その間にも、岩が動く音が続いていた。
順調に見えた。
髙瀬がいれば、もうすぐ向こう側へ行ける。
そう思っていた。
突然、鈍い音がした。
振り返る。
髙瀬が片膝をついていた。
「髙瀬さん?」
近くにいた探索者が駆け寄る。
髙瀬は右手首を押さえている。
「どうした?」
「岩が……ずれた」
見ると、さっきまで持ち上げていた岩が別の岩に引っかかり、落ちかけていた。
完全には崩れていない。
だが髙瀬の右手が挟まれたらしい。
「動かせるか?」
「指は……動く」
顔色が悪い。
治療役がすぐ確認する。
「一度休んでください。腫れてきてます」
髙瀬が立ち上がろうとする。
「まだいける」
「駄目です」
「あと少しだ。ここ抜けば――」
「右手で岩を持てないでしょう」
「左でもできる」
その言葉を聞いた瞬間、周囲の空気が止まった。
誰も次を言わない。
俺もだった。
髙瀬が通路を開ける。
その前提で全員が動いていた。
髙瀬ができなくなったら、どうするのか。
誰も決めていなかった。
「……別の岩からどかすか?」
誰かが言う。
「髙瀬さんが無理なら、何人かでやれば」
「この大きさを?」
「じゃあ応援を呼ぶ?」
「三人が向こうにいるんだぞ」
声が重なる。
現場担当者も地図と崩落地点を交互に見ていた。
明確な指示が出ない。
髙瀬がもう一度岩へ手を伸ばそうとする。
「待ってください」
気づけば、俺が言っていた。
髙瀬が振り返る。
「何だ」
「その手で続けるのは無理です」
「じゃあ三人を放っておくのか?」
「そうじゃない」
俺は崩落地点を見る。
大きな岩が通路を塞いでいる。
正面から全部どかすことしか考えていなかった。
髙瀬ができるから。
それが一番早いと思ったから。
でも、本当にそれしかないのか。
「地図」
現場担当者に手を出す。
「何?」
「この崩落地点の反対側へ行ける道、本当にここだけですか」
「通常ルートはここだ」
「通常じゃなくていい」
地図を広げる。
第七層西側。
崩落地点を挟んで、こちらと反対側。
少し北へ外れたところに旧採掘路がある。
今はほとんど使われていない道だった。
「ここ」
俺が指す。
「旧採掘路から回れないですか」
担当者が地図を見る。
「つながってはいる。ただ、かなり遠い。少なくとも一時間以上かかる」
「通れるかは?」
「記録上は通行可能。でも最近使われてない」
「なら確認班を出しましょう」
髙瀬が眉を寄せる。
「一時間だぞ」
「ここで岩をどかすのに、あと何分かかります?」
髙瀬は答えなかった。
右手を痛めている。
誰かが代わっても、同じ速度では進まない。
「相馬さん」
現場担当者が言う。
「旧採掘路を使うなら、三人を探す班と、今いる五人を地上へ戻す班に分ける必要がある」
「分けましょう」
「人手が減る」
「ここに全員残ってても、五人は帰れません」
自分で口にしてから、宮下さんの言葉を思い出した。
まず、助ける相手を見ろ。
今ここに五人いる。
一人は歩けない。
その人たちまで、向こうの三人を見つけるまで待たせる必要はない。
「歩けない一人と、怪我してる二人は先に地上へ戻す。動ける二人も一緒に帰ってもらう」
「俺たちは残ります」
無傷の男性が言った。
「仲間が向こうにいるんです」
「残って何ができます?」
男が黙る。
言い方がきつかったかもしれない。
でも、必要だった。
「探すのはこっちでやります。あなたたちは地上へ戻って、向こうの三人について分かることを全部伝えてください。装備、怪我、持ってる食料、最後に見た位置。それが役に立ちます」
男は迷ったあと、頷いた。
「……分かりました」
現場担当者がようやく動いた。
「搬送班を四人。残りは旧採掘路から反対側へ回る」
「髙瀬さんも地上へ」
俺が言う。
「俺は行ける」
「その手で何するんです」
「戦闘なら片手でもできる」
「できることじゃなくて、今必要かどうかです」
髙瀬が俺を見る。
少し前の俺なら、こんなことは言えなかったと思う。
A級探索者。
一番強い人間。
その人が残るほうが安心だと思ったはずだ。
「治療してください」
俺は言った。
「必要なら、また呼びます」
しばらくして、髙瀬が右手から力を抜いた。
「……分かった」
俺たちは二班に分かれた。
搬送班が五人と髙瀬を連れて地上へ向かう。
俺は残った探索者たちと旧採掘路へ入った。
地図通りなら、崩落地点の反対側まで約一時間。
ただし、使われていない道だ。
ところどころ床が荒れている。
照明も切れていた。
「相馬さん」
後ろから声がする。
「本当にこっちでいいんですか」
C級の若い探索者だった。
「分からん」
正直に答えた。
「え?」
「地図ではつながってる。でも実際に通れるかは分からない」
「じゃあ」
「だから確認しに来た」
不安そうな顔をしている。
俺だって不安だった。
正面の岩をどかせばいい。
そういう分かりやすい方法ではない。
遠回りで時間もかかる。
途中で通れない可能性もある。
それでも、負傷した髙瀬一人に全員の救助を任せ続けるよりはいい。
「急ぐぞ。ただし無理に走るな」
俺たちは進んだ。
二十分ほどで、最初の問題が出た。
通路の一部に水が溜まっている。
深さは膝ほど。
通れないほどではない。
先に一人を入らせて足元を確認する。
「大丈夫です。ただ滑ります」
「ロープ出せ」
全員をつなぐ。
一人ずつ渡る。
さらに進むと途中で小型魔物が二体出た。
以前の俺なら、先頭へ出て倒しに行ったと思う。
今は違う。
「追うな。通路から離せ」
一体を牽制し、もう一体が逃げる。
深追いしない。
時間を使うのは、三人のところへ着くためだけでいい。
五十分ほど進んだところで、前方から声が聞こえた。
「誰か!」
全員が足を止める。
「救助です!」
呼びかけると返事があった。
「こっちです!」
走りたくなるのを抑え、足元を確認しながら進む。
少し先の広い空間に、三人がいた。
全員生きている。
一人が頭から血を流していたが、意識はある。
もう一人は足を引きずっている。
最後の一人が、二人を支えながらここまで移動してきたらしい。
「遅くなった」
俺が声をかける。
男性が力の抜けた顔で笑った。
「来てくれただけで十分です」
治療役がすぐ動く。
怪我を確認する。
俺は三人を数えた。
一人。
二人。
三人。
間違いない。
「全員いるな」
自分に言い聞かせるように確認した。
崩落地点の向こうに残った三人。
全員見つかった。
でも、まだ終わりじゃない。
「相馬さん」
治療役が呼ぶ。
「頭を切ってる人は歩けます。ただ、少しふらついてます。足を痛めた人も、支えれば移動できます」
「担架は?」
「一つあります」
「頭を打った人を乗せる。足の人は両側から支える」
指示する。
「来た道を戻るんですか?」
俺は地図を見る。
一時間近くかかった。
水場もある。
だが、少なくとも通れることは分かっている。
「戻る」
「崩落側は?」
「使わない」
「でも、岩をどかせてるかもしれません」
「かもしれない、で怪我人を連れていくな」
俺は地図を畳む。
「通れると確認した道を使う」
誰も反対しなかった。
地上へ戻った時には、かなり時間が経っていた。
先に搬送した五人も、髙瀬も無事だった。
俺たちが連れ帰った三人も、治療を受けるために運ばれていった。
八人全員。
救助に入った側も、誰も欠けていない。
結果だけを見れば成功だった。
だが、入口ではすぐに反省会が始まった。
髙瀬が右手に固定具をつけたまま座っている。
「悪かった」
いきなり言った。
「何がです?」
「俺がいれば岩をどかせると思って、みんなもそれで動いた」
周囲が黙る。
髙瀬は自分の右手を見る。
「俺もそう思ってた。自分がやれば早いって」
現場担当者が息を吐く。
「こちらも髙瀬さんを前提に計画を組みすぎました」
誰かが責めたわけではない。
髙瀬は実際に強い。
岩をどかせるのも事実だった。
問題は、その一人が動けなくなった時だった。
次の方法が誰にもなかった。
「相馬」
名前を呼ばれ振り返ると宮下さんがいた。
別の現場から戻ってきたらしい。
「聞いたぞ」
「何をです?」
「途中から仕切ったらしいな」
「仕切ったというほどじゃないです」
「全員帰ったんだろ」
「はい」
「ならいい」
宮下さんはそれだけ言った。
俺は少し迷ってから聞く。
「宮下さん」
「何だ」
「強い人がいるのって、悪いことじゃないですよね」
髙瀬がこちらを見る。
宮下さんは首を振った。
「悪いわけあるか。強い奴がいれば助かる場面は多い」
「でも今日、一人に頼りすぎました」
「ああ」
「どうすればよかったんですかね」
宮下さんは少し考えた。
「簡単だ」
「何がです?」
「一人が駄目になったら、次を考えられるようにしとけ」
あまりにも普通の答えだった。
「最初から?」
「救助ってのはそういう仕事だ。怪我人が増えるかもしれない。道が塞がるかもしれない。予定してた奴が動けなくなるかもしれない」
宮下さんが髙瀬を見る。
「強い奴を使うなって話じゃない。強い奴しか使えないやり方にするなって話だ」
髙瀬が小さく頷いた。
俺も、その言葉を頭の中で繰り返した。
強い奴しか使えないやり方にするな。
十五年後。
久世という、一人だけが《帰り道》を見ることのできる男と出会った時、俺が最初に考えたことの一つも同じだった。
こいつの能力は使える。
間違いなく、多くの人間を救える。
だからこそ。
こいつ一人がいなければ何もできない救難には、してはいけない。
その考えの始まりは、まだ久世のことなど知りもしなかった、この日の救助にあった。




