第44話 私がここにいる理由
救難所の中は静かだった。
小日向さんは受付端末の整理をしていて、相馬さんは奥の事務室で報告書を確認している。久世さんは机に救難記録を広げ、何かを書き込んでいた。
私はその向かいに座っている。
特にやることはない。
「神代さん」
小日向さんが受付から声をかけてきた。
「はい?」
「本当に暇じゃないですか?」
「暇ですね」
「認めた」
「救難がないんですから、いいことでは?」
「それはそうなんですけど」
小日向さんは少し考えたあと、机の横に積まれていた箱を見た。
「じゃあ、これ手伝ってもらっていいですか?」
「何です?」
「救難装備の確認です。予備のロープとか固定具とか、期限切れがないか見ないといけなくて」
「分かりました」
立ち上がる。
久世さんも顔を上げた。
「俺もやります」
「久世さんはその報告書を先に終わらせてください」
小日向さんに止められる。
「そんなに残ってないですよ」
「昨日も同じこと言って残してましたよね」
「覚えてたんだ」
「仕事なので」
相馬さんの声が奥から飛んできた。
「久世、先に書け」
「はい」
久世さんは大人しく椅子へ戻った。
私は少し笑った。
「何です?」
「いえ」
「今笑いましたよね」
「笑ってません」
「神代さん、最近それ多くないですか?」
小日向さんにまで言われた。
私は何も答えず、装備の入った箱を持ち上げた。
倉庫には、思っていた以上に多くのものが保管されていた。
倉庫には救難用ロープや簡易担架、固定具、予備ライト、防寒具、水中用装備などが並んでいた。
見慣れているものもあれば、救難所へ来るようになって初めて知ったものもある。
「これ、全部確認するんですか?」
「今日はこの棚だけです」
小日向さんが一覧表を見せる。
「数が合ってるか。破損がないか。使った分が補充されてるか。あと、消耗品の期限ですね」
「地味ですね」
「神代さんが言うとすごく地味に聞こえる」
「地味だと思います」
「否定できないですけど」
二人で箱を開ける。
私はロープの状態を確認し、小日向さんが番号を記録していく。
普段の探索でも装備点検はする。
ただ、自分が使うものを確認するのと、誰かを助けるための装備を管理するのでは少し感覚が違った。
ロープが一本足りないだけでも困るし、固定具が壊れていれば怪我人を安全に運べない。予備ライトが点かなければ、暗い場所での捜索にも支障が出る。
どれも戦うための道具ではない。
それでも、なくては困る。
「神代さん、そっち何本です?」
「八本です」
「一覧だと九本ですね」
「一本足りません」
小日向さんが首を傾げる。
「昨日使った分かな」
「確認しますか?」
「お願いします」
二人で棚の奥まで探す。
少しして、別の箱に一本紛れ込んでいるのを見つけた。
「ありました」
「よかった。これで合います」
小日向さんが一覧に印をつける。
たったそれだけのことなのに、少しだけ達成感があった。
「神代さん」
「はい?」
「こういうのも普通にやるんですね」
「手伝ってって言われましたから」
「S級探索者にロープ数えてもらってるの、たぶんここくらいですよ」
「嫌なら戻しますけど」
「嫌じゃないです」
むしろ助かっているらしい。
私は次の箱を開けた。
一時間ほどして倉庫から戻ると、久世さんの報告書も終わっていた。
「お疲れさまです」
「終わりました?」
「なんとか」
小日向さんがすぐ確認に行く。
数分後。
「久世さん」
「はい」
「ここ、日時抜けてます」
「え?」
「あと人数」
「人数?」
「救難対象の人数です」
久世さんが紙を見る。
「あ、本当だ」
「一番大事なところじゃないですか」
「全員帰ったから安心してました」
「記録にはちゃんと書いてください」
また直している。
私は向かいの席へ戻った。
「久世さん、報告書苦手なんですか?」
「好きではないですね」
「意外です」
「何でです?」
「もっと細かい人だと思ってました」
「救難中は確認しますけど、終わったあとまで几帳面ではないです」
「それで小日向さんが困るんですね」
「最近ちょっと厳しくなった気がします」
「久世さんのせいです」
受付から聞こえた。
久世さんが黙る。
私はまた笑った。
今度は隠さなかった。
「やっぱり笑ってますよね」
「はい」
「認めるようになった」
「面白かったので」
「俺が?」
「小日向さんに怒られてるところが」
久世さんは少し納得できない顔をした。
それもおかしかった。
こんなふうに誰かと話す時間は、探索中にはほとんどない。
攻略では次の行動を考える。
敵の位置を見る。
体力や魔力を確認する。
休憩中でも、頭のどこかではダンジョンのことを考えている。
ここでは、何も起きなければ本当に何も起きない。
それが最近、嫌ではなくなっていた。
夕方になって、相馬さんが事務室から出てきた。
「神代さん」
「はい」
「少し付き合ってもらえるか」
「救難ですか?」
「訓練だ」
外へ出る。
救難所の裏には、小さな訓練スペースがある。
大規模な施設ではない。
障害物と簡易壁、それに段差を再現した設備が置かれている程度だ。
そこに久世さんと小日向さんも来た。
「何するんです?」
久世さんが聞く。
「搬送訓練」
相馬さんが答える。
「神代さんがいるならちょうどいい」
「俺も?」
「お前もだ」
簡易担架が用意される。
相馬さんが小日向さんを見る。
「怪我人役」
「また僕ですか?」
「若いからな」
「それ理由になります?」
「乗れ」
小日向さんは納得していない顔で担架へ横になった。
「前回より雑じゃないですか?」
「怪我人は黙ってろ」
「まだ怪我してないです」
久世さんが笑っている。
私は担架の前側へ回った。
「私が持ちます」
「神代さんは後ろ」
相馬さんに言われる。
「後ろですか?」
「ああ。久世、前」
今度は久世さんが驚く。
「俺が?」
「お前が前だ」
「神代さんのほうが力ありますよ」
「だから訓練なんだろ」
相馬さんはコースを指した。
コースには狭い通路や低い段差があり、途中には急な曲がり角も作られていた。
「力がある奴が好き勝手に動いたら、担架は傾く。前後で呼吸を合わせろ」
「分かりました」
私たちは担架を持つ。
小日向さんが横になったまま言う。
「絶対落とさないでくださいね」
「落としません」
「神代さんは信用してます」
久世さんが言った。
「俺は?」
「久世さんも頑張ってください」
「信用の差がすごいな」
相馬さんが手を叩く。
「始めろ」
担架を持ち上げる。
重さはほとんど感じない。
ただ、久世さんの速度に合わせなければならない。
最初の段差。
久世さんが止まる。
「上げます」
「はい」
「せーの」
前側が上がる。
私は少し遅れて高さを合わせた。
「神代さん、上げすぎ」
相馬さんに止められる。
「すみません」
「力じゃない。高さ見ろ」
「はい」
もう一度。
今度は久世さんの手元を見る。
同じ高さで上げる。
段差を越える。
次は狭い曲がり角だった。
「久世さん、先に入ってください」
「分かりました」
久世さんが身体を横へ向ける。
担架の前側を少しずつ曲げる。
私は後ろから角度を合わせる。
思ったより難しい。
力任せに動かせば、壁にぶつかる。
小日向さんが担架の上で言う。
「今、頭かなり壁近かったですよ」
「ぶつかってません」
「近かったです」
「黙って寝ててください」
「神代さんまで相馬さんみたいになってきた」
久世さんが笑う。
私は少し恥ずかしくなった。
「続けます」
二人で何度か声を合わせる。
最初より動きが合ってくる。
久世さんが前で確認し、私が後ろから支える。
狭いところでは私が無理に進めず、久世さんの合図を待つ。
最後の段差を越え、指定された場所へ担架を下ろした。
「終わり」
相馬さんが言う。
小日向さんが起き上がる。
「ちゃんと生還しました」
「訓練だからな」
「でも最初より後半のほうが全然揺れなかったです」
私は久世さんを見る。
「そうですか?」
「はい。途中から神代さんが合わせてくれたので」
久世さんが答える。
「最初は俺が引っ張られてましたけど」
「すみません」
「力の差がありすぎるんですよ」
相馬さんが腕を組む。
「神代さん」
「はい」
「救難じゃ、自分が一番強いからって自分の速度で動けるとは限らない」
「分かっています」
「今はな」
昨日、森岡さんにも似たことを言われた。
私は少しだけ笑った。
「最近、それをよく言われます」
「実際変わったんだろ」
相馬さんはそれ以上何も言わなかった。
訓練が終わる頃には、外が少し暗くなっていた。
その日も結局、救難要請は入らなかった。
小日向さんが受付を片づける。
「平和でしたね」
「そうですね」
「神代さん、今日はロープ数えて、担架運んで終わりましたね」
言われてみれば、その通りだった。
魔物は一体も倒していない。
剣も抜いていない。
ダンジョンにも入っていない。
S級探索者としての実績になるようなことは、何もしていない。
それでも無駄な一日だったとは思わなかった。
「帰りますか?」
久世さんが荷物を持つ。
「はい」
救難所を出る。
駅までの途中、久世さんと二人になった。
「神代さん」
「はい?」
「本当に最近よく来ますね」
また同じことを言われた。
「迷惑ですか?」
「まさか。助かってます」
「ならいいです」
数歩歩く。
「でも、攻略の仕事もあるんですよね?」
「あります」
「無理して来なくても大丈夫ですよ」
「無理してません」
それはすぐに答えられた。
久世さんがこちらを見る。
「そうですか」
「はい」
そこで会話は終わった。
理由を聞かれるかと思ったが、久世さんはそれ以上聞かなかった。
駅が見えてくる。
私は今日一日のことを思い返した。
今日はロープを数え、装備を確認し、担架を運んだ。訓練では久世さんの速度に合わせて歩いた。
何も特別なことはしていない。
それでも、ここへ来なければ知らなかったことがまた一つ増えた。
私は強い。もちろん、その力が必要な時もある。
でも、救難所で必要とされるのは、強さだけではない。
誰かに合わせ、指示を聞き、自分にできないことはほかの人に任せる。必要なら待つことも、救難では大切なのだ。
私はそういうことを、まだ覚えている途中なのだと思う。
「久世さん」
「はい?」
「明日も救難所にいますか?」
聞いてから、自分でも少し唐突だったと思った。
久世さんは特に気にした様子もなく答える。
「いますよ。救難がなければ暇ですけど」
「それならいいです」
「何がです?」
「いえ。何でもありません」
久世さんは不思議そうな顔をしたが、追及しなかった。
駅前で別れる。
「じゃあ、また明日」
久世さんが言う。
「はい。また明日」
私はそう答えてから、少しだけ足を止めた。
昨日まで、どうして救難所へ行くのか聞かれても答えられなかった。
今も、きれいな言葉にできるわけではない。
ただ、明日も来ようと思っている。
誰かに頼まれたからではない。
S級だからでもない。
ここに来れば、まだ自分にできることが増える。
そして、何も起きない日でも、ここにいることを嫌だと思わない。




