第43話 どうして救難所へ?
その週の終わり、私は探索者協会の支部へ来ていた。
月に一度あるS級探索者向けの報告会に出るためだ。
名前だけ聞けば大げさだが、内容の多くは情報共有だった。高難度ダンジョンの変化、新しく確認された魔物、立入制限区域、装備規定の変更。探索者同士が直接顔を合わせる機会が少ないため、定期的に集められている。
会議室には十数人の探索者がいた。
全員がS級というわけではない。高難度区域を担当するA級の代表者も何人か参加している。
「神代さん、久しぶり」
席へ向かう途中で声をかけてきたのは、A級探索者の篠崎奈緒だった。
三十歳。短い茶髪で、槍を使う。何度か合同攻略で一緒になったことがある。
「お久しぶりです」
「最近全然見ないと思ったら、救難ばっかりやってるんだって?」
挨拶の次にそれだった。
「ばっかりではありません」
「でも、この前県外まで行ってたでしょ」
「行きました」
「ほら」
何が「ほら」なのか分からない。
篠崎さんは隣の椅子を引いた。
「座る?」
「はい」
資料を机に置く。
向かい側には、すでに何人かの探索者が集まっていた。
その中の男性がこちらを見る。
「神代さんって、例のF級と組んでるんだっけ?」
名前は三浦さんだったと思う。
A級。
以前、一度だけ同じ討伐現場に入ったことがある。
「久世さんのことですか?」
「そう。その人」
「組んでいるというより、救難で一緒になることが多いです」
「同じじゃない?」
「違います」
私が答えると、篠崎さんが笑った。
「そこはちゃんと訂正するんだ」
「事実なので」
三浦さんは悪意がある様子ではなかった。
むしろ純粋に不思議そうだった。
「いや、気になってたんだよ。S級の神代さんが、なんでF級の人と一緒に救難やってるんだろうって」
「救難に必要だからです」
「その《帰り道》ってやつ?」
「はい」
「本当に出口まで分かるの?」
「安全に帰れる道が見えるそうです」
「そうです、って。神代さんには見えないんだ?」
「見えません」
三浦さんが少し驚く。
「それで信じてついていくの?」
「はい」
今度は即答した。
自分でも、もう迷わなかった。
篠崎さんが資料をめくりながら言う。
「でも、ちょっと怖くない? 自分には見えないんでしょ」
「最初はそうでした」
「今は?」
「久世さんが方向を示して、救難員が実際に通れるか確認します。危険があれば私が対応します。久世さん一人に全部任せているわけではありません」
説明すると、三浦さんが納得したように頷いた。
「なるほど。能力だけで突っ走るわけじゃないのか」
「そんなことをしたら、救難になりません」
「神代さん、言うようになったねえ」
篠崎さんがこちらを見る。
「前なら『倒せば通れます』って言ってそう」
「言いません」
「昔なら?」
「……場合によります」
「否定しきれないんだ」
私は返事をしなかった。
実際、以前ならそう考えていた場面はあったと思う。
邪魔な魔物がいた場合、倒せるなら倒して進む。
それで済むなら、一番早い。
でも今は、その判断をする前に考えることが増えた。
戦闘で救助対象を巻き込まないか。
怪我人を待たせて大丈夫か。
余計な魔物を呼ばないか。
倒すこと自体が目的になっていないか。
それを考えるようになったのは、間違いなく救難所へ通い始めてからだった。
報告会が始まると、話題は高難度ダンジョンの状況へ移った。
最近、第十七層以降で確認されている大型魔物の行動範囲が広がっていること。
一部ダンジョンで帰還石の反応が不安定になった記録があること。
新しく開放された区域では単独探索を避けること。
どれも重要な話だった。
私は資料へ目を通しながら必要な部分を記録していく。
「次に、今月の重大事故について」
担当者が画面を切り替えた。
表示されたのは、探索中の負傷と遭難に関する一覧だった。
死亡事故はない。
ただし、帰還予定を大幅に超過した案件が複数ある。
その中に見覚えのある記録があった。
第十層東側。
C級探索者四名。
未登録保守区画へ進入後、通信不能。
救難要請を受理し、全員生還。
藤堂さんたちの件だ。
名前までは表示されていない。
「この案件では、探索者側が移動経路に印を残していたことが発見につながりました。また、救難要請送信後にその場で待機した判断も適切だったと報告されています」
担当者が説明する。
私は少しだけ安心した。
遭難したことだけが記録されるのではなく、彼らが正しく判断したことも残っている。
続いて別の資料が出た。
「一方、救難要請を出したあとも独自に出口を探し続け、捜索範囲が広がった事例もあります。要請後の行動基準については、今後改めて周知を進めます」
数人がメモを取っている。
私はそこで気づいた。
以前の私なら、事故報告の中でも原因になった魔物や崩落地点のほうを気にしていたと思う。
今は、どうして帰れなくなったのか。
救難要請後にどう動いたのか。
救助側がどんな情報を必要としたのか。
そちらへ目が向いている。
資料そのものが変わったわけではない。
見ている私のほうが変わったのだと思う。
報告会が終わると、篠崎さんに食事へ誘われた。
時間もあったので、支部内の食堂へ向かう。
三浦さんと、もう一人S級探索者の遠山さんも一緒だった。
四人で席につく。
「こういうメンバーで飯食うの珍しいね」
篠崎さんが言う。
「神代さん、会議終わったらすぐ帰ること多いし」
「今日は予定がないので」
「救難所行かないの?」
箸を取る前に聞かれた。
「今日は行くとは言ってません」
「じゃあ行く可能性はあるんだ」
「どうしてそうなるんですか」
篠崎さんが楽しそうに笑う。
遠山さんが会話に入った。
「救難所って、そんなに面白い?」
「面白いかどうかで行っているわけではありません」
「じゃあ何で?」
また同じ質問だった。
最近、本当によく聞かれる。
私は味噌汁を一口飲んでから答えた。
「必要だからです」
「神代さんが?」
「私の力が役に立つ場面はあります」
「いや、そうじゃなくて」
遠山さんが首を振る。
「S級が救難に役立つのは分かるよ。でも、普通は毎回そこまで付き合わないだろ。専属でもないんだし」
それはそうだった。
私は救難所の職員ではない。
相馬さんから常時参加を求められているわけでもない。
依頼がなければ行く必要はない。
なのに、予定が空いていると足を運ぶことが増えている。
「例の久世さんがいるから?」
篠崎さんが言った。
私は顔を上げた。
「それは関係ないです」
少し早く答えすぎた気がした。
篠崎さんの眉が上がる。
「まだ何も言ってないけど」
「今、久世さんがいるからって言いましたよね」
「言ったけど」
「だから違います」
「そんな全力で否定しなくても」
三浦さんが笑う。
私は少しだけ居心地が悪くなった。
「そういう話ではありません」
「分かった分かった」
篠崎さんが手を振る。
本当に分かっているのか怪しい。
「じゃあ真面目に聞くけど、何がそんなに気に入ったの?」
言葉を選ぶ。
気に入った…その表現が正しいのかは分からない。
「攻略とは違うからだと思います」
「どう違う?」
「結果が分かりやすいです」
三人がこちらを見る。
「攻略も分かりやすくない?」
三浦さんが聞く。
「魔物を倒したり、素材を持ち帰ったり、未踏区域を進んだりすれば、攻略にも分かりやすい結果はあります」
「うん」
「でも救難は、最後に全員が地上へ戻れば、それで終わります」
言葉にしてみると、本当に単純だった。
「強い魔物を倒したかどうかは関係ありません。珍しいものを見つける必要もありません。救難対象が無事に帰ればいい。それだけです」
篠崎さんは少し考える。
「それが神代さんには新鮮だった?」
「たぶん」
「意外」
「何がです?」
「神代さんって、ずっと上を目指すタイプだと思ってたから」
否定はできなかった。
もっと強くなる。
もっと深い場所へ行く。
より難しい依頼を成功させる。
それを繰り返してきた。
今も、それをやめるつもりはない。
ただ、救難所では上へ行く必要がない。
誰かに勝つ必要もない。
昨日のように、魔物を一体も倒さず終わる日もある。
それでも「よかった」と言える。
「両方やればいいんじゃない?」
三浦さんが言った。
「攻略も救難も」
「はい。そのつもりです」
「なら別に悩むことでもないな」
その言い方が妙に簡単で、私は少し笑った。
確かにそうなのかもしれない。
どちらかを選ばなければいけないわけではない。
私はS級探索者で、救難にも参加している。
今はそれでいい。
食事を終え、支部を出た。
午後の予定はない。
駅へ向かいながら端末を見る。
救難所から連絡は来ていなかった。
救難がないなら、それが一番いい。
そのまま帰宅することもできる。
駅の入口まで来たところで、私は足を止めた。
昨日、小日向さんに言われた。
用事がないのに来た、と。
今日は本当に用事がない。
私は数秒だけ考え、乗る予定だった路線とは反対側のホームへ向かった。
救難所へ着いたのは、午後三時を少し過ぎた頃だった。
扉を開ける。
「こんにちは」
小日向さんが受付から顔を上げた。
一瞬だけこちらを見て、それから時計を見る。
「神代さん」
「はい」
「今日、救難ないですよ」
昨日と同じだった。
「知っています」
「じゃあ、また何となく?」
少し考える。
「たぶん」
小日向さんが笑った。
奥を見ると、久世さんが机の上に書類を広げていた。
相馬さんもいる。
特別なことは何も起きていない。
「神代さん、お疲れさまです」
久世さんが顔を上げる。
「お疲れさまです」
「会議でしたよね」
「終わりました」
「何かありました?」
「事故報告に藤堂さんたちの件が出ていました」
「悪く書かれてました?」
「いえ。救難要請後に待機したことや、印を残していたことが評価されていました」
「それならよかった」
久世さんはそう言って、また書類へ視線を戻した。
私は空いている椅子に座る。
小日向さんが向かいからこちらを見る。
「結局来るんですね」
「何か問題ありますか?」
「ないです」
楽しそうに答える。
私は荷物を足元に置いた。
食堂で聞かれたことを思い出す。
久世さんがいるから救難所へ来るのか。
違うと答えた。
それは嘘ではないと思う。
相馬さんや小日向さん、ほかの救難員たちもいる。
ここでしか学べないこともある。
ただ、扉を開けた時に久世さんの姿を探したことについては、誰にも言う必要はないと思った。
「神代さん」
小日向さんに呼ばれる。
「何です?」
「今ちょっと笑ってませんでした?」
「笑ってません」
「そうですか?」
「はい」
今度は少しゆっくり答えた。
その日の救難所には、結局一件も救難依頼が入らなかった。
その方がいい。
何も起きない一日を、私は以前より退屈だと思わなくなっていた。




