第42話 強いだけでは救えない
翌朝、私は予定どおり救難所へ向かった。
昨日の討伐で身体に大きな疲れは残っていない。装備も点検を終えているし、今日は攻略の予定も入れていなかった。
救難所の扉を開けると、小日向さんが受付の奥から顔を上げた。
「あ、神代さん。おはようございます」
「おはようございます」
「今日、救難ありましたっけ?」
「ありません」
「ですよね」
小日向さんが時計を見る。
「じゃあ普通に来たんですか?」
「はい」
「最近、本当に自然に来ますね」
どういう意味なのか聞こうとしたところで、奥から久世さんが出てきた。
「おはようございます」
「おはようございます、久世さん」
手に持っているのは剣でも地図でもなく、コンビニのコーヒーだった。
昨日まで大型魔物を相手にしていたせいか、その姿を見ると妙に落ち着く。
「今日は仕事ないですよ」
「分かっています」
「じゃあ何しに?」
久世さんが普通に聞いてくる。
小日向さんがすぐに笑った。
「久世さん、それ本人に聞きます?」
「だって予定ないですよね」
「ありませんけど」
私は少し考える。
昨日、橘さんにも似たようなことを聞かれた。
どうしてそんなに救難所へ行くのか。
結局、まだ答えは出ていない。
「何となくです」
そう答えると、小日向さんが楽しそうに笑った。
「それ、もう常連の答えですよ」
「救難所に常連っているんですか?」
「神代さんが第一号になるかもしれません」
「勝手に決めないでください」
久世さんは何も言わず、コーヒーを飲んでいた。
そこへ奥の事務室から相馬さんが出てくる。
「朝から何騒いでる」
「神代さんが用事ないのに来ました」
小日向さんが言う。
「言い方」
「事実ですよね?」
相馬さんは私を見る。
「暇なのか」
「今日は予定を入れていません」
「なら好きにしろ。ただし、救難が入ったら働いてもらうぞ」
「そのつもりです」
答えた直後、受付の端末が鳴った。
小日向さんの表情が変わる。
さっきまでの雑談が一瞬で消えた。
「救難受付です」
私は無意識に背筋を伸ばした。
救難要請は、近郊の中規模ダンジョンからだった。
第四層。
探索者二名。
位置は分かっている。
そのうち一名が、崩れた足場から落ちて腰と左脚を強く打っている。意識はあり、通信も生きているが、自力では立ち上がれないらしい。
魔物に囲まれているわけでもない。
道に迷っているわけでもない。
相馬さんが情報を確認する。
「現地の救難班は?」
「準備中です。医療対応できる救難員を含めて四名。ただ、現場まで四十分ほどかかるそうです」
小日向さんが答える。
「近くにいた探索者が二人のところまで行ってくれてます。周囲に魔物はいないそうです」
「動かしてないな?」
「はい。本人が立とうとしたらしいですけど、止めてもらっています」
「それでいい」
相馬さんは私たちを見る。
「久世、神代さん。行けるか」
「はい」
久世さんが答える。
私も頷いた。
「行けます」
「現地救難班と合流してから入れ。今回は場所が分かってる。見つける仕事じゃない」
「帰還の補助ですね」
久世さんが確認する。
「ああ。ただし、今回はお前の道より先に人を運べる状態にする必要がある。勝手に動かすな」
「分かりました」
私は地図を見る。
第四層なら、それほど深くはない。
場所も分かっている。
負傷者が動けないなら、私が背負えば早い。
そう考えた。
「相馬さん」
「何だ」
「私が運べば、搬送は早くできます」
相馬さんが私を見る。
「医療担当が動かしていいと言ったらな」
「はい」
「神代さんなら持ち上げられるとか、そういう話じゃないぞ」
言われて、自分が何を考えていたのか見透かされた気がした。
「……分かっています」
「ならいい」
相馬さんはそれ以上何も言わなかった。
現地の救難班と合流し、第四層へ入った。
今回は遭難者の位置が分かっているため、探す必要はない。地図上の最短経路を使って現場へ向かう。
久世さんの《帰り道》も、まだ必要ではなかった。
「ここから先、右です」
救難員の案内に従って進む。
現場へ到着すると、壁際に二人の探索者がいた。
二十代くらいの男女だ。
男性は無傷で、女性が床に横になっている。
近くには簡易的に崩れた足場があり、二メートルほど下へ落ちたらしい。
「救難です。動かなくて大丈夫ですよ」
医療対応の救難員が女性のそばへ膝をつく。
私は少し離れた位置で待った。
女性は意識がはっきりしている。
「すみません……立てなくて」
「無理に立たなくて正解です。痛い場所を確認しますね」
腰。
左脚。
足首。
順番に触れながら反応を見る。
女性が顔をしかめるたび、救難員は手を止めた。
私は見ていることしかできなかった。
「左脚、感覚ありますか?」
「あります」
「指、動かせます?」
「はい」
「腰は、じっとしていれば?」
「痛いですけど……我慢できます」
医療担当の救難員が仲間へ指示を出す。
固定具。
簡易担架。
毛布。
必要なものが次々と準備される。
私は女性を見る。
体格だけなら、一人で持ち上げられる。
装備ごと抱えて歩くこともできると思う。
でも、今は何もしていない。
何もできない、のほうが正しいかもしれない。
「神代さん」
救難員に呼ばれた。
「はい」
「こちらを押さえてもらえますか。身体を動かさないようにしたいので」
「分かりました」
女性の肩側へ回る。
指定された位置に手を添える。
「力は入れなくて大丈夫です。ずれないように支えるだけで」
「はい」
強く持つ必要はない。
むしろ力を入れすぎないほうがいい。
救難員二人が女性の身体の下へ器具を差し込み、少しずつ担架へ移していく。
「今から動きます。痛かったらすぐ言ってください」
「はい」
「一、二、三」
数センチ。
止める。
位置を確認する。
また動かす。
私は指示された通り、身体が傾かないように支える。
時間がかかる。
私が持ち上げれば数秒で終わる作業を、何分もかけて進めている。
でも、途中で女性が痛みを訴えるたびに角度を変えているのを見ると、その時間が必要なのだと分かった。
「固定できました」
救難員がようやく言った。
女性が担架に収まる。
「ここから搬送します。神代さん、お願いできますか?」
「はい」
今度は私の仕事だった。
担架の前側を持つ。
もう一人の救難員が後ろを持つ。
持ち上げる前に注意を受けた。
「できるだけ水平に。こちらの合図に合わせてください」
「分かりました」
「一、二、三」
担架を持ち上げる。
重さは問題にならない。
私一人でも運べる。
それでも勝手に速度を上げない。
後ろの救難員に合わせ、一歩ずつ進む。
久世さんは少し前にいた。
現場で女性を確認してから、《帰り道》が見えるようになったらしい。
「久世さん、どうです?」
「通常通路へ戻る方向です。ただ、途中の階段を使わずに搬送路を回ります」
救難員が地図を確認する。
「遠くなりますが、担架ならそちらですね」
「はい」
「そのままお願いします」
歩き出す。
数分進んだところで、私は久世さんに聞いた。
「担架になったから道が変わったんですか?」
「たぶんです」
「たぶん?」
「俺が確認した時には、もうこっちでしたから」
いつもの答えだった。
理由を全部教えてくれるわけではない。
でも今は、担架を持っているから分かる。
階段を使うより、多少遠くても平坦な搬送路のほうがいい。
久世さんが見ている光が、そこを示している。
搬送路へ入ってしばらくすると、前方から魔物の鳴き声が聞こえた。
隊列が止まる。
救難員が前を確認する。
「ゴブリン三体。まだこちらには気づいていません」
私は担架を下ろす準備をする。
「私が行きます」
そう言ったが、久世さんが足元を見た。
「少し待ってください」
救難員も動かない。
「道は?」
「このまま先です。ただ、今すぐ通る必要はないです」
私は久世さんを見る。
「どういうことですか?」
「ゴブリンがこっちに来てるわけじゃないので」
確かに、鳴き声は近づいていない。
救難員が壁際の地図を確認する。
「この先に横道があります。今はそちら側にいるようですね。離れる可能性があります」
「待ちますか?」
「そのほうがいいでしょう」
私は剣を見た。
三体なら、倒すのに時間はかからない。
昨日のブラッドベアより、ずっと簡単な相手だ。
「私が倒したほうが早くないですか?」
口にしてから、昨日と似たことを言っていると気づいた。
救難員は首を横に振らなかった。
「早いかもしれません。ただ、戦闘音で別の魔物が寄る可能性もあります。今は負傷者を運んでいますから」
「……そうですね」
私は担架の横へ戻った。
女性探索者が申し訳なさそうにこちらを見る。
「すみません。私のせいで」
「違います」
思ったより強い声が出た。
女性が驚く。
「すみません。でも、あなたが悪いわけではありません」
私は言い直した。
転落した原因までは知らない。
判断ミスがあったのかもしれないし、足場が突然崩れただけかもしれない。
ただ今、それを考える必要はない。
無事に帰す。
そのために私たちはここにいる。
五分ほど待つと、ゴブリンの声が遠ざかった。
救難員が確認へ行き、戻ってくる。
「通れます」
戦闘は起きなかった。
私は剣に触れることもなく、再び担架を持ち上げた。
地上へ戻るまで、大きな問題は起きなかった。
入口で医療班へ女性を引き渡す。
男性探索者が何度も頭を下げた。
「ありがとうございました」
女性も担架の上からこちらを見る。
「神代さんですよね」
「はい」
「まさか、S級の人に運んでもらうとは思いませんでした」
少し笑っている。
私も笑った。
「今日はそれが仕事だったので」
救急搬送の準備が進む。
二人が離れていったあと、私は自分の手を見る。
今日はほとんど戦っていない。
魔物も一体も倒していない。
それでも、昨日の討伐より身体を使ったような気がした。
「お疲れさまでした」
久世さんが隣へ来る。
「お疲れさまです」
「担架、ずっと持ってましたね」
「重くなかったので」
「神代さんに重いものってあるんですか?」
「あります」
「例えば?」
少し考える。
「分かりません」
久世さんが笑った。
「ないんじゃないですか」
「あります」
たぶん。
救難所へ戻る車の中で、私は今日のことを思い返していた。
現場へ着いた時、最初に考えたのは自分なら負傷者を運べるということだった。
実際、運ぶだけならできた。
でも、それだけでは足りなかった。
怪我の状態を確認する人がいる。
動かしていいか判断する人がいる。
身体を固定する人がいる。
安全に通れる道を確認する人がいる。
そして、その全部がそろってから、ようやく私の力が役に立った。
私は強い。
そのことを否定するつもりはない。
強さがあるからできることも多い。
ただ、強ければ何でもできるわけではなかった。
その当たり前のことを、私は最近になって何度も教えられている。
救難所に戻ると、小日向さんが顔を上げた。
「おかえりなさい。どうでした?」
「全員、地上へ戻りました」
「よかったです」
その一言を聞いた時、少しだけ肩の力が抜けた。
昨日、橘さんに聞かれたことを思い出す。
どうしてそんなに救難所へ行くのか。
まだ、うまく答えられない。
ただ今日もここへ戻ってきて、最初に聞いたのが「何体倒したか」ではなく、「全員戻れたか」だった。
私はそのことを、少し気に入っているのかもしれなかった。




