第36話 迎えに来た人
扉の向こうから聞こえる足音は、少しずつ近づいていた。
一人ではない。少なくとも三人以上いる。
俺たちは誰も声を出さず、扉の前で待った。航は小型盾を構え、佳奈は杖を握っている。美月も弓に矢をつがえたままだ。
助けを待っていたはずなのに、いざ誰かが近づいてくると簡単には扉を開けられなかった。
ここはダンジョンの中だ。
人の足音に似た音を出す魔物だっている。
さっき聞こえた規則的な金属音が救難班の合図だったとしても、最後まで確認する必要がある。
足音が止まった。
扉を挟んだ向こう側に、誰かがいる。
数秒の沈黙のあと、声が聞こえた。
「中に誰かいますか! 救難です!」
佳奈が息を呑んだ。
航が俺を見る。
俺もすぐに答えた。
「います! 四人です!」
向こう側が少しざわつく。
「藤堂亮介さんのパーティで間違いありませんか!」
「はい! 藤堂です! 武田、水瀬、黒川もいます!」
名前を伝える。
今度は、はっきり返事があった。
「確認しました! 扉はすぐに開けないでください。こちらで周囲を確認します!」
救難班だ。
本当に来た。
佳奈が口元を押さえながら壁へ背中を預けた。
「来た……」
航も小型盾を下ろす。
「長かったな」
実際には数時間だ。
でも、朝から普通に探索へ来ただけだったことを考えると、昨日のことみたいに遠く感じる。
美月だけはまだ扉の前から動かず、外の音を聞いていた。
「二人、左右を確認しています」
「分かるの?」
「足音が分かれました」
しばらくして、向こうから再び声がした。
「周囲確認しました! 今のところ魔物はいません! こちらから扉を開けます!」
「分かりました!」
俺たちは扉から距離を取る。
つっかえ棒代わりにしていた椅子をどかし、ロックを外した。
扉がゆっくり開く。
携帯ライトの光が差し込んできた。
最初に見えたのは、救難員の装備を着けた男性だった。
その後ろにも何人かいる。
先頭の男性が俺たちを見回した。
「四名全員いますね」
「はい」
「怪我人は?」
「俺が右腕を切ってます。浅いです。航――武田が肩を打ってますけど、動けます」
「水瀬さんと黒川さんは?」
「問題ありません」
「分かりました。まず状態を見ます」
救難員が二人入ってくる。
その動きに無駄がなかった。
俺の腕の包帯を確認し、航の肩を触って可動域を見る。佳奈には魔力消耗と体調を聞き、美月にも怪我がないか確かめる。
その間に、さらに二人が部屋へ入ってきた。
一人は女性だった。
長い黒髪。
装備越しでも分かるくらい整った姿勢。
俺はどこかで見たことがあると思った。
佳奈のほうが先に気づいた。
「……神代美波?」
女性がこちらを見る。
「はい」
佳奈が固まった。
航も目を丸くしている。
俺もようやく分かった。
S級探索者、神代美波。
テレビや探索者向けのニュースで何度も見たことがある。
どうしてそんな人が救難班にいるんだ。
聞きたいことはあったが、今はそれどころじゃない。
神代さんは俺たちの装備と室内を確認したあと、救難員に聞いた。
「全員、自力で移動できそうですか?」
「藤堂さんの右腕以外は大きな問題なし。武田さんも歩行できます」
「分かりました」
その隣に、もう一人男性が立っていた。
三十代半ばくらいだろうか。
見た目だけなら、普通だった。
救難員と同じような装備を着けているが、神代美波のような強そうな雰囲気はない。
武器も、一応持ってはいる。
ただ、どう見てもS級探索者には見えなかった。
男性は部屋へ入ると、俺たち四人を一人ずつ確認した。
「藤堂さん」
「はい」
「武田さん」
「はい」
「水瀬さん」
「はい」
「黒川さん」
「はい」
全員の返事を聞くと、男性は小さく頷いた。
「四人ですね」
その確認の仕方が妙に丁寧だった。
俺は思わず聞く。
「あの……救難班の方ですか?」
「はい。久世です」
久世。
名前を聞いても、すぐには分からなかった。
隣で佳奈が俺の腕を軽くつつく。
「亮介」
「何?」
佳奈が小声で言う。
「たぶん、《帰り道》の人」
そこで思い出した。
S級パーティを救ったF級探索者。
最近、救難関係の記事や探索者向けの掲示板で何度か名前を見た。
確か、久世直人。
「本当にF級の……?」
口から出てしまった。
失礼だったかと思ったが、久世さんは特に気にした様子もなかった。
「はい。F級です」
あっさりしている。
航が神代さんと久世さんを交互に見る。
「神代さんも、この人と一緒に?」
「はい」
それも当たり前のように答えられた。
俺たちは顔を見合わせた。
状況がよく分からない。
S級探索者とF級探索者が一緒に救難へ来ている。
しかも、神代美波のほうが久世さんの横で普通に待っている。
「藤堂さん」
救難員に呼ばれ、意識を戻す。
「傷は問題ありません。ただ、帰還までは右腕をあまり使わないでください」
「分かりました」
「武田さんも肩をかばいすぎないように。戦闘になった場合はこちらで対応します」
航が少し複雑そうな顔をした。
「大盾、置いてきたんで助かります」
「聞いています。甲殻ムカデですね」
「情報、届いてたんですか?」
「はい。かなり役に立ちました」
俺たちが送った内容は、ちゃんと救難班まで届いていたらしい。
それだけでも嬉しかった。
「どうやってここを見つけたんですか?」
美月が聞く。
救難員が答える。
「まず、皆さんが最初に地図から外れたと思われる地点を探しました。そこから壁の表示と、黒川さんが残してくれた印を追っています」
美月の表情が少し変わる。
「あれ、見つけてもらえたんですね」
「はい。かなり助かりましたよ」
美月がほっとしたように笑った。
待っている間、あの印に意味があるのか不安だったのだと思う。
「途中の甲殻ムカデは?」
航が聞く。
神代さんが答えた。
「いました」
「倒したんですか?」
「いえ」
意外な返事だった。
「別の通路へ誘導して、こちらへ来られないようにしました」
航が少し驚く。
「S級なのに倒さないんですね」
神代さんは普通に頷いた。
「救難なので。必要のない戦闘はしません」
俺はその言葉を聞いて、少しだけ意外に思った。
S級探索者なら、強い魔物は倒して進むものだと思っていた。
少なくとも、俺たちはそうしてきた。
倒せるなら倒す。
危険なら戦う。
それが探索者だ。
でも救難班は違うらしい。
「それで」
俺は久世さんを見る。
「ここから帰れるんですか?」
聞いた瞬間、部屋の空気が少し変わった気がした。
たぶん俺だけじゃない。
航も佳奈も美月も、久世さんを見ている。
何時間も待っていた。
通信は切れ、帰還石も使えず、地図にもない場所まで来た。
来た道を戻ろうとしても戻れなかった。
救難班は俺たちを見つけてくれた。
でも、それと帰れることはまだ別だ。
久世さんはすぐには答えなかった。
俺たち四人をもう一度見た。
それから、足元へ視線を落とす。
何を見ているのかは分からない。
数秒後。
久世さんが顔を上げた。
「はい」
それだけだった。
「帰れます」
俺は何も言えなかった。
特別な説明はない。
地図を確認したわけでもない。
端末を操作したわけでもない。
なのに、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にずっと残っていたものが少しだけ軽くなった。
佳奈が恐る恐る聞く。
「本当に?」
「はい」
「帰還石も使えないんですけど」
「それでも大丈夫です」
「ここ、地図にも載ってないですよ?」
「俺にもここがどこなのかは分かりません」
思わず久世さんを見る。
「分からない?」
「はい」
航が困った顔をする。
「じゃあ、どうやって帰るんですか?」
久世さんは足元を指した。
俺たちには何も見えない。
「帰り道は出てます」
その答えだけだった。
佳奈が俺を見る。
俺にも意味は分からない。
ただ、神代さんも救難員たちも疑っていなかった。
「久世さん、方向は?」
神代さんが聞く。
久世さんが保守室の外を見る。
「来た道じゃないです。ここを出て左。その先で下ります」
救難員が端末を確認した。
「そちらは未確認区画です」
「はい」
「道幅は?」
「そこまでは分かりません」
救難員は少し考える。
俺なら不安になっていたと思う。
地図にない。
先がどうなっているかも分からない。
それなのに、救難員は久世さんへ聞いた。
「全員で行ける道ですか?」
久世さんはもう一度足元を見た。
「出てます」
それだけで、救難員が頷いた。
「分かりました。こちらで通行可能か確認しながら進みます」
神代さんもすでに装備を確認している。
誰も「本当に?」とは聞かない。
久世さんだけに見えている何かを、全員が普通に前提にしていた。
その光景を見ているうちに、俺のほうが妙な気分になった。
俺たちは三年一緒に探索してきた。
自分たちの地図を信じた。
現在地情報を信じた。
経験を信じた。
それでも帰れなくなった。
目の前の人は、自分でも現在地が分からないと言っている。
なのに、帰れると言う。
「準備できたら出ます」
救難員の声で、俺たちは荷物を持ち直した。
救難班から予備のロープを渡され、一人ずつ接続していく。
航が小声で俺に聞いた。
「亮介」
「何?」
「信じる?」
俺は久世さんを見る。
普通のおじさんにしか見えない。
少なくとも、見ただけで安心できるような英雄には見えなかった。
でも、俺たちを見つけた救難員も、あの神代美波も、この人の示す方向へ行こうとしている。
何より、俺たちだけではもう帰る道が分からない。
「信じるしかないだろ」
そう答えると、航が笑った。
「だよな」
久世さんが保守室の出口に立つ。
「行きましょう」
俺たちはその後ろへ続いた。
何時間ぶりかに、自分たちの意思で出口を探すのではなく、誰かに連れられて歩き始める。
不思議な感覚だった。
保守室を出る直前、久世さんが振り返った。
「藤堂さん」
「はい?」
「右腕、痛くなったら言ってください。途中で道が変わるかもしれないので」
「道が?」
「はい。今いる全員で帰るための道なので」
また、よく分からないことを言う。
それでも今度は聞き返さなかった。
俺たちはもう、帰る方法を自分たちで見失っている。
だったら今は、この人の見ている道についていく。
それで地上へ戻れるなら、理由は帰ってから聞けばいい。
俺たち四人は、救難班と一緒に保守室を出た。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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公開前ではありますがすでに60話ぐらいまでの物語の構想はできているので引き続きお楽しみください!
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