第30話 救う側も帰る
第四層まで戻ると、霧の気配はほとんどなくなった。
視界は普段どおりで、壁の案内表示も遠くから読める。通信も安定し、現在位置を確認するたびに救難所側から正しい応答が返ってきた。
それでも、誰もロープを外そうとはしなかった。
救難班の責任者が前方を確認しながら言う。
「このまま地上まで行く。装備解除は外へ出てからだ」
「了解」
周囲から返事が重なる。
救助された探索者二人も、今度は不安そうな顔をしていなかった。
俺は足元を見る。
《帰り道》は変わらず上へ続いている。
第四層から第三層。
第三層から第二層。
通い慣れた通常ルートに入ってからは、俺が方向を説明する必要もほとんどなくなった。
それでも責任者は何度か人数を確認した。
十一人。
そのたびに俺も数えてしまう。
「久世さんも数えてます?」
神代さんに気づかれた。
「一応」
「さっきも数えてましたよね」
「増えてないか確認してます」
「増えるほうも困りますね」
それはそうだ。
濃霧の中から知らない人が一人増えていたら、別の意味で怖い。
前を歩いていた救難員が吹き出す。
「二人とも余裕出てきましたね」
「見えるようになったので」
俺が答えると、神代さんが納得したように頷いた。
「やっぱりそこなんですね」
俺にとってはかなり大きい。
もう少し進んだところで、救助された探索者の一人が救難班の責任者へ声をかけた。
「あの、すみません」
「どうした?」
「俺たちを助けに来たせいで、皆さんまで帰れなくなったんですよね」
男性は少し考えてから答えた。
「結果だけ見ればそうなるな」
探索者の顔が曇る。
「本当にすみません」
「それは違う」
責任者の返事は早かった。
「俺たちは救難要請があったから迎えに行った。それが仕事だ。途中で霧が濃くなって位置を見失ったのは、こっちの問題だよ」
「でも……」
「お前たちが謝る必要はない」
男性はそこで少し笑った。
「むしろ、救助したあとに一緒に迷ったこっちのほうが格好悪い」
「そこまで言わなくても」
別の救難員が苦笑する。
「事実だろ」
「帰ったら絶対いじられますよ」
「もう通信でいじられたよ」
周囲に小さな笑いが広がった。
探索者二人もようやく表情を緩める。
救う側が完璧じゃなくてもいいんだと思う。
困ることもあるし、怖いこともある。それでも、誰かを助けに行く。
そして自分たちで帰れなくなったら、今度は誰かに迎えに来てもらえばいい。
俺にはそのくらいのほうが自然に思えた。
第一層へ上がったところで、救難所から通信が入った。
『入口側で受け入れ準備できてる。体調に問題ある奴はいるか』
責任者が全員を見回す。
「怪我人なし。探索者二名も歩行可能です。ただ、長時間霧の中にいたので念のため診てもらいます」
『了解』
相馬さんの声だった。
『久世』
「はい」
『道は?』
足元を見る。
光は正面の出口へ続いている。
「そのままです」
『なら最後まで連れてこい』
「分かりました」
短いやり取りで通信が切れる。
神代さんが隣で言った。
「最後まで、なんですね」
「相馬さんも同じこと考えてるんでしょうね」
地上が近いからといって、救難が終わったわけではない。
出口まであと少し。
それでも俺たちは急がなかった。
第一層は人の出入りも多く、すでに一部の通路では一般探索者の通行が再開されている。十一人で横に広がらないよう隊列を整え、周囲を確認しながら進む。
やがて前方に地上へ続くゲートが見えた。
救助された探索者の一人が小さく息を吐く。
「本当に帰ってきた……」
もう一人も何度か頷いている。
救難班の人たちも何も言わないが、歩く速度が少しだけ軽くなったように見えた。
俺は最後に人数を確認した。
十一人。
全員いる。
「出ます」
先頭の救難員に続いて、俺もゲートを抜ける。
地上へ出たあともその場を離れず、後ろから出てくる仲間を一人ずつ確認した。
神代さん、救助した探索者二人、救難員たち。
そして最後尾まで全員がゲートを通過したところで、足元の光がゆっくり薄くなっていった。
これで終わりだ。
十一人全員が帰ってきた。
出口では医療スタッフと救難所の職員が待っていた。
探索者二人はそのまま簡単な健康確認へ回される。
救難班の五人も念のため状態を確認されたが、大きな問題はなかった。
俺と神代さんも装備を外し、ようやく身体の力を抜く。
そこへ相馬さんが歩いてきた。
最初に見たのは俺たちではなく、帰還した救難班の五人だった。
「お前ら」
責任者が少し姿勢を正す。
「はい」
「助けに行った奴が帰ってこなくてどうする」
「返す言葉もありません」
予想していたらしい。
相馬さんは五人を順番に見る。
「通信が切れた時点で無理に動かなかったのは正解だ。救助した二人を連れたまま、自力で何とかしようとして余計に離れてたら面倒だった」
「はい」
「位置情報が不安定になった時の手順は見直す。濃霧区域用のビーコンも増やす」
怒るだけでは終わらない。
何が起きたかを確認して、次に同じことが起きた時の対策へ変える。
責任者が頭を下げた。
「お願いします」
相馬さんはそこで一度息を吐いた。
「まあ、全員戻ったならいい」
五人の表情が少し緩んだ。
俺もそれで十分だと思う。
相馬さんが今度はこちらを見る。
「久世、神代さん。ご苦労だった」
「はい」
「ありがとうございます」
神代さんが頭を下げる。
「久世」
「はい?」
「救難員も《帰り道》の対象になるんだな」
「なりましたね」
「探索者かどうかは関係ない?」
「たぶん、俺が連れて帰る相手として認識すれば」
「たぶんか」
「まだ今日しか試してないので」
相馬さんは少しだけ口元を緩めた。
「それでいい。勝手に条件を決めるな」
「はい」
分からないものは分からない。
最近、それが一番安全な答えだと分かってきた。
午後、救難所へ戻ると、小日向が待っていた。
俺たちを見るなり、安心した顔をする。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「十一人全員?」
「全員」
小日向が頷く。
「よかったです」
そこまではいつもどおりだった。
問題は、そのあとだ。
「それと久世さん」
「何?」
小日向が端末を差し出す。
画面には問い合わせ一覧が表示されていた。
「また増えました」
「何が?」
聞く前から大体分かる。
「他地域の救難組織からです」
やっぱり。
昨日の出張救難に続き、今回は救難班そのものを連れて帰った。
まだ正式な報告すら終わっていないのに、話が伝わるのが早すぎる。
「何件?」
「今のところ七件です。全部、今後の応援要請が可能かどうかの確認ですね」
「救難依頼じゃなくて?」
「今回は問い合わせだけです」
それならまだいい。
小日向が一件ずつ確認する。
「山岳型ダンジョンが二か所。大型地下迷宮が一か所。海沿いが一か所。あとは――」
「ちょっと待って」
俺は止めた。
「全部俺が行くことにならないよね?」
「相馬さん次第です」
一番現実的な答えだった。
「でも、久世さんの《帰り道》が必要な場所は増えそうですね」
神代さんが言う。
「増えないほうがいいですよ」
「依頼がですか?」
「はい」
小日向が首を傾げる。
「仕事なくなりますよ?」
「救難依頼が少ないってことは、遭難してる人が少ないってことでしょ」
二人が少し黙った。
「それが一番いいですよ」
俺としては本気だった。
依頼が増えて忙しくなるのは、仕事としてはありがたいのかもしれない。
でも、この仕事に限って言えば、忙しければ忙しいほど困っている人がいる。
それなら暇なほうがいい。
小日向が笑う。
「久世さんらしいですね」
「そう?」
「はい」
神代さんも頷いている。
「私もそう思います」
救難所の電話が鳴った。
小日向がすぐに受付へ戻る。
「はい、救難受付です」
俺と神代さんは顔を見合わせた。
どうやら、今日も完全に暇とはいかないらしい。
俺は机の上に置いたばかりの装備へ目を向ける。
電話の内容が救難なら、必要に応じてまた迎えに行く。
探索者でも、救難員でも、それ以外の誰かでも。
帰れない人がいるなら、俺のやることは変わらない。
ちゃんと見つけて、全員で帰る。
それだけだ。




