第29話 帰るまでが救難
第六層から第五層へ続く階段が見えたことで、隊列の空気は少しだけ軽くなった。
濃霧の中心部を抜け、壁の表示も読める。通信も安定し、現在位置も救難所側で確認できている。
ここまで来れば、もう大丈夫。
そう思いたくなる状況ではあった。
「階段に入ります。足元に注意してください」
先頭の救難員が声をかけ、十一人の隊列がゆっくり動き始める。
俺は二番目の位置から《帰り道》を確認した。淡い光は階段を上り、そのまま第五層へ続いている。
方向に変化はない。
「久世さん」
後ろの神代さんが呼ぶ。
「はい?」
「さっきより霧、薄くなりましたね」
「助かります」
「もう怖くないですか?」
「見えるならだいぶ」
「分かりやすいですね」
怖いものは怖いし、見えるものは見えるほうがいい。
それだけの話だ。
階段を上り始めると、後方からも少しずつ会話が聞こえるようになった。先ほどまで声を震わせていた探索者二人も、救難班の人たちと話している。
緊張が解けてきたのだろう。
ただ、階段を半分ほど上ったところで、救難班の責任者が声を上げた。
「一度止まれ」
十一人が順番に足を止める。
「どうしました?」
俺が聞くと、男性は後方を確認しながら答えた。
「人数確認する」
俺もつられて振り返る。
ロープでつながっている以上、誰か一人だけ消えることは考えにくい。それでも責任者は一人ずつ声を出させ、最後尾まで確認していった。
「十一。全員いる」
「さっきも確認しましたよね」
俺が言うと、男性は少し笑った。
「救難される側になったせいか、今日は妙に気になるんだよ」
「いいことじゃないですか」
「そうか?」
「俺もよく数えます」
神代さんが後ろから口を挟む。
「久世さんは数えすぎるくらいですけどね」
「足りないよりいいでしょう」
「それはそうです」
責任者が俺たちを見て笑ったあと、再び進行の合図を出した。
第五層へ上がる。
階段を抜けた先は、第六層よりさらに霧が薄かった。視界は二十メートルほどあり、通路の先にある案内表示も普通に読める。
救助された探索者の一人が、安心したように息を吐いた。
「やっと普通に見える……」
もう一人も頷く。
「ここまで来れば帰れますよね?」
その問いに、近くの救難員が答えようとした。
俺はその前に足元を見る。
光はまだ続いている。
「帰れます。ただ、地上まではもう少しです」
探索者が少し笑った。
「久世さん、慎重ですね」
「救難所に戻るまでが仕事なので」
その時、後ろから救難班の責任者が言った。
「その通りだ。まだ装備も外すなよ」
「はい」
返事だけは素直だった。
第五層を進み始めて十分ほど経った頃、通信が入った。
『こちら救難所。第五層西側で霧が再び濃くなっている。そっちの視界はどうだ』
相馬さんの声だった。
責任者が周囲を確認する。
「現在二十メートルほど。問題ありません」
『この先の中央通路は?』
「今から向かいます」
『霧が動いてる。無理に通常ルートへ入る必要はない。久世の道を優先しろ』
「了解」
通信が切れる。
俺は少し嫌な予感がして足元を見る。
《帰り道》は正面の中央通路へ向かっていた。
少なくとも今は。
「霧って動くんですね」
神代さんが言う。
「風みたいなものですからね」
救難員が答える。
「完全に一定の場所へ溜まるわけじゃありません。通路の気流や温度が変われば流れます」
俺たちが進むにつれて、前方が少しずつ白くなっていく。
さっきまで見えていた案内板がぼやけ始めた。
「また来たな」
責任者が呟く。
数分前まで緩んでいた空気が、再び引き締まった。
「ロープの間隔、詰めます」
先頭の救難員が指示を出す。
隊列を少し短くし、前後の距離を縮める。
霧は第六層ほどではない。それでも十メートル先は見えなくなっていた。
「久世さん、方向は?」
「真っ直ぐです」
そのまま進む。
五メートル。
十メートル。
さらに先。
俺は足元の光を見続けた。
すると、中央通路へ入る直前で光がゆっくり右へ曲がった。
「止まってください」
先頭がすぐに止まる。
「道、変わった?」
神代さんが聞く。
「はい。右です」
責任者が地図を見る。
「右は補助通路だな。第五層の東側を回って上層階段へ出る」
「通常ルートより遠い?」
俺が聞く。
「かなり遠回りだ」
救難員が端末を確認する。
「でも、中央通路の霧はさらに濃くなってます。視界五メートル以下」
《帰り道》が変わった理由としては十分だった。
「じゃあ右で」
俺が言う。
責任者は迷わなかった。
「全員、右へ入る」
救助された探索者の一人が不安そうに聞いた。
「遠回りするんですか?」
「そうなります」
俺が答える。
「でも、帰れる道はこっちです」
「また道が変わったんですか?」
「はい」
探索者は少し黙ったあと、素直に頷いた。
「じゃあ、ついていきます」
その言葉が、少しだけ嬉しかった。
補助通路へ入ると、霧は思ったより薄かった。
代わりに道幅が狭く、十一人がまとまって進むには少し窮屈だ。
それでも救難員たちは手際よく隊列を調整していく。
「前から四人ずつ通します。曲がり角で一度止まって後ろを待つ」
俺は方向だけを伝える。
実際に十一人をどう動かすかは、彼らのほうがずっと上手い。
二つ目の曲がり角を抜けたところで、後ろから探索者の声が聞こえた。
「救難員の人でも、迷うことあるんですね」
誰に聞いたのかは分からない。
少し間を置いて、救難班の責任者が答えた。
「あるよ」
意外なくらいあっさりしていた。
「俺たちはダンジョンに慣れてる。でも、何でもできるわけじゃない。見えなければ迷うし、通信が切れれば困る」
「怖くないんですか?」
「怖いに決まってるだろ」
その返事に、俺も少し笑った。
似たようなことを、俺も何度か言った気がする。
責任者は続ける。
「ただ、怖いから準備するんだ。ロープも地図も通信機も持つ。それでも駄目なら、迎えに来てもらう」
「救難員が?」
「ああ」
男性が俺の背中を見る。
「今日はそうなった」
探索者が少し笑った。
「なんか、安心しました」
「どこが?」
「救難員でも怖いんだなって」
「そりゃそうだよ」
俺も思わず口を挟む。
「俺なんか毎回怖いですよ」
神代さんがすぐ後ろから言った。
「久世さんは堂々と言いすぎです」
「隠しても仕方ないでしょう」
「それはそうですけど」
前方の救難員まで笑っている。
霧の中に取り残されていた時より、ずいぶん普通の会話になった。
それでも隊列は崩れない。
声を出しながら歩き、曲がり角では全員が揃うまで待つ。
一人も置いていかない。
救難員たちは、救難される側になってもその動きを忘れていなかった。
補助通路を抜けると、上層へ続く階段が見えた。
今度は霧もほとんどない。
「第四層への階段です」
先頭の救難員が言う。
後ろから安堵した声がいくつか聞こえた。
俺も少し肩の力を抜く。
《帰り道》は階段を上へ伸びている。
「久世さん」
神代さんが隣へ並んだ。
「はい?」
「もう大丈夫そうですね」
「たぶん」
「そこは大丈夫って言わないんですね」
「地上まで行ってないので」
「やっぱり慎重ですね」
「仕事なので」
階段を上る。
第四層に入れば、霧の影響はほぼないらしい。
通信も完全に戻った。
救難班の責任者が救難所へ報告する。
「第四層到達。十一名全員無事。通常ルートへ復帰します」
相馬さんからすぐ返事が来た。
『了解。そのまま戻れ』
「了解」
少し間が空いたあと、相馬さんの声がもう一度聞こえた。
『あと、お前ら』
「はい?」
『油断するな。最後まで気を抜くな』
責任者が顔をしかめる。
「……返す言葉もありません」
通信の向こうで、小日向の笑い声がかすかに聞こえた。
俺も笑いそうになった。
『まあいい。全員帰ってこい』
「了解」
今度こそ通信が切れる。
責任者がため息をついた。
「帰ったら絶対言われると思ってた」
「まだ軽いほうじゃないですか?」
俺が言う。
「久世さん、相馬さんに慣れてるな」
「毎日なので」
神代さんが横で頷く。
「私も少し分かるようになってきました」
責任者が俺たちを見る。
「救難所、楽しそうだな」
「そう見えます?」
「少なくとも今は」
俺は少し考える。
忙しくないほうがいい場所ではある。
でも、嫌いではない。
前方には第四層の通常通路が続いている。
もう霧はほとんど見えない。
救難班の責任者が周囲を確認したあと、全員へ声をかけた。
「ここから通常ルートに戻る。ただし、ロープはそのままだ。外へ出るまで外すなよ」
「了解」
十一人の返事が続く。
誰も「もう大丈夫だから」と装備を外そうとはしなかった。
俺も足元を確認する。
《帰り道》は第四層の通路を抜け、その先へ伸びている。
「久世さん、行きましょう」
「はい」
神代さんに答え、俺も再び歩き出した。
地上までは、もう少しだった。




