第27話 救難班が帰ってこない
翌朝、救難所へ着くと、昨日までと少し空気が違っていた。
電話が鳴り続けているわけでもない。誰かが走り回っているわけでもない。それでも、スタッフの声がいつもより低く、受付の奥では何人かが同じ端末を囲んでいる。
俺がロッカーへ向かおうとすると、小日向がすぐに気づいた。
「久世さん、おはようございます」
「おはよう。何かあった?」
「ちょっとだけ、まずいかもしれません」
その言い方で、仕事前ののんびりした気分は消えた。
「救難?」
「はい。ただ、今回は少し変なんです」
小日向について奥へ行く。
相馬さんは大型モニターの前に立っていた。画面には第六層の地図が表示され、その一部が灰色で塗られている。
神代さんもすでに来ていた。
「おはようございます、久世さん」
「おはようございます。今日は早いですね」
「十分前に来ました」
昨日は七分差だった。
少しずつ本気になっている気がする。
「それより」
神代さんがモニターを見る。
「救難班が戻れなくなっています」
最初、意味が分からなかった。
「救難班?」
相馬さんがこっちを見る。
「昨日の夜から、第六層西区画で濃霧が発生してる」
「霧?」
ダンジョン内で霧が出ること自体は珍しくない。魔力の濃度や地下水、温度差が原因で発生することがある。
ただ、地図に表示されている範囲はかなり広かった。
「視界は?」
「場所によって二、三メートル。ひどいところじゃ一メートルもない」
それはかなり厄介だ。
小日向が端末を操作する。
「昨夜、探索者二名から救難要請がありました。道に迷って動けなくなっていたそうです」
「その二人を迎えに救難班が出た?」
「はい。五名です」
画面に救難記録が表示される。
救難班五人。
探索者二人。
合計七人。
「救助には成功してます」
小日向が言った。
「七人とも無事です。怪我人もいません」
「じゃあ、何で戻れないの?」
俺が聞くと、相馬さんが地図の一角を指した。
「現在位置が分からなくなった」
思わず画面を見直す。
「救難班が?」
「ああ」
救助対象を見つけたあと、濃霧がさらに広がったらしい。
通路番号を確認しながら戻っていたものの、途中で表示板の一部が見えなくなり、さらに魔力干渉で位置情報も不安定になった。
「地図は持ってますよね」
「持ってる。ただ、自分たちが地図のどこにいるのかが分からない」
なるほど。
地図があっても現在地が分からなければ使えない。
「通信は?」
「途切れ途切れだ」
相馬さんが端末を取る。
「十分前に一度つながった。全員無事。物資もある。無理に動かず待機させてる」
「なら、まず見つける必要がありますね」
俺の《帰り道》は、やっぱりそこまでは教えてくれない。
見つける。
合流する。
そこからようやく使える。
最近、この順番を何度も確認している気がする。
「それで久世」
相馬さんが俺を見る。
「迎えに行け」
「分かりました」
今回は迷わなかった。
救難員だって、帰れなくなる時はある。
それだけの話だ。
神代さんが立ち上がる。
「私も行きます」
相馬さんは頷いた。
「頼みます。今回は戦闘より視界が問題だ。霧の中で無理に魔物を追わないでください」
「分かっています」
もう、その注意を聞いても神代さんは驚かない。
最初に救難へ参加した頃とはずいぶん変わった。
「同行は?」
俺が聞く。
「久世、神代さん、それから別班の救難員二人。四人で入れ」
「少なくないですか?」
「多いほうが霧の中じゃ管理しにくい。それに見つけたら七人増える」
確かに。
合流した時点で十一人になる。
「ロープ使います?」
「持ってけ。合流後は使う前提で考えろ」
小日向が端末をこちらへ向けた。
「救難班が最後に確認できた位置はここです」
第六層西区画。
大きな交差通路の周辺。
「最後の通信では、壁に『W-17』の表示が見えたって言ってました」
「それだけ?」
「そのあと通信が切れました」
地図を見る。
W-17の表示は三か所ある。
同じ系統の通路番号らしい。
候補は絞れるが、一発では決められない。
「あと」
小日向が続ける。
「救難班の一人が、近くで水の音がすると言ってました」
「水?」
「たぶん排水路です」
地図上で見ると、三つの候補のうち二つは排水設備の近くにある。
「二つまで絞れますね」
「はい」
こういう情報はありがたい。
《帰り道》がなくても、人は探せる。
探すのは救難の仕事だ。
「準備します」
俺が言うと、相馬さんが短く頷いた。
「無茶すんな」
いつもの言葉だった。
第六層へ下りる途中までは、何も変わらなかった。
第五層から第六層へ降りる階段を抜け、西区画へ近づいたところで空気が白くなり始める。
最初は薄い靄だった。
それが数十メートル進むごとに濃くなっていく。
「すごいですね」
神代さんが前を見ながら言う。
「前、見えます?」
「三メートルくらいです」
「俺は二メートルくらい」
「差あります?」
「気分の問題かもしれません」
同行している救難員が後ろから声をかける。
「ここからロープ使います」
四人のハーネスを短いロープでつなぐ。
前後に距離を取りすぎない。
先頭は現地の地形に詳しい救難員。
その後ろに神代さん。
俺。
最後尾にもう一人。
「久世さん、《帰り道》は?」
神代さんが聞く。
「出てません」
「ですよね」
まだ救助対象と合流していない。
足元には普通の床しかない。
霧が濃くなり、数メートル先の壁さえぼんやりする。
「ちょっと嫌ですね」
俺が言うと、神代さんが振り返った。
「怖いですか?」
「普通に」
「今日は崩落も水もないですよ」
「見えないのも嫌ですよ」
水とは違う怖さがある。
何があるか分からない。
魔物がいても、気づくのが遅れる。
曲がる場所を一つ間違えるだけで、自分たちまで位置を見失う可能性もある。
「壁番号を全部読み上げます」
先頭の救難員が言った。
「誰か一人でも聞き逃したら確認してください」
「了解です」
右側の壁をライトで照らしながら進む。
「W-12」
少し先。
「W-13」
さらに進む。
番号が一つずつ増えていく。
俺も頭の中で確認する。
十二。
十三。
十四。
地図上ではこの先に分岐。
「次、右です」
先頭が言う。
四人で右へ曲がる。
霧の中では、本当に何も見えない。
神代さんの背中だけを追っている感じだ。
しばらく進むと、救難員が止まった。
「W-17」
壁に薄く番号が見えた。
「一つ目の候補です」
通信端末を確認する。
呼びかける。
「こちら捜索班。救難班、聞こえますか」
ノイズ。
返事はない。
もう一度。
「救難班、聞こえますか」
やっぱり返ってこない。
神代さんが耳を澄ませる。
「水の音、聞こえませんね」
俺も聞く。
静かだ。
少なくとも近くに大きな排水路がある感じではない。
「ここじゃない?」
「可能性高いですね」
地図ではもう一つのW-17が、ここから北西。
そちらは排水路が近い。
「次へ行きましょう」
俺たちは再び進んだ。
二つ目の候補へ向かう途中、霧はさらに濃くなった。
神代さんの背中さえ、二メートル離れると輪郭がぼやける。
「神代さん」
「はい?」
「離れないでくださいね」
「久世さんが言うんですか?」
「言いますよ」
「私より久世さんのほうが心配です」
否定できない。
その時、前方で何かが動いた。
全員が止まる。
神代さんの手が剣へ伸びる。
「何かいます」
「見えます?」
「影だけ」
先頭の救難員がライトを向ける。
白い霧の向こうで、大きな影がゆっくり横切った。
魔物だと思う。
種類までは分からない。
「近づいてきてます?」
俺が小声で聞く。
神代さんが首を横に振った。
「こちらには向いてません」
「なら、やり過ごしましょう」
神代さんは剣から手を離した。
「はい」
以前なら倒したほうが早いと考えたかもしれない。
今は違う。
救難中に必要のない戦闘はしない。
全員で壁際に寄り、声を落とす。
影はゆっくり遠ざかり、そのまま霧の中へ消えた。
「行きます」
先頭の救難員が再び歩き出す。
何も起きなかった。
それが一番いい。
さらに数分。
水の音が聞こえてきた。
最初は小さかったが、進むにつれてはっきりしてくる。
「ありますね」
神代さんが言う。
「排水路」
俺も聞こえる。
地図を見る。
もうすぐ二つ目のW-17。
「近いかもしれません」
先頭の救難員が壁を照らす。
白い霧の向こうに数字が浮かんだ。
W-17。
「ここです」
通信端末を取る。
「救難班、聞こえますか。こちら捜索班です」
ノイズ。
数秒。
「……聞こえる」
返事が来た。
全員の表情が変わる。
「現在位置、W-17で合ってますか」
『たぶん……そうだ。近くで排水の音がする』
当たりだ。
「こちらも排水音を確認しています。大きな声を出せますか」
少し間があった。
霧の向こうから、
「おーい!」
遠くに声が聞こえた。
「聞こえました」
神代さんが指す。
「左前です」
もう一度声。
「救難です! その場から動かないでください!」
向こうから返事。
「分かった!」
距離はそれほど遠くない。
でも、この霧の中では十メートルでも十分見失う。
「ロープ延長します」
救難員が予備ロープを出す。
一人ずつ、確実に。
声を頼りに進む。
五メートル。
十メートル。
やがて霧の中に人影が見えた。
一人。
その後ろにも。
さらに。
「いた」
神代さんが言う。
近づく。
救難班五人。
その中央に、救助された探索者二人。
合計七人。
全員いる。
俺は人数を数え直した。
七人全員がそろっていた。怪我人はいない。
救難班の責任者らしい男性が、少し申し訳なさそうな顔でこちらへ来た。
「助かった」
「全員無事ですか?」
俺が聞く。
「ああ。救助した二人も問題ない。ただ……」
男性が周囲の霧を見る。
「救難員が救難されるとはな」
少し苦い笑いだった。
俺は特に気にせず答えた。
「帰れないなら、救難対象ですよ」
男性が一瞬きょとんとした。
そのあと、少しだけ笑った。
「そうだな」
俺にとっては、探索者でもS級でも救難員でも関係ない。帰れないなら迎えに来る。それが俺の仕事だ。
俺は七人全員を確認し、今度は連れて帰る相手として意識する。
足元を見る。
淡い光が現れた。
霧の中でも、はっきり見える。
「久世さん」
神代さんがすぐ気づく。
「出ました?」
「はい」
光は白い霧の向こうへ伸びていた。
俺には、その線だけが迷わず見えている。
「帰れます」
救難班の人たちの表情が少し緩んだ。
今度は、救う側も一緒だ。
十一人全員で、地上へ戻る。




