第2話 そっちは出口じゃない
「……帰りましょう」
俺がそう言っても、五人はすぐには動かなかった。
まあ、当然だと思う。
十八層で遭難しているところに救助が来たと思ったら、現れたのがF級探索者一人。しかも俺は見るからに強そうな装備をしているわけでもない。
神代美波が手にした剣を下ろしながら、改めて俺を見る。
「久世さん、でしたよね」
「はい」
「出口までの道が分かるんですか?」
「分かります」
「地図は?」
「見てません」
後ろにいた男性探索者が眉をひそめた。
三十歳前後だろうか。短く刈った髪に、大きな盾を背負っている。
「見てない?」
「階層変動の後なんですよね」
「そうだけど」
「なら、今までの地図は当てにならないので」
男の表情がさらに険しくなる。
気を悪くさせたかと思ったが、そういうわけでもなさそうだった。ただ純粋に、俺の言っていることが理解できていないらしい。
神代が一歩前に出る。
「じゃあ、どうやって出口まで?」
俺は足元を見る。
淡い光が、曲がりくねった通路の奥へ続いている。
「俺のスキルです」
「スキル?」
「《帰り道》っていうんですけど」
また少し間が空いた。
盾の男が神代の横から顔を出す。
「聞いたことないな」
「でしょうね。F級なので」
自慢するようなスキルでもない。
俺がそう答えると、神代の後ろにいた女性が小さく首を傾げた。
金色に近い明るい髪を後ろで束ねている。ローブを着ているところを見ると、魔法職だろう。
「効果は?」
「地上まで帰れる道が見えます」
「……それだけ?」
「それだけです」
今度は全員が黙った。
あまりにも分かりやすい反応だったので、少し笑いそうになる。
探索者にとって、スキルは強さに直結するものだ。
炎を操る。身体能力を上げる。敵の位置を探る。傷を治す。
そういうものが普通だ。
帰り道が見える。
それだけでは、魔物一匹倒せない。
だからF級。
俺自身、その評価に文句はない。
「とりあえず、ここに長くいる理由はないので移動しましょう」
俺が歩き出そうとすると、盾の男が慌てて声を上げた。
「待ってくれ」
振り返る。
男は俺が指した方向と、反対側の通路を見比べていた。
「出口はそっちじゃない」
「昨日までなら、そうだったみたいですね」
「昨日までって……」
「今はこっちです」
俺が示したのは、彼らが来た方向とはほとんど逆だった。
男が困惑するのも無理はない。
神代もすぐには動かなかった。
「私たちは、第十七層へ上がる階段を探していました」
「はい」
「最後に確認できた階段は、あっちです」
神代が反対方向を指す。
「分かってます」
「その階段を使わないんですか?」
「使えないんじゃないですかね」
「え?」
「道がそっちに出てないので」
説明になっていないのは自分でも分かっている。
でも、《帰り道》がどうしてそういう道を選ぶのかは俺にも分からない。
見えるものを見えると言うしかなかった。
盾の男が腕を組む。
「つまり、そのスキルを信じろと?」
「そうなりますね」
「根拠は?」
「今まで外したことがない」
男が黙る。
さすがにそれだけでは信用しにくいか。
すると、神代が俺の横を通った。
「行きましょう」
盾の男が驚いて彼女を見る。
「美波?」
「ここにいても状況は変わらない。それに、救難要請を受けて来た人を疑い続けても仕方ないでしょう」
「いや、それはそうだけど……」
「もし間違っていたら戻ればいい」
神代はそう言ってから、俺を見る。
「案内、お願いします」
「はい」
話が早くて助かる。
俺は光を追って歩き出した。
背後から五人分の足音がついてくる。
しばらく進んでも、通路は見覚えのない形ばかりだった。
階層変動というのは厄介だ。
壁が崩れる程度ならまだいい。
大きなものになると、それまで通路だった場所が消えたり、新しい空間ができたりする。
つまり、昨日まで正しかった地図が突然役に立たなくなる。
探索者が一番嫌う事故の一つだ。
「久世さん」
後ろから神代に呼ばれた。
「はい」
「これ、どこに向かってるんですか?」
「出口です」
「それは分かっています」
少しだけ呆れた声だった。
「方角の話です。このままだと第十七層への階段から離れていませんか?」
言われてみればそうだった。
ただ、俺に方角は関係ない。
「たぶん、別のルートがあるんだと思います」
「たぶん?」
「俺にも出口まで全部見えてるわけじゃないんです。今進む道だけなので」
神代が足を止めかけた。
「先までは分からない?」
「曲がれば、その先がまた見えます」
「……なるほど」
納得したような、していないような声だった。
俺自身、説明すると頼りなく聞こえるなとは思う。
でも、それで今まで困ったことはない。
通路を二つ曲がったところで、前方が広くなった。
俺は足を止める。
神代たちも続いて止まった。
目の前には、大きく崩れた空間が広がっていた。
天井から落ちた岩が通路を埋め尽くしている。
その奥には階段らしきものが少しだけ見えていた。
盾の男が息を呑む。
「ここ……」
神代の表情が変わる。
「私たちが目指していた階段です」
なるほど。
俺は崩落した通路を見る。
人が通れる隙間はない。
無理に岩を崩せば、さらに天井が落ちてくる可能性もある。
「塞がってますね」
俺が言うと、盾の男が頭を掻いた。
「……本当に使えなくなってたのか」
「みたいですね」
「さっき疑って悪かった」
「別に」
こういう仕事をしていれば慣れている。
むしろ、何も確認せず知らないF級についてくるほうが心配だ。
神代が崩落箇所を見つめながら聞いてくる。
「久世さんには、最初からここが塞がっていると分かっていたんですか?」
「いえ」
「え?」
「こっちに道が出てなかっただけです」
神代は数秒黙ってから、少しだけ笑った。
「便利なのか不便なのか、よく分からないスキルですね」
「俺もそう思います」
今度はちゃんと笑われた。
少しだけ空気が軽くなる。
「戻りましょう。こっちじゃないです」
俺が踵を返した、その時だった。
低い唸り声が聞こえた。
すぐ近くだ。
反射的に足を止める。
俺には魔物の位置なんて分からない。
《帰り道》も、危険な敵がいると教えてくれるわけではない。
だから、こういう時は戦える人間に任せる。
神代が一瞬で俺の前へ出た。
「下がってください」
言われる前に下がる。
通路の陰から、大きな腕が現れた。
続いて、二メートルを軽く超える巨体。
灰色の皮膚。
太い首。
握っているのは、人間一人くらいなら簡単に潰せそうな棍棒だ。
オーガ。
浅層ではまず見ない。
俺が一人だったら、迷わず逃げる相手だ。
「前衛、出る!」
盾の男が叫ぶ。
だが、それより早く神代が動いた。
地面を蹴る。
一瞬でオーガとの距離を詰めた。
大きな棍棒が振り下ろされる。
俺なら避ける以前に動けなかったと思う。
神代は半歩だけ横へずれた。
棍棒が床を叩く。
岩が砕ける。
その横を滑るように通り抜け、剣を一閃。
オーガの右腕が落ちた。
「うわ……」
思わず声が出た。
オーガが叫ぶ。
神代は止まらない。
二撃目。
首筋へ刃が走る。
巨体が数歩ふらつき、そのまま地面へ倒れた。
静かになった。
十秒もかかっていない。
神代が剣についた血を払い、こちらを振り返る。
「大丈夫ですか?」
「はい」
「怪我は?」
「ないです」
俺は倒れたオーガを見る。
「S級って、すごいですね」
神代が少し変な顔をした。
「今さらですか?」
「実際に近くで見ることないので」
救難仕事で出会う頃には、大抵みんな疲れているか怪我をしている。
元気なS級が普通に戦うところなんて、まず見ない。
盾の男が笑った。
「美波に任せとけば、これくらいは平気だ」
「森岡さんも戦ってください」
「出ようとしただろ」
どうやら盾の男は森岡というらしい。
神代はため息をつきながら剣を収めた。
その横を通り過ぎ、俺は再び光を確認する。
ちゃんと続いている。
「じゃあ、行きますか」
俺が言うと、神代が横に並んだ。
「久世さん」
「はい?」
「さっきのオーガ、避けようとは思わなかったんですか?」
「避ける?」
「遠回りするとか」
「道がこっちだったので」
「危険でも?」
「《帰り道》は安全を保証してくれるわけじゃないですよ」
神代の眉がわずかに上がる。
「そうなんですか?」
「魔物がいない道が分かるなら、もっとランク高いと思います」
「ああ……」
納得したらしい。
俺は倒れたオーガを振り返った。
「だから助かりました」
「え?」
「俺一人なら逃げてました。ありがとうございます」
神代が一瞬きょとんとしてから、口元を緩めた。
「……それは、こっちの台詞です」
俺たちはまた歩き出した。
光は順調に前へ伸びている。
このままなら、そう時間はかからないだろう。
そう思った直後だった。
俺は足を止めた。
「どうしました?」
神代が聞く。
返事をせず、足元を見る。
さっきまで真っ直ぐ続いていた光が、目の前でゆっくり動いていた。
右へ。
今まで何もなかった脇道へ向かって、進路を変えていく。
「……道が変わった」
俺が呟く。
神代も視線を落とすが、もちろん彼女には何も見えない。
「変わることがあるんですか?」
「あります。でも――」
耳を澄ます。
遠くから、何かが響いていた。
一つではない。
重い足音。
それも、こちらへ近づいてくる。
森岡も気づいたらしく、背中の盾へ手をかけた。
「美波」
「分かってる」
神代が剣を抜く。
俺は右へ伸びた光を見る。
少なくとも、《帰り道》はもう正面を選んでいない。
なら、迷う理由はなかった。
「こっちです」
俺は脇道を指した。
「急ぎましょう」
今度は誰も、俺が示した方向を疑わなかった。




