第1話 迎えに来ました
「この道、本当に出口に続いてるんですか?」
後ろから不安そうな声が飛んできた。
俺は足を止め、振り返る。
薄暗い通路の向こうで、まだ二十歳そこそこに見える男女が並んでこちらを見ていた。二人とも装備は新品に近い。男のほうは短剣を握りっぱなしで、女のほうは何度もスマートフォンの画面を確認している。
当然、圏外だ。
「大丈夫ですよ。あと十分くらいです」
そう答えると、女の子があからさまにほっとした顔をした。
男のほうはまだ納得していないらしい。
「でも俺たち、さっきもここ通ったような……」
「似た場所が多いですからね。浅い階層でも、脇道に入ると結構迷いますよ」
「地図は見たんです。ちゃんと」
「見たから迷わない、とは限らないので」
意地悪で言ったつもりはなかったのだが、男は少し気まずそうに口を閉じた。
まあ、気持ちは分かる。
初心者向けと呼ばれる浅い階層で遭難したとなれば、格好悪いと思うのだろう。
でも、ダンジョンで一番危ないのは、格好悪いからと助けを呼ばなくなることだ。
「次からは、分からなくなった時点で止まってください。歩き回るほど見つけにくくなりますから」
「……はい」
「救難要請を出したのは正解です」
今度は二人とも素直に頷いた。
俺は再び前を向く。
足元には、二人には見えていない淡い光の筋が伸びている。
曲がり角を右へ。
次の分岐を左。
あとは一本道だ。
俺の持っているスキル、《帰り道》。
できることは単純で、ダンジョンから地上へ帰れる道が見える。
それだけだ。
魔物を倒せるわけでもなければ、宝箱を見つけられるわけでもない。身体能力が上がることもないし、隠し部屋の位置が分かるわけでもない。
探索者として登録した時の評価はF。
今も変わっていない。
ただ、人を地上まで連れて帰る仕事には便利だった。
「久世さんって、戦闘系のスキルは何なんですか?」
今度は女の子が聞いてきた。
「ないですよ」
「え?」
「俺のは《帰り道》だけです」
二人が揃って黙った。
少しして、男が遠慮がちに口を開く。
「……それで一人でダンジョン入ってるんですか?」
「浅いところなら」
「怖くないです?」
「怖いですよ」
即答すると、なぜか二人に驚かれた。
「だから無茶しないんです。逃げる道だけは分かってますから」
話しているうちに、通路の先が明るくなってきた。
人工照明だ。
やがて壁も、むき出しの岩から補強されたコンクリートへ変わっていく。
女の子が声を上げた。
「あっ……!」
数十メートル先に、地上へ続くゲートが見えている。
ようやく男も肩の力を抜いた。
「マジで戻ってきた……」
「お疲れさまでした」
ゲートを抜けた途端、二人の足取りが目に見えて軽くなる。
地上側の待機所には救難スタッフが待っていた。二人の無事を確認すると、簡単な聞き取りのため別室へ案内していく。
女の子が途中で振り返った。
「久世さん!」
「はい?」
「ありがとうございました!」
男も頭を下げる。
俺は軽く手を上げて応え、そのまま救難所へ向かった。
今日の仕事はこれで終わり。
――のはずだった。
救難所の扉を開けた瞬間、妙な空気を感じた。
普段なら誰かしら雑談している時間だが、今は静かだった。
何人ものスタッフが壁際の大型モニターを見つめている。
「戻りました」
声をかけても、反応が薄い。
代わりに一番手前にいた若い男がこちらを振り返った。
小日向蓮。
今年入ったばかりの救難スタッフだ。
「久世さん」
いつもより明らかに顔が硬い。
「どうした?」
「あれ……」
小日向がモニターを指した。
映っているのはダンジョン内部だった。
探索配信らしい。
暗い岩場を背景に、何人かの探索者が固まっている。画面の端には、途切れることなくコメントが流れていた。
俺でも顔を知っている。
神代美波。
国内でも有名なS級探索者だ。
剣一本で大型の魔物を倒す姿がよく切り抜かれている。探索配信にも頻繁に出ているので、探索者に詳しくない人間でも知っているくらいだ。
その神代美波が、今は険しい顔で何かを話していた。
『もう一度確認します。帰還石は?』
『駄目です。反応しません』
『地図は』
『位置が合わない。さっき通った通路自体が消えてます』
コメント欄の流れが一気に速くなった。
《え、これヤバくない?》
《階層変動?》
《S級でも戻れないの?》
《救難要請出した?》
俺は小日向を見る。
「階層変動?」
「十分くらい前です。かなり大きいみたいで……第十八層から下の構造が変わった可能性があるそうです」
十八層。
さっきまでいた場所とは比べものにならない深さだ。
「救難要請は?」
「出てます」
低い声が割り込んだ。
奥から歩いてきたのは、救難班の責任者である相馬源一だった。
四十八歳。大柄で、黙っているだけなら機嫌が悪そうに見える人だが、今日は本当に機嫌が悪そうだった。
相馬さんはモニターを見たまま続けた。
「神代美波を含む五名。全員S級かA級。負傷者一名。ただし歩行可能。問題は、現在位置が正確に分からんことだ」
「救難班は?」
「第一班が入る準備をしてる。ただ、通常ルートが残ってる保証がない」
そこで相馬さんが俺を見る。
何を言いたいのかは分かった。
俺もモニターへ視線を戻す。
神代たちは移動をやめていた。
下手に動かない。
それ自体は正しい判断だ。
ただしダンジョンは待ってくれない。
魔物が来ることもある。
再び地形が変わる可能性だってある。
画面の向こうで、神代が仲間に言った。
『ここで待ちます。救難隊と合流するまでは動かない』
冷静だ。
S級になるような人間は、こういう時も判断を誤らないらしい。
だからこそ、早く迎えに行ったほうがいい。
俺はロッカーへ向かった。
背負っていた荷物を置き、代わりに深層用の救難装備を取り出す。
小日向が目を丸くした。
「久世さん?」
「ん?」
「何してるんですか」
「準備」
「何のです?」
聞かなくても分かるだろうに。
「迎えに行く」
小日向が固まった。
「いやいやいや、待ってください。十八層ですよ?」
「分かってる」
「さっきまで三層にいた人の返事じゃないですよ、それ」
「俺だって好きで深いところまで行きたいわけじゃない」
装備を確認する。
ヘルメット。
予備ライト。
水。
簡易食。
応急処置用のセット。
魔物除け。
最後に救難用の位置発信機を腰へ付ける。
相馬さんがこちらへ歩いてきた。
「久世」
「はい」
「行けるか」
それだけだった。
小日向が相馬さんを見る。
「相馬さんまで何言ってるんですか。久世さん、F級ですよ?」
「知ってる」
「戦えないですよ?」
「それも知ってる」
「じゃあ……」
相馬さんは俺ではなく、モニターを見た。
「今必要なのは、あいつらより強いやつじゃねえ」
それ以上は言わなかった。
俺も言葉を足す必要はなかった。
装備を背負う。
「第一班とは途中で合流します」
「ああ。無茶すんな」
「しませんよ」
小日向がまだ不安そうな顔をしている。
「本当に行くんですか?」
「救難要請が出てるからな」
「でも――」
「大丈夫」
そう言ってから、俺は少し考えた。
「帰る道は分かるから」
救難所を出た。
地下へ向かうゲートの先に、俺にだけ見える光が伸びていた。
神代美波を見つけたのは、それからしばらく後だった。
第一救難班とは途中まで一緒だったが、階層変動の影響で通れない場所が増え、何度も進路を変えることになった。
最後は狭い亀裂を抜ける必要があり、俺だけが先行した。
岩壁の向こうから、人の声が聞こえる。
「止まって!」
鋭い女性の声。
次の瞬間、何か巨大なものが地面へ倒れる音が響いた。
俺が通路へ出ると、ちょうど大型の魔物が真っ二つになるところだった。
その前に、一人の女性が立っている。
長い黒髪。
手には剣。
配信で見たままの神代美波だった。
彼女がこちらを向く。
一瞬、警戒するように剣を構えかけ、それから俺の装備に気づいた。
「……救難隊?」
「はい」
俺が答えると、奥にいた探索者たちもこちらを見る。
五人。
事前情報通り全員いる。
負傷している男も、自分の足で立っていた。
ひとまず安心した。
神代が俺の後ろを見る。
誰も来ないことに気づいて眉を寄せた。
「一人ですか?」
「今は」
「他の救難隊員は?」
「途中まで来てます。ただ、この先は通路が狭かったので、先に俺が来ました」
彼女は少し戸惑ったようだった。
当然だと思う。
深層で遭難し、ようやく救助が来たと思ったら一人。
しかも俺だ。
「失礼ですけど……ランクは?」
「Fです」
今度こそ全員が黙った。
奥にいた男性探索者が、聞き間違いを疑うような顔をする。
「F?」
「はい」
「ここ、十八層ですよ?」
「そうですね」
「いや、そうですねって……」
神代は何も言わなかった。
ただ、俺をじっと見ている。
俺は彼女たちの状態を確認してから、振り返った。
そこには一本の光が伸びていた。
さっき通ってきた亀裂とは違う、地上へ全員で帰れる道。
「大丈夫です」
神代が目を瞬いた。
俺は光の伸びる先を指した。
「迎えに来ました」
それから、五人の顔を順番に見る。
「帰りましょう」
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