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ハズレスキル《帰り道》しかないF級探索者、遭難したS級パーティを全員連れて帰ったら救難依頼が殺到しました  作者: ころもぐら


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第186話 向こう側で動くもの

 相馬さんが受けた連絡は、救難要請ではなかった。旧北水路の向こう側から入った調査班が、閉鎖予定区画の壁に見つけた扉について、管理者へ確認を求めているという。扉の向こうから一定の間隔で金属の動く音が聞こえ、電源を切ったはずの設備が稼働している可能性があった。


「事故じゃないなら、俺たちは帰っていいんですか」と尋ねると、相馬さんは頷いた。


「今日はここまでだ。あちらの班には技師がいる。正体の分からない設備を、人数を増やして見に行く理由はない。必要なら改めて相談する」


 俺は安心した半面、少しだけ拍子抜けした。知らない扉の話を聞くと、何かが起こる前に動かなければと身構えてしまう。相馬さんはそんな俺の顔を見て、苦笑した。


「久世、気になるからって全部追いかけるな。今は誰も行方不明になっていない。調べる人に任せるのも仕事だ」


「分かりました。夕飯の野菜を買って帰ります」


「それがいい。明日、話が進めば連絡する」


 フェナは駐車場の出口で俺を待っていた。相馬さんとの会話を伝えると、彼女は少し考えてから「今日は買い物に行けますね」と言った。昨日から二度も予定が揺れたせいで、買い物に行けること自体が小さな成果のように感じられた。


 市場では、閉店の準備を始めた店が多かった。フェナは傷の少ない根菜を選び、俺は値札を見ながら明日の分まで買うか迷った。結局、持ち帰れる量だけにした。俺が野菜を袋へ詰めていると、店の女性が旧北水路の話をしているのが聞こえた。


「向こうへ行く道、閉じるんだってね。荷物を運ぶ人は大変になるよ」


 隣の客が、今はほとんど使われていないはずだと答える。女性は首を振り、道を使っている人が少ないことと、困る人がいないことは違うと話した。俺は昼間の地区代表を思い出したが、口を挟まなかった。知らない人の会話へ、探索者としての意見を差し込む必要はない。


 家へ帰ると、フェナは新しい皿を取り出して野菜を洗い始めた。俺は水を切る籠を用意し、鍋へ火をかける。窓辺の花は昼より少し傾いていた。フェナが「明日は茎を短くします」と言ったので、俺は花屋で教わった方法をもう一度一緒に確かめようと答えた。


 食事のあと、俺は端末を手にしたが、旧北水路の検索画面を開く前に閉じた。相馬さんから必要な連絡が来るまでは、俺が画面を眺めても設備の正体は分からない。フェナが湯飲みを二つ運んできて、俺の隣へ座った。


「ナオトさん、今日は道を閉じる話を聞きましたけど、誰も助けに行きませんでしたね」


「そうだね。人が困るかもしれないって分かったのに、今すぐ何かできるわけじゃなかった」


「でも、困る人がいるって、ちゃんと聞けました。今日の人たちが話し合う時に、必要なことだと思います」


「俺は、あの人たちの代わりに答えを出そうとしてたのかもしれない。能力があるから、何か言わなきゃって」


 フェナは湯飲みを両手で包み、少し首を傾げた。


「聞くのも、何かをすることじゃありませんか。私、あの女性が帰りたいって言った時、何も直せませんでした。でも、戻ることはできました」


 俺は湯気の向こうに彼女の顔を見た。救難の仕事では、すぐに動くことを求められる。だから、動かない時間を無駄だと思ってしまうのだろう。今日、俺たちが危ない区画へ進まなかったことも、誰かの判断を待ったことも、何もしなかったのとは違う。


 翌朝、瀬川さんから連絡が入った。旧北水路の管理者が、向こう側の扉について過去の記録を探したところ、三十年以上前の設備台帳に似たものが見つかったらしい。現在の水路図面からは消えているが、古い水位調整装置の点検室かもしれないという。


『設備の調査には専門の班が入ります。久世さんにお願いしたいのは、調査班の退出経路を現場で確認する補助です。ただし、昨日とは違って、一般の立会いはありません。相馬さんも同行します』


「分かりました。危険な場所へ先に入る役じゃないんですよね」


『ええ。現場責任者が立入り可能と判断した範囲で、帰路を確認していただきます。無理な場合はその場で中止します』


 俺はフェナへ相談し、彼女も参加を希望した。昨日と同じ袋へ電池と留め具を分け、救難用の鞄には水と携帯食を追加する。フェナは出発前、花の茎を少しだけ切り、水を替えた。窓辺へ戻した花は、昨日より低い位置でまっすぐ立った。


「帰った時、見えますね」と俺が言うと、フェナは頷いた。


「昨日と同じ場所です。でも、少し違って見えます」


 旧北水路の向こう側の入口は、昨日の管理棟から車で回り込んだ先にあった。市場に近い地区の外れで、道路の脇には古い荷下ろし場が残っている。入口の上には消えかけた文字があり、壁にはかつての水位を示す目盛りが刻まれていた。水が通っていた高さは、俺の胸より上だった。


 相馬さんは現場責任者と打ち合わせ、入域者の人数と役割を確認した。今日は俺とフェナ、相馬さん、管理者、設備技師二人、構造技師一人、通信担当一人の計八人。外には別の待機班がいる。扉の調査は設備技師が行い、構造技師は周辺の安全を確認する。俺たちはその後方で、帰路と人数の確認を受け持つ。


「奥に行く必要がなくなったら、その場で戻る」と相馬さんが念を押した。「何か見つけても、今日は設備を動かさない。調査と修理は別の作業だ」


 管理者は頷き、全員に防護具の点検を指示した。入口の鉄扉が開くと、湿った石の匂いが流れてきた。昨日の通路より天井が高く、床の中央には排水溝がある。壁沿いには古い配管が何本も走り、そのうち一本だけが新しい留め具で固定されていた。


「この管、今も使っているんですか」と俺が尋ねると、設備技師が首を振った。


「通水の記録はありません。ただ、どこまでつながっているか調べ直す必要があります。外から見て使っていないように見えても、内部で別の管へ接続されていることがあります」


 俺はそれ以上質問せず、足元へ注意を戻した。水の流れる音がするが、排水溝の底は照明を向けてもよく見えない。フェナは後方の通信担当と短くやり取りし、入口との連絡状態を確かめていた。


 最初の曲がり角で、技師が壁の古い矢印を指さした。白い塗料で描かれた矢印は、今の退出案内と逆の方向を向いている。昨日の入口から見た地図では、こちら側の案内が撤去されたことになっていたが、実際には残っていたらしい。


「この矢印を信じると、閉鎖区間へ進んでしまいますね」とフェナが言った。


「そうだね。でも、今すぐ消していいかは管理者が決めることだ。工事中の表示として使われていた可能性もある」


 相馬さんはそのやり取りを聞き、現場責任者へ位置を伝えた。技師は写真を撮り、作業記録に書き込む。俺は同じ方向を見たが、能力が示す帰路は入口へ戻る別の通路を向いていた。矢印の意味を判断する力はない。それでも、帰る方向と一致しないことだけは伝えられた。


 奥へ進む途中、通路の壁に木枠の掲示板が残っていた。紙はすべて剥がされているが、画鋲の跡が何重にも重なっている。設備技師は、ここが以前の作業員の待機場所だったのだろうと話した。近くには低い石の台があり、腰掛けると入口からの風が当たらない位置になっている。


「ここで何を待っていたんでしょう」とフェナが尋ねた。


「水路の流量が落ち着くのを待ったのかもしれません。昔の作業日誌を読まないと分からないですね」と管理者が答えた。


 俺は石の台へ座ってみたい衝動を抑えた。安全を確かめた通路でも、勝手な行動を増やせば同行者の確認が難しくなる。技師が先へ進む合図を出すまで、俺は足元の乾いた場所で待った。


 その時、管理者が掲示板の下に小さな金属板を見つけた。泥を払うと、古い文字で「下流側確認後、操作」と刻まれている。誰かが読めるように残した注意書きだが、操作する設備の名前までは書かれていなかった。


「この文字を見たことはありますか」と相馬さんが尋ねた。


「ありません。ここへ来た時には、壁の色と同じになっていました」と管理者は答えた。「今の手順書には、この場所自体が載っていません」


 相馬さんは責めるような口調にはならず、金属板の位置を記録係へ伝えるよう求めた。誰かが知らなかったという事実は、その人を叱っても変わらない。次に入る人が同じように見落とさないために、どこに何があったか残す必要がある。


 フェナはその板を見て、昨日の地区代表の言葉を思い出したようだった。


「昔、ここを通った人なら、この意味を知っているでしょうか」


「知っている人がいるかもしれないね。でも、知っていたとしても、今の設備にそのまま使えるとは限らない」と俺は答えた。


 技師は俺たちの会話に頷き、古い知識は手がかりになるが、現在の水路で試す前には別の確認が必要だと説明した。俺はそこで初めて、過去の記録を探す仕事が、思い出話を集めることとも、機械を修理することとも違うのだと分かった。


 目的の扉は、通路の途中で壁に半分埋まるように残っていた。鉄の表面には厚い錆が浮き、取っ手の下に丸い点検窓がある。耳を澄ますと、奥から「ごとん、しゅう」と低い音が聞こえた。一定の間隔ではあるが、まったく同じ長さではない。機械が回っているというより、水が何かを押して戻しているようにも聞こえた。


 設備技師は扉に触れず、携帯計器で周囲の状態を調べた。構造技師が天井と床を確認し、立ってよい位置を示す。扉の隙間から空気が出入りしているかどうかも確かめられたが、その場で開ける判断は下されなかった。


「台帳の記述だと、水位が一定以上になった時だけ動く装置です」と設備技師が説明した。「ただ、今の水位で作動するはずはありません。内部に水が残っているのか、別の水路から圧力がかかっているのか、まだ分かりません」


「開ければ分かるんじゃないですか」と俺が言いかけると、技師は顔を上げた。


「開けたことで圧力が抜ける可能性もあります。扉の向こうに何があるか分からないからこそ、外側から調べるんです」


 俺は口を閉じた。知らないことを知りたい気持ちは、柊木が閉鎖区画へ進んだ時の気持ちと、どこか似ているのかもしれない。目的も立場も違うが、目の前の扉を開ければ答えが出ると思うところは同じだ。だからこそ、開けない判断には技術が必要なのだと感じた。


 しばらく調査が続いたあと、技師の一人が古い配管の接続部へ計器を当てた。数字を読み取った彼は、もう一人の技師を呼んだ。二人は小声で相談し、管理者へ何かを伝える。俺には内容が聞き取れなかったが、管理者の顔色が変わったのが分かった。


「何か問題が?」と相馬さんが尋ねた。


「この管に、わずかですが圧力が残っています。現役の水路とつながっている可能性があります。閉鎖工事で誤って切断すれば、下流側へ影響が出るかもしれません」


 技師の説明に、管理者はすぐ無線を取り出した。外の班へ、予定していた工事準備を一時停止するよう連絡する。閉鎖工事はまだ始まっていない。だからこそ、今なら順序を変えられるのだと俺は思った。


 その時、扉の奥で音が変わった。さっきまで低く響いていた金属音が短くなり、続いて細い振動が壁を伝わってきた。床へ置いた計器の針がわずかに揺れる。構造技師は全員へ一歩下がるよう指示し、設備技師は計器を手に取って数値を確認した。


「水位が上がっているわけではありません」と設備技師が言った。「でも、ここで原因を調べ続ける必要はない。いったん外へ出て、現役の水路側の記録と照合しましょう」


 相馬さんは即座に了承した。俺たちは人数を確かめ、来た道を戻る。先頭の技師が床の状態を確認し、俺はその後ろから入口へ向かう道筋が一致しているかを伝えた。古い矢印のある曲がり角では、通信担当が後続へ正しい方向を知らせる。誰かが慌てて走ることはなかった。


 途中、フェナが俺の袖を軽く引いた。彼女は後ろを振り返り、管理者が立ち止まっていることを示した。管理者は扉の方を見て、何か言いかけたまま動けずにいた。


「管理者さん、戻ります」と相馬さんが声をかけた。


「すみません。あの設備は、台帳では停止したことになっていました。私が確認した時も、動いていないと思っていたんです」


「その話は外で聞きます。今は全員で戻りましょう」


 管理者は深く息を吸い、歩き出した。俺は彼の横へ並ばず、隊列の後ろから全員の足取りを見た。人が止まる理由は、足場が悪い時だけではない。判断を誤ったかもしれないという重さが、体をその場へ留めることもある。


 外へ出ると、入口の向こうに広い空が見えた。昨日の地区代表が話していた市場の方角から、荷車の音が聞こえる。俺たちは八人全員が出たことを確認し、装備を点検した。怪我人はいない。誰かを救出したわけでもない。それでも、予定していた工事がいったん止まったことに、俺は安堵していた。


 管理棟へ戻ると、設備技師が現役水路の記録を照合し始めた。昨日見た図面にはない古い管が、現在も使われている設備の排水側へつながっている可能性がある。資料が足りないため断定はできないが、扉の向こうの装置は、閉鎖後も何らかの役割を持っているのかもしれなかった。


「これ、閉じる道の問題じゃなくなってきましたね」と俺が呟くと、相馬さんは首を横に振った。


「いや、同じ問題だ。人が通らなくなったからといって、そこにあるものが全部不要になるわけじゃない。何を閉じて、何を残すかを調べないといけない」


 管理者は昨日の立会い記録を机へ置き、地区代表の女性が書き込んだ地図を見た。市場と診療所を結ぶ線の近くに、古い水路の出口が描かれている。そこを歩いてきた人と、そこで動いてきた設備の両方を、今の図面は十分に表していなかった。


「閉鎖工事の延期を正式に申請します」と管理者が言った。「通行は引き続き禁止にします。けれど、工事で設備を壊してしまう前に、どこへつながっているのか確かめます」


 設備技師は頷き、外側からの調査計画を立て始めた。俺たちの仕事はここまでだ。俺は相馬さんへ、帰路の案内と人数確認に問題がなかったことを伝え、報告を終えた。


 調査を終えたあと、相馬さんは俺とフェナを管理棟の廊下へ呼んだ。今回の現場で、自分たちが何を見て、何を見なかったかを確認するためだった。俺は退出時に古い矢印と能力が示す方向が食い違ったことを話し、フェナは管理者が途中で立ち止まったことを伝えた。


「管理者を連れ戻したのは俺じゃなくて相馬さんです」と俺が言うと、相馬さんは首を振った。


「フェナが気づいてくれなければ、声をかけるのが遅れた。帰路を知っていることと、全員が歩いていることを確かめるのは別だ。今回はそれができていた」


 フェナは少しだけ照れたが、すぐに真面目な顔になった。


「でも、もし音がもっと大きくなっていたら、私は怖くて振り返れなかったかもしれません」


「それなら、次は誰が後ろを見るか決めておこう。怖くなることを前提に準備した方がいい」と相馬さんは答えた。


 俺はその会話を聞きながら、二人とも失敗を隠そうとしていないことに気づいた。今日、誰も怪我をしなかったからといって、すべてがうまくいったことにはならない。けれど、起きなかった事故を想像して自分を責め続けるのも違う。次の行動へつながる形で話せるなら、反省は少しだけ前向きなものになる。


 帰る前、管理者が俺たちを呼び止めた。


「久世さん、あなたの能力で、あの扉の向こうから戻る道を調べることはできますか」


「中へ入って、自分が帰る道筋を知ることはできます。でも、扉の向こうに何があるかは分かりません。安全かどうかも、設備がどこへつながるかも分からないです」


「そうですよね。失礼しました」


「いえ。調べる方法が見つかるといいですね。ただ、俺が先に入れば解決するという話にはしないでほしいです」


 管理者は顔を上げ、はっきりと頷いた。俺はその返事を信じることにした。知らない場所へ進む役目が、いつも俺である必要はない。


 帰りの車で、フェナは窓の外を見ながら、古い設備の音を思い出していた。


「ナオトさん、あの音、誰かが動かしているわけじゃなかったんですね」


「まだ分からないけど、水が動かしている可能性があるらしい」


「人がいなくなっても、動き続けるものがあるんですね」


「そうだね。使っていないと思っていた場所にも、まだ仕事が残っていたのかもしれない」


 フェナはしばらく考え、それから昨日の荷車の札の話をした。戻った車を数えるための札は、使われなくなっても資料室へ残る。通路は閉じても、そこを通った人の生活までなくなるわけではない。俺は彼女の話を聞きながら、窓辺の花を思い出した。茎を切っても、花そのものが別のものになるわけではない。形を変えながら残せるものが、きっとある。


 夕方、瀬川さんから短い連絡が届いた。現役水路の担当部署で、古い点検記録が見つかったという。扉の向こうの装置は、水位調整のためだけに造られたものではないらしい。過去の記録には、装置の動作を止める際に、必ず向こう側の地区へ知らせるよう記されていた。


『理由は現在確認中です。旧北水路の閉鎖工事は延期されました。現場へ再入域する必要が生じた場合も、専門班の判断を優先します』


 俺は返信を送り、端末を伏せた。帰る道が分かるだけの俺には、古い機械の役割を当てることはできない。けれど、昨日あの道を歩いた人たちの話と、今日動いていた設備の音が、どこかでつながっている気がした。


 窓辺では、フェナが水を替えた花が、まっすぐ立っていた。俺たちはまだ、あの扉の向こうに何が残っているのか知らない。知らないまま閉じてしまわずに済んだことが、今日の仕事の一番大きな結果だった。

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