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ハズレスキル《帰り道》しかないF級探索者、遭難したS級パーティを全員連れて帰ったら救難依頼が殺到しました  作者: ころもぐら


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185/198

第185話 閉じる道の見届け人

 翌朝、フェナが窓を開けると、黄色い花が風に揺れた。細い茎は昨日よりわずかに曲がっていたが、彼女はすぐに支えを足そうとはせず、しばらく眺めてから窓を半分だけ閉めた。俺が台所で湯を沸かしていると、食器棚から青い縁の皿が二枚取り出される音がした。


「今日は、お仕事ですか」とフェナが尋ねた。


「午前中は報告の確認だけ。黒硝洞の件で俺に聞かれることがあるらしい。午後はまだ空いてるよ」


「では、夕方は買い物に行けますね。昨日、野菜を使い切りました」


 俺は頷きながら、二人分の卵を焼いた。黒硝洞の暗がりで聞いた石の音はまだ耳に残っている。それでも、昨日帰ってからフェナと夕飯を食べ、朝にはいつもの台所に立てた。誰かが外で俺の能力について何を言っていようと、この部屋の朝を奪われる理由にはならない。


 受付へ着くと、瀬川さんが書類を持って待っていた。柊木透真たち三人の所在確認と医療機関への引継ぎは記録上も完了している。撮影担当の脚については検査が続いており、怪我の程度をこちらが断定する段階ではないという。柊木からは、仲間と話し合ってから説明を出したいという連絡が入ったらしい。


「久世さん宛ての問い合わせは、窓口で受けています。個人で対応しなくて大丈夫です」と瀬川さんが言った。


「助かります。あの人のその後まで、俺が答えることじゃないですから」


「ええ。ただ、救難記録にあるあなたの発言だけ確認させてください。『帰路は分かるが、搬送具が通れる幅かどうかは分からない』。この表現で間違いありませんか」


「間違いありません。俺が見つけた近道を使わなかったのも、そのためです」


 瀬川さんは頷き、修正箇所のない用紙を重ねた。最近の俺は、自分が何をできないか説明する機会が増えている。説明のたびに情けなくなる日もあったが、昨日はそれを伝えたおかげで、狭い横穴へ搬送具を押し込まずに済んだ。言葉が役に立つこともあるのだと思う。


 確認が終わる頃、相馬さんが奥の扉から現れた。いつもの出動服ではなく、襟のある作業着を着ている。俺の顔を見ると、少し困ったように笑った。


「久世、今日は救難じゃない仕事を頼みたい。時間はあるか」


「午後なら。何をするんですか」


「旧北水路の連絡坑道を閉鎖する前に、最後の立会いがある。工事の人だけじゃなく、昔からそこを使ってきた地区の代表も同行する。帰路の確認にお前の意見を聞きたいそうだ」


 旧北水路は、市街地の外れにある水運施設だ。現役の排水路とは別に、山腹をくり抜いて造られた古い連絡坑道が残っている。昔は両側の地区を結ぶ作業路として使われたが、今は管理者の許可がある時しか入れない。近年、天井の一部にひびが見つかり、修理するより閉じる方が現実的だという話が進んでいた。


「俺が入って帰れたら、閉鎖しなくてもいいって判断されるんですか」


「そういう使われ方をするなら、頼まない。安全性の判定は構造の専門家がする。お前に頼みたいのは、予定している退出手順が現地の案内と食い違っていないか、同行者の一人として確認することだ」


 相馬さんはそう言ってから、少し間を置いた。


「ただ、地区の人の中には『久世がいれば通れる』と思っている人もいる。だから、最初に線を引いておきたい。無理なら断ってくれ」


 俺はすぐには答えられなかった。黒硝洞の騒ぎが収まったばかりで、別の場所でも俺の名前が安全の証明に使われそうになっている。相馬さんが先にその危険を口にしたことはありがたかったが、だからといって気が軽くなるわけではない。


「フェナも同行していいですか。後方の連絡や人数確認を一緒にやってきたので」


「本人が希望するなら、役割を確認したうえで頼む。今回は無理に連れていく必要はない」


 フェナへ相談すると、彼女は説明を最後まで聞いてから、二つ質問をした。一つは閉鎖が決まっているのに、なぜ人を中へ入れるのか。もう一つは、途中で怖くなった人がいた場合、見学をやめて戻れるのかということだった。


「地区の人が、自分の目で確かめたいと言っているそうだよ」と俺は答えた。「でも、危険がある場所まで見せるわけじゃない。専門家が通行できると判断した区間だけ。途中でやめる人がいたら、その人と一緒に引き返す」


「それなら、私も行きたいです。閉じる道を見に行く人が、帰りたいと言いにくくならないようにしたいです」


 彼女は買ったばかりの布の小袋を手に取った。昨日、洞窟で電池と留め具を分けていた袋だ。俺は一緒に行こうと答え、夕方の買い物が遅くなるかもしれないと伝えた。フェナは「野菜は明日でも買えます」と笑ったが、すぐに「明日も仕事になるとは限りませんね」と言い直した。その言葉が妙に嬉しかった。


 午後、旧北水路の管理棟へ着くと、細長い机を囲んで六人が待っていた。施設の管理者、構造調査を担当する技師二人、地区から来た男女二人、それに記録係だ。相馬さんは全員の立場を一人ずつ紹介し、俺とフェナが何のために来たのかを説明した。


「久世の能力は帰る方向と道筋を知るためのものです。壁の強度や足場の安全、先に何がいるかは分かりません。同行しても閉鎖の是非を決める根拠にはしないでください」


 地区代表の男性は、深い皺のある手を膝の上で組み、相馬さんの話を聞いていた。女性の方は手元の古い地図を何度も折り直している。管理者が立会いの順序を説明すると、男性が静かに口を開いた。


「安全じゃないから閉じるという話は、分かっています。ただ、ここは私らの地区の人間が長く使ってきた道です。閉じる前に、どこまで変わったのか見たい。通れるようにしてくれと言いに来たわけじゃありません」


「それでも、閉じたら向こうの市場へ行くのに遠回りになります」と女性が続けた。「車を持たない人には、距離がそのまま負担になる。危ない道を使わせろとは言いません。でも、別の道を用意する話が置き去りになっているんです」


 管理者は用意した説明資料を開きかけ、いったん手を止めた。技師の一人が、現在の補修計画では坑道そのものを安全な通路に戻すことは難しいと述べる。水が岩盤の継ぎ目から入り、天井の変形が進んでいるため、表面だけを固めても通行を保証できないという。


「だったら、閉じるしかないんでしょう」と男性は言った。「でも、閉じる理由を聞くことと、閉じたあとをどうするかは別です。そこを一緒にしないでほしい」


 俺は黙っていた。これまで何度も、帰還できなかった人を外へ連れ出すために歩いた。しかし、道がなくなったあと、その土地で暮らす人がどう動くのかまでは考えていなかった。帰り道が分かる俺でさえ、毎日の買い物や通院で使う道が突然遠くなったら困る。ましてや、俺の能力を持たない人にとってはなおさらだ。


 説明の前に、管理者は机の上へ二種類の図面を並べた。新しいものは通路の幅と設備の位置を正確に示しているが、昔の地図には、休憩所や荷車を置いた広場まで細かく書き込まれている。女性は古い方を見て、懐かしそうに笑った。


「この印、井戸じゃないんですよ。冬になると手袋を乾かした場所です。子どもの頃、父を迎えに来て、ここで待っていました」


 技師はその印を初めて知ったらしく、意味を尋ねて余白へ書き留めた。俺は新しい図面の方が正しいのだろうと思っていたが、二枚は同じものを記録しているわけではなかった。安全な通行を判断するための情報と、そこを使った人の記憶は、重なる部分もあれば、まったく違う部分もある。


 男性は、閉鎖の知らせが出てから地区で集めた意見を取り出した。道が遠くなるという声のほかに、危ないと知りながら子どもが入ってしまわないか心配する声もあった。高齢の人ほど閉鎖に反対するだろうと俺は勝手に思っていたが、長く道を使った人だからこそ、傷んだ壁を知っているのだという。


「若い人に、昔は平気だったと言いたくないんです」と男性は話した。「平気だったのは、たまたま何も起きなかっただけかもしれない。あの頃、どんな危ないことをしていたかも、一緒に伝えないと」


 フェナは静かに聞き、俺も自分の経験を持ち出さなかった。ここで必要なのは探索者の武勇談ではなく、これから通る人が何を知るべきかという話だった。


 出発前の説明では、調査済みの手前区画だけを見学し、補強工事のない奥の区画には入らないと決められた。入域者は俺とフェナ、相馬さん、管理者、技師二人、地区代表二人の計八人。記録係は管理棟に残り、一定の間隔で無線を受ける。歩行が難しくなった人が出た場合には、全員がいったん引き返す。そこまで確認してから、技師が先頭に立った。


 入口の鉄扉を開けると、冷たい空気が服の隙間へ流れ込んだ。壁には古い荷車の擦り跡があり、足元の石には水路へ向かう細い溝が刻まれている。天井から吊られた新しい照明と、かつて使われた丸いランプの台座が並んでいた。新旧の設備が同じ通路に残っているせいで、時間の違う二つの場所を重ねて歩いているような気がした。


「昔はここを、夕方になると荷車が通ったんです」と男性が言った。「野菜も、氷も、学校の机も。水路が忙しい時は、子どもが通るのを止められました。誰でも好きに使える道じゃなかった」


「では、今と同じで許可が必要だったんですね」とフェナが尋ねた。


「今よりずっと大雑把な許可でしたけどね。顔を見れば、どこの家の誰か分かった。いいことばかりじゃありません。知らない人は通りにくかったから」


 男性は笑ったが、すぐに壁の傷へ目を向けた。そこには木の札を取り付けた跡がいくつも残っていた。女性が、昔は荷車の番号をそこへ掛けたのだと教えてくれる。戻ってきた車の札を外せば、その日の荷運びが終わったと分かる仕組みだったらしい。


「帰ってきた人を数えるための札ですね」とフェナが言うと、女性は少し驚いた顔をした。


「そうです。よく分かりましたね」


「私たちも、人数を確かめる仕事をしています。やり方は違いますけど」


 フェナの返事に、女性の表情が柔らかくなった。俺は横で聞きながら、数えるという行為が、現場の仕事だけのものではないのだと思った。人を待つ場所には、誰が戻ったか確かめる方法が生まれる。それは立派な制度でなくても、日々の生活の中で必要とされてきたのだろう。


 通路の半ばで、技師が立ち止まった。天井に細い亀裂が走り、補強材が一定の間隔で取り付けられている。調査用の印がいくつも書き込まれていた。技師は全員を亀裂の真下から離し、現在の変形量を記録した数字を示した。数値の意味は俺にはよく分からなかったが、去年より変化が大きくなっていることだけは説明から理解できた。


「ここより先は、今日の立会いでは進みません」と技師が告げた。


 男性は頷いたが、女性は奥の暗がりを見つめたままだった。少し先に曲がり角があり、その向こうに古い市場へ続く出口があるという。彼女は地図を握り直し、言いにくそうに尋ねた。


「向こう側からも、ここまで来られないんでしょうか。あちらの出口を最後に見たい人もいると思うんです」


「向こう側は別の調査班が確認しています。ただ、こちらと同じ位置まで安全に入れるかは、まだ判断できません」と技師は答えた。


「そうですか。私の母が、向こう側で店をしていたものですから」


 女性はそれ以上言わなかった。俺は彼女が見ている暗がりに目を向けた。能力を意識すると、入ってきた扉へ戻る道筋が、頭の中で明瞭になる。だが、彼女が会いたいと思っている過去へ続く道は、そこにはない。俺が指し示せるのは、今立っている場所から外へ戻る道だけだった。


 相馬さんが引返しの合図を出そうとした時、後ろから金属が擦れる音がした。管理者が振り返り、壁に掛けた携帯照明を確かめる。音の正体は、技師が置いた計測器の留め金だった。何かに引っ掛かって外れかけていたらしい。危険はなかったが、女性の肩が大きく跳ねた。


「すみません」と技師が言った。「驚かせました」


 女性は首を振ったものの、息が浅くなっていた。フェナが一歩近づき、無理に触れずに声をかける。


「ここで少し休みますか。それとも、先に外へ戻りましょうか」


「……戻りたいです。見たかったところは、もう見ました」


「分かりました。皆さんに伝えますね」


 彼女が戻りたいと言ったことで、誰も残念そうな顔をしなかった。技師は計測器を片付け、相馬さんは八人が揃っていることを確認した。俺は帰る道筋を意識したが、先頭には立たず、通路の曲がり角で技師の案内が一致しているかを確かめる。壁の亀裂の下を避ける位置は、俺の能力では分からない。だから、帰路の方向を伝える時にも、専門家の指示と重ねて確認した。


 入口へ戻る途中、男性が俺に話しかけた。


「久世さんは、帰る道が分かるんだそうですね。じゃあ、今の私らの帰り道も分かるわけだ」


「入口へ戻る道なら分かります。でも、閉鎖されたあとの地区の行き来をどうするかは、俺には決められません」


「それでいいんです。何でも分かる人が来たって聞いた時は、少し嫌だった。こっちが長く歩いた道のことを、知らない人に一言で決められる気がして」


 男性は靴底を石へ擦りつけ、足元の溝を見た。


「でも、あなたも知らないことは知らないと言うんですね。それなら、私らが知っていることも話せそうだ」


 俺は返事に迷い、結局、ありがとうございますとだけ言った。感謝されるほどのことはしていない。ただ、自分の能力で埋められない部分があると認めただけだ。それでも、その空白があるから相手の話を聞けるのだとしたら、悪いことばかりではない。


 全員が管理棟へ戻ると、記録係が人数を読み上げた。八人、全員帰還。技師は計測器の状態を確認し、管理者へ調査結果を渡す。女性は椅子に腰を下ろし、しばらく手の中の地図を開かなかった。相馬さんが温かい飲み物を勧めると、ようやく息をついた。


「向こうへ行けないのは、分かりました」と女性が言った。「でも、向こうに用事がある人までいなくなるわけじゃありません。閉じるなら、別の行き方を一緒に考えてください」


 管理者はすぐに返事をしなかった。通路の閉鎖工事は管理者の権限で決められるが、代わりの交通手段は地区や市の担当者も交えて話す必要があるらしい。簡単に約束できないことを、簡単に引き受けない。その沈黙を、俺は少しだけ信じたいと思った。


「次の協議には交通担当も呼びます」と管理者が言った。「今日の立会い記録には、閉鎖の理由だけでなく、地区から出た要望も残します。工事の日程は変わらないかもしれませんが、通行の負担を別の問題として扱わないようにします」


「それなら、私たちも数字を持ってきます」と男性が答えた。「何人が、何のために、どれくらい遠回りになるのか。昔話だけでは伝わらないでしょうから」


 女性が地図を開き、鉛筆で市場と診療所の位置に小さな丸をつけた。俺はその手元を見ながら、今日初めて、閉じる道を見に来た意味が分かった気がした。危ない道を残すためではなく、その道が担っていたものを、消える前に数えるためだったのだ。


 帰り際、フェナは壁から外された古い荷車の札を一枚、管理者が机へ置くのを見つめていた。木は黒ずみ、数字の半分が擦れている。管理者によると、記録用に保管していたもので、閉鎖後は資料室へ移す予定だという。


「ナオトさん、あの札は、帰ってきた人の印だったんですね」


「うん。俺たちの帰還確認と、似ているところがあるね」


「でも、札を数えなくなったら、誰が待っていたかも分からなくなる気がします」


 彼女はそう言い、少し考えてから続けた。


「今日、あの方は戻りたいと言えました。私が聞いたからじゃなくて、言ってもいい場所だと分かったからだと思います」


 俺は頷いた。人を連れて帰る仕事をしているのに、俺は時々、帰りたいという声を待たずに進むことがある。救難の現場では時間に追われるが、今日のような立会いなら、誰かの歩く速さに合わせられる。そこに俺の能力とは別の役割があった。


 出発前に記録係が見せてくれた入域表には、今日の八人の名前が並んでいた。俺は自分の欄へ帰還時刻を記入し、隣でフェナが同じようにペンを動かすのを待った。小さな作業だったが、何十年も前の荷車の札と今の記録が、ほんの一瞬だけつながった気がした。使う道が変わっても、戻ってきたことを誰かが確かめる必要はなくならない。だからこそ、閉鎖したあとに誰がどの道を使うのかも、ちゃんと考えなければならないのだろう。


 管理棟の外へ出ると、空はまだ明るかった。買い物へ寄るには十分な時間がある。フェナが今夜は何を作ろうかと尋ねたので、俺は市場で見てから決めようと答えた。


 ところが、駐車場へ向かう途中、相馬さんの端末に連絡が入った。彼は短く応じ、眉を寄せて旧北水路の管理棟を振り返った。


「閉鎖区間の向こう側で、調査班から報告があった。通路に古い設備が見つかったらしい。事故ではない。だが、閉鎖工事の前に確認しなければならないものだそうだ」


「何が見つかったんですか」と俺が尋ねると、相馬さんは通話を切り、手帳を閉じた。


「向こう側の壁に、今の図面には載っていない扉がある。中から、機械が動く音がするらしい」


 俺は、さっき歩いた坑道の暗がりを思い出した。こちらから見た曲がり角の先に何があるのか、俺の能力は何も教えてくれなかった。古い道を閉じるという話が、まだ終わっていないことだけは分かった。

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