↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハズレスキル《帰り道》しかないF級探索者、遭難したS級パーティを全員連れて帰ったら救難依頼が殺到しました  作者: ころもぐら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
171/194

第171話 質問する人の席

翌朝、救難受付へ入ると、いつもの大きな地図が壁から外されていた。代わりに、長机が三つ並べられ、机ごとに違う形の紙が置かれている。一つは入口が複数ある地下保管施設、もう一つは斜面に入口が一つだけある保守施設、最後は川沿いの排水管理施設。どれも俺たちが最近訪ねた場所だが、地図からは細かな設備番号や関係者以外に見せられない情報が消されていた。


「会場の下見ですか」と俺が尋ねると、瀬川さんは首を振った。


「その前の準備です。来週の合同研修で、参加者に自分の施設のことを話してもらうための教材を作っています。でも、昨日の訂正事例を入れたら、予定していた時間では足りなくなりました」


相馬さんは机の端に座り、三つの紙を見比べていた。最初の予定は、各施設の担当者が持ち寄った手順書を確認し、模擬説明をして終えるというものだったらしい。けれど、教える人が一人もいない施設と、教えたことになっている記録を直している施設では、困っていることが違う。


「全部の問題を一日で解決しようとすると、また『研修済』の印だけ増える」と相馬さんが言った。「だから今回は、教える人が質問を受け止められるかを中心にする。設備の安全確認や正式な手順の承認は、各施設へ持ち帰ってもらう」


「それなら、参加者が説明する時間を長く取った方がよさそうですね」と俺は答えた。


「そうだ。ただ、説明が上手い人だけを前に立たせたら、ほかの人は見て終わる。どう組み合わせるかが難しい」


瀬川さんは参加予定者の一覧を見せた。北側の保管施設からは受付の女性と設備班の男性、斜面の保守施設からは夜勤担当の男性と管理者、川沿いの施設からは記録を訂正した管理主任と、退避手順を説明できなかったと申し出た当直員が参加する。ほかにも、施設ごとの教育担当者が数人来る予定だった。


「川沿いの当直員さんも来てくれるんですか」


「はい。ご本人から、記録の話をしたいと連絡がありました。ただ、ほかの施設の前で個人の経験を話すのは負担が大きいので、無理に発表してもらわないようにします」


フェナは一覧の端へ小さな印を付けた。


「話したくない時に、話さなくていい席も必要ですね」


「そうですね」と瀬川さんは答えた。「事例の説明は私が担当できます。本人が望むなら補足してもらう。それで十分です」


俺は参加者の名前の横に書かれた役割を眺めた。受付、設備、夜勤、管理。肩書きが違えば、知っていることも、知らないことも違う。全員が同じ地図を暗記する研修にしてしまえば、その違いが見えなくなるだろう。


午前中、俺たちは近くの研修会場へ下見に行った。市の研修棟の二階にある会議室は、机を動かせば三つの班に分けられる。窓が大きく、外の道路や木々がよく見えた。会場の担当者は、利用規則と避難案内を一緒に渡してくれた。


「非常口は二か所あります。ただ、今日は片方の廊下で清掃作業をしています。研修当日の通行条件は、こちらで確認してご案内します」


相馬さんはその説明を聞き、会場側の責任者と確認方法を取り決めた。俺たちが参加者へ帰還訓練を教える日に、会場自身の案内が曖昧では困る。とはいえ、ここで俺が《帰り道》を使って非常口の安全を判定できるわけではない。会場の設備と運用は、会場の人に確かめてもらう必要がある。


椅子を並べていると、フェナが入口から部屋の奥まで歩き、振り返った。


「ナオトさん、ここの席だと、後ろの人は小さな地図が見えませんね」


「前へ貼れば見えるかな」


「でも、細かい文字は読みにくいかもしれません。手元にも配る方がよさそうです」


俺は用意していた縮小図を見た。設備番号を消したせいで余白が増え、必要な文字まで小さくなっている。情報を隠すことと、読めなくすることは違う。瀬川さんへ連絡すると、各班で使う紙を大きく印刷し直すことになった。


その時、会場の担当者が入口の段差を見て言った。


「参加者に、階段の上り下りが難しい方はいらっしゃいますか。二階へは昇降設備がありますが、点検予定と重なる日があるんです」


俺は思わず参加者一覧を見直した。今まで、教える内容ばかり考えていて、ここへ来る人が無理なく会場へ入れるかまでは確かめていなかった。


「参加者全員の移動条件は、まだ聞いていません」と相馬さんが答えた。「確認します。設備の点検と重なるなら、会場変更も含めて考えましょう」


担当者は頷き、同じ建物の一階にも使える部屋があると教えてくれた。ただし、そちらは机の数が少ない。相馬さんは、使いやすさを優先して机を減らす案を考え始めた。


「地下へ帰る道の話をするのに、研修へ来る道で困らせたら意味がないですね」と俺が言うと、フェナが静かに頷いた。


「はい。それに、困っていることを聞けるようにしておけば、私たちも気づけます」


会場の下見が終わる頃、俺たちは一階の部屋へ移す方向で調整を始めていた。正式な予約変更は会場の担当者からの返事を待つ。準備の段階でも、決めていいことと、確認が必要なことがあるのだと分かる。


昼過ぎ、救難受付へ戻ると、神代美波さんが机の前に立っていた。別の案件の報告を終えたところらしく、手にしたファイルを閉じながら俺たちを見た。


「合同研修の準備をしてるって聞いた。久世、今度は講師になるの?」


「講師ってほどじゃないです。俺は質問する側です」


「それ、いつもやってることじゃない」


美波さんは少し笑い、机の教材を見た。相馬さんが、参加者同士で教え合う練習をすると説明すると、彼女は一枚の紙を取り上げた。


「ここに『退避経路を説明する』ってあるけど、何を説明できたら終わりなの? 地図を指して『ここです』と言えれば合格?」


「そこが決まっていないんです」と俺が答えた。


「だったら、聞く側に回る人の役目も決めた方がいいと思う。教える人が上手に話せるだけじゃ、相手に伝わったか分からないから」


瀬川さんはその言葉を聞き、教材の欄を一つ増やした。説明した人の名前だけでなく、聞いた人が何を理解できたか、どこで質問したかを書く欄だ。美波さんは、そこへさらに短い言葉を書き足した。


『分からないと言えたか』


「これも確認するの?」と俺が尋ねると、美波さんは頷いた。


「分からないのに『はい』って答える人がいたら、説明した側は安心しちゃうでしょ。聞く側が質問しやすいかも、教える人の仕事だと思う」


俺は昨日の当直員の顔を思い出した。彼女は「訓練済」と書かれていたために、分からないと言いにくかった。今日の教材が、別の誰かに同じ思いをさせるものであってはいけない。


午後は、救難受付の空いている机を使って模擬研修を行った。相馬さんが進行役、美波さんが初めて施設へ来た職員役、俺が説明役、フェナが記録役になる。題材は架空の地下保管庫で、入口が二つあるが、一方は時間帯によって閉鎖されるという設定だ。安全を確かめるための実地訓練ではなく、机の上だけで行う練習にした。


「では、久世さん。初めて入る人へ、帰還時の連絡方法を説明してください」と相馬さんが言った。


俺は紙の地図を指し、入口で入域札を受け取り、戻ったら受付へ連絡することを説明した。そこまでは問題なかったが、美波さんが「受付が閉まっていたら」と尋ねた瞬間、俺は設定の紙を見直した。夜間の連絡先がどこにも書かれていない。


「すみません。この紙では分からないです。夜間の担当者を確認してから説明します」


「じゃあ、今は入っていいの?」


「それも俺には決められません。施設の責任者へ確認します」


美波さんは腕を組み、わざと困った顔をした。


「でも、もう作業の時間なんだけど。『たぶん大丈夫』って言ってくれない?」


「言えません。連絡先が分からないまま入るのは、後で困ると思います」


相馬さんがそこで練習を止めた。美波さんは表情を戻し、笑って椅子に座る。


「うん。言い切らなかったのはよかった。でも、久世が最初から『夜間の連絡先はまだ確認できていません』って伝えてくれたら、私も予定を組み直せたかも」


俺は紙を見た。自分が説明することに集中して、知らない部分を先に伝えていなかった。質問されて初めて、穴が見えたのだ。


「説明を始める前に、何が確認済みかを言う方がいいんですね」


「場合によるけどね。知らないことがあるなら、隠さない方が聞く側は助かる」


フェナは記録欄に書いた言葉を読み上げた。


「『質問された後に確認不足を伝えた』『入域可否は施設責任者へ確認と説明した』。あと、聞く側が分からないと言えたかは……今回は、美波さんがたくさん質問してくれました」


「私は質問する役だからね」と美波さんが言う。「本番では、何も聞けずに終わる人がいるかもしれない。その人のことも考えよう」


俺たちは班ごとに、質問する人の役を順番に交代する案を作った。経験の浅い人だけに質問を押し付けず、管理者や設備担当も、知らない施設の説明を聞く側へ回る。質問が出なかった場合は「理解した」と決めつけず、聞いた人が連絡先や判断の境目を自分の言葉で話せるかを確かめる。


練習をもう一度行う前に、瀬川さんが北側の保管施設へ電話をかけた。設備班の男性が教材用の地図を送ってくれることになっていたが、届いた図には保管物の種類と搬入予定がそのまま載っていたという。施設の担当者以外に見せてはいけない情報が含まれているため、このまま研修で配ることはできない。


「地図がないと、質問の練習ができませんよね」と俺が言うと、相馬さんは送られてきた図を閉じた。


「現物の図面がなくても、説明の境目は練習できる。むしろ、ここでは施設の機密を知る必要はない。実際の通路を使う判断は、持ち帰って設備担当とやってもらう」


電話の向こうの男性は、少しほっとしたようだった。


『すみません。詳しく見せた方がいいと思って、余計なところまで送ってしまいました。僕が描き直します』


「一人で全部作らなくてもいいですよ」とフェナが受話器へ声をかけた。「使っていい情報の範囲を、施設の責任者に確認してからで大丈夫です」


『はい。……あの、もう一つ聞いていいですか。前の研修では、説明役の人が質問に答えられないと、周りが代わりに答えて終わったんです。今回もそうなったら、僕は何もできないまま帰る気がします』


俺はその言葉に覚えがあった。俺自身も、誰かが答えを知っていると、ついそちらを見てしまう。相馬さんは受話器を引き取り、ゆっくり話した。


「答えられない質問が出たら、そこで終わりにしないつもりです。答えを知っている人がいても、まず『誰が確かめるべきことか』を整理する。あなたが設備の安全をその場で判断できないなら、判断できる人へつなぐ説明を練習すればいい」


『それなら、やれそうです』


「本番で困ったら、進行役に言ってください。話す時間が足りなければ、別の時間を取ります」


通話が終わったあと、俺は相馬さんに尋ねた。


「教える人が答えられないまま終わるのって、失敗じゃないんですか」


「答えられない理由が分からず、確認先も決めずに終われば困る。でも、設備の条件が必要だと分かって、持ち帰る担当が決まったなら、それは次の仕事へ進める。研修の場で全部の答えを作る方が危ない」


瀬川さんは、参加者が持ち帰る紙に「未確認事項」「確認する人」「確認結果を共有する相手」の欄を作った。会場で答えが出ないことを、恥ずかしいまま持ち帰らせないための紙だ。相馬さんはさらに、確認の期限を無理に一律に決めないよう伝えた。設備の点検日や勤務の都合が違う以上、施設ごとに責任者が決める必要がある。


次の模擬研修では、フェナが説明役になり、美波さんが夜勤の新人を演じた。題材は、訓練済の記録があるのに本人が手順を説明できない場合だ。フェナは机の向こうに座り、柔らかな声で問いかけた。


「以前、説明を受けたことになっていますが、どんな内容だったか覚えていますか」


「覚えてない。だから、また聞きたいんだけど」と美波さんは答えた。


「分かりました。では、最初から一緒に確認しましょう」


「でも、私だけもう一回受けたら、仕事ができない人って思われない?」


フェナは少し言葉を探し、相馬さんの方を見た。助け舟が出るのを待つのではなく、自分で答えたいようだった。


「記録があることと、今の手順を説明できることは、同じではありません。私も、どこまで教わっているか分からないまま、できると決めるのは怖いです。確認し直すことを、責める理由にしたくありません」


美波さんは新人の役のまま、机に肘を付いた。


「じゃあ、私が忘れてたとしても、怒らない?」


「忘れていたことが分かれば、今必要なことを教え直せます。ただ、危険な作業へ入る前に確認しなければいけないことは、確認できるまでそのままにしません」


相馬さんは練習を止めず、俺へ目配せした。俺は記録係の代わりに、二人のやり取りを書き留めた。フェナは「大丈夫ですよ」とだけ言って終わらせなかった。本人の不安を受け止めながら、必要な確認は省かない。その両方を言うのは、思っていたより難しい。


美波さんが役を解いたあと、フェナは深く息を吐いた。


「ナオトさん、今の質問は難しかったです。怒らないと約束するだけでは、危険な場所へ入る条件が曖昧になってしまいそうで」


「うん。でも、責めないことと、確認を省かないことを分けて話せてたと思う」


美波さんは椅子を引き、フェナの書いたメモを覗いた。


「私が聞きたかったのは、たぶん『分からないって言っても、ここにいていい?』ってことなんだよね。答えられないからって、すぐ外へ追い出されると思ったら、次から何も聞けなくなる」


「そうですね」とフェナは頷いた。「でも、確認が終わるまで入れない場所があるなら、それもきちんと伝えたいです」


俺は、自分がF級探索者として最初に救難受付へ来た頃のことを思い出した。等級だけを見て、できない仕事を先に決められたことがある。できないことを認めるのは悔しい。けれど、できないことを隠して誰かを危険にさらすより、ずっとましだ。今日の練習は、教える人だけでなく、教わる人が安心して「分からない」と言える場所を作るためでもあるのだろう。


瀬川さんは、模擬研修の記録を二つに分けた。一つは説明の内容に関する改善点。もう一つは、聞く人が質問しやすかったかどうか。相馬さんは、後者を採点表にしないよう注意した。質問が少ない人を減点すれば、今度は質問するふりをする人が出るかもしれないからだ。


「記録は、誰かを並べ替えるためじゃなく、次に何を教えるか決めるために使いたいですね」と瀬川さんが言った。


フェナはその言葉を聞き、自分の手帳の端へ書き留めた。俺も同じ場所に印を付けた。教える側の席には、答えを知っている人だけが座るのではない。相手の分からなさを聞いて、必要な確認を一緒に探せる人が座るのだと思った。


しばらくすると、瀬川さんの端末に会場から連絡が入った。一階の部屋を確保できるという。ただし、班を三つに分けるには机の配置を工夫する必要がある。相馬さんはすぐに配置図を描き直し、美波さんが入口からの動線を見て、荷物を置く場所を提案した。


「これで全員が同じ部屋に入れるかは、参加人数が確定してから確認ですね」と瀬川さんが言った。


「確認することが、また増えましたね」とフェナが笑った。


「増えたというより、見えていなかっただけかも」と俺は答えた。


夕方、研修の案内文を送る前に、相馬さんが全員を集めた。参加者へ持参してもらうのは、自施設の連絡手順と、確認できていない事項の一覧。設備の詳細図や機密情報をそのまま持ち出さないこと、実地訓練の代わりにはならないこと、参加しただけで「教育完了」としないことも明記する。


「『できないことを見つける研修』と書くと、来たくなくなる人もいるかもしれませんね」と瀬川さんが言った。


「なら、『困った時に聞ける人を増やす』はどうでしょう」とフェナが提案した。


相馬さんは少し考え、案内文の冒頭へその言葉を入れた。俺は、同じ机に並ぶことになる人たちの顔を思い浮かべた。教えるのが怖いと言っていた設備班の男性も、訓練済の印が怖いと言った当直員も、そこへ来る。どちらも、知らないことを隠したくて困っていたわけではない。


最後に、瀬川さんが参加者への確認事項を読み上げた。必要な配慮、勤務の都合、事例を匿名で扱うことへの同意。返事が来ていない施設には、無理に参加を求めず、後日資料と説明の機会を用意する。全員が一度に集まれなくても、教える仕事が続く形を考えるためだ。


片付けの途中、美波さんが俺の隣へ来た。


「久世、今日は自分が説明役になると、ちょっと緊張したでしょ」


「はい。聞く方が楽でした」


「それを覚えておけばいいんじゃない。教える人だって、最初は緊張する。間違えた時に、誰かが一緒に直してくれるなら、次もやれる」


彼女はそう言って、自分のファイルを抱え直した。フェナが会議室の灯りを消すと、窓に俺たちの姿が薄く映った。帰り道を知っていることと、人に帰り方を伝えられることは、やはり違う。けれど、違うからこそ、一人で背負わなくてもいいのだと思えた。


翌日の朝には、最初の参加者から返事が届いた。北側の保管施設の設備班の男性は、案内文の余白に一行だけ書いていた。


『自分が答えられなかった質問を、一つ持っていきます。』


俺はその言葉を見て、思わず笑った。正解を持ってくるのではなく、まだ答えのない質問を持ってくる。その人が教える側の席に座るなら、俺も聞く側の席から、きちんと話を聞きたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。